22,敵勢ギルド拠点/食堂・午後


「ふぁあ……」


 大きな欠伸を一つして、リゼルは机の上の資料を取り上げた。そこに、二つのカップを持ったフェリーナが台所から現れる。


「一対一で報告をするのは良いけど、貴方、相当疲れてるでしょう? 一眠りしてからでも良いのよ?」


 自身の向かい側へ座ったフェリーナに、リゼルは疲れきった顔で笑みを作って見せた。


「あは、まあね。でもちょっと、特にハクアの前じゃあやりづらかったりするからさ。寝てる内に、色々と済ませちゃおうと思って。それに、気になる事が多過ぎて寝ようにも寝れないよ」


 そう言って、結構な厚さ──ちょっとした専門書程もある──の紙束に目を通し始めたリゼルを前に、フェリーナは少々呆れたような笑みを浮かべる。


「はい、どうぞ。そう言うと思って、淹れておいたわ」


 そして、リゼルに珈琲の入ったカップを差し出すのだった。


「え、ああ。ありがと」

「ふふ。程々にしなさいね」


 数十分後。


「……──って感じ」


 一通り依頼の報告をし終わったリゼルが、ふう、と息をつく。


「んで、そのルシュク君の言ってる事が本当なら随分と調べ甲斐がありそうだなあ、なーんて、軽い気持ちで『ギルド』に資料を申請したらこの量が来た、ってワケ。幾ら緊急性が高くたって、一人当たり金貨三十枚はやり過ぎだとは思ってたけどさ。まさか秒で片付いた盗賊が、実は治安維持部隊直々に『ギルド』へ拿捕の協力要請が出てるくらいヤバい連中でした、なんて思いもしなくて。

 でも、この量に見合う分の取れ高はあったよ。結果から言うと、ルシュク君の全く言う通りだった」


 そして傍らに置いてあった数枚の紙を手に取り、フェリーナへ差し出した。


「そこにも纏めた通り、今回僕等が相手にした奴等はカシラって呼ばれてる男を筆頭とした、一つのだったよ」

「犯罪組織……?」


 フェリーナの表情が、手に取った資料を目にした事で険しくなっていく。


「……成程。そもそもの盗賊的な活動自体、彼等にとっては表側の顔に過ぎなかった、という事かしら」

「そういう事になるね。主な犯罪行為は不正取引。アレストリアで手に入りづらい鉱石とか宝石、貴金属なんてものから、挙句の果てには身寄りの無い子供まで、とんでもない額で売り捌いてたみたい」

「子供? 不正取引には人身売買も含まれていたという事かしら。でもそこまで派手に動いていたら、治安維持部隊が黙っていない筈よね?」

「そこでさっき言った燐鉱の出番だよ。はいこれ。線引いた所、読んでみて」


 リゼルから手渡された資料へ、フェリーナは隅々まで目を通していった。


「『黄燐は燐鉱に含まれる燐の主成分である。大蒜にんにくに似た刺激臭有り。単体でも非常に毒性が強い他、空気に触れると室温で自然発火し、腐食性のある有毒な気体を生じながら激しく燃焼する。保存の際は必ず水中で保存すること』。

 ……まさか。不正取引で仕入れた燐鉱を予め取って置いて、治安維持部隊が追って来た時、それに火を付けると脅す事で追跡を逃れていたと言うの?」


「うん、多分ね。何だったら脅しさえ必要無いよ。逃げてるように見せかけつつ誘導して、その先で燐鉱を燃やせば良いんだから。

 やってる所をこの目で見た訳じゃないから、絶対にそれが正しい、とは言い切れないけど。でも実際やられかけたし、そもそも燐鉱自体アレストリアじゃあほとんど採れないから、仕入れが完全に交易頼りなんだよね。抜け道なんて幾らでもある。

 それにその『有毒な気体』ってヤツ、エーティに訊いたんだけど、対人有毒物質耐性が(Ⅳ)あっても大量に吸い込めば重症になるくらいの毒性なんだって。今の帝国軍の技術だと、一般化術式で発揮出来る対人有毒物質耐性の強度は(Ⅲ)までが限界だから、そんなものを無闇に焚かれる可能性が高い上に何処に隠し持ってるか分からないって時点で、治安維持部隊は実質お手上げだよ」


