44,路地裏/崩落現場周辺・午後


 地下礼拝堂の崩落、それに伴った一部地面の陥没。奇跡的に地上でそれに巻き込まれた人間は一人として居なかったものの、周辺の道という道には通行を禁止する縄が張られ、シュダルト警備隊の面々が慌ただしく現場へと出入りしていた。


「わーい、外だ、外だあ!」

「わたしたち、外に出れたんだね!」

のお兄さん、ありがとうございました!」

「はいはい、どういたしまして。何処も痛くしてないかちゃんと確認しますから、大人しく良い子にしていましょうね」

「はーい!!」


 路地裏全域に物々しい雰囲気の漂う一方、暗闇と冷気、鉄格子と鉄枷の恐怖からすっかり解放された三人の子供は皆、警備隊の若い男にすっかり懐いたようである。


 彼等の様子を一歩離れた場所から見つめ、穏やかに微笑むハクア。

 その背後へ、複雑そうな表情──憐れみにも、悔しみにも取れる──をしたリアが、おずおずと声を掛けた。


「……ハクアさん。良いんですか、あれで」

「うん、良いの。あの穴から外に出してくれたのは、警備隊の人達だから」

「……──そ、んな」


 満面の、しかし何処か悲哀漂うハクアの笑顔に絶句したきり、リアは口を噤む。


「…………」


 その一連の光景を、ラルフは遠目から見つめていた。


 一方その頃。彼等の元から少し外れた場所では、サナテルと腋下に血の滲んだ跡のある男が、一人の警備隊員の監視の下、手枷と足枷で拘束されている。両者共に生気の抜けたような表情をしており、抵抗の意思は持ち合わせていないようであった。

 すると彼等の元へ、ふらふらと一人の男が現れる。それはハクアに対し終始悪態を吐いてた例の青年であり、その手には──────。


 ────一丁の、拳銃ピストルが握られていた。


 響き渡る銃声。一発、二発、三発。

 その場に居る全員が、一斉にそちらへ振り向く。


「あは、ははは。ハハハハハハハハハ!! 良いザマだなクソジジイ! どうだ。勝手に拉致って売りモンにして都合良く見下してた人間に、何の抵抗も出来ねえまま一方的に撃たれる気分はよ! すっかり立場が逆になっちまったなあ。その手枷足枷、良ーく似合ってるぜ。最ッ高に無様で惨めでなあ!!」

