32,アレストリア北東部/崖下の岩壁・夜


「さて。今日の獲物を祝して、乾杯」

「乾杯!!」


 死んだ目をした一人の男が、仲間と共に祝杯を鳴らし合う。彼等の言う獲物とは、勿論野を駆ける獣などではなく、


「注いでやるよ。お姉ちゃんも飲むだろ?」

「いえ、その、お酒は苦手なので……」

「は? オレの酒が飲めねえってか?」

「……有り難く頂きます」


 通りすがりを強襲して簒奪した荷車の荷、そしてそれを引いていた一団の、一人の女である。


「あ! お前、ソイツ盗る気だろ!?」

「ハハハ、何杯でブッ潰れるか賭けるか?」

「お、良いな、それ。幾らにする?」

「おい、潰すのもヤるのも構わんが、程々にしとけよ。あんまり傷が付くと売りモンにならなくなる」


 怯えた様子の女を値踏みするように眺めながら、男は杯を傾けた。


「────……!! ──────!!」


 その様子を見ていた一人の青年──手足は縛られ、口にはくつわを噛まされている──が声を上げる。それに気付いた男が、舌打ちをしながら振り向いた。


「あ? るせーんだよクソ。黙ってろ」


 男は懐からナイフを取り出し、霊力を込める。するとナイフはたちまち赤熱し、炎を吹き始めた。

 そして男はそれを、青年の頭に向かって投げつける。


 ぼう、と音を立てて真っ直ぐに飛んで行ったナイフは、しかし男の当てを外れ、青年の耳の横へと突き立った。


「……ッ!?」

「チッ、外したか。まあ良い。それに懲りたら黙ってろよ。心配すんな、お前もあの女と仲良く売り払ってやる」


 冷たい笑みを浮かべた男は、仲間の男達に次々と酒を注がれる女を見てせせら笑う。


 男が一気に酒を呷った、その時。


 凄まじい轟音。凄まじい土煙。

 彼方から砲弾でも落ちてきたのかと思える程の衝撃に、男達──酒を呷っていた男以外──は一斉に土煙の方へ向く。


 ひゅう、と一際強い風が吹き、土煙が晴れた、そこに居たのは。


「貴方達が案件にあった無法者ですね。覚悟は出来てますか? 出来てますね? 殺します」


 溌剌とした表情が消え、氷のような目で彼等を見るシグネと、


「いやいや、いきなり物騒な事言わないで下さいよ」

「そうですね。なるべく全員生け捕りが望ましいのですが」


 彼女の物騒な発言に眉を寄せるジェンと悠然とした笑みを浮かべるスズミ、


「怪我人が出たらすぐにこっちへ寄越して。それ以外は私の事、気にしなくて良いから」

「…………」


 そして拳銃に弾倉を填めるサシェと、無言で二振りの短剣を構えるセレスであった。


「おうおう、何だ何だァ、俺たちにケンカたあ随分な自信じゃねえか、ええ!?」

「どうするよ、旦那。一発ヒネっちまうか?」


 口の端から零れた酒を拭い、男は不敵な笑みを浮かべる。


「おう、やっちまえ」

「おし、旦那から許しが出たぞ!」


 旦那と呼ばれる男の号令と共に、その場の男達は一斉に武装し、武具に霊力を込める。すると、各々の武具が熱やら雷やら、一通りの武具ではまず有り得ない超常の力を纏い始めた。そして。