「その賊からしてみれば、治安維持部隊に対して一方的に有利になれる最高の品物、という訳ね。でも、ラルフ君はその燐鉱の存在にどうして気付けたのかしら?」


 フェリーナに疑問の視線を向けられ、リゼルは唸った。


「うーん。そこはちょっと本人に訊いてみないと分からないなあ。でもまあ、臭いと火矢で気付いたんだと思うよ、多分。

 さて、連中について話せる事はこれくらいかな。ここからはシンの注文オーダーの話なんだけど──……」


 リゼルが言いかけた、その時。


「やっとアタシの出番ね」


 居間のソファから、うーん、と、伸びをする声がした。


「あら、シン。起きていたのね」

「まあね。何だったら三人が帰って来た時くらいから起きてるわよ、アタシ」


 声の主──シンはソファから飛び起きると二人のいる食堂へと歩いて行き、フェリーナの隣の椅子へと腰を下ろした。


「話は全部聞いてたわ。続きからで大丈夫よ。つーかアンタ、研究者根性も大概にしなさいね。報告終わったらちゃんと寝るのよ」

「分かってるよ。でも珍しいね、シンがこの時間帯に酔っ払ってないなんて。何時もじゃあ空になった酒瓶片手に千鳥足なのに」

「うっさいわね。偶には良いでしょ」


 ぷいと外方そっぽを向くシンの横で、フェリーナが笑みを浮かべる。


「ふふ。シンったら、帰って来るアイツ等の前でへべれけになってるのは申し訳無い、なんて言って、今日は酒気の類は一滴も飲んでないのよ」

「え、何それ。今夜は嵐になるかも?」

「まあ、それは大変。飛ばされないようにしなくちゃ」

「アンタ等ねえ……!!」


 顔を真っ赤にするシンに一頻り笑ったリゼルは、珈琲を一口飲んでから、真剣な表情で彼女を見た。


「『ラルフ・バンギュラスとハクア・ガントゥの戦略的相性の評価』の件だけど。報告書まだ作ってないから、今は口頭で勘弁してね。まず、個人の総評から。


 まずはラルフ。ネフィ邸での身振り素振りから何となく察しは付いてたけど、隠密的な身の熟しが得意みたい。精度で見ればシンと同格くらいだ。

 今回、二人の作戦か何かで最初はハクアが盗賊を説得しようとしてたんだけど、すごいよ、彼。何の遮蔽物も無い所で何処に隠れるのかと思ったら、ハクアの真後ろ、前から見たら丁度死角になるぴったりの所に隠れてるんだもん。女に目が無い賊達がハクアに視線を集中させてるのを抜きにしたって、神憑り的って感じだったね。あれは普通に気付けないよ。


 後、身体能力も当然高かったけど、何より洞察力が鋭かった。さっきも話したけど、そのお陰で例の燐鉱に火を付けられるのを防げたからね。

 『能力』に関しては、電撃を伴う『能力』って時点でかなり強力だし、本人もきちんと制御出来てるし、特に言う事は無いんだけど。でもやっぱり、あの少ない霊力量がどうしても弱点になってくるかな。今回の怪我、実質それが原因だし」


 怪我と聞いたシンが、ふと思い出したように医務室の方を向いた。


「そう言やアイツ、帰って来た時エーティに、んな事するバカが居るか、とか文句言われながら医務室に連れてかれてたわね。

 ……身体強化無しで火矢を掴んで握り消す、だったかしら。エーティがそう言う気持ちも分かるわ。ラルフアイツ、あんな賢そうな見た目しといて意外とバカなのね……?」


「状況が状況ってのもあったからね。まあ僕だったら思い付いてもやれるだけの行動力が無いから出来ないと思うけど。

 ってなワケで。お察しの通り、ラルフの短所はさっきも言った、自力じゃあ身体強化すら出来ないくらいに少ない霊力量、外部からの霊力供給にほとんど依存した『能力』の発現、そして果敢過ぎる行動力、この三つ。前の二つは一応その場凌ぎの解決策があるけど、今は関係無いから報告書と一緒に纏めておくよ。後の方はまあ、兄さん程酷くない事を願いたい所だよね……」


