21,鉄鋼の町ハークト/石炭搬入用トロッコ専用線路分岐点・未明
樽の上に立つラルフの頭上へ、光の尾を引いて落下する物体が三つ。火矢である。
樽の中には何時発火してもおかしくない燐鉱が入っている。そんな代物に火矢を撃ち込めばどうなるか。言うに及ばず、といった具合である。
「……ッ!」
もう一度火矢を捕らえるべくラルフが手を伸ばした、その時。
横から飛び出したハクアが火矢を三本、難無く捕らえて着地する。
そして地面に放ったそれをだむだむと踏み消し、地面に降り立ったラルフへと駆け寄った。
「大丈夫!? ラルフ、手が……!」
「問題無い。それより──……」
『はいはい、二人共。さっさとそこどいて!』
各々の子機から発せられたリゼルの指示通り、二人はその場を離れる。直後、トロッコを樽ごと囲う術式が展開され、同時に上空で二人を観察していたリゼルが降下して来た。
「はあ。これで一応は大丈夫。火矢とか人間は勿論弾くようにしておいたし、熱も一定量以上は通さないようになってるから、もし日が出たとしてもそう簡単には発火しないよ。
ま、この中身が本当に燐鉱かどうかは良いとして。……いい加減、往生際が悪いなあ。あんなチンケな矢で僕の術式を破ろうとか、舐めてんの?」
矢が術式に弾かれる様を目にして尚、何やら喚きながら未だに樽へ向けて矢を放つ盗賊を、リゼルが睨む。
「行けそう? 二人共」
「…………」
「うん! あ、でも」
ナイフを握るラルフの両肩を押し、ハクアは彼に向かって笑いかけた。
「大丈夫、ラルフはここに居て」
「……どういう意味だ」
不満そうにハクアを睨むラルフだったが、不意に彼女は彼のナイフを握った手を取り、まじまじと見つめる。
「…………」
「指の間から血が滲んでる。怪我したの、利き手だったんだね」
取った手の甲を優しく撫で、ハクアは申し訳無さそうに笑った。
「ごめんね。霊力で戦えなくなっちゃったの、気付けなくて。気付けてたら、ううん、気付けてなくても、私が最初から捕れば良かった」
ゆっくりとラルフの手を戻し、ハクアは霊力を開放する。
「だから。二人共、そこに居て」
ラルフとリゼルに笑いかけてから、ハクアは火矢を構える男達──数にして二人──と相対した。
それは、瞬きの間の出来事。
踏み込んだハクアは男達の元まで一気に間合いを詰め、両手でその胸倉を掴み、地面へと叩き付ける。
「がはッ!?」
捕らえられたと理解するや否や、片方の男はきっとハクアを睨み付けた。
「……何なんだよ、何なんだよォ!! カシラは一撃で吹っ飛んじまうし、仲間はみんなやられちまうし、矢は全部弾かれちまう!! お前だってそうだ! この距離なら絶対に逃げられると思ってたのに!!
