衝突 篇

45,────/────


「虚無とはすなわち、悪である」


 ある日、あなたがたはそうおっしゃいました。


「実を伴わぬものを是とすることは、精神の停滞に他ならぬ。故に、虚無とは悪である」

「何か物事を見て考える時、その本質は何なのか。己が何かを成そうとする時、その目的は何なのか。常に考えること、それが肝要なのだな」


 ああ、大いなる白き龍と黒き龍よ、わたしたちはあなたがたに感謝します。

 わたしたちは、かつてあなたがたのおっしゃったものと訣別しました。

 わたしたちを苦しめるものを示し、導いてくださるあなたがたと共に生きられることの、なんと幸福であることか。


【Ⅹ – 虚無】




 ────/────




 それは、何時の日かの思い出。

 余りに耐え難い現実を、それでも受け入れる事しか出来なくて、たった一つ、遺されたものを胸に抱きながら、ただむせぶ事しか出来なかった、夏の終わりの夕暮れ。


 そんな俺を、誰かがそっと、抱き寄せて。


「……ごめんよ。こんな事しか、出来なくて」


 震える声でそう言って、そして、そして────────。




 ◇




「…………」


 ふと、目が覚めた。

 さっきまで見ていた夢の内容が、やけにはっきりと思い出せる。


 今のは、一体何だ?

 あんな経験、俺には無い。俺に声を掛けた、あれが誰なのかも分からない。


 ────けど。

 何となく、分かる。あの悲しみには、覚えがある。

 だから、泣いていたのは多分、俺なんだろう。


「…………」


 あれがもし、俺が忘れている記憶なんだとしたら。

 全てが戻った暁には、俺は一体どうなるんだろうか。


 ────全てを思い出した俺は、俺のままでいられるんだろうか。


 いや、逆だ。


 


「……案外、瑣末なような事が気になるんだな。俺も」


 思わず、口から声が零れる。


 これ以上は、きっと考えても不毛だろう。

 睡魔の赴くまま、もう一度目を閉じる事にした。




 ???/???




 ────どうする。


 地を俯瞰する白く大きなもやが、足元に寝そべる黒く大きな靄へと問うた。


 ────どうする、とは。何をだ。


 首をもたげ、黒い靄は白い靄へと紅い目を向ける。


 ────貴様、分かっているだろう。が真に目醒めれば、この国が、この世がどうなるか。


 ────…………。


 黒い靄が押し黙ると、それらの傍らに居た小さな光が、遣る瀬無さそうに口を開いた。


 ────やっぱり僕は、何も出来ないのかい。


 その言葉に白い靄は間を待たず、言った筈だぞ、と返答する。


 ────幾星霜を経ようとも、貴様の役割は変わらん。我等ならまだしも、貴様の存在が一度ひとたび暴かれれば、全てが水の泡に帰する。


 ────……そうだよね。ごめんよ、何度も同じ事を訊いてしまって。


 小さな光が申し訳無さそうに笑うと、黒い靄は目を伏せた。


 ────小さな望み一つすら叶えてやれない儂等を、恨むなとは言わん。


 ────下らんな。全てが始まったあの時、この者が我等と共にある事を望んだ時点で、こうなる事は分かっていただろう。


 ────二人とも、どうかそんなに気負わないでおくれ。元はと言えば、僕が言い出した事なんだ。


 小さな光は白い靄と黒い靄を穏やかに宥めるが、次第にその声色へ苦々しさが滲み出ていく。


 ────でも。見ているだけしか出来ないって、やっぱりちょっと、つらいなあ。


 ────…………。


 ────せめて、その苦しみにだけは、寄り添わせてくれぬか。


 力無く笑う小さな光に、白い靄は口を閉ざし、黒い靄も多くを語らないまま、その大きな頭をそっと寄せるのだった。




 中央政府/対「能力」保持者部隊作戦会議室・昼




 中央政府、その一角。

 従来、応接室を作戦室として使っていた対「能力」保持者部隊だったが、政府より許可が降り、晴れて専用の作戦会議室が設けられる事となった。しかしその実態は、嘗てメイラ・エンティルグ専用執務室と名付けられていた部屋の看板を、ただ掛け替えたのみである。


 その部屋の中、足を組んで椅子に座っているメイラは、机を挟んだその先に立っているジェンを前に、やれやれ、と言った様子で溜息をついた。彼女の憂いの出所とは他でもない、およそ二日前、シュダルト南部を管轄とする警備隊の分隊長より舞い込んだ、一通の報告書からである。


「……まさか、この作戦室の初めての用途が、部隊に関係の無いものになるとはな。

 個人的な話をすれば、お前の気持ちは理解出来る。だがな、ここは帝国軍だ。個よりも集団の秩序が優先される。例え何処で何が起ころうとも、規律から外れた行動を取って良い理由にはならん。それが他部隊の関わるような大事であれば、尚更だ」

