23,敵勢ギルド拠点/裏庭・午前


 陽光の降り注ぐ、夏の午前。徐々に強くなってゆく日射しを受けた白い外壁が、些か眩しく見える。

 そんな拠点の裏庭に、シンが仁王立ちで立っていた。


「……ってなワケで。今からアンタに『戦い方』を伝授するわ」


 そんな彼女の目の前には、


「はいっ! 宜しくお願いします!」


 太陽にも負けない笑顔で敬礼するハクアと、


「えーっと。オレ絶ッ対関係無いよな、これ?」

「私も、何故呼ばれたんでしょう……?」


 訳も分からぬままシンに引っ張られて来たエーティとユーリアが立っている。


「て言うかお前、報告書大丈夫なのか?」

「大丈夫、ちょっと見るだけだから。そう言う兄さんこそ、また怪我したみたいだけど大丈夫なの?」

「あー。ちょっと肩に穴開きかかったけど、まあ概ね大丈夫だ」

「いや待って。全く大丈夫じゃないよね、それ」


 そしてその傍らには、完全に野次馬と化しているレギンとリゼルが、裏口の扉の陰から三人を見ていた。


「アンタ等、嘗てアタシに教わった身として、コイツに何か言ってやりなさい」

「は? 何だそりゃあ」


 意味が分からん、とエーティが眉を寄せる。


「まあ、確かに言われてみれば。私達、ハクアさんの先輩ですよね。この『敵勢ギルド』に入ったのも、シンに戦い方を教わったのも、私達が先なんですから。

 先輩としてハクアさんに言う事、ですか。うーん、そうですね。

 大丈夫です。運動音痴な私でも、護身程度までは出来るようになりました。シンは教えるのがとっても上手いので、練習すればすぐに上達しますよ!」

「ハクア相手にそれ言うか?」

「あっ。そうでした……」


 笑顔でハクアを激励する筈がエーティに突っ込まれ、ユーリアは気まずそうに肩を窄めるのだった。


「ほら、アンタもさっさと何か言いなさい。早く」

「そう言われてもな。何か言う事、言う事ねえ……」


 シンに急かされるも、肝心の文言が何も思い浮かばないエーティは、うーん、と唸る。


「……死ぬなよ?」

「そこまで考えて出て来る台詞がそれってアンタ、喧嘩売ってる?」

「いや別に? オレ自身の体験を基に言っただけっすけど」


 面倒臭そうに頭を掻くエーティに溜息をついてから、シンはハクアへと向き直る。


「まあ良いでしょう。そんじゃ早速、始めるわよ。手加減なんてしないから、覚悟なさいね?」

「うん、頑張るよ! 二人共、ありがとう!」

「良し。じゃあ始めに、霊力操作と『能力』の出力調整から見ましょうか。

 ハクア。まずあの的に向かって、全力で『能力』を撃ってみなさい」

「ここからで良いの?」

「ええ。一応言っとくけど、直接殴りに行っちゃダメだからね?」

「うん、分かった!」


「……何か御役御免みたいなんで戻りますよー、っと」


 二人で話し始めたシンとハクアを見て、エーティは欠伸をしながら踵を返した。それに続くように、ユーリアも彼と共に裏口の方へと戻って行く。


「結局これの為だけに連れて来られたの、オレ等?」

「そういう事だと思います。でもハクアさん、頑張るって言ってましたし、良かったです」

「まあな。でもシンのヤツ、ハクアあいつに今更、一体何を教える気なんだかな。……ん?」


 ふと前へ目を向けたエーティは、リゼルが何やら慌ててレギンの背を押している事に気付き、眉を寄せる。


「兄さんは中入って、早く!!」

「え、何だよ急に……」

「良いからッ!!」


 レギンを拠点の中へと強引に押し込んだリゼルは、術符を足元の石畳へ叩き付けた。その様に、エーティの眉間が更に寄る。


「あいつ、何やってんだ……?」


 そう呟いて、エーティがリゼルに話し掛けようとした、瞬間。


 彼等の背後へ、ごう、と、強烈な熱風が吹き付けた。


「きゃっ!?」

「おわッ!? ……!!?」


 何事かと振り返った、その先の光景に絶句するエーティ。

 もくもくと立ち上る白煙。先程まで青く茂っていた芝の一部が焦げ、しゅうしゅうと音を立てている。


「良かったあ、間に合った……」


 溜息交じりに言ったリゼルは、石畳から手を放す。そしてつかつかとエーティとユーリアの横を通り過ぎ、びし、と音がしそうな程に前方を指差した。


「あのさあ、昨日報告した時に言ったよねえ!? 裏庭でハクアの『能力』全開にさせるとか、拠点が燃えるわバカ! って言うかそもそも、あの黒い生命体の身体を『能力』だけで消し飛ばしてる時点で察してよ! 僕がちょっとでも術式張るの遅れたら、本ッ当に只事じゃなかったんだからね!? ……って、あれ?」


