17,敵勢ギルド拠点/ラルフの自室・夕方


 傾いた日から射し込む夕日が、白い壁を赤く照らし出す。


「お待たせ。紅茶は好きかしら?」


 ラルフの部屋に入ったフェリーナが、持って来た盆を机の上に置いた。盆の上のカップには紅茶が注がれており、受け皿ソーサーには角砂糖の乗った匙が置かれている。

 二つあるカップのうち一つを机のラルフ側に置き、もう一つを自分側へ置いて、フェリーナは椅子に腰掛けた。


「どうぞ、飲んで」


 フェリーナが砂糖を溶かした紅茶を淑女の如く──現に淑女な訳だが──優雅に飲む様を見てから、ラルフも紅茶に口を付ける。

 一時の休息を終え、ふう、と息をついたフェリーナは、再度ラルフの方を向いた。


「さて、話の続きをしましょうか。貴方が知りたがっていた、この『敵勢ギルド』について。でもその前に一つ、話さなければならない事があるわ。

 この国には何人かの指名手配犯が居るけれど、その中でも特に有名な二人について、何か知っている事はある?」


 フェリーナの問いに、ラルフは眉を寄せた。


「……十年前に起きた部隊単位での反逆事件、その首謀者。元帝国陸軍大尉、犯罪組織『盗賊団』の首領、エレナ・ネバンダ。

 ……もう一人は、『敵勢ギルドここ』に居るだろう」


 少々の沈黙の後、フェリーナは口を開いた。


「ええ、そうね。もう一人の指名手配犯。七年前、帝国に反旗を翻した暗殺者。元帝国陸軍隠密大隊所属、シン・スケルス。『帝国史上、最も皇帝の首に近付いた暗殺者』と言われている女よ」


 夕日に照らされて目を細めたフェリーナは、話を続ける。


「七年前、この『敵勢ギルド』は一人の人間によって創設されたわ。名前をゼド・バートン。まあ、今は『彼』とでも呼びましょうか。


 どういった経緯かは知らないけれど、『彼』は元々『盗賊団』に身を寄せていたらしいの。でも、軍から追われて瀕死だったシンを貧民街で偶然介抱したのがきっかけで、『盗賊団』から建物と資金を貰ってこの『敵勢ギルド』を立ち上げたみたい。私は六年前に加入したから、ここまでの話はシンや『彼』からの受け売りでしかないけれど。


 この『敵勢ギルド』は、基本的には『ギルド』と同じ、依頼を受けて達成する為の組織よ。ただ『ギルド』と違うのは、『ギルド』が掲示板で受注を募るのが危険だと判断した依頼のみを受注する、という点ね。だからほとんどが無茶な依頼だったりするわ。大抵は命懸けよ。


 でも、安心して頂戴。『敵勢ギルド』は組員の命を絶対的に最優先するわ。当時マスターだった『彼』曰く、無理っぽかったら逃げよう、よ。

 他にも規則は三つあって、一つ、『敵勢ギルド』の名を無闇に口外しない事。二つ、個人的に『ギルド』の依頼を受ける場合、マスターに許可を貰う事。三つ、拠点への訪問者に対しては決して拒絶する事無く柔軟に対応し、振る舞う事。


 ちなみに最初に言った規則、あれ、『彼』が言った最初の指令なの。ふざけてるならまだしも、当人は本気のつもりなんだから、おかしいわよね。ふふっ」


 そう笑って紅茶を一口飲んだフェリーナは、笑顔のまま窓の外を眺めた。


「でも、三年くらい前になるかしら。ちょっと旅をして来ると言ったきり、『彼』は帰って来てないの。失踪、とでも言うべきものね。ギルド制の組織である以上、マスターが長く不在なのは状況として芳しくないから、私が今代理でマスターをしている、というのが現状よ。

 ……ふふ、関係無い話で湿っぽくしちゃったわね。さて、これで『敵勢ギルド』についての話は終わりよ。何か訊きたい事はあるかしら?」

「……創設の目的は?」


 組織として肝心な部分を口にしなかったフェリーナへ、ラルフは疑念の目を向ける。その視線を受けた彼女は、表情をやや曇らせた。


「そうよね。知りたいわよね。ごめんなさい、黙っていたのには理由があるの。

 これは『彼』の方針なのだけど。『敵勢ギルド』の創設目的は原則、誰にも口外しない事になっているのよ。だから私の口から教える事は出来ないわ。と言うより、実は私も詳しい事はよく知らないの。でもこれだけは確実だから、はっきりと言っておきましょう。

