16,アレストリア東部/敵勢ギルド拠点・午後


 木漏れ日に照らされて光る、白い壁。


「ただいま」


 厚い欅の扉を開けて、フェリーナは拠点へと入っていく。そして居間にある卓に鞄を立て掛け、ふう、と息とつきながらソファへ座った。


「……静かね」


 普段であれば耳に入る筈の声が無い事に気付き、フェリーナは後ろを向く。すると、玄関とは対角線上の位置にある裏口──裏庭へと直接通じる扉──から丁度、ユーリアが入って来た。何やら困っているらしく、眉が下がっている。


「皆大人しいわね。どうしたの?」


 はい、と答えたユーリアは、ちらと裏口を見た。


「あの、私も良く分からないんですけど。何か、こう、っきな硝子の塊みたいなのが庭の真ん中にあってですね、その前でリゼルさんとハクアさんがひっくり返ってました。皆さんの無事は何とか確認出来たんですけど、私がどうにか出来るものでもないみたいなので、取り敢えず戻ってきました……」

「……?」


 些か怪訝な表情を浮かべつつ、フェリーナは腰を上げて裏口へ向かう。彼女が扉へ手を掛け、開けた先に、広がっていたのは。


「あら」


 ユーリアの言葉通り、巨大で透明な結晶状の何かに占拠され、変わり果てた姿をした裏庭だった。

 フェリーナは芝生に突っ伏しているリゼルと、その隣にちょこんと座っているハクアの元へと歩いて行く。


「二人共、大丈夫?」


 傍へしゃがみ込んだフェリーナの声に、リゼルは少しだけ顔を上げた。


「……霊力測定器が壊れました」

「ええ。この様子を見るあたり、そうでしょうね」


 返答を聞くや否や、リゼルはごろごろと芝生の上を転げ回る。


「ああもう、どうすんの!? どうやって言い訳しろって言うのコレ!? 『ギルド』からの借り物だってのに!!」


 何やら他にも文句を垂れつつ芝生を転がり続けるリゼルを横目に、フェリーナはハクアに目を向けた。


「どうしてこうなってしまったのか、知ってる?」


 フェリーナに問われたハクアは、戸惑ったような笑顔を見せる。


「うん。霊力測定をやってみて、って言われたからやったんだけど。何か、こうなっちゃったんだ」

「…………」


 ハクアの口から出た信じ難い事実に、フェリーナは驚きを隠せない。


「ソイツの言ってる事、そっくりそのまま本当よ。ねえ、二人共?」


 そう言ってフェリーナの元へ現れたのは、シンだった。彼女の背後にはレギンも居る。


「まあ、結論から先に言うと、誰にも非は無いんだよ」


 呆れ気味に結晶──測定器だったモノ──を見遣り、レギンは浅く溜息をついた。


「そうだな。俺視点で良ければ、起こった事を一から詳しく話しますかね──……」


 数分後。


「そう、そんな事が……」


 些か興味あり気に、フェリーナはハクアを見る。


「リゼルも今まで通り測定器を使ってたし、ハクアもそれに準じて行動した。誰も間違っちゃいない。ハクアの霊力量が術式の計測限界、と言うか耐久限界を超えたってだけで」


 とは言えどうしたものか、とレギン、リゼル、フェリーナの三人が顔を見合わせているのを他所に、シンは術式の中に収まっている巨大な結晶を眺めていた。


「リゼル。この術式、解いて良いんじゃないの?」

「は?」


 予想外の言葉に、リゼルの喉から妙に低い声が出る。


「良いワケ無いでしょ! こんなでっかい結晶、頭にでも降ってきたらどうすんの!?」

「取り敢えず落ち着きなさい。良い、冷静に考えるのよ。この測定器、霊力量に合わせて重さと体積が変化するんじゃなくて、んでしょ? ならこれ、ただデカいだけで、中身スッカスカの超軽い結晶、って事になるじゃない。違う?」

「……確かに」


 真っ当な事実をシンに言われ、リゼルはあっさりと納得した。


「それに、ここからじゃ内容も何も分かんないけど、あの紙、何か書いてあるみたいだし。まあでも、アレね。このまま術式解いたら、いくら軽くたって邪魔になるわ。リゼル、アンタ結晶だけ浮かす事って出来る?」

「出来るよ。ちょっと待ってて」


 リゼルが意識を術式に向けると、地面に青白く浮かび上がっていた術式の、円形を模る文字の一部が書き換わる。すると庭の真ん中に居座っている結晶が、たちまち宙へと浮いた。


「このくらいの高さで大丈夫?」

「ええ、ありがと」


 浮遊する結晶の下を通って、シンは漸く姿を露わにした丸太の前に立ち、その上へ乗っている術符を取る。


「えっと、何々?