「君、銃を降ろし──……!」

「黙れ、政府の犬のクセによ!!」


 再度、薬莢が青年の手元で炸裂した。


「待って、それ以上は────!!」


 見張りの隊員をも撃ち、たがが外れたように哄笑する青年の方へ向けて、誰もが呆然と立ち尽くす中、真っ先にハクアが走り出す。


「寄るんじゃねえ!! 一々しつけェんだよ、このクソアバズレ!!」


 ハクアの接近に気付いた青年が彼女へ銃口を向けるが、怯む事無くハクアは青年へと疾走し、腕を伸ばす。

 あと、一歩。青年の銃を持つ手にハクアの手が届こうとした。


『でもね、それでも私、無かった事になんて出来ないよ。やっぱり、どれだけ悪い人だったとしても、助けた方が良いと思うんだ』

『もしかしたら将来、変われるきっかけにその人が出会えるかもしれないでしょ』

『だったら助けなくっちゃ。どんなにちっぽけな可能性でも、私はそれを信じたいんだ』


 ──────ぱん。


 青年の蟀谷に、大輪の曼珠沙華が咲く。


「──────────ぁ、」


 消え入りそうな、か細い音が、ハクアの口から小さく漏れた。


 銃創から血を溢しながら、青年はその場へと倒れ込む。

 その身体は痙攣こそしているものの、最早口先一つ動かす事すら叶わない。


 青年の頭部から血溜まりがゆっくりと広がっていく様を、ハクアは呆然と見下ろした。


「……………………」


 やがて。涙の一粒すら流さないまま、彼女は彼の傍へゆっくりと膝を付き、その身体をそっと撫ぜる。


 寂寞。少なくともハクアの耳には、何人の声たりとも入っていない。


 しかし、それも長くは続かず。発砲音を聞き付けた警備隊員が、彼女の周囲を慌ただしく取り囲んでいった。


「一般の方は現場から離れて下さい!!」

「そこの方、今すぐ離れて下さい! 死傷者の処理は警備隊が行います!」

「…………はい」


 青年の遺体には一枚の大きな麻布が被せられ、銃撃を受けたサナテルや見張りの隊員には、瞬く間に応急処置が施されていく。


「…………」


 強引に青年の元から引き離されたハクアは、機械的に事の収拾へ当たる警備隊の様子を、ただぼんやりと眺めていた。


 暫くして、自分に出来る事はもう無いと察したハクアは、無言のままリアの元へと戻って行く。するとそこでは、他の警備隊と同じく筒音を耳にして警備隊の詰所から戻って来たジェンが、青年へと凶弾を放った警備隊の若い男──つい先程、子供に声を掛けていた男とはまた別の男──の胸倉を引き寄せていた。


「お前、何してくれてんだこの野郎!! 殺す事無かったろうが!!」

「何言ってるんすか。あそこで俺が撃たなかったら、あの女の人も撃たれてたかもしれないでしょ」

「だからって、そんな、子供の前なんだぞ……!!」

「? 隊員が一人撃たれてるんすよ? あれ以上周りに被害が出るよかマシだったと思いますけど。てか、誰ですかアナタ。我々はシュダルト警備隊。公務を妨害すると刑罰が下りますよ」

「あ、あの──……」

「──────……ッ!!」


 ハクアが止めに入る間も無く、ジェンは掴んでいた胸倉を乱暴に放し、舌打ちをしながらラルフの元へ大股で歩いて行く。


「はあ。……取り敢えず、まあ、こんなワケだ。子供は全員保護されて、大方の事情徴収も終わったし、お前等は大方用済みってとこだろう。多分ここに居てもウザがられるだけだから、日が落ちないうちにその子を家に帰してやってくれ」

「…………」


 自身の元へハクアが来た事を確認し、ラルフはジェンに一瞥してから踵を返した。


「行くぞ」

「うん。……リアちゃんも、行こう?」

「……はい」


 鼻を啜り、手首で目元を拭うリアの背を優しくさすりながら、ハクアもラルフと並ぶように歩き始める。


 離れつつある、彼等の背中。無言で見送っていたジェンが、ふと声を上げた。


「ラルフ」

「……何だ」

「……──いや、何でもない。急に引き止めて悪かったな。また今度、一緒に飯行こうぜ」


 言いかけた言葉を飲み込んで、ジェンはラルフへ笑って見せる。


「…………」


 振り返えったまま彼の笑顔を見つめていたラルフだったが、暫くしてから、また何事も無かったように向き直り、雇い主の待つ場所──ヨルト商店へ続く道へと去って行った。




 ヨルト商店/軒先・夕方




 日が翳り始め、朱色に照らされた路地裏。

 軒先の長椅子に足をぶらぶらと放り出して座っていたアランが、ふと目に入った人影を前に瞠目し、店の中へと駆け込む。


「おい、ヨルさん! リア達、帰って来たぞ!!」

「本当かい!?」


 今にも転げそうになりながら店の表へと姿を現したヨルトは、アランの向く方──リアを連れて帰って来たラルフとハクア──を目にするや否や、ああ、と安堵の声を上げながらリアの元へと駆け寄る。


「良かった、良かった……!!」

「……えへへ。ただいまです、ヨルさん」

「ああ、おかえり。よく帰って来たね、リア」


 脇目も振らずリアを強く抱き締めるヨルトに、笑顔で涙を流すリア。その様を眺めていたヴァイムが、ふと横で俯いているアランに声を掛ける。


「良かったね、アラン」

「……うるせえ」

「ふふ、ヨルさんに負けないくらい心配してたもんね」


 頑なに目を合わせようとしないアランへヴァイムが笑いかけた頃、漸くリアから離れたヨルトは、彼女の背後へ控えていた二人へと顔を向けた。


「君達も、無事そうで何よりだ。感謝してもしきれないが、これだけはどうか、言わせてくれないか。

 ……本当に、本当にありがとう」


 深く頭を下げてから、さて、とヨルトが口を切る。


「無粋な話にはなってしまうが、そろそろ依頼した期間が終了する。リアの事を抜きにしても、二人共よく働いてくれたと思う。だから、今回の報酬に関しては二倍にして君達に渡そうと思うんだが、良いかい?」


