10,風見鶏の洋館/大広間・夜更け
アレストリアで語り継がれる「神話」には、二頭の龍の存在が描かれている。
白い鱗に包まれ、漆黒の牙を持ち、青い目をした、厳しく毅然と振る舞う、女の龍。
黒い鱗に包まれ、純白の牙を持ち、紅い目をした、優しく悠然と振る舞う、男の龍。
そしてその龍に
龍が霊力と「能力」の存在、そしてその使い方を人々に授けた時、同時に自らの牙を一つずつ差し出し、二振りの剣を作らせた。
そして一人の職人の手により、女の龍の牙からは刃渡りの短い剣が、男の龍の牙からは刃渡りの長い剣が作られた。
二振り共に鋭い切れ味と良いしなやかさを持ち、霊力を断ち、また留める力を持っていた。
人々は龍からの賜り物であるこれらの剣を有り難く思い、皆が霊力を籠めた晒布にその刀身と柄を包み、小さな祭壇に納めたのだった。
この際に作られた短剣と剣は、後の世で「龍刃」「煌刃」と呼ばれるようになる。
これらは「神話」の中にしか存在し得ない、空想の産物なのか。
それとも────────?
風見鶏の洋館/大広間・夜更け
「そう。アンタが」
眼前のネフィを睨み、シンは腰の短剣に手を掛ける。
「ああ、ボクがこの館の主、ネフィだ。そして君の思う通り、死体を動かしている人間だよ」
口上を淡々と述べ、ネフィは窓の縁まで進み出た。その表情から凶悪さは見て取れない。
「おおよそ『ギルド』の関係なんだろうが、君達はどうも特別みたいだ。前にも一回、『ギルド』の手先がここに来た事があってね。人形に怯えて隙だらけだったものだから簡単に誘導出来たんだけど、君達は怯えるどころか、この所業だ。そこな優しいお嬢さんだって、最終的には人形諸共、ボクを焼き払った訳だしね。
……ああ。もしかして、君達が闇で噂の『敵勢ギルド』ってヤツなのかな?」
「……お前」
レギンの表情が険しくなる様を見て、何処か憂いを帯びた笑みを浮かべたネフィは、両手を頭程の高さまで上げた。
「まあ、だから何だ、という話にはなるけど。だってこっちは、もうお手上げだから。
さて、君達の望むものはボクの命と見た。いずれは報いを受けると思っていたからね。どんな殺され方をされようと、覚悟は出来ているよ」
ネフィが目を閉じつつあった、その時。レギンのシールから、もしもし、とリゼルの声が放たれた。
『兄さん、聞こえる? もう少しで二〇分経つけど、そっちどうなってんの?』
赤い上着の襟を、レギンは口元へと近付ける。
「ああ。丁度目の前に、事の黒幕が居るよ。誘拐した女の子は全員殺して、動く死体に仕立て上げてたんだとよ」
『……成程ね。ちょっと兄さん、その人に訊きたい事があるんだけど、良い?』
「だってよ。ネフィとやら」
レギンは上着からシールを引き剥がし、それを前へ突き出した。
「へえ。きっとその紙切れの向こうの君もボクと同じ、超常現象系の『能力』を持った人なんだね。こんばんは」
『うるさい。黙って。
君、さっき『ギルド』の手先を誘導した、って言ってたよね。その人達、どうしたの?』
「…………」
俯くネフィへ、レギンが更に畳み掛ける。
「ちなみに一人、生きてる子が居たぜ。でも『ギルド』で雇われたらしき人間は居なかった。それってつまるところ、俺達が見落としてるか、ここじゃない、何処か別の場所に居るか、って事だよな?」
『え、生存者? 居るなら言ってよ』
「まあまあ、事情は後で説明するから。で、どうなんだ」
「……ははっ」
二人に追及されたネフィが、突如として笑声を零した。
「そうだよ、御明察。あの日捕まえた『ギルド』の人間は、別の場所に居る」
俯いたまま、ネフィは話を続ける。
「そうだな。じゃあボクからも一つ、特にこの館を隈無く探検してくれたそこの四人に訊こう。君達、この館に入って、何かおかしいと思った所は無かったかい?」
四人が例外無く怪訝そうな表情をする前で、ネフィは顔を上げた。
「ボクの『能力』は遠隔操作。言わずもがな、超常現象系の『能力』だ。超常現象系の『能力』は、そもそも発動するまでにとてつもない量の霊力を必要とする。どんなに頑張っても精々、発現出来る程度。それらしく使うなんて並の人間じゃあ土台無理な話だし、ボクもその並の人間の中の一人だ。
そんなボクが『能力』を使って門や扉を動かなくしたり、人形を一度に二十体近くも操ったりを同時にするなんて、何か裏があるんじゃないかって、本当に一度も思わなかったのかい?」
「テメエ……!」
「やっぱりね」
表情を豹変させたレギンは霊力を放出し、同時にシンは腰の短剣を二振り、共に引き抜いた。
「さあ、ここまで言ったんだ。同じ超常現象系の『能力』を持っているのなら分かる筈だ、紙切れの先に居る君!?」
再び狂気を孕み始めたネフィの声に、リゼルは心底呆れたような溜息をつく。
『ここまで言ったんだから分かる筈だ、ねえ。こっちは分かった上で訊いてんだよ、勝手にお膳立てしたつもりにならないでくれる?
