袖擦り合うも 篇

35,敵勢ギルド拠点/ラルフの自室・昼


 私たちの村には一人、目の見えぬ男がおりました。

 男はものが見えない故に、すべてのことにおいて、私たちより遅く、下手なのです。


 かわいそうに思った私たちは、皆で男を助けようとしました。

 しかし、男は言うのです。助けなどいらない、と。

 男があまりに言うので、私たちは離れましたが、それでもかわいそうでなりませんでした。


 そのような私たちに、あなたがたは「あの者を憐れんではならない」とおっしゃいました。


「あの者には、光の見える貴様達とは違う、ものの進め方や考え方があるのだ。それを無視してあの者に手を差し伸べるなど、あってはならぬ。過ぎた憐憫は侮辱に変ずると知れ」

「そうさな。もし助けたいのならば、あちらから助けを求められた時にこそ、応えてやると良い。そうすれば、あれもきっと喜ぶだろうよ」


 私たちはあなたがたの言う通り、男が助けを求めた時に助けてやりました。

 すると今まで愛想のなかった男が、初めて礼を言って笑ったのです。


 私たちはこの日、あなたがたから新たなる知恵を授かったのでした。


【Ⅳ – 憐憫】




 敵勢ギルド拠点/ラルフの自室・昼




 ベッドに腰掛けたラルフが、小さな本を読んでいる。


 内容について何を思っている訳でもないのか、普段通りの無表情のまま、適当にぺらぺらとページをめくっていた彼だったが、暫くしてからふとその手を止め、小さく眉を寄せたのだった。




 ・・・




 序章二篇、本章十二篇、終章二篇から構成される物語、「神話」。

 アレスでその存在を知らない人間は、まあ恐らく居ないだろう。


 碩学曰く、帝国史以前の歴史が二頭の龍とやらの教えと共に書いてあるらしいが、俺にはどうも、大した内容が書いてあるように見えない。


 でも、どういう訳か最近、ふと読みたくなった。

 前に一度読んで、大方の粗筋は把握しているのに、どうしてまたこんなものを読もうと思ったんだろうか。ハクアあいつの事と言い、自分の記憶の事と言い、最近は変な気を起こす頻度が多くなった気がする。


 憐憫、か。あんなもの、傲慢の言い間違いだろう。願ってもいない相手を勝手に憐れむ、体の良い優越感の発露。考えるだけで気分が悪い。


「ちっ……」


 ──────…………。


 ……どうして、こんなにも気分が悪いんだろうか。この、腹の底から湧き出るような、悪心にも似た不快感は一体何だ?

 俺の妄想? にしては現実味の伴い方が不気味過ぎる。


 まさか。

 知っているんだろうか。そう思わしめるだけの何かを、俺は。


 ああ、まただ。またこれだ。

 そんなもの、俺は知らない。そんな何かなんて、見た事も、聞いた事も、感じた事だって無い。

 でも、確かな実感が胸のここにある。お前はそれを知っている、と、望まずとも痛烈に知らせてくる。


 俺の知らない、俺の過去。

 何処に居て、何をして、何を思ったのか。未だに一つたりとも思い出せない。


 自分の浅はかさに、思わず溜息が出る。

 今まで微塵も興味が無かった癖に、少し関心が出たからって気に掛けてみれば、何の成果も、手掛かりも、変化すら無いまま、ただ苛立ちだけを募らせる日々。


 何をやっているんだ、俺は。


 晴らしようの無い鬱憤と共に、もう一度溜息をついた。




 ・・・




 深々と溜息をつき、手にしていた本──「神話」──を布団へ雑に放ったラルフは、眉間に皺を寄せたまま頭を掻く。そんな彼の部屋に、強めのノックが響いた。


「入るぞー。どうした、そんな辛気臭え顔して。腹でも痛えか」


 そう言ってラルフの部屋へと入って来たのはレギンだった。


「……違う」

「おう、そいつは何より」

「……何の用だ」

「ああ、お前を昼飯に誘おうと思ってな」

「は……?」


 怪訝な顔をするラルフに、レギンはにやりと笑ってみせる。


「今日はハクアの大盤振る舞いだ。何でも、肉だの何だのを焼いて、全員に振る舞ってくれるんだと!」




 敵勢ギルド拠点/裏庭・昼




 薄暑と薫風の初夏が終わり、森林を流れる枝川に水が増え始めた、夏の昼間。拠点の裏庭で、「敵勢ギルド」の面々が組立式のやや大きな焜炉の周辺へ集っている。そこに、ラルフを連れたレギンが裏口の扉から現れた。