「んじゃ、霊力砲、ブチかますぜェ!」


 体格の良い男が小銃ライフル程の大きさの霊力砲を構え、引き金を引いた。瞬間、白熱する熱線が唸るような低い音と共に銃口から射出される。


「うおッ!?」


 真っ先に標的にされたジェンは、すんでの所で熱線を回避する。崖の岩肌に直撃したそれは、着弾点をどろどろと融解させながら消えていった。


「……中ったら即死だな、コレ」


 人の身に直撃すれば間違い無く骨だけになるであろうその威力に、ジェンは思わず身震いする。


「お? ビビってんのか、クソガキ!?」

「チッ!」


 実弾ならまだしも、熱線を封じる手段となればそれを一切持たないジェンは、男の追撃を回避し続ける事に手一杯であった、が。


「彼は私にお任せ下さい」

「え、スズミさん!?」


 直後、逃げるジェンと男の間にスズミが割り込んだ。彼の持つ銀の槍、そこに填め込まれた碧玉が、鈍い光を湛えている。


「その代わり、彼の相手をお願い出来ますか」


 スズミが一瞥した先、そこには電撃の奔る籠手ガントレットを両手に填めた別な男が迫っていた。


「はい、了解です!」


 スズミと入れ替わるようにその男と相対したジェンを目にし、男はにやりと笑う。


「なあ、知ってるか? 人間って雷に撃たれると黒焦げになるんだぜ?」

「おう、らしいな。見た事無えけど」

「んじゃ、今から見せてやる。おらよ!!」


 ばちばちと電撃の散る男の拳を回避し、隙の出来た脇腹にジェンは突きを繰り出す。しかし、待っていたとでも言わんばかりにジェンの方へと体勢を整えた男は、ジェンの持つ剣の刀身を掴んだ。


「ヘヘヘ。かかったな」


 直後、籠手ガントレットから剣へ強烈な電流が伝い、ジェンの体へと流れていく。


「────ッッ!?!?」

「ハハハッ! チョロい手に引っかかってやんの! バーカ!!」


 声にならない悲鳴をあげたジェンは、男の罵声も耳に届かないまま、身から黒い煙を上げながら倒れていく────。


 少なくとも男には、そのような未来が見えていた。


「……なーんて、な」


 倒れる寸前で踏み止まり、ジェンは剣を構え直す。


「は!? お前、何で生きて、いや、何で気絶すらしてないんだよ!?」

「身体強化さえしてればあれくらいの電流、効かないんだよな、オレ。ところでお前、『能力』って知ってるか?」


 自らの『能力』を発動させ、ジェンは起こした風を切先に集中させる。


「おい、まさかお前、」

「ふッ!!」


 渦巻く風を纏った一突き。男は両の籠手ガントレットでそれを防いだものの、籠手ガントレットは簡単に砕かれ、その破片と共に後方へ大きく吹き飛ばされていった。


 敵を撃破するジェンの背後では、スズミが槍を構えて立っている。


「死にに来たか、野郎!」

「さあ。それはどうでしょう」

「ハ、ここへ来て強がりかよ。良いぜ、消えな!」


 男は容赦無くスズミに熱線を放った。しかしスズミは避ける素振りも見せず、代わりにふっと槍の切先を振り上げる。するとみずちのようにうねる水流が、スズミの動きに合わせて何処からともなく現れた。

 ぼん、と大量の水に直撃した熱線は、その一部を白く蒸発させたものの、全てを消し去る事は能わず、跡形も無く消えていく。


「チッ、こんなモン!!」


 男は熱線を連射する。しかし、みるみるうちに巨大化していく水の壁は全ての熱量を吸収し、熱線がスズミの元へ届く事は無かった。やがて。


「あ、あら!?」

「おや、過熱オーバーヒートですか。運が悪かったですね」


 焦るあまり、かちかち、と引き金を何度も引き、完全にスズミから注意が逸れている男の前で、彼がゆっくりと槍を回し始める。すると切先を追うように水流が動き、辺りを白く漂っていた水蒸気までもがその水流へ取り込まれていった。


「では、終わらせましょう。手加減はするつもりですが、まあ、それでも一瞬です」


 スズミが槍を構えて振り上げ、それと同時に彼を取り囲んでいた水流が全て一点に集まった。そして、


「はっ!」


 彼が槍を振り下ろしたと同時に、操っていた水、その全量が男に叩き付けられる。瀑布の如き一撃は周辺の地面をも砕き、直撃を受けた男は、スズミの手から放れて地面に滲みていく水の中、気を失って倒れていた。