 『敵勢ギルド』の目的は、


「そうか。……訊きたい事はそれだけだ」


 紅茶を半分程まで飲んだラルフが、受け皿ソーサーの上にカップを置いた。


「そう。なら、次は私が訊く番ね。貴方の事について、色々と教えて頂戴。勿論、言いたくない事は言わなくて構わないし、秘密にしてほしい事があれば、私の出来る最大限の範囲で守りましょう。じゃあ、始めるわね。

 ここへ来る前、住んでいた場所は何処?」

「シュダルト……の、外れみたいな場所だ」

「出身は?」

「同じく。…………多分、だが」


 多分、という言葉に違和感を覚えつつ、フェリーナは手帳にペンを走らせる。


「家族構成はどんなもの?」

「…………」


 ラルフの返答が止まると同時に、フェリーナのペンが止まった。


「言いたくなければ、それでも良いのよ?」

「……いや」


 額に手を当て、俯き加減で眉を寄せるラルフの表情は、何処か困惑しているようにも見える。


「分からない」

「……そう。なら次ね。貴方、『龍刃』を持っているそうじゃない。何処で手に入れたのか、聞かせてもらえるかしら?」

「……子供の頃から持っていた。買った憶えは無い。でも、貰った憶えも、無い」

「よく思い出せないの?」

「…………ああ」


 眉間の皺が消えないラルフを見つめつつ、フェリーナは更に筆を進める。


「そうなのね。じゃあ、次に行くわよ。

 貴方、霊力に関して、他人には出来ない、何か特別な事が出来たりしない?」


 漸く、ラルフが顔を上げた。


「……霊力を、奪う事が出来る」

「どうやって?」

「『能力』を発現した霊力を『龍刃』で斬った時、その霊力を吸収出来る。『能力』を発現していない只の霊力なら、それなりの強度があれば『龍刃』で斬らずとも吸収出来る。吸収した霊力は、俺の自由に使える。でも一度使えば使ったきり、吸収した分の霊力量を自力で回復させる事は出来ない」


「その吸収量に、上限はあるの?」

「……上限は、ある。でも上限まで吸収した事が無い以上、それが何処にあるかは分からない。ただ──……」

「……ただ?」

「上限まで、霊力を吸収するのは避けたい」


 気がする程度の勘だ、と言ったのを最後に、ラルフは黙ってしまった。

 自らをこれ以上語りそうにないラルフを見て、フェリーナはペンを置き、手帳を閉じる。


「良いでしょう、もう十分よ。ありがとう。

 これで貴方に伝えるべき事は全て伝えたし、訊くべき事は全て訊いたわ。長く付き合わせてしまってごめんなさいね。一応確認するけど、さっきまでの貴方の回答で、秘密にしておくべき事はあるかしら?」