 『霊力量:測定限界を超過

  能力系統:自然現象系

  身体強化率:測定不能

  霊力耐性:衝撃(Ⅴ)、高温(Ⅴ)、対人有毒物質(Ⅴ)、閃光(Ⅳ)、音(Ⅲ)

  霊力量が測定限界を大幅に超過。身体強化率、測定不能。能力系統、霊力耐性に一部不明な箇所あり』


 ……全ッ然測れてないじゃない。最後の方なんて字、掠れてるし。て言うか、身体強化率が測定不能、ってどういう事よ」


 シンは術符を手に、四人の元へ戻っていく。そして、はいこれ、と紙をリゼルに渡し、シンはハクアの目の前に立った。


「……ハクア」

「ん?」


 名前を呼ばれ、ハクアは顔を上げる。そこには、何やら思案顔をしたシンが居た。


「アンタなら、もしかすればアイツと張り合えるかもしれないわね」




 敵勢ギルド拠点/居間・午後




 木漏れ日に少し朱色が差し始めた、午後。

 日の当たる居間のソファで濃い目のココアを供に本を読んでいるリゼルの元へ、フェリーナが歩み寄る。


「あら、優雅に読書?」

「んー、まあね。何か今日、色々あり過ぎて疲れちゃってさ。工作する気も出ないし、こうしてダラダラ、本でも読んでるってワケ」


 そう、と答えたフェリーナは、卓の上の硝子片──敷かれた布の上に置かれている──へ目を向けた。


「リゼル、これ、もしかして?」

「うん、例の測定器だよ。見る影も無いけど。

 まあ、あれだね。術式の耐久限界って言うか、一般化術式ってどれも霊力負けしそうになったら勝手に壊れる安全機構が付いてるから、それが発動して壊れた、って感じだよね」


「成程。術式が霊力負けを起こして暴走するより自壊した方が危険が少ない、という訳。一般化術式って、本当に便利なものね。

 ……あ、三日後の報酬の受け取りをまたレギンにお願いする予定なのだけど、その時に一緒に『ギルド』へ持って行ってもらいましょうか? もう御役御免でしょう?」

「いや。もうちょっと色々いじりたいから、暫くは手元に残しておく事にするよ」

「そう。精が出るわね」

「うん」


 ゆっくりとココアを一口飲んだリゼルだが、突然思い出したように、ああそう、とフェリーナに向き直る。


「そんな事よりさ! こういう形状変化の術式って粉微塵にでもならない限り大体機能するんだけど、今回のこれ、何でか知らないけど術式が機能しなくなっちゃったらしくって、何やっても全ッ然元の大きさに戻らなくてさ。もうヤケクソになって文献引っ張り出して形状変化の術式、片っ端から全部書き込んだよね。アレ、嫌がらせかってくらい超面倒臭かったんだけど。もう二度とやりたくない……」


 本を卓上に伏せ、全体重を背凭せもたれに掛けて脱力したリゼルは、大きな欠伸をする。その隣に座ったフェリーナは、リゼルに笑みを向けた。


「そうだったの。災難だったわね。

 ところで、リゼル。貴方、今朝からずっとラルフに訊きたい事が腐る程ある、って言っていたけれど、何を訊いたの?」

「え? あー。まあ色々あったけど、今日はもう疲れたし、明日でも良いかな。そんな今知りたいって訳でも──……」

「それ、詳しく聞かせてもらえるかしら?」


 一変して食って掛かるように身を前のめりにしたフェリーナに、リゼルは面食らったように目をしばたかせた。


「……う、うん。良いけど、どうして急に?」


「報告書に載せる程度なら聞かずとも問題無かったのだけど、私個人としては彼について、まだ気になる所があるのよ。それに、彼に伝えなきゃいけない事もあるから、これから彼の部屋へ行く予定だったの。