 肝心のシンからの返事は一切無く、リゼルは彼女に向けて指している筈だった指をゆっくりと下げる。


「…………」

「…………」

「…………」


 三人共々、お互いの顔を見合わせてから、数秒。


「エーティさん、シンの安否を!!」

「ヤバい!! 返事が無いはヤバいって!!」

「分かった、分かったから押すなって」


 二人から背中を猛烈に押され、エーティは視界の晴れつつある現場へと半ば強制的に向かわされるのだった。


 歩数にして、およそ十五。エーティが目にしたのは、倒れ伏すシンとその横でやや挙動不審におろおろとした様子のハクアだった。

 エーティが現れた事に気付いた彼女は、涙目で彼を見上げる。


「え、エーティ。どうしよう、シンが起きない……!!」

「まあ落ち着け。おーい、生きてるかー?」


 その場にしゃがみ、エーティはシンの頬をぺちぺちと叩く。すると。


「う、うーん……。ッ!?」


 突如として目を見開いたシンは、凄まじい速さで両手両膝を付いて起き上がった。


「…………」

「大丈夫かー、固まってるぞー?」


 起き上がったまま微動だにしないシンの前で、エーティがひらひらと手を振って見せる。暫くして、二度ゆっくりと瞬きをしたシンは、徐に口を開くのだった。


「……久し振りに死を覚悟したわ」

「だろうな」

「うわーん! シンんんんんんん!!」


 シンの無事が分かった途端、目を潤ませたハクアが彼女に抱き付く。


「ちょっ!? や、やめなさいよ、暑苦しい!」

「良かったあ、良かったよお、うえぇええ…………」

「分かったから、離れなさいっての! ったく、どうなってんのよコイツの腕力!」


 シンがその頭をぐいぐいとかなり強めに押し退けようとするも、ハクアはシンにくっついたまま、びくともしないのだった。


「あー、ハクアさーん。くっつくのは後にしてもらって良いっすかー?」

「……うん」


 ぐすぐすと鼻を啜るハクアが漸くシンから離れ、エーティはシンの全身を一様に見る。


「あれ、服と髪が多少焦げてるくらいで、がっつり火傷してる箇所は無えな」

「当然でしょ。速攻で『能力』全開にしたわ。ま、防ぎきれなかった分をモロに食らったお陰でこの通りだけどね。アタシ、高温耐性無いから」

「成程。何処か痛む場所は?」

「肩が若干ひりひりするけど、それ以外は特に無いわ。ありがと」


 服を二、三度手で払い、シンはその場に胡坐をかいた。


「シン、大丈夫ですか!?」

「ええ。まあ、何とかね」

「ああ、良かったです……!」


 駆け寄って来たユーリアを軽くあしらいつつ、シンは何やら只ならぬ気配を帯びてこちらへと歩いて来るリゼルを見上げた。


「いやあ、無事みたいで何よりだよ、シン。ところで、ハクアに全力で『能力』を撃て、って言ってたような気がしたけど、気の所為? ちなみに返答次第ではちょっと痛い目に遭ってもらうかもよ」


 リゼルの右手に展開される術式に、シンは浅く息を吐く。


「ええ、悪かったわね。まさかあの火力を瞬間的に出せるなんて思わなかったのよ。お灸でも何でも据えなさい」

「うっ。そう言われると逆にやりにくい……」


 気まずい顔のリゼルが展開していた術式を消した、直後。裏口の扉が開き、中から大きめの籠を持ったレギンが現れた。


「お、何だ。大した怪我もしてねえな、シン」

「兄さん! 何、その籠?」

「フェリーナから差し入れだってさ。ほれ」


 シンの目の前に籠を置き、レギンは芝生の上へと腰を下ろす。


「曰く、こうなる事は想定済みだったんだとよ。だからもっと広い場所でやったら良いんじゃないかって、昼飯を詰めたんだってさ。折角だし、二人でどっか行って来たらどうだ? 特にシンは任務からまだ一度も外、出歩いてないだろ?」


