18,アレストリア東部/敵勢ギルド拠点前・昼


 見渡す限りの青い葉と、些か霞んだ空が広がる、白い建物の屋根の上。

 南に昇る太陽が何だ、とでも言わんばかりに酒をあおる影が、一つ。


「……ん?」


 地上の異変に気付いたシンは、やや据わった目で玄関先を見下ろした。

 気の所為かしらね、と口元で酒瓶を傾けようとした時、シンは視界の端に巨大な黒い影を捉える。


「あー……。なぁーるほど、ねぇ……」


 大方の状況を把握したシンは、首に巻いたマフラーを酒瓶に巻き付けて雨樋に置き、そのまま地上へ飛び降りていった。




 アレストリア東部/敵勢ギルド拠点前・昼




「例に漏れずキリが無えな、こいつも!!」


 幾度となく再生する四肢に早々、レギンが苛立ちの声を上げた。


「取り敢えず拠点の周りに空間遮断術式、二重に張っといたから大丈夫だとは思うけど、あんまり派手に暴れないでよ! 拠点ここがバレちゃマズい連中にバレても困るし!

 ……って言うか今回のヤツ、いくら何でもちょっと出力高過ぎない!? 霊力使わないと術式が維持出来ないんだけど!?」


 リゼルは獅子の周囲にも同時に大型の空間遮断術式を展開、獅子の行動範囲を抑えてはいるものの、その巨体から放たれる強大な霊力を前に苦しい表情を浮かべる。


「野郎……!」


 舌打ちをしてからレギンは跳び上がり、「煌刃」を前方へ大きく振り抜いた。鋭利な黒い刃に容易く前脚を斬り落とされ、がくん、と一度は前へ倒れた獅子だが、すぐさま斬られた脚を再生させ、何事も無かったかのように立ち上がる。