 暫くして、籠手ガントレットの男を撃破したジェンはスズミに駆け寄るものの、霊力砲の男の様を見て唖然とする。


「流石にやり過ぎじゃないですか、アレ」

「うーん、そうかもしれませんね。殺してはいない筈なんですけど。ジェンさんも、終わりましたか」

「はい、バッチリです!」


 スズミが視線を上げると、そこでは崖の岩肌に減り込んだ籠手ガントレットの男が気を失っていた。


「貴方も人の事あんまり言えないんじゃないでしょうか……?」

「え、そうですかね? って、そうじゃなくて!」


 慌てて後方を振り向いたジェンは、直後にスズミをもう一度見る。その瞬間、男達の悲鳴が彼等の後方で響く。


「……ッ!! スズミさん、シグネさんとセレスの所に!」

「そうですね、行きましょう。尤も、もう手遅れかもしれませんが」


 嫌な予感を募らせる二人は身体強化を施し、悲鳴の元へ全力で駆け出した。




 アレストリア北東部/崖下の森林地帯・夜




 ジェンとスズミが接敵した地点から少し離れた場所。そこでは、シグネが数人の男達に取り囲まれていた。


「ったく、アイツらも何考えてんだかな。女からヤっちまうに決まってるよなあ、こんなの」

「自分だけ強い装備使えるからってイキってんだろ。ホントバカな野郎共だぜ」

「おいおい、僻んでんのか? まあ、でも分かるぜ。取り逃して旦那にシメられる未来しか無えんだもんな、オメー達にはよ」

「ハァ!? テメエ、喧嘩売ってんのかコラァ!!」

「必死過ぎだろ、マヌケ。ほら、ノロノロしてっと、俺が先にヤっちまうぜェ!?」


 そう仲間に言い放った男が、腰から剣を抜いてシグネに迫る。その刀身は赤熱し、間も無く眩い光を放ち始めた。

 それを皮切りに、周りの男達も自らの武具に霊力を込める。その種類は身の丈程もある大剣や大鎚ハンマー、霊力砲、鎧など、様々だ。


 単身で相手取るには明らかに開き過ぎている戦力差。しかしシグネはこの状況に臆する事も腹を括る事も無く、うんざりだとでも言わんばかりの表情でただ溜息をついた。


「はあ。反吐が出るような人達ですね」


 男達を一睨みしたシグネは、霊力を解放した。すると、彼女の足元から何やら赤黒く、粘性の高い液体状のものが湧き上がり始める。そしてそれは腕のような形を数本取り始め、


「死ね」


 真っ先にシグネへ向かって行った男──仲間を煽り立てていた男──へ向かって一斉に伸び始めた。


「な、何だこれ……!?」


 眼前に広がる異様な光景に、威勢の良かった男達は揃って血相を変え、足を竦ませる。それでも容赦無く男へ襲い掛かるは、彼が身じろぎ一つもしないうちに、その脇腹を貫いた。


「……へ? え、あ────……」


 一撃で半身の腹部から肋骨にかけてを失った男は、自らの身に何が起きたのかを理解しないまま、白目を剥いて崩れ落ちる。


「ひえ、な、何なんだよこれ!?」

「相手になんてしてられっかよ! あっちに加勢するぞ!!」

「アッハハハ! 背を向けて敗走とは、無法者らしく無様ですねえ! 逃がす訳無いじゃないですか!」


 シグネが足元のから男達の背中の数だけを作りだして再度伸ばそうとした、その時。彼女の右方に広がる森林地帯から、黒い影が飛び出した。目にも止まらぬ速さで男達を縫うように進んだ影は、地面を擦りながらその動きを止める。