 レギンの言葉を受け、シンは籠を少々見つめてから、すっくと立ち上がった。


「……そうね。こんな所でコイツの鍛錬とか、明日までには確実に拠点が消し炭になってるわ。

 ほらハクア、どっか適当な場所に行くわよ。森の中なら誰も居ないだろうし、丁度良いじゃない」

「うん、良いよ……。うええ……」

「ってアンタ、まだ泣いてんの!? いい加減泣き止みなさい!」

「だって、私の所為でシンが焦げちゃったんだもん……」


「はあ? 何そんな事でベソかいてんの! 大体、このアタシがアンタ如きの『能力』でくたばるワケ無いでしょ!? それに、さっきの一撃で分かったわよ。アンタ、『能力』の出力調節、苦手どころか全く出来ないでしょう!? 現状、アンタの火力はイチゼロかの二択しか無いのよ!! 良い、細かい調節が出来るまで依頼だろうが任務だろうが一切行かせないわ! 意地でもマシュマロをこんがり焼けるようにしてやるんだから!!」


 未だに目元へ涙を浮かべるハクアの頬を容赦無くつねるシンの姿に、その場の皆が笑みを零す。

 南へと昇る太陽を遮る雲は、一つも無い。




 アレストリア東部/日の当たる森・昼




 風に揺れる枝葉の音が心地良い、昼。空を特大の炎が舞う。


「うーん、見事に全然ダメね。一朝一夕じゃあ無理か、そりゃあ。

 ……良し、そろそろお昼にしましょう」

「うん! お腹減った!」


 森に穴が開いたかのように木々の無い草原へ居たシンとハクアの二人は、幹の根元に出来た陰の下に腰掛ける。


「さて。フェリーナからの差し入れは何かしら……?」


 シンが籠の蓋を取って角の結ばれた布を解いて広げた、その中には。


「おおー……」

「わあ、美味しそう!」


 色取り取りの具材を挟んだ白い麺麭パン──所謂、サンドイッチという物──と瓶に入った紅茶、そして木製のコップと手拭きが二つずつ入っていた。

 目を輝かせてサンドイッチに手を伸ばそうとするハクアだったが、その手を払ったシンが手拭きを彼女に渡す。


「コラ。こっちが先でしょ」

「へへ、はーい」


 ハクアは少し照れ臭そうに笑い、受け取った手拭きを広げるのだった。


 籠の中のサンドイッチを、二人で半分程食べ終えた頃。シンがふと口を開く。


「思ったんだけど。アンタ、霊力の放出範囲とか方向とかの調節は普通に出来るのに、何で出力の調節だけ極端に出来ないのよ?」

「────、──────────!」

「悪いけど、何言ってんのか全ッ然分かんないわ」

「──……」


 それもその筈、ハクアはサンドイッチを頬張ったまま、口を閉じつつ声を発しているのだ。内容を察せる人間の方が稀と言うものである。

 困った表情のハクアは、手に持っていたサンドイッチの残りを口に放り込み、


「…………。………………!」


 身振り手振りで内容を伝えようとするものの、


「……進展、ゼロね」


 シンには全く通じないのであった。

 もぐもぐと口を動かしながらしょぼんと肩を落とすハクアに、シンは笑みを零す。


「全く、食べ終わってからで良いわよ。はい、お茶」


 並々と注がれた紅茶をサンドイッチと共に飲み干したハクアは、ふう、と息をついた。


「えっとね。実は私、その出力調節ってやつ、一回もやった事無いんだ」

「は? ウソでしょ? 何でよ?」

「する必要が無かったから、かな。森の中に住んでた時、あの黒い生き物に襲われる事が沢山あったんだ。あれ、すごく強いから、何時も全力で戦ってた。最初は出せる力はどんどん出して戦ってたけど、たまに襲われてる人が居たから、その人達を助けるようになってからは、私の攻撃に巻き込まないように、ずっと意識してたよ」


「成程。あの化け物を一人で片付ける為に、火力に特化した戦い方をずっとしてきた、ってワケか。まあ、確かにそうなるわよね。あんなのに手加減出来るようなヤツが居たら、是非とも御目に掛かりたい所だわ。少なくともアタシには無理だし」


 肩を竦めたシンは、自らのコップに注いだ紅茶を一口飲んだ。


「……ねえ、アンタさ」


 そして、やや沈んだ声でハクアに問う。


「責めてる訳じゃないけど。もし、目の前に、どうしようもなく極悪非道な人間が居たとして。ソイツが自分に襲い掛かってきたとしても、なるべく傷付けたくない、って思う?」