何なんだよ。本当に何なんだよお前等!! くッ、このッ、放せッ!!」
男は藻掻いて抵抗するものの、ハクアの腕はぴくりとも動かない。
「……二人共、大人しくして。皆が使ってる線路を塞いじゃうなんて、こんな事するのはもうやめてね」
ハクアが二人の胸倉から手を放した途端、男──先程まで喚き散らしていた──は即座にハクアと距離を取り、腰に差していた剣を引き抜いた。
「ッへへ、ザマア見やがれ! 何が、大人しくして、だ。俺には
言い終わると同時に、男は大上段に剣を構えてハクアへと駆けていく。
「死ねえええ──────ッ!!」
しかし、ハクアがそのような単純な動きを見切れない筈も無い。振り下ろされた刃を避けてから、彼女は男の手首に手刀を入れ、剣をその手から叩き落した。
「え?」
間髪を入れずにハクアは足を上げ、渾身の踏み付けを剣の刀身へと見舞う。
がん、と鈍い音を立てて、剣はいとも容易く二つに折れ曲がってしまった。
「…………」
見るも無惨な姿になってしまった剣を前に、男は呆然と尻もちをつく。
やがて。
「ヒッ、ひい……!」
俯くハクアはゆっくりと、無言で男に近寄り、
「来るな、来るなァ! バケモ──……」
その両頬を思い切り摘まんだ。
「大人しくしてって言ったでしょー!? ちゃんと大人しくしてて!!」
「うわーっ!?」
「まあまあ、そこら辺にしときなって」
容赦無く上下左右へぐりぐりと男の頬を捏ね回す膨れっ面のハクアの元へ、リゼルが歩み寄る。そしてポケットから依頼書を取り出し、男へと突き出した。
「さて、そこなオジさん。分かってはいると思うけど、僕等は『ギルド』に雇われた人間だ。この依頼に書いてある通り、あっちで倒れてる奴等ごと、今から君達を治安維持部隊に突き出すからね」
「は!?」
リゼルの言葉に、男は目を見開く。
「は、って。当然でしょ。ハークトは元々鉄鋼を生業としてる町。無論、住んでる人達にとって鉄鋼は最大の収入源だし、それが絶たれたとなれば死活問題に速攻で結び付く。そんな町の石炭搬入を止めるなんて、そりゃ高値の依頼が『ギルド』に届くよ」
「それは最初にカシラが言い出した事だ!! 何でオレに言うんだよ!!?」
慌てた様子で弁解する男に、リゼルは呆れて物も言えぬといった様子で大きく溜息をついた。
「僕等に敵対したって事はつまり、君もそのカシラって奴に加担したって事でしょうが。何でオレに言うんだ、って、この状況で君以外、誰に言うんだって話だよ。それとも何。君、実はそのカシラに楯突こうって目論んでた感じの人間なの? ……まあ、それが本当なら、襲撃された時点でさっさと隠れて見てれば良いだけの話で、僕等に矢を射って来るとか、どう考えてもしないよね」
「そ、それはだって──……」
「うるさい。もう黙れ。お前達の身勝手が町一つを潰そうとしたって事、少しは自覚しろよ」
「……ッ!!」
苛ついた声音で凄むリゼルを前に、男の肩がわなわなと震える。そして。
「う、動くなァ!!」
「!!」
突如、男は傍に居た少年──ハクアに捕らえられた、もう一人の盗賊──の首筋にナイフを突き付け、その様をリゼルに見せつけた。
「へ、へへ、分かってんだろ? 下手に動けば、このガキの首と胴体がおさらばするぜ!?」
「やめて。その子を放してあげて!」
「ピーピーうるせえンだよクソアマァ!! 黙ってねえとブッ殺すぞ!!」
「……!」
自らの恐れていたハクアの口を封じた事で精神に余裕が出来たのか、男は先程までの焦燥に駆られた表情とは打って変わり、笑みを浮かべる、が。
「…………」
再度大きな溜息をついたリゼルは、憐みを湛えた目で男を見た。
「会って間も無い人間に毒吐くのも何だけどさ。
……君って本ッ当に視野が狭いよねえ。その子を見習いなよ」
「は?」
リゼルの目線の先──自らの手で捕らえた少年を見下ろした男は、少年が身一つ震わせていない事に気付く。
「……後ろ。見た方が、良いと思います」
少年の言葉を耳にし、男が振り返った時にはもう遅く。
ハクアが男を捕らえている間にその後方へ回っていたラルフは、今出来得る最大出力に引き上げた「能力」を左手──怪我をしていない手──に纏い、男の首を掴んだ。
