日記と決心
「明日のこともあるし、もう寝るかな……」
家に帰り、自室でしばらくと勉強をしていた太郎は、時計を見てそんなことを呟いた。時刻はまだ二十二時を周ったところで、寝る時間はいつもより早い。
正直のところ、太郎は全く勉強に集中できていなかった。どうしても明日のことを考えてしまう。早く明日になってほしいので、もう寝てしまうことにした。
ベッドに横になり、電気を消す。部屋が暗くなると、余計に心臓がドキドキとした。しかし、体とは裏腹に。精神はまるで空気が抜けていくように、自然と眠りに落ちた。
気づくと太郎は、真っ白な空間に立っていた。
「え……?」
何もない真っ白な空間。前後左右、上下も全てが白い。自分が今、浮いているのか立っているのかも分からない、そんな空間にいた。
「これは、夢……?」
何もないこんな場所に、いきなり来れば理解は追い付かない。太郎はしばらく、呆然としていた。
すると、いきなり後ろから声がする。
「やっと会えたか」
振り向くと、そこには自分がいた。目を向けた瞬間は、そこに鏡があるのかと思った。今の自分とそっくりそのまま、今日 鏡で見た自分がそこにいた。
「え、え……? き、君は誰……?」
突然現れた自分と全く同じ姿の人間に、太郎は驚いた。動揺している姿にもう一人の自分はピシャリと言う。
「うろたえるな。俺とお前は一心同体。いわばお前から見れば俺は、お前の裏だ」
何を言われているのか分からない。第一印象はそれだった。日本語で喋っていることは分かるのだが、不測の事態過ぎて内容が頭に入ってこないという感じだ。
「僕の、裏……? 裏ってどういうこと?」
「裏って言うのは、
相変わらず、何を喋っているかよく分からない。しかし、そんな太郎のことは無視して、もう一人の自分はどんどんと喋り続ける。
「世界と世界が隣り合わせになってるんだよ。現世と幻世って、響きは同じだし、字にしても半分は同じだろ? だから、すげぇ近いもんなんだよな。名は体を表すっていうかさ」
その自分は饒舌に喋っている。しかし、内容は全く理解できない。そもそも、非現実すぎて理解しようという気になれない。だから太郎は、言っていることを理解するのではなく、自分が今抱いている疑問を質問することにした。
「……えっと、君は僕の裏、ってことでいいんだよね?」
「ん? おう、そうだよ。お前が俺の表ってことだな」
「なら、その裏の君が、僕にどんな用?」
いきなりこんな何もない世界に連れてこられて、意味不明な世界について説明されても、こっちはなんのことだか分からない。早く、要件を言って欲しかった。
「あぁ、そうだな。悪い悪い。そう、お前が言う通り、俺はお前に用があって来たんだよ。あのオレンジ色のノート、届いているよな?」
目の前の自分から、オレンジ色のノートという単語が出て驚く。あのノートは、引き出しにしまっても勝手に出てきたりしていた。その不可思議さは、この空間と目の前の男に繋がるものがある。
「ノート……。う、うん。届いているよ。それがどうしたの?」
「あのノートは、実は俺の日記なんだ。目覚めるたびに書いて、お前に送ってた」
ずっと探していたノートの持ち主が思わぬところで見つかった。蓋を見てみれば自分が書いていたとは、奇怪なこともあるものだと思った。
「……日記? なんでそんなことを?」
もう一人の自分は、太郎の質問にしばらく考え込んだ。何か言いにくいことなのだろうか。腕組みをして片手を顎に当て、太郎の方を見据えて口を開いた。
「表の俺には、もっと自由に生きて欲しいんだよ」
なぜそんなことを思うのか、太郎は分からなかった。もしかしたら、いきなり現れた自分にそんなことを言われて、何も知らないくせにと腹が立ったのかもしれない。
少し食い気味で太郎は聞き返した。
「どうして?」
しかし、口に出してすぐに、怒っている自分に気付き自制する。自分を宥めて、相手の話を聞くことを考える。別に太郎は危害を加えられたわけではない。ここでイラつくのは、少し理不尽だ。自分にそう言い聞かせた。