「…………」


 腑に落ちないような表情のジェンを、メイラは真っ直ぐに見た。


「ここはお前の居た『ギルド』とは違う。一時的な衝動のままに動く事は許されない。湧き上がる感情は胸に秘めろ。良いな」

「……はい。失礼します」


 小さく返事をしたジェンは、メイラに一度頭を下げてから、重い足取りで作戦室を後にしていった。




 中央政府/中庭・昼




 爪先を引き摺り、草臥くたびれたような足取りのまま、何処か人気ひとけの無い場所は、と彷徨い歩いていたジェンが辿り着いたのは、大まかに円筒形をした中央政府の内側にある、芝生の生え揃った中庭だった。


 建物の陰へ据えられた長椅子に浅く座り、ジェンは息をつきながら背凭せもたれに体を預けて空を仰ぐ。

 彼が見上げたそこには巨大な中央宮殿が、自国の領域、その全てを俯瞰するかのようにそびえ立っていた。


「……空って、こんなに狭かったっけか」


 脳裏にふと過ぎった言葉を、ジェンはぽつりと呟く。


「おや、こんな場所でお会いするとは。珍しいですね」


 柔らかい声音と共に、何者かがジェンの顔を覗き込んだ。

 紺碧の瞳に、穏やかな表情。スズミである。


「……あ、ああ」


 一拍遅れて反応したジェンが体を起こした先には、自身の背丈を越える縦幅の黒い布袋ふたいを背負ったスズミの姿があった。


「スズミさん、それは?」

「これですか。先の戦闘で使った槍ですよ。これから開発局へ整備に出す予定なのですが──……ああ、そうだ。ジェンさん、開発局へはもう赴かれましたか?」

「いや、まだ一度も無いですけど」


 ジェンの返答に、スズミは、では、と笑みを浮かべた。


「もしお時間が許すようでしたら、今から僕と一緒に開発局へ行きませんか」

「え、良いんですか!?」

「はい。勿論です」


 長椅子から腰を上げ、ジェンはやや駆け足でスズミの横へ並ぶ。そして二人は開発局──正式名称、霊力研究開発局──へ伸びる小道を歩いて行くのだった。




 霊力研究開発局/エントランス・昼




 スズミが入り口の扉を押し開けると、電灯に照らされた白い空間が彼とジェンを迎え入れた。白と一口に言っても天井、壁、床、それぞれ微々たる差ではあるが異なった色味をしており、無機質さは感じられない。

 さて、とスズミが周囲を見渡して間も無く、老齢の男が受付と書かれた小窓──ではなく、その隣にあるドアから現れた。


「スズミ様、お待ちしておりました。今回も術式兵器の整備という事でお話を伺っておりますが」

「はい、宜しくお願い致します。それと、こちらの彼と一緒にこの施設を少し見て回りたいのですが、宜しいでしょうか?」


 スズミが手で示した先のジェンに顔を向け、男は、ええ、と笑顔で答える。


「構いませんとも。是非ご覧下さいませ」

「ありがとうございます。さあ、行きましょう、ジェンさん」

「はい。あ、ありがとうございます!」


 にこやかに二人を見送る男に軽く頭を下げてから、ジェンはスズミの後を追った。




 霊力研究開発局/連絡通路・昼




 エントランスから続く廊下を歩きながら、スズミはジェンにあれこれと説明する。


「これから僕達が向かうのは、整備区画と呼ばれる区域にある、第一整備室という場所です。その名の通り、術式兵器の点検、整備を行う所ですね。整備区画には他にも、第二から第四までの計四つの整備室と、少し離れた場所に三つの屋外整備場があります。

 兵器の整備を研究機関が担っている事に違和感を覚えるかもしれませんが、使われている術式の専門性が高いので、相応の知識を持った人が必要なのが──……」

「……あの」

「はい。どうされました?」


 若干の置いてけぼりを食らっているジェンが、気まずそうに小さく手を上げた。


「思ったんですけど、そもそも術式兵器って何なんですか?」

「おっと、これは失礼。そうですよね、僕とした事が。ですがその話は、」


 そう言葉を区切ってスズミが立ち止まった横のドアには、『第一整備室』と書かれた木製の看板が填まっている。


「この先に居る方に伺いましょう」


 こんこん、とノックをしてから、スズミはドアに手を掛けた。




 霊力研究開発局/第一整備室・昼




「失礼しま──……」

「おお、良くぞいらして下さいました。スズミさん」


 スズミが部屋へ入るのを予期していたかのように、煤けた白衣を着た痩せぎすの男が、食い気味に返事をしながら彼の元へと駆け寄った。白髪の混じった癖毛の頭、白く汚れた眼鏡、無精髭。その風体からは、彼の俗世への無頓着さが窺える。