 間も無く、シグネから逃げていた男達は皆、泡を吹きながら一斉に倒れていった。


「セレスさん! 森に潜んでいた無法者はもう倒したんですか!?」


 先程までの死んだ顔を嘘のように輝かせるシグネを前に、影──セレスは彼女を遠慮がちに見上げる。


「はい。一応作戦にあった範囲外の所も確認しましたが、それらしい人物は見当たらなかったので、恐らく全員捕縛したかと思います。それと、対象に捕縛されていた男女、合わせて二人の生存者を発見しました。彼等は今、サシェさんが看てくれています」

「すごいですね! 私が一人仕留めている間に、もうそんな事までしてたんですか!? 流石は隠密大隊、お師匠様のお墨付きなだけありますね!!

 ……あ、でも。生存者、って事は────?」


 瞳から光が消えていくシグネから目を逸らし、セレスは小さく頷く。


「はい。どうやら私達が到着する前に、一団が襲われていたようで。遺体が確認出来ただけでも、その。十数人は」

「……そうですか。分かりました」


 セレスの報告にシグネは、ぎり、と歯噛みしてから倒れ伏す男達に向き直った。


「自分たちの欲を満たす為だけに罪無き人達を殺して、無法者っていうのは本当にゴミばかりですね。どうして貴方達はこの世にひり出されてしまったんですか? どうして私の家族はこんな連中に殺されなきゃならなかったんですか? 答えて下さいよ。ねえどうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして────……!」


 怨嗟を吐き出すシグネに呼応するように、足元に広がっていたがごぼごぼと音を立てる。すると数秒もしないうちに、そこから先程とは比べ物にならない程の本数のが、一斉に姿を現した。


「あ、シグネさ──……」

「セレスさん、危ないので下がっていて下さい。ああ、これが終わったら森の中の無法者を捕縛してある場所も教えて下さいね」

「…………」


 言葉を遮られたセレスはシグネの異様な力と姿に気圧され、そのまま口を閉ざす。


「お前達は私がころす。無辜の人々を弄んだ罪、死んで償え」


 倒れ伏す男達へ、シグネがを雨のように降らせようとした、瞬間。


「やっぱりやると思ったよ」


 その場を強烈な旋風が吹き荒れる。


「くうっ!?」


 何とか後ろへ飛ばされないよう前屈みで風を防ぐシグネの背後で、男達を襲う筈だったが一つ残らず掻き消えていく。

 風が収まり、シグネが体勢を戻した目の前には、厳しい表情でシグネを見据えるジェンが立っていた。


「ジェンさん、どうして邪魔するんですか!?」

「どうしてもクソも無えよ。捕縛っつってたよな、大佐。規則が何だの正義が何だの、散々説教垂れてきたクセに命令の一つも聞けねえのか。オレよりも先輩なのに」


 怒気の籠った声でジェンはシグネを糾す。しかしそんな彼とは裏腹に、彼女は困ったような笑みを浮かべた。


「そんな、大袈裟な。私はただ、大人しく捕縛されてくれない哀れな無法者共を懲らしめてやろうとしただけですよ。さあ、ジェンさん。そこに居ては貴方を巻き込んでしまいます。どうか下がっていて下さい」

「……本当に話が通じねえな、あんた」


 表情は明るい笑顔のまま、背後に再度を作り出すシグネにいよいよ呆れ果て、彼女を止めるべくジェンが剣に手を掛ける。しかしその直後、突如としてシグネの足元を包み込むように一抱えほどの水の塊が出現し、彼女の胴へ向かって水を細く、勢い良く噴射した。