「そこに関しちゃどうであれ、基本的にレギンと一緒って事じゃない。エーティに掛かりっきりになる未来しか見えないんだけど」

「それは思う」


 リゼルの兄──レギンの戦う様を思い浮かべ、シンは溜息をつき、リゼルは呆れ気味に笑うのだった。


「次はハクアだね。身体能力と霊力に関しては文句無し。『能力』を持つ人間で帝国軍人を考えないとすれば、まず間違い無く最強の部類に入るんじゃないかな。例の黒い生命体を一人で迎え撃った時もそうだったけど、まず霊力量が尋常じゃない。霊力の放出だけで風圧を生めるってだけで、正直とんでもないよ。知ってる人間で他に出来そうな人なんて、兄さんくらいしか思い付かないし。ちなみに僕も頑張ればギリ、って感じだけど、そんな事した瞬間に全快の霊力量の三分の一くらい持ってかれるから実質ムリだね。

 短所らしき短所は無かったけど……。まあ強いて挙げるとすれば、あの優しい性格かな。悪い事じゃないのは確かなんだけど、その、何て言えば良いんだろう──……」


「ええ、分かるわよ。アンタの言わんとしてる事。

 ありがちな、世の人間は全員が根は善人、みたいな考えの持ち主、ってワケじゃない。どう頑張っても、あらゆる意味で救えない人間が存在する、って事を理解してないワケでもない。その上で、それでもハクアアイツは誰かを分け隔て無く、同じように助けようとする。だって、自分から死のうとしてたあの偽イカれ野郎ネフィにすら手を差し伸べたのよ、アイツ。


 人殺しを請け負う事だってザラにあるアタシ達『敵勢ギルド』で、あの強さを持ちながら一貫してそんな態度を取り続けられる、しかも精神的な破綻が無いなんて、最早そんなものは甘さや未熟さなんかじゃない。誇るべき強さよ。

 でもこれから先、アイツの優しさを利用しようとする奴等は絶対に現れる。踏み躙ろうとする人間だって、居たって何もおかしくない。そんな連中を相手にしなきゃならない時、アイツのあの性格は、確実に致命的な弱点になる。

 ……それでも、アイツにはそのままで居て欲しいと思うアタシは、きっと罪深いんでしょうね」


 俯き黙るシンの横で、フェリーナが無言で手帳にペンを走らせている。そして一通りの事を書き終わり、机にペンを置いた。


「私は皆の戦う様を見ている訳では無いから、今まで黙っていたけれど。とは言え、ハクアについては一度見ているから一応、言わせてもらうわね。

 シンの言った、あの強さを持ちながら一貫してそんな態度を取り続けられる、というのは多分、強大な力を振りかざすような真似をしない、って事を言っているのでしょうけど、私はその逆。あの子の優しさは、あの圧倒的な強さに裏打ちされたものだと思うわ。その土台が崩されない限り、彼女の善性が軋む事はまず無いでしょう。


 ただ一つ脆弱な点があるとすれば、彼女がまだ十七歳である事かしら。あらゆる経験が足りない分、土台が崩れてしまう可能性はまだ十分にある。一度そうなってしまえば、完全に元通りになる日は二度と来ないでしょうね。シン。もし貴女がそれを回避したいと願うなら、貴女自身が何か行動を起こすしか無いわよ」

「…………」


 顔を上げないまま、シンは眉間に皺を寄せる。沈黙が食堂を包み込み始めた頃、些かやりづらそうにリゼルが声を上げた。


「……まあ、取り敢えずその話は置いとこうよ。個人の総評を踏まえての、二人の戦略的相性なんだけど。

 殲滅力で言ったら、まず間違い無く『敵勢ギルド』最強格だね。その場その場の状況に合わせて臨機応変に動けるラルフと、超火力で一気に敵を薙ぎ倒せるハクア。ハクアの広範囲な攻撃の粗をラルフが上手く補填して、丁度良い具合に均衡がとれてる。極端な話、仮に相手が帝国陸軍でも、小隊規模であればまず負ける事は無いかも」