 振り下ろされた前脚の一撃を後ろへ跳んで避け、レギンは黄色く光る獅子の胸部を見上げた。


「届かねえなら剥き出しでも平気、ってか。舐められたモンだな」


 吐き捨てるように言ったレギンを嘲るように見下ろした獅子は、大量の空気を一度に吸い込む。


「兄さん、耳塞いで伏せて!」


 咄嗟にリゼルがレギンの周辺へ術式を展開しようとした、その時。獅子の口から咆哮が、放たれた。


「は……?」


 レギンに向かって放たれると思われたその咆哮は、空の青に溶けて消える。

 それから、間も無く。姿の変わらない獅子が二頭、現れた。


「……まあ」

「うそ、でしょ」


 状況の悪化が一目で理解出来る光景に、フェリーナとリゼルは愕然と声を漏らす。


「ハ。いよいよふざけてるだろ、これ」


 掠れた術式を容易く踏み壊す獅子達を前に、レギンは霊力を溜めるべく「煌刃」を脇に構える。放出された霊力は拡散する事無く刀身に収束されていき、そして。


「……おらァあよッ!!」


 留めた霊力を一気に解放し、レギンは前方を勢い良く薙ぎ払う。霊力は弧を描いて獅子達の元へ飛んでいき、強烈な風圧を生み出した。


 若干の怯みを見せた獅子達だったが、しかしその一撃が却って激昂を誘ったらしく、怒りの吠え声を上げた獅子達は、一斉にレギンへと襲い掛かっていった。


「ったく、効いちゃあいねえ。勘弁してくれよ」


 レギンが再び「煌刃」を握った、直後。


「はぁあッ!」


 彼の背後から一つの影が飛び出し、ほぼ同時に獅子の首が斬り落とされた。

 間髪を入れずに蹴り上げられた頭は、鈍い音を立てて核へ衝突する。が、その核に傷は一つとして付いておらず、役目を終えた頭は落下しながら消滅していった。


「ま、そう簡単にはくたばってくれないわよね」


 影の正体は、二振りの短剣を手にしたシンだった。その目は据わり気味であり、身体からは酒気が漂っている。


「シン、今の今まで何処に居たんだ!?」

「ああん? 屋根の上で飲んでたのよ。何か文句ある?」

「文句って、また昼間っから──……って、酒臭ッ!?」


 鼻孔を刺激する酒気に思わず後退りするレギンを見て、シンは、はあ、と溜息をついた。


「何よ、女に向かって臭いだなんて。失礼なヤツねえ」

「ちょっと二人共、喋ってる場合じゃないって────!!」


 リゼルの警告通り、シンの背後では頭部の再生を済ませた獅子が牙を剥き、彼女へ喰らい付かんとしている。

 しかし、シンは依然としてへらへらと笑っており────。


「分かってるわよお。こう見えたってアタシ、」


 その表情のまま短剣を二振り、腰から引き抜いた。

 振り向いたシンは仰け反るように高く跳び、眼下に見える獅子の頭部を縦に切り裂く。


「加勢に来たんだから!」


 華麗に着地したシンは一転、真剣な面持ちで獅子達と相対した。


「リゼル。今張ってる術式で拠点以外のヤツがまだあったら全部消して良いから、その代わりにここら一帯、全部防音しなさい」

「……了解!」


 シンとレギン、そして三頭の獅子を囲むように、青白く光る巨大な術式が地面の上に描かれていく。


「はい、展開、終わったよ!」


 リゼルの声を聞き届け、シンは不敵な笑みを浮かべた。


「さて、これで短期決戦以外の道は潰したわ。こんな連中と泥仕合なんて正気の沙汰じゃないもの。アンタ、ちょっとは本気出しなさいよ」


 剣を構えたシンに続くようにレギンも笑みを浮かべ、「煌刃」を構える。


「ああ。俺を巻き込まないでくれよ」

「そっちこそ。でもどうするの? 一人頭一体じゃあどう考えても余るし、何時も通りならアタシの『能力』も大して効かないわよ」

「そこは……何とかするって方向で、ダメか?」


 無茶以外の何でもないレギンの提案に、シンは呆れ混じりに吹き出した。


「何それ。アンタがアタシの上司なら、今頃ぶん殴ってる所だわ。でもまあ、こればっかりは──……」


 自らを睨む獅子の眼光を正面から見据え、シンが地面を踏み締める。


「気合で何とかするしか無さそうね!」


 そして間合いを詰めるように飛び上がり、頭部に斬りかかろうとした、が。


 唸り声を上げ、獅子達が二、三歩後退する。それはさながら天敵に恐怖する猫のようで、先程レギンが霊力を横薙ぎにした際よりも明らかに怯懦していた。


「……あら?」


 空振りに終わった一撃に拍子抜けしつつ、シンは着地して獅子達から距離を取る。


「二人共。そこ、私と代わってほしいんだ」


 レギンとシン、二人の背後から現れたのは、拠点の中に居た筈の黒いマントの少女だった。


「はあ? アンタ、獅子達コレを一人で相手する気?」


 少女の言葉に、シンは眉を吊り上げる。


「うん、私が連れて来ちゃったみたいなものだし。良いんだよね、お姉さん」


 少女が後ろを振り返った先には、申し訳無さそうに目を伏せるフェリーナが居た。


「ごめんなさい。部外者である彼女を巻き込むなんて、本当はしたくなかったのだけど。……止められなかったわ」

「……そう」


 状況が状況である事から、シンは表情を緩める。


「大丈夫、ちゃんと倒すから。心配しないで」


 怯えていた獅子達が唸り声を上げつつ、一歩、彼女に向けて足を踏み出す。その音を聞いた少女は獅子へと向き直り、霊力を開放した。

 一歩、また一歩。ゆっくりとした足取りで、三頭の獅子は少女へ近付いていく。


「君。これ、持ってて」


 背を向けたまま、少女はレギンにマントを投げた。


「……ああ。必要だったら加勢するぜ」

「うん、ありがと」


 胸元を隠す紺色の布と股下がほぼ無に等しいパンツというぼろ切れ同然の服装に包まれた少女の体躯から、膨大な霊力が放出される。


 唸る獅子達が、一斉に少女へと襲い掛かった。

 ────この後、彼等は圧倒的な力を目の当たりにする。


 低く構えた少女が、獅子に向かって駆け出した。

 三頭のうち一頭の元へ一秒にも満たない速度で接近した彼女は、跳び上がってから両手でその頭部を掴み、引き寄せるようにして額へ膝の一撃を叩き付ける。頭部と前脚、そして核の一部を同時に破壊された獅子の胴体が、側方へと大きく傾いた。

 そのまま倒れゆく獅子の身体を軽く蹴って素早く着地した直後、別の獅子が振り上げた前脚が自身へ影を落とすよりも早く、少女はその懐へ飛び込んで前へと転がる。そして両腕と霊力を使って直上に跳び、獅子の胴を胸部の核諸共に貫いた。


 獅子を圧倒する少女の姿は、まるで銀のたてがみを靡かせて大空を駆ける竜のようで。


 少女の攻撃はまだ終わらない。


 消滅しかけの獅子の身体を踏み台に少女は残りの獅子の上へ跳び、頭部へ踵を叩き込んだ。衝撃の余り、獅子の顎が地を打ち砕く。

 空中へ留まったままの少女はその脚から炎を噴き出させ、獅子の胴へ向かって加速しながら真っ直ぐに落下していく。炎を纏った両足に触れた所から獅子の身体は霧散し、容易に露出した核が脆く踏み砕かれた。


