9,風見鶏の洋館/大窓のある廊下・夜更け
「君は、あの時の!」
呆気に取られた表情と打って変わり、顔を輝かせたハクアは、青年の元へ駆け寄った。
「また会ったね! どうしてこんなとこに?」
「……こいつの母親に雇われて、ここへ来た。それだけだ」
「そっか。優しいんだね、君」
にっこりと笑ったハクアは、ネフィの方へと進み出る。
「ちょっと待ってて。その子をお願いね」
やがて、死体人形に囲まれたネフィが、ゆっくりと身体を起こした。
「随分と……卑怯な真似を、してくれるじゃないか」
よろめきながら立ち上がったネフィはハクアの向こう、少女を抱えた青年を睨む。
「彼女が人形に苦戦しているのを知って尚、人形を自身の隠れ蓑にするとは、君も中々に──……。
……まあ、良いさ。続きと行こうか、お嬢さん」
「うん。その事なんだけど」
そう小さく言って、ハクアは霊力を開放し、「能力」を発動した。突如として空間を満たした炎、その余りの熱量に、大窓の一部が粉々に砕け散る。
「ッ!? これは……!?」
膨大な霊力が生み出す風圧を、ネフィは腕で遮った。
「ごめんね」
眼前の敵影を捉えたハクアは、廊下に満ちる炎を右手へと収束させ、投げるように腕を振る。
「はあああッ!!」
「くそ……ッ!」
竜巻のように前方へと広がった炎は、死体人形ごとネフィを吹き飛ばした。
天井の燃え滓が、黒く焦げた床に降り注ぐ。暫くその光景を眺めてから、ハクアは青年の元へ走り寄った。
「大丈夫、ケガしてない? うんうん、どっちも大丈夫そうだね!
良ーし、それじゃあ逃げよう!」
「は……?」
ハクアの言葉の意図が分からず、青年は疑問の声を漏らす。少しして、彼が事情を知らない事に気付いたハクアは、あのね、と説明し始めた。
「実はね、さっきのふよふよした白い女の子以外の人に会ったら逃げて来い、って言われてるの。だから、君も一緒に行こう!」
「……了解」
「うん! 一人じゃないから、今度は怖くないぞー!」
軽やかな足取りで来た道を戻るハクアの後を、青年は溜息交じりに徒歩で追った。
風見鶏の洋館/夜風の吹く部屋・夜更け
窓から吹き込む夜風に、女の白髪が揺れる。
「ふふ、死神、だなんて。面白い事を言う人が居たものね」
口元に手を添えて笑う様は、さながら可憐な花のようだ。
「アンタでしょ、あの悪趣味な人形作ってんの」
ふと、女の笑い声が途切れた。女の紫色の瞳が、妖艶にシンを見つめる。
「……悪趣味? 何を言っているのかしら。悪趣味。悪趣味ねえ、ふふふっ」
女の恍惚とした笑みに、シンの眉間が寄った。
「でも、そうね。ふふ。違うわ。あの子達を動かしているのは、私じゃないのよ」
「知ってるわよ、そんな事」
「あら、どうして? 聞きたいわ」
目を細める女を前に溜息をつき、シンは口元を覆っていたマフラーを取る。
「あらまあ、手配書で見るよりも綺麗なお顔じゃない。可愛いわあ」
「心にも無い事言わないでくれる?
女をきつく睨み付けた後、シンは浅く息を吐いた。
「……まあ良いわ。特別に教えてあげる。
門から庭に入る時、風が吹いていたの。普通風に吹かれたら、門ってガタガタ軋むでしょ。でも、ここの門は微動だにしなかった。そしたら門から声がして、いよいよ怪しく思ってたら案の定術式があって、しかも『能力』まで掛かってたのよ。これでまず一人、超常現象系の『能力』を持った人間が居る事になる。何となく霊力が遠くまで繋がってる感じがしたから、考え得る中で一番単純なのは、遠隔操作って所かしら。
そしていざ館の中に入ってみれば、白い服の幽霊っぽいのがご丁寧に槍まで持ってお出迎えしてくれて。その胴を真っ二つにしてみれば、まあビックリ。中身の腐った死体だったのよ。正直、幽霊の方がまだマシね」
シンはやれやれ、と首を振り、話を続ける。
「ここで一つ、この館には最低でも二人、『能力』を持った人間が居るって事が分かる。何でかって、その死体、中身はぐちゃぐちゃだったけど、外身は綺麗なままだったの。だからこの館には必然的に、死体を動かす人間と死体の外身だけを固定させる人間の二人が居る事になる。
で、決定的だったのが、そもそも門からした声は、確実に男の声だった。アンタはまあ、アタシの目が病的に壊れてるか、アンタが女装の達人か何かでもない限り、どっからどう見たって女よね」
「……ふ、ふふふ。うふふ、あははははは!!」
シンが言い終わると同時に、女は声を上げて笑い始めた。一頻り笑ってから、女は涙を拭ってシンを見る。
「ええそうよ、大正解。全て貴女の言う通り。私の部屋へ来た子の姿を、私がそのままに保存するの。そして後は殺してしまえば、そう。永遠に変わらない、私だけのお人形さんが完成するのよ。ああ、でも、何でかしら。たまに腐り落ちてしまう子が居るの。とても悲しいわ」
でも素敵でしょう、と天井を仰ぐ女に、シンは舌打ちをする。
「何処が素敵よ、気持ち悪い。でも、これでアンタが何なのかは大体分かったわ。