「ご無沙汰しております」

「こちらこそ。おや、そちらの方は? 見ない顔ですねえ」

「はい、僕の新しい同僚です。

 紹介します。こちら、第一整備室のフロフトさんです」


 横へけ、前へ出るよう促すスズミに従い、ジェンは男──フロフトの元へと一歩進み出た。


「初めまして、ジェン・クストです。すいません、急にお邪魔しちゃって」

「ほう、貴方がジェン・クスト様でいらっしゃるのですね。とんでもございません。興味を持って立ち寄っていただいた、それだけでも嬉しい限りです。宜しくお願い致します」


 ジェンと固い握手を交わしてから、さて、とフロフトは作業台の前へと立つ。


「話は聞いておりますよお。どうでしょうか、今回は?」

「うーん、割と酷い状態だと思います。お恥ずかしながら、こってりやられてしまったもので」


 スズミが作業台へと横たえた布袋を前に、顔を輝かせながらフロフトは両手を擦り合わせた。


「さあ、如何程なものでしょうか」


 慣れた手付きのフロフトによって、布袋が取り払われる。すると穂先に革製の覆いの付いた銀の長槍が、変わらぬ輝きと共にその姿を現した。


「いやあ、いつ見ても美しいですねえ」


 にまにまと笑顔を浮かべるフロフトが革の覆いを外す。露わになったのは碧玉の填め込まれた銀の穂先、なのだが。

 傷一つ無い刃と反するように、碧玉には大きなひびが入っており、深く澄み渡った嘗ての姿は見る影も無かった。


「あちゃー、成程。これはまたこっ酷くやってしまいましたなあ。もしや、術式に負荷の掛かる使い方をなさったのでは?」

「術式に負荷……まあ、心当たりはあります」

「え、スズミさん、こんな状態の得物で前に出ようとしてくれてたんですか……!?」


 焦りの表情を浮かべてスズミと槍とを交互に見るジェンを前に、フロフトはスズミへにやにやとした笑みを向ける。


「出来て早々のご同僚さんに、心配を掛けさせてはいけませんよお」

「うーん、そういう訳ではないんですが……。そうですね。気を付けます」

「ハハ、まあ良いでしょう。スズミさんだけ特別に、修理は二日で終わらせます。と、こ、ろ、で」


 刃先に再度革の覆いを填めてから丁重に槍を布袋へ戻したかと思いきや、どういう訳か冴え渡った動きでジェンの方に体を向けたフロフトは、やや早足で彼の元へと近付き、その両肩を掴む。


「ジェンさん、もしかしなくても貴方、『能力』保持者でいらっしゃいますよね!?」

「え、は、はい。そうですけど」


 爛々とした、やや血走っているようにも見えるフロフトの双眸にそこはかとない恐怖を覚えつつも、ジェンは笑顔で言葉を返した、が。


「やはりそうでしたか!! 素晴らしい、新たな『能力』保持者の方にお会い出来るとは!! 能力系統は? 身体強化率は!? 霊力耐性や使用している術式などの情報がありますと尚宜しい!!

 是非!! 是非、貴方様の『能力』について、このフロフト・ベノンに御教示していただきたく!! 何卒!! 何卒ぉ!!」

「え!? え!?」


 唐突に狂喜乱舞し始めるフロフトを前に、ジェンは困惑の目をスズミへと向ける。しかし悲しいかな、スズミは普段通りの笑みを浮かべてジェンを眺めこそすれ、手を差し伸べる事はしない。


「どうか、どうかこの通りでごさいます!! せめて霊力測定器による霊力耐性の判定だけでもお受け下さいませ!! 然したるお時間は頂きません!! 『能力』の詳細も他言致しません!! なのでどうか、少しだけでも!!」

「わーっ!? 何なんだこの人!? 離れて下さいって、ちょっとあの、た、助けてスズミさーん!!?」


 慇懃な言葉とは裏腹に、鬼気迫る勢いで霊力測定器を押し付けながらジェンに縋り付くフロフト、そして自らに向かって手を伸ばす涙目のジェン。目の前の光景に一頻り笑った後、スズミは、はいはい、と二人をやや強引に引き離した。


「取り敢えず、ジェンさんの『能力』に関してはまた別の機会に、という事で如何でしょう。彼、実は剣士なんですよ。ですからお二人の時間が合えば、その時にでも。ね?」

「そ、そうですね。失礼致しました」


 先程までの狂騒が夢だったかのように平静を取り戻したフロフトが、ずれた眼鏡を直す。


「で、ジェンさん。彼に聞きたい事があるんですよね?」

「はい何でしょう!?」


 平静とは言え、未だに興奮冷めやらぬ様子のフロフトに些か怖気付きながらも、ジェンは口を開いた。


「……──えっと、」

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