 本当は三倍くらいにしたかったんだけどね、と、申し訳なさそうに笑うヨルトを前に、ハクアは、ううん、と首を振った。


「私の分の報酬はそのままで良いです。私はただ、ヨルさん達の信頼に応えたかっただけですから。その分のお金は、リアちゃんの新しい服の為に使って下さい」


 笑顔のハクアに思う所があったのか、不意にヨルトの表情が真剣なそれに変わる。


「……ハクア君。それは聞けない頼みだ。

 『ギルド』から来たとは言え、まだリアとそう変わらない歳だろう、君。それでも君は彼女を救い出して、怪我も無く帰って来てくれた。それは誰にだって出来る事じゃない。正当な報酬が支払われるべき、立派なだ。だから、例えその言葉が純然たる善意から来るものだったとしても、自分自身を安売りするような真似だけは、してはいけないんだよ」

「でも、私は本当に──……」

「五割だ」


 話が平行線を辿ろうとした時、ラルフが両者の間に割って入る。


「五割増額で良い。俺の分もそれで構わない」

「……ラルフ」


 ラルフの言葉に、最初こそヨルトは何か言おうとしていたものの、彼の意図を汲んだのか、分かった、とだけ伝え、リア達三人を連れて店の奥へと消えて行った。

 そして数分としないうちに、麻袋を二つ手にしたヨルトがラルフとハクアの前へ再度現れる。


「これが報酬だ。ラルフ君の提案通り、二人分とも五割増しで入っているよ。何か手違いがあったら、何時でも店へ来てくれたまえ」

「ハクアさん。これ、返します」


 ヨルトの脇から姿を見せたリア──服が着替えられている──が、丁寧に折り畳まれた上着をハクアへと差し出した。


「本当は洗ってから返したかったんですけど、時間が無いですから。

 ……あの。本当に、本当にありがとうございました。私、私…………!」

「うん。私も、リアちゃんが無事で本当に良かったよ」


 受け取った上着を羽織ってから、ぽろぽろと泣き始めるリアを一度だけ抱き締め、ハクアはリアと顔を合わせた。


「何時かまた、会おうね!」

「……はい」

「うん!

 それじゃあ、私はそろそろ行きます。三日間、お世話になりました!」

「ああ。気を付けて帰るんだよ」

「はい! ラルフも、行こう!」


 ハクアはヨルトへと頭を下げ、店の前から去って行く。その後へ続くように歩き出したラルフだったが────。


 擦れ違い様、ヨルトが、ああ、そうだ、と声を上げた。



 一度は何でもないように彼の言葉を聞き流したラルフだったが、数歩程歩いてから、何かに気付いたかのように目を見開く。


「…………チッ」


 恨めしそうに舌打ちをしてから、もうじき曲がり角の先に消えそうなハクアの背中を、ラルフは早足で追った。




 帝都シュダルト/大通り・夕方




 夕焼け色の、空の下。

 大通りの中央を、若人二人が並んで歩く。


「ねえ、ラルフ」

「……何だ」

「私、本当にシンの言ったみたいな人になれるかな」

「……さあな」


 そう小さく会話して、二人は口を閉ざす。

 するとラルフの傍へ、砂色の外套を羽織った一人の男が擦れ違った。


 僅かに触れた腕。ふわりと漂う煤の臭い。


「……?」


 違和感を覚えたラルフは、目線を後方、男の背へと遣る。唐突に歩みの遅くなったラルフを振り返り、ハクアは怪訝そうに彼を見つめた。


「どうしたの、ラルフ?」

「……いや。何でも」


 ハクアの隣へと戻り、彼女と再び帰路を辿り始めるラルフ。


 落日のシュダルト。盛夏、その差し掛かり。

 生温い風が伏し目のハクアへ、せせら笑うように吹き付けていた。




 ヨルト商店/鎧戸の閉じた店内・夜半




 ラルフとハクアが店を発った、その日の夜。

 彼等と共に居た、つい半日程前の姿とは打って変わり、煙管をくゆらせていたヨルトは、鎧戸の端、人一人がやっと出入り出来る程度の小さな扉から入って来た男へ視線を注いだ。