「……無い。寧ろ、俺の返答を知りたがってるヤツが居るだろう。全部話してもらって構わない」

「あら、察しが良いのね。

 さて、そろそろ夕飯の時間じゃないかしら。私達も行きましょう」


 フェリーナが席を立ってドアの前まで進んだ、その時。こんこん、と、少々強めのノックが部屋に響いた。


「……何だ」


 部屋の主であるラルフが返事をすると、勢い良く扉が開く。そこには、妙に上機嫌な笑顔を浮かべたハクアの姿があった。


「ご飯、ご飯だよ、ラルフ! 今日の献立はね、って、あれ? フェリーナが居るの、珍しいね?」


 目の前に立つフェリーナに、ハクアは首を傾げる。


「ふふ、ちょっと彼に用があったのよ。食堂には今から行く予定だったわ。

 あ、ちなみにラルフ君、彼女ハクアは貴方が初めてここへ来た一週間前くらいに入って来たの。その時の詳しい話は皆でしましょう。きっと面白い話が聞けるわよ」


 ハクアとラルフ、両者共に別な意味で疑問符を脳内で浮かべたのを他所に、フェリーナは、行きましょう、と二人を連れて食堂へ向かうのだった。




 敵勢ギルド拠点/食堂・宵




 食卓に並ぶ料理を囲んで、「敵勢ギルド」の面々が夕食を摂っている。


「それにしたって、よくこの量を飽きもせず毎日作るよな、お前。いきなり二人も増えたってのに」


 サラダをつつきながら、レギンは隣に座るエーティを見た。


「別に。二人分くらいどうって事無えよ。量作るのは慣れてんだから」


 当然のように答えたエーティは、視線を前方へ向ける。そこには、美味しそうに肉を頬張るハクアの姿があった。


「……て言うか飯が一切残らなくなって、片付けとか、寧ろ楽になったかも」

「まあ、確かに。あの様子じゃあな」


 感心半分、呆れ半分で二人が見ている最中にも、ハクアの周りにある皿が彼女によってみるみる片付けられていく。

 機を見計らったフェリーナが、徐に口を開いた。


「そう言えば、そろそろハクアが入ってから二週間ね」


 不意にリゼルが、口内の咀嚼物を噴き出しそうになる。


「どうした、リゼル。急に笑い出して?」


 レギンに見られている手前、何とか持ち堪えたリゼルは、嚥下してから笑い声を上げた。


「いやー、あれからもう二週間経ったんだな、って。ふふふ……」

「ああ、あれな。もう笑うしか無えよなあ、あんなの」


 一緒になって笑うリゼルとレギンを前に、シンも笑みを浮かべる。


「この中じゃあアタシ『敵勢ギルドここ』に一番長く居るけど、ここ史上どころか、アタシの人生史上最高にヤバい出会いだったわよ、アレ」


 同じ話題に皆が笑っているのを見て一人、ユーリアが首を傾げた。


「あのー、何かあったんですか?」

「ああ。そう言やあの時、ユーリアは居なかったのか。丁度ラルフも居る事だし、あの時の話でもするか?」


 エーティの提案に、リゼルが、良いね、と乗り気で話し始める。


「あれって確か、お昼頃だったっけ──……」




 アレストリア東部/日の当たる草叢・昼




 ラルフが「敵勢ギルド」に初めてやって来る、その一週間前。


 生い茂る木々の中にぽっかりと開けた草叢を、黒いリボンの付いた麦藁帽子に白い羽織、茶色い革の鞄という外出の出で立ちをしたフェリーナが、拠点へ帰るべく歩いていた。


 その日も何時もと変わらず、何事も起きず、穏やかに時が過ぎていく。

 そう思えた、その時。


「!!」


 フェリーナの行く手に突如として、巨大な影が現れた。明らかに人間の形をしていないそれに、フェリーナは身構える。

 どし、どし、と、重い足音をさせて現れたのは、見上げるような大きさの、獅子の造形をした黒い何かだった。胸にあたる場所には、黄色く光る核が露出している。


「……何てこと」


 今までにこのような経験は何度かあった為、足が竦むような事は無いフェリーナだったが、彼女が獅子から逃げられない事もまた事実だった。

 獅子の気を立てぬよう、フェリーナはゆっくりと後退する。しかし、それが息を大きく吸うのを目にするや否や、彼女は耳を塞いで頭を低くした。


 獅子の口から、強烈な咆哮が放たれる。


「……ッ!!」


 完全に耳を塞いでも尚鼓膜を強く振動させ、臓腑をも震わせる音量。

 今にも駆け出しそうな獅子の様子に、フェリーナは覚悟を決める。彼女が鞄を肩から斜めに掛け、空いた両手でスカートの裾を引き上げ駆け出そうとした、次の瞬間。


 横から飛び出した黒い影がフェリーナの身を抱き上げ、そのまま獅子の視界から消えた。

 その間、数秒にも満たない。常人であれば、黒い何かが目の前を横切って行った程度にしか捉えられない早業だ。


 太い幹の直ぐ後ろに隠れ、黒い影は足を止める。その正体はどうやら、黒いマントに身を包み、フードを目深に被った人間であるらしい。


「貴方は、一体……?」


