31,中央政府/帝国軍専用居住施設・午前


 殆どの人間が出払っている為か、あまり人気の無い廊下を、スズミとジェンは歩いて行く。


「着きました。ここです」


 ポケットから鍵を取り出したスズミは、目の前のドアを開錠する。


「どうぞ、お先に入って下さい」

「ありがとうございます」


 お邪魔します、と断ったジェンが足を踏み入れると、そこには人一人が生活するには十分な広さの部屋が広がっていた。ベッドの布団から棚の本一冊まで隅々に整理整頓が行き届いており、清潔感については申し分無い。


「ここは?」

「僕が軍から借りている部屋です。一応、僕の家って事になりますね。そこの椅子にでも座っていて下さい」

「あ、はい」


 スズミから示された椅子に、ジェンが腰を下ろす。彼がふと目を遣った先には、碧玉の填め込まれた美しい銀の槍が一振り、壁へ掛けられていた。


「すげえ、良く出来てんな……」


 その槍の輝きにジェンが見惚れてから暫くして、壁の向こうからスズミがグラスを二つ乗せた盆を持って現れた。


「冷たい飲み物でも、如何ですか」

「ありがとうございます。頂きます」


 行儀良く座り直してから氷入りの茶を一気に半分程飲み、ジェンは息をつく。


「あの槍、すごく綺麗ですね。装飾品ですか?」

「いや、普通に実戦用ですよ? と言うか僕の得物です」

「はあ!? これが!?」


 衝撃の事実を耳にし、ジェンは思わず目をみはった。


「ええ。開発局の方に作成していただいた特注品です。滅多な事では持ち出さない一振りですが、これから出番が増えそうですね」

「そうなんですか……」

「ふふ、いずれ開発局の方も案内しますよ」


 槍を見つめるジェンの横でスズミはもう一つの椅子に腰掛け、真剣な面持ちで彼を見た。


「さて。帝国軍についての説明を仰せ付かった訳ですが、早速始めましょうか」

「はい、お願いします」

「分かりました。ではまず、帝国軍の成り立ちからお話ししましょう。

 実を言うと、帝国軍は然程歴史のある組織ではありません。創設されてからの年数で言えば、百年無いと言った所でしょうか。前身の歴史も含めればアレス帝国とほぼ同じ歴史を持つと言えなくもないですが、まあ、その話は置いておくとして。

 百年前、そうですね。具体的に言えば、丁度術式の技術が進歩し、霊力の研究が急速に進んだ頃でしょうか。


 当時の皇帝、第十九代、先々代という事になりますね。彼が防衛軍、そして霊力研究所という二つの組織を正式に統合し、帝国軍が創設されました。帝国軍には大きく陸軍と海軍という二つの組織があって、陸軍は十個の師団、海軍は八個の艦隊に分かれています。構造としては陸軍と海軍がほぼ同等の権力を持ち、師団や艦隊、大隊、小隊は序数が小さい程高い発言力を持つという形になっています。また霊力研究所は霊力研究開発局と名称を改め、中央政府が直接運営していますね。ちなみに防衛軍は今で言う帝国陸軍の第一から第八師団にあたりますので、僕の所属していた第九師団やセレスさんの所属している第十師団、帝国海軍は完全なる新生組織なんですよ」


 スズミの言葉が途切れてから暫く黙っていたジェンが、はっと目を見開く。


「え? 師団や艦隊、大隊、小隊は序数が小さい程高い発言力を持つ、って事は。ちょ、ちょっと待って下さい。その話だと、メイラ大佐って、まさか」

「ええ。メイラ軍、なんて呼ばれ方もしますけど。正式名称、アレストリア帝国陸軍第一師団所属・第三機動防衛大隊。通称、帝国陸軍第一〇三防衛大隊。まあ、彼女が右と言ったら右を向く人間がほとんどでしょうね」

「うわあ、やっぱり……」


 一生を費やしても遠く及ばないであろう権力を持つ人間に目を付けられたという事実を痛感すると同時に、嘗て彼女へ働いた非礼の記憶が蘇り、思わず両手で顔面を覆うジェン。そんな彼にスズミは、何かあったんですか、と笑った。


「オレ、初めて会った時……。すごく簡単に言うと、あんた誰、って訊きました」

「ハハハ、それは胃が痛いですねえ」


 頭を抱えるジェンを眺めてから、ふと影のある表情を見せ、スズミは再度口を開く。


「少し、関係の無い話をして良いですか」

「え、急に? まあ、良いですけど……」


 怪訝そうな表情をするジェンの横で、スズミがゆっくりと話し始めた。


「さっきまでの話は帝国軍のほんの一部分、耳障りの良い所だけをお話ししたに過ぎません。

 およそ三十年前、正確に言うと、二十──六年前ですか。第二十一代皇帝、つまり今の皇帝陛下が即位されてから間も無く、全てが変わってしまいました。アレス帝国建国直後の北方侵略を最後に行っていなかった侵略作戦を、政府は突如として軍へ命令したんです。最初は『大義無き侵略である』と猛反発が出たらしいらしいのですが、最終的には軍側が折れ、陸軍の第一から第五師団を侵略に特化した師団へ再編成し、作戦を実行しました。それと同時に陛下は国の支出の多くを霊力研究や軍備強化へ回す事を政府へ下命し、瞬く間にアレス帝国は強大な軍事国家となっていきました。