「お、やってんな?」

「兄さん、ちょっと離れてて!」

「あ、はい。すいません」


 姿を現すや否や、真剣な面持ちのリゼルに強く言われたレギンは、しょぼしょぼと集団から距離を取る。一見レギンを邪険に扱っているように見えるリゼルだが、彼の発言にはきちんとした意図がある。と言うのも────。


「じゃあ、行っくよー!」


 ハクアが焜炉に詰められた木炭へ指先を向ける。

 そう。木炭──正確には木炭と木炭の合間にある乾いた小枝──へ着火する為に、彼女は「能力」を使おうとしているのであった。

 既に霊力を解放していた彼女は、「能力」を発動し、指の先端に球状の小さな炎を作り出す。直後、その炎は炸裂し、炭入れの内側全体を包み込んだ。


「どうかな?」


 ハクアが木炭の様子を凝視する横で、エーティが木炭を数回、板切れで扇ぐ。すると墨入れから大量の白煙が上がり、それが収まった頃には底の木炭が赤々と静かに燃えていた。


「良し、点いた点いた。すげえな、一発で点くって中々無いぞ」


 そう呟きながら火挟みで木炭を何個か裏返し、着火を確認してから焜炉に金網を乗せるエーティ。その後ろで、リゼルがほっと胸を撫で下ろす。


「はあ。良かったあ……」

「だから言ったじゃない。ハクアアイツを信じなさいって」

「うるさいな。もしもの事があってからじゃ遅いでしょ!」

「すごいです! あの爆発事件からまだ三週間くらいしか経ってないのに、あそこまで正確な加減が出来るようになるなんて。どんな事を教えたんですか?」


「別に? 大した事なんか何にもしてないわ。ただ、自分がその力をどう使いたいのかハッキリ想像しなさい、って言っただけ。所詮『能力』なんて自分の精神こころが基になって生まれるモンなんだから、気の持ちようで割とどうとでもなるのよ。後は慣れ次第、ってとこね」

「成程。とても参考になります!」

「フフン。今の三倍は敬いなさい」

「はい! シンは素晴らしい人です!」


 ユーリアに褒められて鼻高々、といった様子のシンの横で、やれやれ、とリゼルは頭を掻く。


「それって褒められるべきはシンじゃなくてハクアじゃないの?」

「そうね。アイツがやる気じゃなかったらそもそも出来てないワケだし。ま、それを導いたのはアタシなんだけど!!」


 依然得意げな顔のシンにリゼルが小さく肩を竦めた時、裏口の扉が再度開け放たれ、中から大きな盆を四枚、酒場の給仕も斯くやといった様子で運ぶフェリーナが現れた。盆の上には大きく切り出された肉や玉葱、青椒ピーマン玉蜀黍とうもろこしといった色彩豊かな食材が、金属製の串へ交互に刺さった状態でずらりと並んでいる。


「さあ、串焼きの準備が出来たわ。焜炉にもう火はべてあるかしら?」

「おいおい、すげえ持ち方だな。手伝うぞ」

「ありがとう。じゃあ、こっちの方を持ってくれるかしら」

「あいよ」


 フェリーナの両腕に乗っている盆を一枚ずつ、レギンがそれぞれ片手に持つ。その様子を目にしたハクアが、裏庭の端に置かれている丸太──大木から切り出され、机として十分に機能する──を二つ、彼等の元へ転がして運び、彼等の眼前で横倒しにして年輪をぺちぺちと叩いた。