「さっき、現世と幻世は密接に結びついてるって言ったろ? 密接に結びついてるってことは具体的に言うと、お前の心情が俺に大きく関わるってことなんだ」
心情が大きく関わる。そう言われてもまだ抽象的だ。どんなことが起こるのか、あまり想像できない。
太郎の釈然としない表情を読み取ったのか、もう一人の自分は更に説明を付け加えた。
「つまりだな。お前の心の裏が俺に返ってくるってわけだ。お前が不自由でいると、逆に俺はめちゃくちゃ自由になっちまう」
「……自由って例えば?」
「日記に書いてあったろ。毎日毎日、起きたら違うところに飛ばされる。寝たら、また違う場所に飛ばされる。自由過ぎるってのも、大変だぜ?」
そう言いながら頭をボリボリと掻くもう一人の自分。どうやら幻世での自由というのは、相当無茶苦茶らしい。確かに、毎朝別の場所で目覚めたら気も滅入るかもしれない。
「そ、それは確かに大変だけど……。僕が不自由だからそうなってるの?」
「そうだ。お前の心が不自由だから、俺の肉体が自由になっちまう。現世と幻世は隣り合わせで裏っ返しだ。現世の奴が馬鹿すぎて、幻世でロケットを開発した奴が何人もいる。そっちの人間が極端だと、こっちまで極端になるもんなんだよ」
もう一人の自分は数回瞬きして、再度 太郎を見た。
「俺のために自由になってくれっていうのも図々しいお願いではあるけどよ。俺もそろそろどこかに定住したいんだよな。毎日変な場所に飛ばされてたら友達も作れやしねーだろ? だから、俺のことに気付いてもらうために、時間がある日にあの日記を書いてたってわけだ」
自由になって欲しい。その願いは受け止められた。しかし、自由になりたいという願望も太郎が持っているものではある。簡単に自由になれれば、人生は楽なものだ。
どうやって、自由になればいいんだろう……。
それを目の前の自分に問おうとして、グッと飲み込んだ。その問題は、決して人に聞くものではない。自分で、答えを見つけ出すものだ。
「分かった。……自由になるよ」
すんでのところで、その言葉を出した。
すると、目の前の自分は笑顔になって。
「ああ、頼むぜ」
そう言った。
目が覚めると、もう夜が明けていた。今日は、志季と約束していた夏祭りの日だ。
夏祭りは夜からなので、待ち合わせの時間まではまだかなりある。時計は、朝の八時を示していた。
机の引き出しの中にあるオレンジ色のノートを取る。表紙をめくったが、新しいことは書き足されていなかった。
「これをもう一人の自分が書いたと思うと、それはそれで乙なものかな」
ノートをしまって、別のノートを取りだす。勉強用のだ。折角時間が余っているので、夜まで勉強することにした。太郎は勉強が好きなわけではない。ただ、これからは志季に勉強を教えなければいけないので、今までよりも理解度を深めないといけない。そんな理由で、太郎はペンを動かし始めた。
そして。
待ち合わせの三十分前になったところで、太郎は筆を置いて荷物を持ち、家を出ることにした。
「あら太郎。どっか出かけるの?」
リビングでテレビを見ていた母親に話しかけられる。どうやら今日は、体調が良いらしい。
「うん。夏祭りに行ってくる。晩御飯はいらないから」
「そう。行ってらっしゃい」
何の気なしの家族の会話。それを通して、あの頃の暖かみを微かに感じた。
玄関の扉を開け、行ってきます、そう言おうとして留まった。
履いた靴を脱ぎ、もう一度リビングに戻る。そこでは相変わらず、母親がテレビを見ていた。
「どうしたの? 忘れ物?」
不思議そうな顔をする母親に向かって、太郎は言いたいことがあった。
しっかりと目を見て、顔を見て、それを紡いだ。
「母さん。行ってきます」
夢日記 鵙の頭 @NoZooMe
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