 今日貴方が訊かないんだったら、私が代わりに訊くわ。さあ、教えて頂戴」




 敵勢ギルド拠点/ラルフの自室・夕方




 物の少ない簡素な部屋に、夕暮れ時の湿った風が開けられた窓から吹き込んでいる。

 風そよぐ音のする空間に、ノックの音が響いた。


「入っても良いかしら?」


 ドア越しに耳にしたフェリーナの声に、部屋の主はベッドの上でもぞもぞと起き上がる。


「……ああ」


 半分眠ったような声で返事をしたラルフは、ついさっきまで身を横たえていたベッドの上に座り、髪を掻き上げた。それとほぼ同時に、部屋のドアが開けられる。


「気分はどう、ラルフ君」


 手帳を持って入って来たフェリーナは、寝起きのラルフを見て微笑んだ。


「……悪くはない」

「そう、それは良かったわ。椅子、借りるわね」


 そう言ってフェリーナは椅子に腰掛け、手帳を机の上に置く。


「さて、ラルフ君。『敵勢ギルドここ』に入って一日が経つけど、どうかしら、感想は?」

「…………」


 口元の笑みを絶やさず、しかしどこか威圧的な目線を投げかけるフェリーナから、ラルフはふと目を逸らした。


「まだ、何とも」

「細かくでなくて、ちょっとした事でも良いのよ」

「……退屈はしなさそうだな」

「ふふふ、それはそうね」


 口元に指を添えて笑ったフェリーナは徐に手帳を開き、ペンを手に取る。


「まあ、この話題はこれくらいにして、この国の話をしましょう。知っているかもしれないけど、一応、聞いて頂戴ね。


 『神話』と帝国史書によると、今からおよそ千年前、今のアレストリア東部から西部にかけての海岸線に沿うように、ごく少数の人々から構成される部族が住んでいたわ。海も土地も十分に豊かだったその場所なのだけど、一度として侵略される事は無かったの。それは、今の西の荒野にあたる場所に、二頭の龍なる存在があったからだとされているわ。その存在が本当に龍だったのか、それとも違う、何か別の存在であったかは未だによく分かっていないのだけど、一応、名前通りの存在としましょうか。


 最初はその二頭の龍が他の部族や民族からの侵攻を止めつつ、部族に霊力の存在や使い方を教えていたのだけど、そのおよそ百年後、遂に霊力で戦う術を身に着けた事によって、部族はアレストリア国を建国したわ。

 アレストリア国は当初こそ他の民族や既に成立していた国に対して中立の立場を示していたのだけど、建国から百年後、突如として武装蜂起したアレストリア国は皇帝を頂点とする絶対君主制を敷いた後、アレストリア帝国と改名して、今で言う帝国主義を掲げて動き始めたわ。『神話』には二頭の龍は人々によって討伐されたと記されているけれど、帝国史書にはその記述が一切無いの──……。まあ、それは良いとして。


 ここからは帝国史書のみに則った歴史よ。帝国となったアレストリアは、資源の豊富な山脈を制圧する為に北へ勢力を伸ばしたわ。最終的に北部山脈が手に入ってからは外部に対して無闇に武力を振りかざす事はせず、周辺国や集落を交渉の末に従属させていって、それに伴った人口や人々の往来の緩やかな増加に比例する形でアレストリアは発展、交易も盛んになって、経済や市場、治世の為の制度が整えられていったの。


 ここまでが現皇帝が即位するまでの話よ。何か質問はある?」


「……いや」


 寝ずに話を聞いていたラルフを見て、フェリーナは、くすり、と笑みを零す。


「あら、今回は珍しく起きているのね。良いわ、話を続けましょう。


 長きに亘って特にこれといった侵略行為はせず、他国や他民族と友好的な関係を築いていたアレストリアだったけど、今から二十六年前、今の皇帝が即位してから、状況は大きく変わったわ。現皇帝は即位してすぐ、霊力の研究開発に力を入れる政策を行って国力を大幅に強化したの。そして山脈を制圧した時とは比べ物にならない程の圧倒的な軍事力を行使して、主に東西に位置する国や民族を次々に侵略したわ。


 急激な領土拡大と人口の増加、資金配分の偏重によって治世が疎かになると同時に、国内の治安が大きく悪化して、政府の目が一番届いている筈の首都ですら毎日のように人殺しや盗み、不正な取引が為されるようになったの。当然、皇帝の為政に異を唱えて声を上げ、剣を取る者が現れたわ。そういった個々が集い、結成されたのが革命軍よ。これが、今から二十年前くらいね。


 最初、革命軍は帝国を離反した軍人が先陣を切って、現皇帝の退位や処刑を望む人々の支援を受けて順調に規模を拡大していったのだけど、これを国家に対する反逆行為と認めた帝国は、治安維持部隊およそ一万人と持てる技術を総動員して弾圧に乗り出したわ。結果、結成から二年で革命軍は鎮圧されて瓦解、多くの死者を出して尚生き残ったごく一部の人間が一年の潜伏を経た後、帝都南部にギルド制の組織を立ち上げて、今は『ギルド』と名乗って活動しているわ。


 帝国が『ギルド』を元革命軍の人間が運営していると認識しているかどうかは分からないけど、もし分かっていたとしても、これ以上手は出さないでしょう。ギルド制の組織を作る分には違法でないのだし、貧民街の治安をある程度とは言え維持している組織を壊すなんて、ただ面倒事が増えるだけですもの。

 ……はい、これが大雑把なアレストリアの歴史の変遷よ。何か、質問はあるかしら?」


 フェリーナの話す間、無言で彼女を見ていたラルフが、少々の間の後、口を開いた。


「……帝国史は粗方知っている。『ギルド』について、知りたかった事は全部分かった。でも一つ、聞いていない事がある。

 ……お前達は、一体何なんだ?」


 鋭く光るような瑠璃色の瞳に視線を送られ、フェリーナは目を細める。


「大丈夫よ。その話も、ちゃんとするから。じゃあ、少し休憩したら話しましょう。私達、『敵勢ギルド』について。少し待ってて頂戴ね」


 そう言ったフェリーナは椅子から立ち、部屋を出て行った。

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