 後ろへ一回転した少女は、倒し切れていない筈の一体──彼女が最初に上半身を吹き飛ばした個体──と対峙しようとする、が。

 火事場の馬鹿力とでも言うべきか、不完全に身体を再生した獅子は少女へ形振り構わず飛び掛かり、容赦無く彼女を頭から一飲みにした。


「ちょっと!?」

「ッ!!」


 その光景を目の当たりにしたシンとレギンが、思わず息を呑む。

 しかし、その直後。


「げ、これヤバ──……」


 急激な霊力の出力上昇を感じ取ったリゼルが、防音のみを機能させていた空間遮断術式に熱遮断の機能を描き加えた。


 瞬間。獅子の腹が突如として内部から発光し、不自然に膨れ始める。

 悶絶の声を上げてのたうち回る獅子だが、そうしている間にも、みるみるうちに腹は膨れていき──────。


 やがて、大量の炎を噴き出しながら爆散した。


 一面を瞬きの間に焼き尽くすと思える程の炎の中心で、少女は地面に難なく着地する。そして地面へ転がった核の元へゆっくりと歩いて行き、その踵を振り落とした。


 がしゃ、と砕けた核は塵となって、さらさらと消滅していく。


 少女は周りを見て三体の獅子の消滅を確認し、レギンとシンの元へ駆け寄った。


「大丈夫、ケガとか無い!?」


 心配そうに顔を代わる代わる覗き込む少女に、二人は顔を見合わせて吹き出す。


「? どうしたの、二人共?」


 笑い合う二人を困惑気味に見つめる少女は、更にその背後でフェリーナやリゼル、手当てを終えて外に出ていたエーティも笑っているのを目にし、増々困惑を深めていった。


「ふふふ、怪我はしてないわよ。ええ、お蔭様で」


 涙を拭ったシンは大きく息をつき、少女を見る。


「いやー、凄いわね、アンタ。身体のどっから出て来んのよ、そのアホみたいな力」


 ねえ、とシンに目線を向けられたレギンは、ああ、と頷いた。


「全くだ。はいよ、マント。名前は何て言うんだ、お前」


 マントを手渡しながらレギンが尋ねると、少女はありがと、と礼を言って笑顔を浮かべる。


「私? 私はね、ハクア・ガントゥって言うんだ!」


 自らの名前を誰かに訊かれた事が嬉しいらしく、少女──ハクアは、えへへ、と頬を染めた。


「貴女、住まいはあるの?」


 レギンの背後から現れたフェリーナが、ハクアの横へ立つ。


「住まい? うーん、家は無いかな」


 そう、と答えたフェリーナは、ハクアに向かって右手を差し出した。


「貴女、私達『敵勢ギルド』に加入しない?」




 敵勢ギルド拠点/食堂・夜




 夕食が終わっても尚、ハクアとの出会いを主な話題とした談笑は続いている。


「ホントあれはもう、何か、圧倒的過ぎて笑うしか無かったわよね」


 シンの言葉に、当事者であったレギン、リゼル、エーティ、フェリーナが頷く。


「確かにな。怪我の処置が終わって外に出てみりゃあ、膝蹴りで上半身半分ブッ飛ばした所だったし」


 びっくりしたぞありゃあ、と、エーティは中空を仰いだ。


「そう言えば話の流れとノリで受け入れちゃってたけど、あの時の兄さん、珍しく割とガチで挙動不審だったよね──……」

「しーっ! それ直近の出来事で一番忘れて欲しい所だから! 真剣に抹消したい黒歴史だから!」

「へー、気付かなかったわそれ。白状しなさいよ、アンタ」

「やだよ」


 リゼルとシンに好奇の目を向けられ、レギンは気まずそうに目を逸らす。


「……分かった、分かったよ。話すからそんな目で見つめるなって。

 まあ、そりゃあね? 奇跡みたいな美貌の女の子が突然目の前に現れたってだけで普通にアレだぜ、挙動の一つくらいおかしくなるぜ? いや別に性的な目とかそういう意味が絶対に無いって言ったらやっぱりちょっと嘘になっちゃうかもしれないけどそれでもですね、やっぱり抜群に可愛い女の子を見ると気分が浮つくって言いますか何と言いますか──……。

 ……────ハイ。美人にめっぽう弱いです、俺は」


「兄さん声、っさ」

「それってそんなに潔く認めて良いモンなの?」

「いやー、何時もならそれでも平気な素振りとか普通に出来るんだがなあ。拠点の中だったからかなあ……」


 紅潮した顔を両手で覆うレギンの姿に、リゼルは無声の笑いが収まらず、シンは、あはは、と声を上げて笑う。


「私が北部へ武具を見に行っていた間に、そんな事があったんですね。ハクアさん、その、怖くないんですか? 大きな怪物相手に一人で戦って……」


 不安そうにユーリアに訊かれ、ハクアはうーん、と首を傾げた。


「怖くは、ないかな。私がこの森に住むようになって、何回も倒して来たし。でもやっぱり、逃げるのが一番だと思うよ! 戦うの、疲れちゃうから!」


 ハクアの一言に、その場が笑いに包まれる。


「そうなんですね。私、ハクアさんの戦ってる姿を見た事が無いので、何時か見てみたいです!」

「そ、そう?」

「ふふ。何時か見られると良いわね、ユーリア」


 照れるハクアと、未だ見ぬ彼女の勇姿に目を輝かせるユーリアへフェリーナが笑いかけ、談笑の輪は更に広がっていった。


「…………」


 一歩引いたような態度で、ラルフはその様をただ見つめている。


 そんな無愛想な彼を、ハクアはふと視界の端に捉えるのだった。

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