「はい! この上に置いたら良いんじゃないかな!」

「おう、ありがとよ。フェリーナ」

「あら、良いの? ふふ、気が利くのね」

「持ってる時間が長いのはあんたの方だからな。順当だろ」

「兄さん、それ一枚貸して。僕も持つから」

「ん? ああ、りいな」


 レギンの様子を見ていたリゼルが彼を手伝いに焜炉から離れる。


「良し。網もあったまってきたな。んじゃ、始めるぞー」


 そして焜炉の面倒を見ていたエーティもまた、串を十分に熱せられた網の上へ並べるべく、丸太の方へと向かったのだった。


 数分後。


「…………」


 ぱちぱち、と音を立てて焼かれる人数分の串──香辛料や塩で味付けされている──に鼻腔をくすぐられているハクアが、目を輝かせながら無言でその様を見つめている。


「流石にまだだからな?」

「うん……」


 火が付きそうな程の凝視ぶりを見兼ねたレギンが彼女に声を掛けるも、返って来たのは生返事。大丈夫かしらこの子、と心底心配になる彼なのであった。


「そろそろひっくり返して良さげだな」

「はい! 私それやる!」

「ん、じゃあそっち側、宜しく」

「はーい!」


 エーティとハクアの手によって次々と裏返されていく串をレギンが眺めていると、不意にリゼルが彼の腕を叩いた。その表情は不満そうである。


「ねえ、アレどういうつもり?」


 リゼルが親指で指した先。そこには串になど目もくれず、一人離れた裏庭の隅で黙々とナイフを磨いているラルフの姿があった。


「あー、言ってなかったっけか。あいつ、腹減ってねえっつって部屋から出ようとしなかったからさ。何してても良いから取り敢えず裏庭ここに居てくれって頼んだんだよ」

「何それ。僕、ああいうのちょっと頂けないんだよね。っときなさいってシンは言ってたけどさ……」

「まあまあ、そう言ってやるなって」

「どうしたの、二人共?」


 苛立つリゼルを宥めるレギンの元へ、作業の終わったハクアが歩み寄る。


「ああいや、大した事じゃねえんだ」

「…………」


 彼女の前で角立った話題を出すのは気が引けるのか、リゼルは仏頂面のまま口を噤んで答えない。


「? そっか」


 首を傾げたハクアがふと後ろを振り向いたそこには、渦中の人間であるラルフが居る。その存在に気付いたハクアは、彼の方へと向き直った。


「あれ? 何してるんだろ。訊いてみよっと」


 一言だけそう独りちて、ハクアはラルフの元へと駆け出す。


「あ、ちょっ──……」

「お、やっぱり行ったか。ラルフのヤツ、多分来るぞ」

「……はあ?」


 レギンの言葉を俄かに信じられないリゼルは、悠然とした笑みを浮かべる兄とは裏腹に、息をついて彼女を遠くに眺めるのだった。




 敵勢ギルド拠点/裏庭の隅・昼




 依然としてナイフを磨いているラルフの元へ駆け寄ったハクアは、彼の横にしゃがみ込む。


「何やってるの?」

「……ナイフの手入れ」

「そうなんだ。丁寧に使ってあげてるんだね」

「……何の用だ」


 自身へ一瞥もくれないラルフだが、それを気にする事も無くハクアは笑みを浮かべる。


「うん、あのね、実はあっちの方で、皆でお肉を焼いてるの! だから、食べたくなったら何時でもおいでね! 大丈夫、ラルフの分は食べないでちゃんと取っとくから!」


 相も変わらずナイフに視線を落としたままのラルフへにっこりと笑いかけてから、ハクアは駆け足で皆の集う焜炉の方へと戻って行く。


「…………」


 作業の手を止め、暫くの間ナイフを見つめていたラルフだが、やがて目を閉じて浅く息をつき、ナイフを傍らへ置いてゆっくりと立ち上がるのだった。




 敵勢ギルド拠点/裏庭・昼




 焜炉の方へと駆けるハクアの背後から、遅れてラルフが歩いて来る。


「お、来た来た」

「……マジか」

っときなさいって言ったでしょ。まだ気にしてんの、アンタ」