「!?」


 噴射された水はその間にも全体の形を変え、シグネの身体を雁字搦めにしていき、そして全体を凍らせる事でその変形を終えた。


「くっ、こんなのすぐに──……」


 拘束されたと理解するや否や、身体強化を施して氷の縄を破壊しようとするシグネだったが、


「はい。お手元、失礼しますよ」


 何時の間にか彼女の背後へ立っていたスズミに手錠を掛けられてしまうのだった。


「そんな、スズミさんまで!? っ、は、外れない!? と言うか、身体強化が……!?」

「ええ、特別製ですから。まだ実験段階の拘束具らしいので、そこで大人しく被験体になっていただけると有り難いですね」


 身体強化を最大にして手錠諸共に拘束を破壊しようとするシグネだが、そもそも身体強化を封じられた彼女が力んだ所で何かが起きる筈も無く、手錠の鎖を軋らせる事が精々である。


 そんなシグネを他所に、ジェンとスズミはセレスに駆け寄った。


「……申し訳ありません。彼女を止められなくて」


 俯くセレスだったが、ジェンが即座に、いやいや、と手を横に振る。


「そんな気にすんなよ。あんなん、一人で止めろって話の方が無理だろ。実際、オレだってあいつ止められる気しなかったし。て言うか、何だあの『能力』。いや、それ以前に『能力』なのか、アレ……?」

「まあ、その話は一旦切りとしましょう。セレスさん、あちらで倒れている方々は?」


 スズミが目線を向けた方、そこには、抉れた胴体から大量の血を流して倒れている男が一人と、だらしない顔で時折痙攣しながら倒れている男達数人が居た。


「あの血を流している人は……シグネさんが。後は私が行動不能にしました」

「成程。ちなみに、どうやって彼等を?」

「『能力』です。私の『能力』は、触れた相手を毒物に晒された状態と同じ状態にさせる事が出来るんです。今回は捕縛という話だったので、全身を麻痺させたのですが……」

「でもそろそろ『能力』、解除してやっても良いんじゃねえか?」

「……もうしてます」


「…………」

「…………」


 セレスの発言を踏まえ、スズミとジェンは顔を見合わせてから男達の方を向いた。


「……あのー、オレ、何となくアレ見覚えあんなーって思って考えてたんですけど、思い出しましたよ」

「と、言いますと?」

「オレの故郷で羊を何匹か飼ってる人が居たんですけど、そこの一匹が脱走した先で毒草食った事があって。そいつ、泡吹いてブッ倒れて痙攣してたんすよ」

「はい。それで、その羊はどうなりました?」

「そのまま死にましたね」


 二人の顔面から血の気が引いた、その時。


「あ、やっと出られた。さて、後はバレないように戦線離脱して大佐に報告──……。って、何してんのよ、あんた達」

「サシェさん! アイツ等早く治して下さい!!」

「サシェさん! 彼等に早急な手当てを!!」


 図ったかのように森から現れたサシェに、ジェンとスズミは男達への処置を嘆願するのだった。


 数分後。


「腹が半分無くなってるコイツはもう助からない、と言うか即死ね。どう足掻いても治療は無理。でも他の連中は思ってたより大丈夫みたい。症状の進行はこれ以上無いんでしょ?」

「はい。もう『能力』は解除してありますから」

「良し。本当だったら胃洗浄とか催吐薬飲ませるとかするんだけど、『能力』の作用ならやっても意味無さそうだし」


「あれ、解毒薬で治すんじゃないんだな」

「ええ、この手の症状が出る毒物って多分、解毒薬が無いヤツだから。物理的に毒物を取り除く以外に治す方法が無いのよ。ま、すぐに死ぬような事は無いと思うから、安心して」


