33,アレストリア北東部/独善の壟断・夜半


 本来、如何なる作戦においても最大の安全を優先して確保されるべき、部隊の要である筈の部隊長、その中でも最上級並みの位である一等佐官の彼女──メイラ・エンティルグが、最前線に躍り出るというこの状況。


 階級の差が絶対とされる軍に属する人間として、スズミが黙っている筈も無く。


「僭越ながらエンティルグ大佐、それはなりません! ここは私が──……」


 彼が前へと進み出た、直後。ジェンがその場へ崩れるように倒れ込む。


「!? ジェンさん!?」

「っ、だから無茶だって言ったのに……!」


 血相を変えたサシェが、すぐさまジェンの元へ駆け寄った。


 蒼白な顔面に汗を浮かび上がらせ、虚ろな目で浅く呼吸するジェンから目を離せないスズミへ、メイラは静かに告げる。


「スズミ。今、ここにセレスの手引きで治安維持部隊が向かっている。彼等が到着したら彼女と共に捕縛した人間と保護した人間を引き渡せ。それが完了し次第、サシェに従ってジェンの手当てを。それと、頭が冷えている様子ならシグネの拘束を解いてやれ」


「しかし──……」

「命令だ」

「……了解致しました」


 低い声で言い放つメイラに反駁出来ず、スズミは遣り切れない感情を押し殺して踵を返した。


 スズミから男へと向き直ったメイラは、男を真っ直ぐに見据える。

 彼女の表情とは裏腹に、男は先程とは打って変わり、口角を上げた。


「へえ、こいつはすげえや。有名人のご登場じゃないの。えっと、何だっけ? 『能力』も術式兵器も使えない最強さん、だったっけか? まさかあんたがアタマやってるとはなあ。大丈夫か? 自慢の部下全員使い物になんねえぜ? 役立たずばっかで困っちまうよなあ。分かるぜ、その気持ち。俺も今そうだからさ」


 男の嫌味たっぷりな挑発を受けたメイラだが、動じる様子の無い彼女は徐に口を開く。


「来るなら来い。来ないなら投降しろ」


 静かに、感情無く、冷徹なままに。彼女は一言、そう告げた。


 一切の隙を見せないメイラに、男は表情を歪ませる。


「はあ? この状況を分かってんのか、クソアマ。何の能も無え、肩書きだけの持ち上げられた人間が俺に勝てるワケ無えっつってんだよ。通じなかったか、ええ!?」


 これほどの悪態をついて尚、表情一つ動かさないメイラに舌打ちをした男は鎧と剣に霊力を込める。すると脛当てに刻まれた術式が青白く浮かび上がり、剣からは白い冷気が漏れ出した。


「いいぜ。お望み通りってやるよ。お前の首でも持って行きゃあ、軍の連中もビビるだろうからなァ!!!」


 蹴った地面を砕きながら飛び出した男は瞬きの間に距離を詰め、メイラに切先を突き出すべく剣を構える。その速度はジェンやスズミと交戦していた時のそれとは比べ物になっておらず、常人でなくとも反応が遅れてしまう程の速度だった。