 そして現在いま。友好関係を結んでいた周辺国のほとんどがアレス帝国によって滅亡しました。アレス帝国に対抗し得るような国や民族は、遠方にこそオルテビュラやチェシェリオという大きな国がありますが、国境を越えた周辺には最早存在しません。なのにこの国の軍事力は今も尚、増強され続けています。時折オルテビュラから攻撃を受ける事もありますが、それにしては余りに度が過ぎている。最早、肥大化と言うべきでしょう。それに何より、資金配分の極端な偏重による治世への支出減少、それによって引き起こされた国内の急速な治安悪化。この辺りの実情は僕よりもジェンさんの方が詳しいと思いますが」


 スズミが視線をジェンへ向けた時には、彼の顔は酷く蒼褪めていた。


「……村の皆が必死に納めてきた税は?」

「人々へ還元されている額は、雀の涙程すら無いでしょうね。ほぼ全てが今も霊力研究や軍事開発に使われていると考えて良いかと」

「じゃあ、貧民街とか、夜の大通りとかの、あのクソみたいな治安も?」

「貧民街や大通りに接続する路地裏の治安の悪さは現皇帝の即位以前からあったようなので何とも言えませんが、夜の大通りの歓楽街化に関しては完全にそうですね。国内の治安悪化を犯罪組織の台頭という形で最も顕著に反映しています」

「……──あの人が、全部」


 辺境の村に生まれ、シュダルトで「ギルド」の依頼として数々の悪漢を相手取ってきたジェン。過去の経験の因果が完全に繋がってしまった現状を受け、彼は皇帝に対して憎悪すら抱けず、只々戦慄する他無かった。


「…………」


 様子を見兼ねたスズミが、ふと表情を緩める。


「話は変わりますけども。陛下について、何か印象に残った事はありますか」

「は……?」


 思いがけない質問に、ジェンは困惑の色を見せる。


「正直な感想で良いんですよ」

「…………」


 答える事を些か躊躇ったジェンだったが、意を決したように口を開いた。


「新参者のオレが、こんな事を言って良いのか分かんないですけど。優しい人なんだな、って思いました」

「と、言いますと?」

「皇帝って、この国を治めている人で、一番偉い人じゃないですか。だから末節の人間の事なんて見向きもしない、と言うか見向きしている暇なんて無いと思ってたんです。でも、あの人は入隊してまだ二日も経ってないようなオレの事を知っていた。それどころか一人一人がどんな人なのかをきちんと把握して、その上で励ましの言葉を掛けるなんて、並大抵の気遣いじゃあ無理ですよ。


 それともう一つ、袖から見えたあの腕。ちょっと力を入れればすぐに折れそうなくらい、白くて細い腕でした。でもそんな腕から出た力だとは思えないくらい、強く手を握られたんです。

 具体的に何故、と理由を聞かれても、上手く答えられる自信は無いです。でも、あの人が自分からそんな悪政を敷いてるなんて、正直、有り得ないとさえ思ってます」


 拳を握りしめるジェンの横で、スズミは何処か安堵したような笑みを浮かべる。


「やっぱりそう思うんですね。

「え?」

「その気持ち、どうか忘れないで下さいね」


 呆気に取られるジェンを他所に、スズミは、さて、と立ち上がる。


「ジェンさん、住まいの方はどうされますか? この居住施設へ移ると言うのであれば今すぐにでも手配しますよ」

「良いんですか!?」

「はい。これも大佐から仰せ付かった事ですので」

「マジか。好待遇過ぎる……。じゃあ、お言葉に甘えて」

「分かりました。では、こちらへ。案内しますよ」

「……何から何まで教えてもらって、ちょっと申し訳無い気持ちになってきました」

「いえいえ、どうかお気になさらず──……」




 アレストリア北東部/崖上・夜




 湿った夜風が、木々の間を抜けた。眼下から人の気配が立ち上る。


「さて。対『能力』保持者部隊としての初任務という訳だが。内容は先に説明した通り、この森林地帯を活動場所とする無法者集団の捕縛だ。たかが無法者と侮るなよ。連中、どうやら霊力砲を始めとした、こちらで言う所の術式兵器らしきものを装備しているらしい。それが今回、治安維持部隊からこの案件を回された最大の理由だからな」


 焚き火の煙、その元を見下ろすメイラの背後には、数人の兵卒──全てが「能力」保持者である──が臨戦態勢で控えている。


「以上を踏まえた上で、現刻より状況を開始する。総員、作戦開始!」

「了解!!」


 メイラの号令と共に、彼等は無法者達の居る崖下へ、一斉に飛び降りていった。

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