 ほっと胸を撫で下ろすジェンとスズミだったが、その時、突如出現した背後からの気配にジェンが真っ先に反応する。


 振り返った目の前に居たのは、背徳的な笑みを浮かべた一人の男だった。

 振り下ろされた剣を抜きかけの剣で受け止め、ジェンは男を睨む。


「ッ!? お前がかしらか!?」

「そ。正解せいかーい。ああ、りいりい。あんたに電撃は効かないんだったな」


 瞬間、男は身につけていた鎧に霊力を込め、ジェンの腹を蹴り上げた。


「ガハッ!?」


 霊力によって赤熱した膝当てによる一撃。真面にそれを受けた彼は焼け付いた腹を押さえ、蹌踉めきながら大きく後退する。


 状況を察したスズミがジェンの後退と同時に飛び出し、槍を男へ突き出した。

 剣の身幅で槍の切先を受け止めた男は、にい、と唇を吊り上げる。


「んで、お前には電撃が効く、と!」

「させる訳が無いでしょう」


 男が刀身から電撃を放とうとする直前、スズミは切先に水を集め、そのまま剣を圧砕した。得物を破壊され、男はスズミから距離を取る。


「ハハハ、良いねえ。この時を待ってたんだよ。お前等みたいな治安維持部隊が俺に挑んで来るのをよォ!」


 スズミによる水流の追撃を前に、男は柄だけになった剣を傍に投げ捨て、もう一振りの剣を抜く。そして彼がそれに霊力を込めると、刀身から白い霧のようなものが溢れ出した。


「ちょいと趣向を変えてみようか。そらよ!」


 一閃、男が剣を薙ぐ。すると、男に向かっていた水流はたちまち凍り、果てにはスズミの槍をも巻き込んで凍り付いた。


「くッ!?」


 氷となった水を操りきれず、スズミは槍を振り払う。槍から外れた氷塊が、がしゃ、と音を立てて地面に転がった。


「やっぱりな。お前の槍は水や水蒸気を操れても氷は操れない。いや、正確には操れない、つった方が正しいか? まあ良い。今となっちゃどうでも良い事だ。

 ともあれ、良いザマだぜ。俺ァ力を手に入れた途端イキり散らすクソ野郎が大嫌いでな。特に治安維持部隊なんぞ最悪だ。見ていて吐き気がする。術式が無けりゃあ何にも出来ねえ雑魚のクセによ。


 フ、フフフ。ハハハハハ! だが今はどうだ! あんなに憎んだ治安維持部隊が、殺してやると誓ったクソ共が!! 俺の一撃で膝をついて!! 後退りしてやがる!! 最高だよ、最高の気分だよ!! だがこれだけじゃあ足りねえ。目には目を、歯には歯を。これを皮切りにあのクソッタレ共全員、同じ目に遭わせてやる」


 濁り切った瞳で笑う男に、スズミは不快感を露わにする。


「……貴方の思惑など、知った話ではありません。とは言え、言い掛かりはやめていただきたい所ですね」


 そして先程とは比べ物にならない程の霊力を瞬時に解放し、槍を構えた。


「それに、その程度で私の『能力』を封じたとでも? 笑わせ──……」


 スズミが高出力で『能力』を発動させようとした、瞬間。


「待って下さい、スズミさん。オレがやります」


 彼と男の間へ、ジェンが割って入る。しかし、明らかに無事では済まない火傷を腹部へ負っている彼に、スズミは困惑の表情を浮かべた。


「ジェンさん、貴方、その怪我で……!?」

「大丈夫ですよ。今の所、何とかなってます。でも、もしオレがダメだったら、その時はお願い出来ますか」

「…………」


 屈託のない笑顔を浮かべるジェンに掛ける言葉が見当たらず、スズミは黙ったまま引き下がる。


 自らと相対したジェンの様を目にし、男は鼻で笑った。


「ハ。死にかけのクセに今更のこのこ、何しに来たんだよ。痛そうだな、その火傷。もっと焼いてやろうか?」


 男の挑発に眉一つ動かさず、ジェンは口を開く。


「ジェン・クスト」

「は?」

「オレの名前だ。お前がもし『ギルド』によく行ってるんだったら、一度は聞いた事があるんじゃねえか?」


 彼の言葉に、男は目をみはった。


「……は? ジェン・クスト? お前が? 何で治安維持部隊なんかに? まさか、間諜スパイか何かか?」

「お前さ、色々誤解してるっぽいから、取り敢えず一から説明するぞ。まず、ここに居るのは治安維持部隊じゃない。もっと別の部隊だ。それと、ここに居るのはオレも含めて全員『能力』保持者だ。『能力』持ち、つった方が通じるか? 後、オレは間諜スパイじゃない。ただ単に帝国軍に引き抜きスカウトされたからここに居るってだけだ」