 しかし、それでも彼女は動かない。

 男がメイラの胸部へ狙いを定め、剣を完全に構えきった、その瞬間。


 彼女は目にも留まらぬ速さで剣を構え、そのまま振り抜いた。


 剣は男の胸当てへ命中し、火花を散らす。


「ぐッ!!?」


 弾かれた男は蹌踉めきながら後退するものの、第二撃の為に再度武具へ霊力を込めた。が、その数瞬すら彼女は許さない。


 畳みかけるように距離を詰め返したメイラは一突きで男の胸当てを破壊、半ば捨て鉢に振られた剣を難無く躱し、最後は石突で彼の項を横から殴り付けた。


「ぁ────……」


 ばた、と、気絶した男が倒れ伏す。


 数十秒にすら満たない攻防。その中で、「能力」保持者であるジェンやスズミですら敵わなかった男を、メイラは「能力」無しに下したのだった。


「そう言えば、拘束具を持ってなかったな。彼等に頼むか」


 ふと自らが男の拘束手段を一切持ち合わせていない事に気付いたメイラは、向こうから走り寄って来るスズミとセレスへと目を向ける。


「一応のご報告を。治安維持部隊への引き渡し、完了しました」

「良し。どちらか二人、奴の拘束と、可能なら引き渡しも頼む」

「了解です。私がやります」


 スズミが手錠──つい先程までシグネに掛けていたもの──を見せると、メイラは一度大きく頷き、セレスと共にジェンの元へと急行した。




 アレストリア北東部/崖下・夜更け




「ジェンさん! 気をしっかり!!」


 メイラが駆け付けたそこでは、涙目のシグネがジェンの口元へ水筒を当てがう横で、緊迫した表情のサシェが彼の腹部へ氷──シグネを拘束していた氷の縄──を包んだ布を押し当てていた。


「どうだ、様子は?」

「ダメです、体液の漏出が止まりません。脱水症状に加えて、ショックも起こしてます」

「今すぐ軍の施設へ運べば間に合うか?」

「……いいえ。ここから軍の病院に運んだとしても、治療は不可能です。重度の火傷を治療するには、近親者の皮膚を患部へ移植するしか方法がありません」


「なら、ジェンさんの親御さんを連れて来れば──……」

「いや。彼の出身はレーナン。ここから往復で最短でも一日、運良く馬車を雇えたとしても十日以上掛かるような場所だ。到着より息絶える方が先になるだろう」

「そんな! じゃあ私達は、彼が死ぬのを黙って見てる事しか出来ないって事じゃないですか!? 何とかして下さいよ、サシェさん!!?」

「何とか出来たらもうやってんのよッ!!」


「…………」


 例え助かる見込みが無くとも、一縷の希望の為にジェンへ処置を施そうとするサシェを目にし、メイラは彼女への言葉を失う。


 すると、黙って様子を見ていたセレスが、サシェの隣へと座った。


「サシェさん。私の『能力』なら、彼を苦痛無く殺す事が出来ます」

「……!?」


 目を見開くサシェの横で、セレスは静かに続ける。


「サシェさんの努力を否定したい訳ではありません。私だって、彼には死んでほしくない。でも──……」

「待って。それは本当に最後の手段にして」


 サシェは一度大きな溜息をついてから、メイラの方を向いた。


「大佐。私の『能力』、この部隊の人間以外には他言無用でお願い出来ますか」

「……良いだろう。了解した」

「ありがとうございます。シグネ。ちょっとそこ、離れてて」


 シグネをジェンの傍から離したサシェは彼の胸へ手を当て、霊力を解放する。サシェの身が霊力に包まれ、その霊力が彼女の手を伝ってジェンの身を包み込んだ所で、彼女は静かに「能力」を発動させた。


 すると彼の腹部の火傷が、ゆっくりと、そして確実に塞がっていく。


 やがて、ジェンの火傷は完全に塞がり、およそ完治と言っても過言ではない程までに回復していた。眼前に広がる奇跡のような光景に、メイラとシグネ、そしてセレスまでもが愕然とサシェを見る。