ばち、と、電撃の弾ける音が響く。
「ギャ────ッ」
小さく、蛙のような悲鳴を上げ、男はその場に倒れ伏した。
「良し。依頼、完了。二人共、お疲れ様」
息をついたリゼルの横で、ハクアが突如、あ、と声を上げる。
「どうしよう! リゼル、私、倒したおじさん達捕まえてないよ!? それにお水もあげてない!!」
あわあわと焦るハクアに、リゼルはふっと笑った。
「大丈夫。倒れてる奴等全員、ちょっと焦げてるだけで大した怪我じゃなかったから。それに全員、術式の中に閉じ込めておいたしね。あいつ等、見た感じ二人に随分とビビってたみたいだったし、起きたとしても、真面に動く気すら起こさないんじゃない?」
倒れ伏し、時折痙攣する男の周囲にも同じように術式を張り、リゼルは伏し目の少年に向き直る。
「まあ、こいつと一緒に矢を射って来たのは不問として。大人しくしてたのは賢明だったと思うよ。君も今から治安維持部隊の詰所に連れて行くからね。暴れたらこいつ等と同じ、術式の中にブチ込むよ」
「大丈夫です。もう迷惑は掛けないつもりですから」
「……そう。じゃ、付いて来て」
小さく頷いてから、少年はリゼル一行の後ろを付いて行った。
アレストリア北部/線路沿いの道・夜明け
一行は無言のまま、南へと線路を下っていく。
現場を発ってからある程度時間が経っているにも関わらず、少年は未だに首を垂れたままである。
その様子を見兼ねたハクアが、ふと少年の隣に並んだ。
「ねえ、君。名前は?」
長く続いた沈黙を破るようにして、ハクアは少年に尋ねる。
「……ルシュク、です」
「私はハクアって言うんだ。ルシュク君、君は何処から来たの?」
「……貧民街です」
「そうなんだね。どうしてあのおじさん達と一緒に居たの?」
「……親に、捨てられたからです」
「そっか。……つらいね」
「…………」
やがて少年──ルシュクの口から、ぽつぽつと言葉が零れ始めた。
「……最初は、親と三人で暮らしてたんです。オレ、実は喘息持ちで。喘息を止める薬が高い所為でずっと貧乏だったんですけど、それでも一緒に過ごしてました。けど一カ月くらい前、朝起きたら親が二人共、居なくなってたんです。ずっと待ってたんですけど、何日経っても帰って来なくて。
一週間くらい経って、喉が渇き過ぎて、家を出たんです。路地裏に居た、同い歳くらいの子達に水を分けてもらおうとお願いしたら、お前なんかにやるもんかって、石を投げられました。喘息が酷くなって、空き家で横になろうと思ったら、丁度そこに身を隠していたカシラに出会ったんです。自分達の仲間になれば食べ物にも水にも、薬にも困らないって言われて、藁にも縋る思いでカシラの仲間になりました。
カシラはオレに惜し気も無く物を食わせてくれました。高い筈の薬も沢山くれました。誰かに優しくされる事が嬉しくて、その時オレ、カシラにずっと付いて行こう、って心に誓ったんです。
……でも、ダメでした。三日前、カシラがオレよりも小さい子供を二人、顔も知らない誰かに渡して、その誰かから大きな麻袋を貰ってたのを見たんです。後でこっそり見てみたら、中身は沢山の金貨でした。カシラは他にも色んな人と色んな物を交換してたみたいで、今まで売ったものとこれから売る予定のものを書いた紙が、分厚い束になって袋の隣に置いてありました。
オレ、あんまり難しい事は分かんないですけど。ああいうのって、不正売買って言う、やっちゃいけない事なんですよね。前に一回、本で読んだ事があります。
……でも。オレには、それを止めるだけの力なんてありませんでした。カシラには生かしてもらった恩がありますし、少し弓を射るのが上手いくらいで、周りの人からも『もやし野郎』って冷やかされるくらい、力も弱いですから……」
ルシュクの声が、小さく震え始める。
「今日だってオレ、カシラがやられたって知った時、投降しようって、皆に言ったんです。でも、お前の言う事なんかって、皆聞かなくて……! 最後の二人になって、これ以上抵抗したって無意味だって言っても、そんな事言ってる暇があったら樽に火を付けろって、それ以上口答えしたら殺すって……!