「これはまた、何の用向きですか。『ギルド』マスター殿」


 赤褐色の外套のフードを脱ぎ、「ギルド」マスター──ティモスは勘定台を挟んだ目の前に座るヨルトを見下ろす。


「癪に障る白々しさは相変わらずだな」

「わざわざ嫌味を言いにいらしたのですか。随分と時間を持て余しているご様子で」

「黙れ」

「ふ、冗談ですよ」


 薄い笑みを浮かべ、ヨルトは紫煙を吐き出す。


「で? お偉い様直々に何の御用でしょう。『『能力』持ち狩り』の情報なら、先日そちらへお渡しした筈ですが」

「渡す、か。あれだけの請求をしておきながら、よくもまあ言ったものだ」

「当然。それなりに労力の掛かる仕事ですからね。相応の額は覚悟していただかねば」

「貴様の口から、覚悟、という言葉が出るか。では問おう。貴様こそ、我々を敵に回す覚悟は出来ているのか?」


 ヨルトの口元から、煙管の吸い口が離れた。


「ラルフ・バンギュラスがフェウス教教会を壊滅させた事実は既に把握している。それを貴様が仕組んだ事もな。

 銀の長髪、赤い瞳、そしてあの美貌。差し詰め、このアレストリアでは珍しい出で立ちをしたハクア・ガントゥが闇に狙われているのを利用し、人身売買を主な資金源としていた教会連中にわざと攫わせ、あの小僧を差し向けた、といった所だろう。目障りな商売敵は日雇いの捨て駒に討たせ、自らは危険の無い店で暢気に道具屋商売、か。つくづく卑劣な遣り口、何とも貴様らしいな」


 憎々しげな表情を浮かべつつ、ティモスは言葉を続ける。


「貴様へ警告する事は一つ。『敵勢ギルド』の人間に金輪際、無断で干渉しないでもらおう。次同じ真似をすれば、命は無いと思え。あれは革命軍、最後の希望。邪たる帝国へ牙を剥ける、唯一の切り札。部外者である貴様が何の気無しに利用して良い代物ではないのだ」

「で、あれば」


 か、と灰皿へ刻み煙草の燃え止しを落とし、ヨルトはティモスへ煙管の火皿を向けた。


「買収するなりして彼等を手中へ収めてしまえば宜しい。その労力すら惜しむ癖、いざ第三者に彼等が雇われれば我が物顔で、干渉するな、など。片腹痛いにも程がある」

「ふん。国を追われた風来人崩れの分際が、知った口を利くな。人ならざる、亜人の血を引く者。半森人ハーフエルフ、ヨルト・フェゲラーよ」

「…………」


 双方、無言で互いを睨み合う。


 やがて、見切りを付けたように踵を返したティモスは、静かな足取りで店内から出て行った。

 鎧戸が閉じ、数秒。糸が切れたように、ヨルトの口から深い溜息が出る。


「全く、そんなんだから『敵勢ギルド』から協力が得られないんだろう。あんなのと何年も付き合わされて、ゼド君も可哀想だ。一体何時になったら学ぶんだ、あのおじい……って、もう手遅れか」


 煙管を勘定台の上へ置いて伸びをしたヨルトが頭のフードを取ると、薄い色味の金髪の間から、やや先の尖った両耳が露わになった。


「いっその事、僕が先に──……。いや、それは流石にちょっと余計なお世話が過ぎるな。

 はあ。それにしても、今回はちょっとやり過ぎちゃったなあ。まさかあんな事になるなんて。うーん。……でもまあ、終わった事だし、くよくよするだけ無駄か」


 椅子から腰を上げたヨルトは、さて、と心機一転、軽やかな笑みを浮かべながら煙管と灰皿、そしてフードを手に、垂れ布の奥へと消えて行く。


「これから忙しくなるぞう!」




 敵勢ギルド/フェリーナの自室・夜更け




 草木眠る、夏の夜更け。

 ラルフとハクアが路地裏から帰り、一日程経った「敵勢ギルド」。


 そのマスター代理であるフェリーナが、自室の机へ広げられた二枚の紙を見つめ、黙したまま眉を寄せる。


「…………」


『通達:特殊部隊・対『能力』保持者部隊に関する情報』

『依頼:『『能力』持ち狩り』の拿捕または討伐』


 机上のランプに照らされた紙にはそれぞれ、そう記されていた。

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