「良し、上手く治ってくれたわね。後は脱水症状と低血糖さえ何とかすれば──……」


 しかし当の彼女は彼女等の視線を気にも留めず、手早く点滴の準備を始めるのだった。


「拘束と引き渡し、完了しました! ジェンさんはどう──……!?」


 遅れて駆けつけたスズミが、ジェンの方へ目を遣ったまま絶句する。

 そこには、つい先刻までの彼の姿からは考えられない、血色こそ些か悪いものの、穏やかな表情で眠る彼が横たわっていた。


「ああ、あれが彼女の『能力』だそうだ。

 まさか、およそ奇跡と形容されるだろう事が、一人の人間の『能力』によってこうも簡単に引き起こされるとはな」




 政府専用病院/負傷者病棟・昼




 白く清潔な院内に、つんとした消毒液の臭いが漂う病棟、その一室。


「…………」


 ベッドの上で目覚めたジェンは、体を起こしてから目を擦った。


「何処だ、ここ。何で寝てたんだ、オレ。って言うか──……」


 ふとジェンは服を捲り上げ、自身の腹を凝視する。そこには掌大の大きさの火傷痕が残っているだけであり、傷らしい傷は何処にも無いようだった。


「……治ってる」


 何で、とジェンが困惑を深めていたその時、二回のノックの後、がらがら、と病室のドアが開く。入って来たのは、メイラだった。


「おお、起きていたか。早かったな」

「はい。所々記憶が飛んでて、正直早いとか良く分かんないんですけど。でも、大分お世話になったみたいだっていうのは分かります。初任務だったのにすいません、足引っ張るような真似して」

「何、気にする事は無いさ。寧ろ大健闘だったぞ」


 メイラが満足気に笑いかけると、病室にやって来たスズミが彼女の背後から現れた。


「おや、お目覚めですか」

「はい。お蔭様で、何とか。ありがとうございます」

「いえいえ、ご無事で何よりです。突然倒れた時は本当、どうなる事かと思いましたよ」

「あ、やっぱり倒れたんですか。って事はオレ、本当に敵の目の前で倒れたって事っすよね、多分……」


 はあ、と意気消沈するジェンに、メイラが、何処まで憶えているんだ、と尋ねる。


「……上から突然抜き身の剣が降ってきた所まで思い出せます」

「ああ、そんなものだろうな」

「一応説明すると、ジェンさんが倒れた後──……」


 メイラとスズミから事の顛末の説明を一通り受け、ジェンは改めて腹部の火傷痕をまじまじと見つめた。


「サシェさんの『能力』だったんですか、これ。なんか知らない間に痕だけになっててビックリしたんですけど──……」


 ジェンが言いかけた、直後。ばさ、という音が病室に響く。

 全員が振り向いたそこに居たのは、両手に抱えていた花束やら菓子折りやらと言った見舞いの品々を床へ落とし、ジェンを凝視しながら呆然と立ち尽くしているサシェだった。


「悪かったわね、痕残ってて……!!」

「!? あ、いや!? 別にそういう事が言いたい訳じゃなくってですね!?」


 あらぬ誤解を生んでしまったのか、一言だけ呟いてから無言でつかつかと歩み寄るサシェへ、ジェンは両手を振って見せる。


「いや、本当に! 痕になってるって、別に不満があって言った訳じゃなくて!! それより寧ろ、その……」

「……何よ」


 鬼の形相で自らを見下ろすサシェに、ジェンは指で頬を掻いてから、彼女を真っ直ぐに見上げた。


「治してくれて、本当にありがとうございました」


 そう言ったジェンの笑顔に、サシェの剣幕が和らいだ、が、それも束の間。


「はァ?」

「え?」


 即座にサシェからきつく睨まれ、ジェンはぽかんと口を開けて彼女を見た。


「当たり前でしょ。あたしを何だと思ってんのよ」

「え? そりゃあ、医者だと思ってますけど、それとは別に──……」

「うっさいわね、黙らっしゃい!! でももへったくれも無いのよ!! 大体あんな大火傷負って前線出ようとするとかバカなんじゃないの!!? しかも敵前でブっ倒れるとかホンット信じらんない!! あん時散ッ々止めたのに、いや、本当に大丈夫だから、とかあんた、あたしをホント、何だと思って──……!?!?」


 大声でジェンに怒鳴り散らすサシェ、という眼前の光景を、メイラとスズミが困り気味に眺める。


「迂闊な負傷は絶対に出来んな」

「そうですね。私も気を付けなければ。……あ。大佐、少々席、失礼させていただきますね。

 あのー、サシェさん? 仮にも病み上がりの人の頬をつねるのは流石にやめておいた方が良い気がするのですが──……」


 ジェンの頬を思い切り抓るサシェを宥めるスズミ。

 穏やかな時を過ごす彼等を見つめ、メイラはふっと笑みを零すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る