「は……?」


 訳が分からない、とでも言わんばかりに眉をひそめた男だったが、やがて湧き上がる怒りに歯を軋らせた。


「尚更意味分かんねえよ。引き抜きスカウトされたからここに居る? ふざけんな!! お前、今与してる連中がどんなクズ共なのか分かってるのか!? 国民への圧政も、貧民街への無関心も、あの路地裏での暴挙も、全部そいつ等の仕業なんだぞ!! 俺達は何時、どんな時でも奴等に監視されている。どんなに虐げられていようと、抵抗しようものなら全てが終わるんだ。術式で武装した治安維持部隊が山のように押し寄せて、何もかもが蹂躙される! その様を一度も見なかったなんて、そんな事無えよな!? 答えろよ、ジェン・クスト。あんな理不尽を見せつけられて、お前は何も思わ──……!!?」


「うるっせえッ!!!」

「!?」


 ジェンの怒号に、男は思わず口を噤む。


「さっきから聞いてりゃあクズ共だの何だの、好き勝手に言いやがって。

 確かに、オレの故郷の村の人達は今でも重税に喘いでる。治安維持部隊にキツく取り立てられる事なんてザラだ。貧民街だって、あそこに住んでる人達に少しでも寄り添おうとするお偉い方は一人も見た事が無い。路地裏で細々と盗品を売ってる爺さん達を、やり過ぎだろって勢いで拘束してる役人なんて腐る程見たよ。


 多分、お前の言う通りなんだろう。一般化術式っていう力を得て、それを鼻にかけてる連中ばかりなんだろう。だから苦しんでる人達に向かって平気で暴言を吐き散らせるし、貧民街を理由わけも無く腫れ物扱いして見下すし、悪人とは言え一般人も同然な人間を、平気なツラして治安維持とは名ばかりの私刑リンチに掛けるんだろう。


 ……でもな。そんなどうしようもねえ連中だってれっきとした軍人なんだよ。上の命令には逆らわねえし逆らえねえ。そんで上の連中もな、どんなに腐ってようが、国を維持するっていう最低限の役割だけは絶対に果たそうとするんだよ。例えそれが暴力や武力に訴えるようなやり方でも、上も下も全員、国を運営する為、治安を守る為っていう大義名分があるんだよ。


 それに比べてお前はどうだ。お前が子分を使って今日襲った人達は、今まで襲ってきた人達は、何か罪を犯したのか? お前に対して何かしたのか? 何もしてねえよな。偶然そこを通りかかった、ただそれだけの理由でお前のしょうもねえ腹癒せの犠牲になったんだ。


 目には目を? 理不尽? ふざけてるのはお前の方だろ。大義名分も無ければ道理も無え、お前の方が治安維持部隊よりよっぽど理不尽じゃねえか!!!」


 ジェンの言葉を咄嗟に切り返せず、唸った男は、冷気の漂う剣を振りかざす。


「黙れ。黙れよ、現実逃避野郎。『能力』持ちだからって、偉そうに正論ぶって物言ってんじゃねええええッ!!」


 剣を構えて距離を詰める男を相手取るべく、ジェンが剣を抜いた、その時。


「よく言った、ジェン・クスト!」


 ジェンの眼前、彼と男との間に、一振りの剣が突き立つ。そして続け様に何かが落下した。


「このまま戦況を眺めていても良かったんだがな。偶には前線に出る事もしなければ」


 やがて土煙が晴れ、そこに立っていたのは。


「ジェン、お前は退がれ。ここは私が引き受けよう」


 彼等を束ねる大隊長、帝国軍最強の名を持つ将校、メイラ・エンティルグである。

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