固定術式。周囲の生きた生物から強制的に霊力を吸い上げる術式。女の子を誘拐しては動く死体に仕立て上げて、用無しは固定術式の前に放り出して
「ハハハ。まあ、何とでも言うが良いさ。ボクへの恨みが募った所で、さあ、一息に殺すと良い。あの人が生きてさえいれば、ボクはどうなりと」
ネフィが満足気に目を閉じてから、ふとシンが口を開いた。
「……ああ、そうそう。アタシもアンタに訊いて良い?」
「今度は何だ──……ッ!?」
シンの足元にちらと見えた薄紫色の布地に、ネフィは目を見開く。
「アンタ、アタシ達を監視してたでしょう。そこかしこに術式が描いてあったわ。だからアンタが終ぞ姿を見せなかった時、姿を見せる理由になるだろうと思って北側の部屋から担いで来たんだけど。アンタの言うあの人って、もしかしてコイツ?」
シンがその場を退いた先。そこにはまだ体温の残る、女の死体が横たわっていた。その白髪は死して尚、美しく輝いている。
「な、ど、どうして……!?」
「確かに、あの扉の術式は凄かったわ。さっきアンタが術式越しに話してた男、居るじゃない? あれ実は化け物級の術式使いなんだけど、術式の技術だけなら多分タメ張れるわよ、アンタ。でも残念、そういった類のものは全部無力化出来るのよ、アタシ」
「あ……ああ…………」
顔面を蒼白にしたネフィは女へふらふらと歩み寄り、その肩を抱き上げ、頬に手を添えた。
「ああ。ちなみにソイツ、自分の『能力』で全身を文字通り若作りしてたわよ。外れを掴まされたわね。お気の毒様」
「……──さんだ」
「は?」
予想外の返答を聞いたシンは、思わず眉を吊り上げる。
「母さんだ……!」
「母親ぁ? 恋人じゃなくて?」
「違う、この人はボクの母さんだ!! お前、この人を殺して尚、利用するつもりだったのか!?」
嗚咽で震える喉から、ネフィは声を絞り出す。碧色の瞳から流れる涙は、憎悪の色に
「ええ、そうね」
シンが答えると同時に、大広間の装飾品が小刻みに震え始める。
「……シン」
悲しみに満ちた瞳でハクアに見つめられ、シンは目を伏せた。
「そんな目で見ないでよね。アタシだって楽じゃないんだから」
「おい、話してる場合じゃねえぞ……!」
シールを元の位置に貼り終えたレギンが、シンとハクアに呼び掛ける。その間、ネフィは母親の亡骸を丁寧に横たえて立ち上がった。
震えていた装飾品が、一斉に浮き上がる。
「……殺してやる。殺してやる、殺してやるッ!!」
ネフィの怒声と同時に、浮いたそれらが四人へ向かって凄まじい速度で飛んで行った。
「どうなってんだこりゃあ……!?」
「直撃したら、ヤバそうね!」
しかし、黙ってそれを受ける彼等ではない。三人は凶器と化した装飾品を次々に叩き落していく。ただ、少女を抱えて両手の塞がっている青年だけはそうする訳にも行かず、避ける事で手一杯である。そして。
「君、危ない!」
「!!」
青年の背後へ飛来した真鍮の燭台をハクアが蹴り飛ばし、彼は事無きを得る。ハクアは青年の肩を掴み、その瑠璃色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「君、今すぐここから逃げて。外にエーティが居るから、その子を診せてあげて」
「……了解」
すぐさま青年は直角に向き直り、大広間から廊下へと駆けて行く。
「逃がすか!」
怒りに身を任せたネフィが手を振る。すると四人を同時に襲っていた装飾品が青年、ただ一人の方へと向きを変えて飛び始めた。
「だめ……!」
ハクアは「能力」を発動し、それらを全て炎で横薙ぎにする。青年を仕留める事に失敗したネフィは舌打ちをすると、合図するように手を動かし、背後にずらりと銀の食器を並べた。
「おいおい、マジかよ。台所から持って来たってか」
ナイフやフォークといった山程のカトラリーへ紛れるように、包丁まで自らに刃を向けて並んでいる様を見たレギンは、思わず呆れた笑い声を上げる。
「そうだ。こんな事もあろうかと、この家にあるもの全てにボクの術式が仕込んである。物が物として機能しなくなるまで、皿の一枚、ナイフの一本、硝子の一片までがボクの武器だ。さあ、死ね!!」
一直線に飛来する数多の襲撃者を迎え撃つべく、三人は身を構えた。
風見鶏の洋館/広い庭・夜更け
「ちょっとまずいね。聞いた限りじゃあ向こうの方が数段ヤバそうだけど、こっちもこっちで何個か勝手に物がすっ飛んで来てるし」
そう言いつつ、リゼルは二、三の術式を展開、収束させた光熱を撃ち出してそれらを迎撃する。
『援護は必要ですか?』
「うーん、そうだね。何かデカいヤツが来たら宜しく。げ、あのナイフ、血が付いてるよ」
しかしこの少年、血の付いた刃物が自らへ真っ直ぐに飛来するこの状況で、それを正確に撃ち落とすに加え、ユーリアと会話をするという余裕具合である。