「うん、思うよ」

「……そう」


 さあ、と、木陰に風が吹き抜けた。


「……私ね、『敵勢ギルド』に入るまでずっと森の中に居た訳じゃないんだ。大通りにだって何回も行ったし、あの、貧民街? ってとこにも行った事あるんだよ。

 そこでね。一回、男の人が女の人の髪の毛を掴んで、大声で怒鳴りながら女の人を殴ってるのを、見た事があるんだ。そしたらその女の人、隠してた小さい銃で男の人を撃って殺しちゃったの。その後、あの女の人がどうなったかは知らない。

 ……すごく、怖かった」


 目を伏せたハクアは、話を続ける。


「きっとああいう人達は、人でなしだ、って皆に言われる。もしその人が、助けて、って言ったとしても、そんなの自業自得だって、皆に見放される。誰が悪いとか、悪くないとか、そういう事じゃないのは分かってるよ。そうなる事は普通で、理由なんて考えるだけ無駄なんだと思う。


 でもね、それでも私、無かった事になんて出来ないよ。やっぱり、どれだけ悪い人だったとしても、助けた方が良いと思うんだ。確かにその人を助けても、また同じ事を繰り返すかもしれない。でも、もしかしたら将来、変われるきっかけにその人が出会えるかもしれないでしょ。だったら助けなくっちゃ。どんなにちっぽけな可能性でも、私はそれを信じたいんだ」

「────ッ」


 穏やかに笑うハクアの横で、不意にシンが自身の口元を手で押さえた。


「? どうしたの、シン?」

「ふふ、ふふふ。アッハハハ! 何、もしかしてアンタ、世の中のどんなクズ共にだって価値があるって言いたいワケ!? ふふ、まさかそんな事を本気で言う人間ヤツがまだこの世に居るなんてね! アハハハハハハ!!

 ……はあ。リゼルから盗賊のガキを泣いて慰めたって聞いた時から何となく察してたつもりだったけど。いやー、予想以上ね。フフフ」

「……やっぱり、おかしい?」


 目に見えて悄気しょげるハクアの前へ向き合うように座り直したシンは、ぽん、と彼女の頭に手を置いた。


「そんな訳あるもんですか。もしアンタを馬鹿にするような奴が居たら、一撃でブッ飛ばせる自信があるわよ、アタシ。


 ……良い、これから言う事を絶対に忘れないで。アタシ達『敵勢ギルド』は、名前こそそれらしく名乗ってるけど、実態は只の無法者集団。認知されてないってだけで、帝国に仇なす存在なのは言うまでもない。『敵勢ギルド』にはね、誰かを傷付け続けなきゃ生きられなかったり、誰かを傷付けなかったら今頃死んでたりするような、そんな人間しか居ないわ。ラルフはそこら辺どうなのか知らないけど、『敵勢ギルドここ』創設したマスター、ゼドって言うんだけど、ソイツも、フェリーナも、レギンも、リゼルも、エーティも、ユーリアも、アタシも、皆そうよ。


 でも、アンタは違う。アンタは今までも、今も、誰も傷付けてない。それがになる為には、自分の心を信じ続ける、っていう強さが絶対必要になってくる。盲信しろ、って言ってる訳じゃないのよ。どんなに苦しくても、つらくても、絶望しても、堂々と胸を張れるくらいに考えて悩み抜いたその上で、自分が正しいと信じた道を進み続ける強さ。並一通りの人間にはとても無理よ。でも、アンタなら出来る。きっと出来る。


 ……子供の頃の傷が癒えないまま、大人になるしかなかったヤツを救えるのは。アンタみたいな人間しか居ないのよ」


 一瞬唇を震わせたかのように思えたシンだったが、すぐさま何も無かったかのように元の場所へどっかりと座り直す。


「さて、時化た話はここで終わりにしましょ。全部食べ終わったら少し休んで、そっからまた始めるわよー。ま、やる事はさっきと変わらないんだけど──……」

「……──よ」


 俯いたハクアが、唐突にシンの両手を取った。


「強くなるよ、私。強くなるから。だから、だから……!」


 彼女の声が、徐々に涙声へ変わっていく。


「…………」


 暫く呆気に取られていたシンだったが、やがて目を細めると、


「痛いっ!?」


 ハクアの額を指で弾いた。


「ったく。一々泣き過ぎなのよ、アンタは」


 額を押さえるハクアへ、シンは笑みを向ける。

 それは普段粗暴な挙動の目立つ彼女のそれとは思えない程、優しく穏やかなものだった。

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