孵化 篇
19,帝都シュダルト/大通り・朝
朝。まだ人の喧騒も少なく、心地良い風が吹き抜ける。
そんな大通りを、北へ向かって歩く少女が一人。ハクア・ガントゥである。ふんふん、と鼻歌を歌いながら髪を揺らして歩く彼女は実に愛らしく、楽しげだ。
暫くご機嫌な足取りのハクアだったが、ふと彼女は目に入った店先の前で足を止める。机の上に敷かれた上質な布の上には、数々の宝飾が並べられていた。
「わあ……!」
その輝きに吸い込まれるようにハクアは身を屈め、色鮮やかなそれらをまじまじと見つめる。
「……何だい」
「綺麗だなあ。これ、全部お婆さんが作ってるの!?」
店の奥から出て来た老婆へ、ハクアは目を輝かせて訊いた。その食い入り加減にやや顔を
「そんな訳無いじゃないか。職人から仕入れた宝飾をただ売ってるだけだよ、あたしゃ。それに言っておくけど、あんたみたいな小娘に売ってやるものなんて無いからね」
「そんなあ、何で!?」
老婆から衝撃的な一言を受け、ハクアは困惑の視線を老婆へ向けた。
「大体あんた、いくら持ってるんだい。全部出して見せな」
「お金の事? それなら……。はい、これで全部」
ハクアが何やらごそごそと上着のポケットから取り出し、老婆の前へ置く。彼女が手をどけた先の硬貨を見た老婆は、ゆっくりと首を横に振った。
「あんた、銀貨三枚しか無いじゃないか。こんなもんで買われたんじゃあこっちの商売も上がったりだよ。もっと金を
「うーん、そっか。あ、でも見るだけなら良い?」
「……まあ、減るもんじゃないしねえ。構わないよ」
「へへ、やったあ」
老婆が渋々頷いたのを見てハクアは再度、視線を宝飾へと移す。が、ふと彼女は端に慎ましく置かれた銀のペンダントに目を留めた。そのペンダントは、短冊状の小さな銀の板が銀の細い鎖に通されているだけという、他の宝飾と比べれば少々見劣りするものである。
「お婆さん。これ、他のと違うね。宝石が填まってないよ」
「……変な所に気が付くねえ、あんた」
「ほおー……」
ペンダントを手に取り、暫し陽の光へかざしてから、ハクアはそれを老婆の前へ差し出した。
「お婆さん! やっぱりこれ下さい!」
無垢な笑顔を見せるハクアを前に、老婆は目を見開く。
「良いのかい、他のでなくて?」
「うん、これが良い!
……あ、そっか。お金、これじゃあ足りないんだったよね。じゃあ明日! 明日、もっとお金持ってここへ来るよ!」
暫くハクアを呆然と見つめていた老婆だったが、やがて観念したように息をついた。
「全く、しょうがないねえ。お代は結構だ、それはあんたにやるよ」
「え、良いの!?」
驚くハクアに、老婆は小さく笑う。
「言っただろう、あんたみたいな小娘に売ってやるものなんて無いよ。もっと宝石の似合う女になってから出直して来な」
「……!」
老婆の言葉を聞き、ハクアは再度、満面の笑みを浮かべた。
「うん、分かった! 大切に貰っておくね! ありがとう! じゃあね、お婆さん!」
ペンダントをポケットへ丁寧にしまい、ハクアはまたご機嫌な足取りで店から去って行く。
遠く消えゆくその背中を眺め、老婆はふと呟いた。
「……変な客も居たもんだね。あたしの作った金属細工をくれなんて言った客は、あの御方以来だよ」
アレストリア東部/敵勢ギルド拠点・午前
「ただいまー!」
外から帰って来たハクアが、玄関から居間へ向かう。するとそこでは、丁度外出の準備をしていたレギンがソファに浅く腰掛けていた。
「おう、おかえり。朝っぱらからどうしたんだ、大通りになんか行って?」
レギンに尋ねられ、ハクアはにまにまと表情を緩ませる。
「えへへ、ラルフに
そわそわと落ち着きの無いハクアの様子に、レギンはふっと微笑んだ。
「成程、加入祝い的なヤツって訳か。喜ぶと良いな、あいつ。
俺、今から『ギルド』に行って来るから、ちょいと留守にするぞ。午後には戻る。あ、ちなみにエーティとリゼルも買い出しで今居ないからな。もしかしたら一緒に戻って来るかもしれない」
「うん、分かった。行ってらっしゃい!」
「はいよ」
扉から外へ出て行くレギンを見送った後、ハクアは足早にラルフの部屋へと駆けて行った。
敵勢ギルド拠点/ラルフの自室・午前
こんこん、と、軽い音が部屋に響いた。
「ラルフー? まだ寝てるー?」
ドアの向こうからの呼びかけに、ラルフは被っていた布団を跳ねのける。
「…………」
気付かぬ間に南東の空へ昇っていた太陽を日除け越しに眺め、ラルフはゆっくりと目を