 その様を唖然として見つめているリゼルの元へ呆れた素振りで近付いたシンは、肘で彼を小突く。


「ったく、神経質ってのも考え物ね。絶対アンタ将来ハゲるわよ」

「う、うるさぁい!」


 シンがリゼルを揶揄っている隣では、先程まで彼女と共に居たフェリーナが焜炉の傍へ立っていた。


「そろそろ良い頃合いなんじゃないかしら。どう、エーティ」

「ああ、さっき確認したけど十分に焼けてる。良し。全員、好きなの取ってけ」


 エーティの言葉を聞いた全員が、各々の思う串へ手を伸ばす。


「うーし。んじゃ、俺これにしよ」

「あ! それアタシが狙ってたヤツ!」

「え、そう。じゃあ、はい」

「え。あっさりくれるのね」

「うん。俺、正直どれでも良いからさ」


 レギンがシンに串焼きを融通している横で、ハクアは網の上で香ばしく焼き上がったそれに目を輝かせていた。


「わあ、どれにしよう! あ、来てたんだね! どれが良い?」

「……別に。最後に残ったヤツで良い」


 ラルフの表情は変わらない。それは背後に立っていた彼の存在に気付いて振り返るハクアと、染み出した脂で照り輝く串焼きを前にしても同じ事であった。


 シンの後にリゼル、ユーリア、フェリーナ、エーティが串を取って行き、網の上へ残るは三本。


「…………」


 ラルフとハクア、二人の様子を眺めていたレギンは、三本のうち一本を取ってその場を離れる。

 ハクアが再度焜炉へ向き直った頃には、残る串焼きは二本となっていた。


「あれ、もうあと二本だけになっちゃった。

 ……!」


 しゅうしゅう、と脂を滴らせながら網の上へ横たわる肉を目にし、何かを思い付いたようにぱっと笑みを浮かべた彼女は、徐に串焼きを二本手に取る。そして。


「はい、どうぞ!」


 そのうちの一本を、笑顔でラルフに差し出した。


 笑顔のハクアと差し出された串焼きに驚く素振りを見せた直後、一度は極まりが悪そうに彼女から目を逸らし、眉根を寄せたラルフだったが、純粋な善意を蔑ろにする訳にも行かず、観念したように再度彼女に顔を向け、


「……ありがとう」


 そう小さく言って、ハクアから串焼きを受け取るのだった。


 事の顛末を見ていたリゼルは、先程よりもやや眉の力の抜けた表情──とは言え、未だ仏頂面のまま──で、レギンとエーティと共に串焼きに齧り付いている。


「うん、上手く焼けてて美味いな、これ。って、何だ。まだ拗ねてんのか、お前」

「別に。拗ねてなんかないよ。……ただ、人の善意を無下にしない辺り、そこら辺は良いヤツなのかな、って。見ててそう思っただけ」

「! ……そうか。

 つかエーティ、玉蜀黍とうもろこしの芯が串から抜けねえんだけど。どうすりゃ良いんだ、これ」

「一旦諦めて横から食えば良いんじゃねえか」

「おう。そうするか」


 その頃、一方でユーリアは、どこか焦ったようにラルフとハクアの二人とシンを交互に見ていた。


「え!? え!? あのお二人って、そういう関係だったんですか……!?」

「流石に話飛躍し過ぎじゃない、それ?」

「ふふ。でも仲が良さそうのは確かなんだし、良い事なんじゃないかしら」


 微笑みを浮かべてから、どう食べようかしら、とフェリーナは串の先の肉を眺める。

 そして。


「ふー、ふー。……あちっ! ふー、ふー」

「…………」


 中々肉に有り付けないでいるハクアの隣で、黙々と肉を食すラルフ。些か不満そうな表情の彼だが、何を思ったのか、ふと横目に彼女を見た。


 はふはふと口を動かし、頬を膨らませたハクアの表情が、その瞳に映る。


「……うん、美味しいね!」


 嚥下したハクアがラルフの方を向くも、彼の視線は既に彼女には無い。普段通りの無表情である。

 しかし彼にとってその空間は、快適とまでは行かずとも、不快でない事だけは確固たる事実なのであった。

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