……分かってます。オレは弱いです。だから親はオレを棄てて家を出て行った。だから路地裏の子達にも見下されて、石を投げられても頭を守る事くらいしか出来ない。だから仲間からも『ビビり』って笑われる。だから大人一人に反抗出来ない。
……だから、最初からオレを売り飛ばそうとしていたカシラにだって逆らえない」
「!?」
ハクアの目が見開かれた。
ぽろぽろと溢れる涙を懸命に拭い、ルシュクはしゃくり上げながらも話を続ける。
「……ハクアさん。オレ、あなたみたいに、もっと、もっと強かったら、父さんにも、母さんにも、迷惑を掛けずに、一緒に暮らせましたか? 周りの誰かと、もっと仲良く出来ましたか? 周りの大人にも、褒められましたか? もっと、ずっと、誰よりも強かったら……!!」
「────ッ」
ルシュクの嗚咽に歯を食い縛ったハクアは、不意に彼の小さな身体をそっと抱き寄せた。
「……!?」
何が起こったか分からない、といった具合にきょとんとするルシュクの頭を、ハクアは優しく撫でる。
「大丈夫、君は弱くなんかない! だって、君はずっと耐えてきた! お父さんとお母さんが居なくなっても、誰かから虐められても、自分が何時か売られる事を知ってても、ずっと、ずっと耐えてきた! そんな事、誰でも出来る事なんかじゃない! 君が強いから出来た事なの!!
…………お願い。君はもう、十分過ぎるくらいに強いから。だから、今まで耐えてきた自分の事を、弱いだなんて。そんな悲しい事、もう言わないであげて」
少しだけ強くルシュクを抱き締めてから、ハクアは彼を放して立ち上がり、涙を上着で拭った。程無くして、様子を眺めていたリゼルが口を開く。
「そこに見える建物の角が、ここら辺一帯を管轄にしてる治安維持部隊の詰所だよ。話は全部付けてある。後は君が行くだけだ。
……ま、実際こんな偉そうな口を叩ける立場には無いんだけど。僕も心が無い訳じゃないからね。もしその話が全部本当なんだとしたら、君には心底同情するよ。でもどんな事情があったにしろ、君が連中の悪事の片棒を担いだのは事実だ。だから、君は。その…………」
「……はい、分かってます。大丈夫です」
涙を拭いたルシュクはこくりと頷いてから、今まで黙って事の成り行きを見ていたラルフの元へ小走りに歩み寄り、向かい合って彼の顔を見上げた。
「あの。右手、怪我してませんか?」
「……?」
ラルフからして見れば、ルシュクが何故そんな事を知っているのか、知っていたとしても何故それを自身に尋ねるのか甚だ疑問ではあったものの、ルシュクは何やら申し訳無さそうに充血した目を伏せる。
「ここに来るまでの間、何回か道に血が垂れてました。それに、見てたんです。あなたがオレの射った矢を掴んだ所。だから、謝ろうと思って。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げ、再度顔を上げたルシュクは、へへへ、と笑った。
「こんな弱過ぎてどうしようもないオレですけど、何時か恩返しさせて下さい。自分で言うのも何ですけど、あなたがオレの矢を止めてなければ今頃きっと、大変な事になってましたから」
「……良いのか、それで」
「え?」
予想外なラルフの返答に、ルシュクは疑問の色を浮かべる。
「……お前。そう言うなって、
「!! ……そうですね。でも、ごめんなさい。今のオレには、ちょっと難しいです。でも、必ず強くなって、何時か御恩を返しますから! だからその時まで、どうか待ってて下さい!」
笑顔を見せるようになったルシュクだが、ラルフは表情を変えないまま彼に背を向けた。
「……それは
間も無く、ルシュクは詰所の扉の前で三人の方へ向き直り、深く頭を下げる。
「皆さん、本当に、ありがとうございました!」
そして、つい数十分前とは打って変わり、何処か意気揚々とした様子で扉の向こうへと消えて行った。
「……帰ろっか」
「……うん」
「……『ギルド』に依頼の解決を報告するのが先だろう」
「はは、それもそうだね。さ、二人共。乗って」
宙に浮かぶ空間遮断術式の上へハクアとラルフ、そして最後にリゼルが乗ってから、彼等は「ギルド」の方へと飛び去って行った。
空が白み、地平線から太陽が顔を出す。
辺り一面を眩い光が照らし出し、その眩しさにラルフは思わず目を細めたのだった。
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