 見ず知らずの人間に抱きかかえられて──所謂、お姫様抱っこというもの──動揺するフェリーナだったが、その人間はそんな彼女を気にも留めていない様子だ。


「追いかけられちゃったら困るし、私が連れて行くよ。家は何処にあるの?」

「……!」


 冷静な声で尋ねられ、フェリーナは我に返った。


「この方角に向かって進んで頂戴。人の通った道がある程度出来ているから、分かる筈よ」

「分かった。こっちね」


 フェリーナの指差す方向へ、その人間は駆けていく。

 フードの下から発せられる声色は、明らかに少女のそれであった。




 敵勢ギルド拠点/玄関先・昼




 フェリーナと黒いマントの少女は、白い建物の玄関の前に立っていた。


「もう下ろしてくれて大丈夫よ、ありがとう。さあ、入って頂戴」

「良いの?」

「ええ、勿論よ」

「そっか。じゃあ、お邪魔しまーす……」

「どうぞ」


 玄関を開けたフェリーナに招かれ、少女は心做しかそわそわしながら建物の中へ入っていく。


「おう、お帰り。……そいつは?」


 入って最初に出迎えたレギンが、少女を訝しげに見つめた。


「ええ。私、実は例の黒い生命体に鉢合わせてしまって。かなりの大型だったから、逃げられる自信が無かったのだけど、彼女のお陰で逃げる事が出来たのよ。ね?」

「ん?」


 そう言ってフェリーナが視線を向けた先には、正に今フードを取り、長い髪を掻き上げている少女の姿があった。


「なっ……!?」


 振り向いた少女と顔を合わせたレギンは硬直したまま動かなくなり、


「あら」


 フェリーナは驚きの余り、その菫色の目を見開いた。


 星の如く煌めく、腰程にまで伸びた銀色の髪。

 適度に吊り上がった目元に、黒く長い睫毛。

 一点の曇りも無い、宝石のような深紅の瞳。

 そして何より、白く透き通った肌に、涼やかな顔立ち。


 控え目なドレスを身に纏い、穏やかな笑みを湛えながら慎ましく椅子にでも座れば、見惚れぬ者は居ないとまで思えるその美貌に、二人は思わず息を呑んだ。


 丁度台所から出てその場を目撃したリゼルが、彼等の元へ歩み寄る。


「どうしたの、二人共。そんな所で固まって、何かあった? って言うかその子、誰?」

「あれ、もう一人居たんだね。こんにちは!」

「……!!」


 前に向き直った少女を目にしたリゼルは手にしていたコップを丁寧に食堂のテーブルの上に置いてから、兄の元へ走り寄った。


「え、何あの子、めっちゃ美少女なんだけど、もしかして兄さんの? 遂に出来ちゃった感じ?」

「んなワケ無えだろ、バカ。フェリーナが例のバケモンに襲われそうになった所を助けたんだとさ」

「この子が?」

「らしいぜ」


 何やら小声で話し合う二人を暫く見つめてから、少女は彼等の元へとことこと近寄っていく。


「ねえねえ」

「はいぃ!?」

「何話してるの?」

「あ、えっと、そのですねえ!?」

「お? 兄さん、女の子にアピールする数少ない好機チャンスかもよ!?」


 あどけない笑顔を向けられて挙動不審になるレギンへ、ここぞとばかりにリゼルが茶化しに入る。


「はあ!? 何でそうなるんだよ!?」

「大丈夫、兄さん。どうしようもなく初心でビビリな所さえ直せばイケるって。顔は悪くないんだし、僕が保証するから」

「なーにが、保証する、だ! お前だって、さっきまで俺とさして変わらないくらいタジタジだったクセに!」

「そ、そんな事無いし!?」


 兄弟で言い合いを始めた二人を見て、少女は、あはは、と楽しそうに笑った。


「あの二人、何時もああなのよ」


 後ろに居たフェリーナが、少女に声を掛ける。


「そうなの? 面白いね!」


 向日葵のような少女の笑顔を見たフェリーナが、くすりと口元に手を添えて笑った、直後。

 ばたん、と玄関の扉が開け放たれる。


 四人が顔を向けたそこには、肩で息をするエーティが居た。その腕には所々、掠り傷が見受けられ、赤茶の上着には裂かれたと思しき箇所も幾つかある。


「あら、どうしたの、エーティ」


 フェリーナが近寄ると、呼吸を整えたエーティはレギン達を見た。


「例の黒いバケモンが、拠点ここのすぐ傍まで来てやがる。数は一体、見上げるようなデカさだ。じゃれ合ってる場合じゃねえぞ、あんた等!」


「……だって。兄さん、行ける?」

「当たり前だろ」

了解りょうかーい。足止めは任せて!」

「あ、私も──……」


 意気込んだリゼルとレギンに続くように少女も外へ出ようとするが、フェリーナがそれを止める。


「貴女はエーティとここに居て。すぐに戻るわ」


 玄関から出た先に広がる、木漏れ日の射す森。


「……早速、お出ましのようだぜ」


 皆の視線の先には、巨大な黒い獅子が一体、堂々たる足取りで迫り来ていた。

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