『! 玄関から大型物体、来ます!』
ユーリアの言葉に、リゼルは、ええ、と呆れた声を出す。
「何、等身大の彫刻とか? 質量的にもやめてほしいな──……」
『いいえ、違います。あれは!』
直後、黒い塊が洋館から飛び出した。最初こそ呆気に取られていたものの、リゼルはそれが例の青年であると気付くや否や、その周囲を術式で囲う。
遅れて青年へと迫った装飾用の皿は彼に到達する事無く、術式によって形成された不可視の壁に中り、砕け落ちた。
「君。もしかして、その子が兄さんの言ってた女の子?」
「生存者か!?」
リゼルの声を聞いたエーティが枝から飛び降り、二人の元へ駆け寄る。青年の腕の中で少女は怪我一つ無く、穏やかに眠っていた。
「睡眠薬か何かで眠らされている。直に起きる筈だ」
「あんた、それ……」
そこでエーティは初めて、青年の腕に出来た傷を目にする。コートの黒い布地によって目立ちこそしないが、確かにそこからは血が流れていた。
「大した傷じゃない。……それと、屋内に入口らしい入り口は無かったぞ」
「!! そうか。当てが外れたか……。って、おい、何を──……!?」
突如、少女を半ば強引にエーティへ押しやった青年は、徐にユーリアを見上げる。
「……お前」
「は、はい! 何でしょうか!?」
射通すような青年の視線に、ユーリアの声が裏返る。
「そこから降りろ。そしてそれを俺に撃て」
「は? 急に何言って──……」
「……分かりました。それで、状況は変わるんですね?」
「……恐らくな」
青年の意思を汲んだユーリアは、リゼルを遮って大木から飛び降り、手にしている銃器──小銃型霊力砲の銃口を彼に向けた。一方青年は、腰から短剣を引き抜き、銃口に切っ先を向ける。白い晒状の鞘が、独りでに解かれていった。
「それは──……! いいえ、何でもありません。貴方を信じます。行きますよ」
ユーリアが引き金を引いた瞬間、青白く光る熱線が青年に向けて撃ち出される。短剣の切先に触れて二つに分かたれた熱線は紫煙のように形を変え、みるみるうちに青年の元へ集まり、そして消えていった。
間も無く、青年の全身から電撃が放出され始める。
「どうなってんの……!?」
「オレに訊くな」
唖然としているリゼルとエーティの視線を無視して、青年は大木の根元に刃を突き立てた。
直後、雷が落ちたと思える程の強烈な電撃が、宙を奔る。
「ううっ!?」
リゼルが咄嗟に展開した術式により少女を含めた四人は無傷だったものの、衝撃を真面に受けた大木はめりめりと音を立てて向こう側へと倒れ、その根元だった場所に、人一人が通れる程の穴が出現する。
その存在を確認した青年は、当然のように穴の中へと飛び込んで行った。
・・・
ああ。どうして俺が、こんな事を。
女の娘を連れ出すだけで良かった筈なのに、現状、それとは全く関係の無い事をやっている。
あいつか。
石煉瓦の壁に靴の底が擦れる、妙な臭いが鼻につく。
もうじき壁の終わりだ。あそこで飛べば、上手く着地出来るだろう。少なくとも着地出来る場があれば、の話だが。
「…………」
取り敢えず、着地は出来た。転がっている蝋燭に火が灯っているのは、何かの兆しなのか。
まあ、気にするだけ無駄か。燭台に挿せば足元くらいは照らせるだろう。
地面に何かが敷かれている。どうやら何かのレールらしい。
成程。地下の保管庫へものを運ぶ仕掛けを改造してあるのか。道理で気付けなかった訳だ。
取り敢えず、進むしか道は無さそうか。
暫く歩いた先で止まっていたトロッコの中に、犬の死体が入っていた。死んだばかりなのか、死臭はしない。目立った怪我も無いようだ。
犬一匹がこんな場所で、一体どうやって──……?
「……!!」
────そうか。ここが。
思った時には遅かった。目の前の壁に書かれた、俺の身の丈程の大きさにもなるような円形の術式が、白く光り始める。
「ッ!?」
何だ、これ。急に意識が遠くなっていく。
自分の中に確かに存在する何かが蝕まれ、勝手にこの身を離れていくような、奇妙な感覚。
ああ。これが、生きながらにして霊力を吸い上げられる、って事か。
でも。俺の手には「龍刃」がある。そして奪った霊力は全て、俺が、俺の意志で奪ったものだ。だから。
「……術式如きが。奪えるものなら、奪ってみろ──────!」
力に身を任せて、術式に刃を突き立てる。
術式の発していた光が消えた。
ぱらぱら、と煉瓦の欠片が降って来るのが分かる。
そうだ、ここは地下。強引に破壊された術式は、書かれた対象の破壊を伴って────。
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