12,崩れ去った洋館/地割れのある庭・夜更け


「……もう収まったか?」


 少女を抱えたエーティが、土煙の向こう側を見ようと目を凝らす。

 彼等の足元に広がっていた芝生の庭は一変、地割れが起こり、土塊が剥き出しになっていた。


「帰って来たみたいだよ」


 リゼルは術式を解きながら、収まりつつある土煙に映る人影を見つめる。


「よ、ただいま」


 やがてエーティ達の元へ、変わらない態度で笑うレギンと、俯きながらとぼとぼと歩くハクア、そして仏頂面で髪を掻き上げるシンが現れた。


「良し、これで全員だね。

 ……これは、今あんまり聞かない方が良い感じ?」

「まあな。色々あったんだよ」


 リゼルからの一瞥を受け、レギンは鼻を啜り始めたハクアの背を軽く叩く。すると、黙っていたシンが大きく溜息をついた。


「ほら。用は終わったんだから、さっさと帰りましょ」


 その声色には、明らかな苛立ちが籠っている。


「え、何であんなにキレてんの?」

「まあ分からんでもないけど、黙っといた方が身の為だぜ」


 目に見えて不機嫌なシンを前にひそひそと会話を交わす兄弟の背後で、ユーリアがおずおずと手を挙げる。


「あのー、すみません。まだ、全員ではないと思うのですが……」

「……あ」

「……あ」


 兄弟、共に発言の時宜が完全に合致した瞬間である。


「いや、忘れんなよあんた等。

にしたってあいつ、オレだって何処の誰だか分からん子供をずっと抱えてるワケにはいかねえんだが」


 エーティが困惑している横で、リゼルが眼前の地割れに頭を掻く。


「えー、でもこれ、流石に死んでるでしょ。この様子じゃあ問答無用で生き埋めだろうし、ねえ?」


 どうするよ、と二人が互いに顔を見合わせた、その時。


 鈍い音が彼等の足元から響く。全員の注意が、足元の地割れに向いた。

 二回目。更に大きな衝撃音が響く。


「……うっそ」

「生きてるっぽいぜ、こりゃあ」


 三回目。雷鳴と共に地面が吹き飛び、青年が姿を現した。

 土汚れこそ付いているものの、その身体に、目に付くような傷は一つも無い。


「…………」


 全員から凝視されている事を気にも留めず、青年はエーティの元へ歩いて行く。


「思いの外律儀なヤツなんだな、あんた」


 エーティは青年に、眠る少女を受け渡す。


「はいよ。一応出来る事は全部やったけど、あんたの言う通り、ただ眠らされてるだけみたいだ」

「……そうか」


 少女を丁寧に抱え、エーティを一瞥した青年は、別れも告げずに館の敷地を後にしていった。




 アレストリア西部/シュダルト郊外・夜更け




 月が西へ傾いている頃。青年は、とある家の扉を叩いた。

 直ぐに、一人の女が顔を出す。


「こんな遅くに、何方です──……。あなたは!?」


 眠い目を擦っていた女が、彼の顔を見るや否や、目を見開いた。


「……暫くすれば、目を覚ますだろう」


 青年に娘を渡された女はその場で膝をつき、娘の顔を間近に見つめ、頬を撫でる。


「ええ、間違いありません、この子は私の娘です。ありがとうございます、ありがとうございます!」


 涙を流し、何度も頭を下げていた女が、はたと頭を上げた。


「あ、あの、今度こそお金を! ささやかなものですが……」


 金の入った麻袋を差し出されるも、それを受け取る事はせず、代わりに青年は懐から小さな麻袋を取り出して女に渡す。


「……好きに使え」


 そして、踵を返して去って行った。


「本当に、本当にありがとうございます。ラルフ・バンギュラスさん……!」


 ラルフ・バンギュラス。青年の名を呼びながら、女はその背に深く頭を下げた。




 ・・・




「…………」


 疲れた。正直、このまま立って眠れるかもしれない。

 する必要の無い事を最後の最後までやり通した挙句、終いには危うく圧死する所だった。

 本当、クソ食らえも良い所だ。帰ったら即刻寝よう。


 ……そう言えば。

 自分から勝手に人を助けておきながら、あの女に礼を言われても、全く嬉しくなかった。

 嬉しくない、と言うより。目の前で起こっている事実以上の事を何も感じなかった。


 物心付いてから今まで、何をしてもされても、およそ喜怒哀楽と呼べる感情を鮮明に持った事が無い、気がする。


 ────まあ。だから何だ、って言う話にはなるが。


「ラルフって言うんだな、お前」


 唐突に、聞き覚えのある声が掛かる。


「どうした。おっかねえ顔して」


 背後に、黒髪と赤い上着の、あの男が立っていた。




 ・・・




「……何の用だ」


 青年──ラルフは向き直り、レギンを睨む。


「ちょいと訊きたい事があってな。そんなに睨むなって。何、大した事じゃねえよ」


 手をひらひらと動かしたレギンは、ラルフに歩み寄った。


「俺さ。一週間くらい前、大通りでたまたま捕まえたを捕り逃がしそうになったんだよ。だけどその時、どういう天の思し召しだか知らねえが、突然雷が落ちてきて、撃たれて気絶しちまったのさ、そいつ」


 目を細めて話していたレギンが、ふとラルフを見据える。


「お前だろ。あれやったの」


 そう笑いかけられたラルフは眉根を寄せ、目を逸らすように後ろを向いた。


「……だから何だ」

「やっぱりそうだったか。いやあ、ネクタイピンアレを俺のだろうとか言って、わざわざ拠点まで追っかけて来た時点で怪しくは思ってたんだがな」


 ラルフの横を通り過ぎ、レギンは彼の前に向き直る。


「さて、ここからが本題だ。お前、俺等の仲間にならねえか?」


 唐突な勧誘を受け、ラルフはレギンを見た。


「……『敵勢ギルド』か」

「そ、当たり。俺等は貧民街で噂されてる『敵勢ギルド』そのものだ。どうせ暇だろ、お前。たまに『ギルド』から送り付けられて来る無理難題級の依頼を熟さにゃならんが、少なくとも金と衣食住には困らないぜ?」


 差し出されたレギンの手を前に、ラルフは溜息をつく。


「……お前の言う拠点は、あの場所なのか」

「ああ。お前がハクアに運び込まれた場所だ」

「……革命の意思は無いぞ」

「あー。それに関しては色々あってだな。ま、少なくともこの場じゃあ口が裂けても言えねえんだわ。でも心配するな、加入を急かしといて実は、なんてセコい手口は使わねえよ。俺が保証する。って、あら? 俺これ今、語るに落ちちゃってる?」

「…………」


 呆れるように頭を掻いた後、ラルフはレギンの手を掴んだ。


「……分かった」

「良し。交渉成立、だな。さて、そんじゃ帰りますかね」


 満足気にそう言ったレギンは踵を返し、ゆっくりと歩きだす。


「……他の連中はどうした」

「ああ、あいつ等ならリゼルの術式でとっくに帰ってるよ。術式が発動する寸前に俺が勝手に抜けて来たってだけだ」

「……何時着くんだ」

「さあな、俺にも分からん。少なくとも日が南に昇りきるまでには帰れるんじゃねえか?」

「…………」

「まあまあ。歩きがてら、色々話そうぜ」


 そんな会話を交わしながら、二人は東へと歩いて行った。


 これは、最強を誇り続ける帝国で、陰謀と理不尽に飲み込まれながら、それでも正しくあろうと足掻き続ける人間達の話。


 そして、一人の青年が己の過去を取り戻す、愛すべき希望の物語。


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