「……今起きた」
口の端で今にも垂れそうだった涎を手で拭い、ベッドの端に座ったラルフは、両手で軽く顔を擦って己を覚醒させる。つい先程までの寝ぼけ眼は何処へやら、ラルフの目付きは瑠璃色の瞳の覗く、何時も通りのやや切れ長で冷たいそれに戻っていた。
「入って大丈夫?」
「……ああ」
「はーい」
ラルフの声を聞き、呼びかけた声の主がドアを開けて入って来る。無論、主とはハクアの事であるが、銀髪を揺らし、頬を緩めているその様は何時になく嬉しそうである。
ドアを閉めたハクアは手を後ろ手に組んだまま、ラルフへ向き直った。
「……何だ」
「目を瞑って下さい!」
「は……?」
「良いから、目、瞑って!」
「…………」
何が何だか、といった具合に息を吐き出したラルフは、双眸を閉じる。ラルフの視界が完全に利いていない事を確認したハクアは、手にしていたそれを彼の首元へと運んだ。
「あれ? どうやるんだっけ、これ。……あ、ここか。これを、こうして、っと。
……良し、これで良いかな。うん、大丈夫! もう開けて良いよ!」
ゆっくりと、ラルフが瞼を開ける。
周囲の状況に一切の変化が無いにも関わらず、目の前のハクアが満面の笑みを向けてくるという光景に、ラルフの表情が更に険しくなっていく。
「……?」
訳の分からないまま目線を動かしてから、ラルフは再度ハクアを見た。依然として笑顔のままである彼女は、ふと彼の方を指差す。
「ふふ、とっても似合ってるよ!」
その指先が自身の顔面ではなく、そのやや下方を示している事に気付き、ラルフは首元に手をやった。
「……──あ」
冷たかった金属が自らの指に触れて熱を帯びていく感覚に、ラルフは小さく声を上げる。
「えへへ、やっと
ハクアは柄にも無く目を見開いている──それでも常人と比べれば変化は小さい──ラルフの元へ歩み寄り、その横へぽふん、と座った。
「今朝、大通りに行ったらお婆さんがやってる宝石のお店があってね、そこで買ったんだ。それでね、そのお婆さんがね──……」
「…………ハクア」
にこにこと話すハクアの横顔を見ていたラルフが、不意に口を開く。
「ん? どうしたの?」
淀みの無い真紅の瞳に真っ直ぐ見つめられ、ラルフは眉を寄せた。
「……お前。どうして、そんなに。……楽しそうに、出来るんだ」
「うーん、どうしてだろうね。私もよく分かんないや。
あ、でもね、楽しい事とか、嬉しい事があったりすると、何だかにこにこしちゃうんだ。前にシンに同じ事言ったら、『アンタって絶対に
はにかむハクアとは裏腹に、ラルフの表情は困惑のそれへと変わっていく。
「…………」
その様を見ていたハクアは、少し黙ってから微笑んで、
「!?」
唐突にラルフの手を取った。突然の出来事に、彼は思わず息を呑む。
「知ってる? 困ったり、つらかったりした時って、誰かと手を繋ぐと良いんだって!」
ラルフの右手をにぎにぎと両手で触り、ハクアは目を細めた。
「大丈夫。きっとラルフは、自分が何かを見て感じても、上手く表に出せないだけなんだよ。何も感じない訳じゃないの。だからね、誰かと一緒に楽しく笑い合えるようになる日が、きっとすぐに来ると思う!」
「……何を、根拠に。そんな事……?」
手を放して笑うハクアに、ラルフは問う。
「えー、だって、分かるよ。君と一緒にあの黒い生き物から逃げる時、前を見ろ、ってちゃんと心配そうな顔になってたし、さっき私がペンダントをあげた時だって、びっくりした顔になってたから!」
ハクアの言動に対して全く理解の及んでいないラルフを他所に、ハクアはすっくと立ち上がってドアに手を掛ける。
「えへへ。私、何時か君と一緒に笑ってみたいな! じゃあね!」
その言葉を最後に、ハクアは意気揚々とラルフの部屋から出て行った。
「…………」
解消不能な疑問と共に部屋へ一人残されたラルフは、呆然とドアを見つめるのだった。
・・・
────理解、出来ない。
あいつの言っている事もそうだが、それよりも、何よりも。
どうして俺は、あいつの横顔を見て。楽しそう、だなんて口にしたんだろうか。
あいつを、羨ましいと思っている?
いや、そんな事は有り得ない。俺が一体、あいつの何を羨んでるって言うんだ。
懐かしい?
ああ、そうかもしれない。何となくだが、ずっと昔、同じ事を誰かに訊いたような気がする。
でも、それは何時? 何処で訊いた? 返答はあったのか? あったとしたら、それはどんな?