「そう。ありがとう、リゼル」


 フェリーナが笑うと、リゼルはカップに残った珈琲を一気に飲み干し、手早く資料を纏めて立ち上がる。


「報告は以上かな。報告書は明日の夜までに作っとくよ。僕、今日はもう寝るからね」

「分かったわ。ゆっくり休んで頂戴ね。お疲れ様」

「うん……おやすみ……。ふあぁあ…………」


 そして大きな欠伸をし、眠い目を擦りながら自室へと通じる廊下のドアの向こうへと消えて行った。


「ふふ。おやすみなさい。シン、貴女はこれからどうするの?」


 手帳を閉じて席を立ち、フェリーナは机へ頬を付けたシンを見る。


「……考えたい事があるから、もうちょっとここに居るわ」

「そう。じゃあ、紅茶を淹れておくわね」

「ん。ありがと」


 リゼルと自身のカップを持って台所へと消えていくフェリーナを見遣ってから、シンは居間のソファへと向かい、そこへ横になった。


「紅茶、入ったわよ」

「そこ、置いといて」


 静かに流れる時間。ソファの背凭れに顔を向けたまま黙るシンに、フェリーナが笑いかける。


「気掛かりなのね。ハクアの事」

「……そりゃあね」


 フェリーナに顔を向けないまま、シンは一つ、溜息をついた。


「ねえ、フェリーナ。リゼルの報告の中にルシュクって子、居たじゃない」

「ええ」

「その子、どうなると思う?」


 どうなる、ねえ、と呟いたフェリーナは、暫く考え込んでから口を開く。


「身柄は治安維持部隊へ引き渡された訳だから、そうね。親元を見つけ出してそこへ帰るか、或いは──……」


 ここで、フェリーナの双眸が見開かれる。


「ふふ、気付いた?

 リゼルの言ってた事が事実なんだとしたら、恐らくルシュク君の親は二度と現れない。もし見つけ出したとしても、引き取りは拒否されるでしょうね。じゃあ、ルシュク君は何処へ行くか。と言っても、行き先なんてもう一つしか無い。

 ────帝国軍よ」


 フェリーナが眉を寄せた。


「帝国軍への志願は十八歳から。士官学校へだって十五歳からでしか入学出来ない。でも、ルシュク君は多く見積もっても十三、四歳という話だった筈。

 ……まさか、暗殺部隊?」

「そ。実例が居るでしょ、ここに。帝国陸軍第十師団、隠密大隊。通称、暗殺部隊。隊員の四割が十五歳未満、二十歳未満ともなれば九割越え。年端も行かない子供が大隊長の指図一つで消耗品扱いされる、ドブよりも最悪な部隊よ。

 どうして子供を起用するか? 洗脳を施しやすいから、なんてただの建前。信じられる? その大隊長、子供が悶え苦しむ様を見て興奮する、っていう自分の異常性癖を満たす為だけにあの部隊を創設したって言うのよ? よく九年も生き残ったわよねえ、アタシ」


「その大隊長っていう人は、例の?」

「ええ。例も何も、あそこまで悪趣味全開な人間なんて古今東西、見た事無いわ。アレグリア・スファロウス。七年前、アタシの腹に穴開けやがったクソ野郎よ。

 ……そんな女の部隊にルシュク君が放り込まれるって話をしたら、ハクアアイツは一体どんな顔をするでしょうね」


 暫くの沈黙の後、フェリーナはシンを見据えた。


「確かに、それは痛ましい事だとは思うけど。でも現状、私達がその子に対して出来る事なんて精々、祈るくらいが限界でしょう。それを無下にしろとは言わないけれど、貴女も含め、私達にはもっとやるべき事がある筈よ」


 毅然とした言葉を聞いたシンは笑みを浮かべ、ソファから飛び起きる。


「知ってるわよ、そんな事。回避したいと願うなら、貴女自身が何か行動を起こすしか無いって、アンタがさっき言ったんじゃない。だから考えてたの。んで、今アンタと話して考えが固まったわ」


 温くなった紅茶を一気に飲み干し、シンはうん、と伸びをする。


「そう。良い結果になると良いわね」

「ええ。意地でも良い結果にしてやるわよ」


 そう自信有り気に笑うシンの横顔を眺め、フェリーナは目を細めるのだった。

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