決定的な何かが、思い出せない。
ああ、クソ。今まで大して気にならなかったのに、どうして今更こんなに苛立たなきゃならないんだ。
……でも。
あいつと、ハクアと話している分には、別段不快な気分はしなかった。
あんな騒々しい奴、鬱陶しくてならない筈なのに。
こんな感覚は、生まれて初めてかもしれない────。
敵勢ギルド拠点/居間・午後
喉の乾いたハクアが、台所へ向かっていた時の事。彼女がふと居間の方を見ると、ユーリアとフェリーナ、そして卓を挟んで向かい合うようにシンが、それぞれソファに座っていた。
「『『敵勢ギルド』マスター、フェリーナ・メアンドラ殿、及びその組員の皆々様へ。
昨夜、帝国陸軍大佐、メイラ・エンティルグが東方民族征伐をほぼ達成しているという報告が入りました。来たる脅威に備え、慎重な行動を宜しくお願い致します。
「ギルド」マスター、ティモス・トント』。
今朝、森を抜けた先の町にいらっしゃった『ギルド』の方から受け取ったものなんですけど。個人宛ならまだしも、帝国軍とは一切関係無い筈の『敵勢ギルド』に宛ててこのような手紙を送って来るという事は──……」
ユーリアが少し困ったように、ちらりとシンを見遣る。
「ええ、大問題よ。大体『ギルド』なんてアレよ、十八年も前に帝国軍に弾圧された革命軍の残党共が立ち上げたのよ? 只でさえコソコソしてる連中が隠れて渡す手紙がこれって、考えられる事なんか一つしか無いじゃない」
シンが溜息をついた後、フェリーナが徐に口を開く。
「……『ギルド』、と言うより、マスター殿は相変わらず、今は無き革命軍に代わって私達に革命を成してほしいようね」
フェリーナの言葉を聞き、シンは小さく舌打ちをした。
「ったく。あのクソジジイ、諦めが悪いって言うか、最早嫌がらせよね、こんなの。前に
シンの表情が、みるみる不機嫌に変わっていく。その隣では、ユーリアが冷静に書簡を眺めていた。
「ですが、革命の成就はそもそも革命軍の最終目標であって、本当は自分達の手で達成したかった悲願であった筈です。それを革命軍でないどころか、何の繋がりも持たない私達に託すというのは、『ギルド』のマスターさんにとって苦渋の決断だったのではないでしょうか?
それにこの内容、指名手配犯であるシンに対する注意喚起とも取れます。『ギルド』のマスターさんの真意こそ分かりませんが、情報自体の有益性は高いと思います」
「余計なお世話よ。こちとらあの女から何年逃げ回ってると思ってんだか……」
悪態を吐くシンに、フェリーナは少し困ったような顔を向ける。
「シン。ユーリアも言っていたけど、貴女、この国では一応、国家転覆罪を犯した凶悪犯なのよ。事情も知らない、貴女に関しての知識なら一般人も同然なマスター殿がもし心配して下さっているのだとしたら、感謝しなければならないわ。恨み言の一つくらい書かれたって不思議じゃないのよ。彼の本懐が革命だとすれば尚更」
「……まあ、そうだけど」
「何話してるの?」
水の入ったコップを持ったハクアに背後から声を掛けられ、シンは彼女の方を振り向いた。
「ああ、アンタ居たのね。取り敢えずここにでも座んなさい」
「うん!」
シンが指し示した隣へハクアが腰を下ろした、その時。
「うーっす」
「ただいま、っと」
「ただいまー」
開け放たれた扉から、最初に入って来たレギンに続くように、エーティ、リゼルと、外出していた面々が拠点の中へと入っていく。
「あら、アンタ等一緒になって帰って来たのね。どう、何か良いの買えた?」
「南側の市場で魚が安く売ってたから買って来たよ。今晩は焼き魚だな」
食堂の机の上へ諸々の荷物を運びながら、エーティは手短に答える。
「お魚かあ! 楽しみだなあ……」
「アンタ、毎日同じ事言ってるじゃない」
えへへ、と笑うハクアの横で、シンが呆れたように笑った。
その様子を暫し見ていたレギンだったが、徐にポケットから二枚の紙を出して話を切り出す。
「夕飯の話で盛り上がってるとこ悪いんだが、ハクア。早ければ今からでも、これのどっちかに行かねえか?」
「なあに、それ。『依頼』?」
レギンの持つ紙を見つめるハクアに、エーティの手伝いをしていたリゼルが小走りで駆け寄る。
「買い物終わって帰ろうとしたら、丁度『ギルド』に行こうとしてる兄さんと会ってさ。『ギルド』の依頼で普通に受けられるヤツ、ハクアとラルフって受けた事無いかもねって話になったんだよ。だから皆の運動不足解消も兼ねて、二人か三人で丁度良く熟せるような依頼を、僕と兄さん、それぞれの個人名義で受注して来たんだ。
依頼内容は、兄さんが受けた『貧民街で空き家に
「うーん……」
依頼書をまじまじと見たハクアは、片方の依頼書を、えい、と摘まんだ。
「私、こっちに行きたい!」
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