まず、アンタは『能力』で物事の発生時期を好きなだけ遅らせる事が出来る。例えば正に、あの死体。外身が腐る、っていう現象を先延ばしにする事で、外身だけをずっと綺麗なままに保つ事が出来る。遷延の『能力』、とでも言うべきかしら」
満足そうに笑みを浮かべ頷く女を前に、シンは一度口を閉ざしてから再度、重々しく口を開いた。
「後、気付いてないかもしれないけど。アンタさっき、たまに腐り落ちる死体がある、って言ったわよね。それ、アンタが原因よ」
「……何ですって?」
今まで笑みを絶やす事の無かった女の口角が、初めて下がる。
「アンタの『能力』は、あくまで現象の発生を先延ばしにするもの。現象そのものを完全に抹消する事は出来ない。どれだけ先延ばしにしても、その現象は何時か必ず発生する。しかもアンタは『能力』を完全には使えてない。霊力操作の練習、した事無いでしょ。だから先延ばしにする期間がバラバラになる。それがアンタの言う、たまに腐り落ちる死体が居る、って事」
ドレスのスカートを握り締め、女は肩を震わせた。
「そんな事無いわ。何をふざけているの、貴女。ええ、そうよ、これはきっと出鱈目ね。だって、あの子達は永遠なんだもの。大事に、大事にしてあげてるんだもの。それが私の所為ですって? 有り得ない、有り得ない、絶対に有り得ない! ああ、ネフィね、あの子がいけないんだわ。あの子の術式が不出来だったのよ。ええそうね、きっとそう。そうでしかないわ! だから貴女は間違ってるッ、私の、私の所為なんかじゃないッ!!」
自らの白髪を掻き毟る女の頬に手を添え、シンは自身の方へ彼女の顔を向かせる。
「何、良い歳こいて子供なんかに縋ってんのよ。現実を見なさい」
そしてその掌に霊力を集め、「能力」を発動した。
「休み無く働かなきゃ物も食えない、貧民街の人間でもなし。それどころか
束の間。冷たい風が、女を包む。
途端、先程までの妙齢の姿は見る影も無く消え去り、代わりにその場には初老の女が出現した。
「よっぽど自分の『能力』に自信があったみたいだけど、アタシからしてみれば魅力もへったくれも無いのよね。誰がどんなに歳を取ろうが、大体皆、一緒に見えるもの。
……けどまあ、そうね。今のアンタ、さっきよりよっぽど綺麗な
シンは女の頬から手を離し、腰から一振りの短剣を引き抜く。女はその場にへたり込み、ああ、ああ、と譫言を呟きながら自らの変わり果てた顔をぺたぺたと触っている。
「せっかくだからもう一つ、良い事を教えてあげるわ。死神が良く喋る時にはね」
順手に持ち替えられた刃が、女の首に振り下ろされた。
「とうの昔に仕事は終わってるのよ」
風見鶏の洋館/大広間・夜更け
「さて。こいつで終わりだ、」
人形の頭頂部に、白い刃が振り下ろされる。
「なっ!」
最後の一体を斬り伏せ、レギンは一度、剣を振り抜いた。すると柄に巻かれた晒状の黒い鞘が、独りでに刀身へと巻かれていく。
意識せずとも大広間の入口の反対側、大きな硝子窓の前に立っていたレギンは、ふと部屋を一様に見渡し、深い溜息をついた。
「いやあ、にしても
黒やら赤やらの色味をした液体と肉塊の散乱する大広間には、只ならぬ悪臭が充満している。
「全くよ。もう少し何とかならなかったの、コレ?」
レギンの独り言に答える声と共に、一つの影が入口に現れる。影は床に転がるそれらを器用に避け、月光の下に姿を見せた。
「シン。あんた、それって……?」
レギンが眉を
「ああ、コイツね。死体を腐らなくしてた張本人よ」
「!? こいつ……!」
床へ無造作に放られたそれを目にし、レギンは思わず絶句する。彼等の目の前には、首を中程まで斬られて事切れた、初老の女が横たわっていた。
「コイツが『能力』で腐らない死体を作ってたのよ。それをここに居る誰かが動かしてるのね。全く、暇を持て余した金持ちがこぞって悪趣味を極めるの、ホント何なのかしら。って、アンタ、聞いてる?」
絶句したきり言葉を発さないレギンの顔を覗き込み、シンは彼の顔の前で手を振った。
「……悪い、ちょっとな。変な縁もあるもんだと思って」
「何、アンタまさか、コイツと知り合いだったの?」
突如として向けられた悍ましい物を見るような視線に、レギンは思わず頬を指で掻く。
「あのー、俺、そんなに疑わしいか?」
「そりゃあ疑いたくもなるわよ、こんな猟奇的な性倒錯者と知り合いとか」
「いや、普通にただ会った事があるだけだから。中心地区の人間と親しいとか、どう考えても無えだろ、普通。
一週間くらい前、大通りでひったくりが出てな。俺の所へ走って来るもんだから捕まえたんだが、その時、ひったくりが盗んだ鞄の持ち主がこの人だったんだ。……でも、やっぱり見間違いだったか? こんなに老け顔じゃなかったぞ」
間を置いて、シンは、ええ、と静かに呟いた。
「それ、多分間違ってないわよ。コイツ、死体に施してた『能力』を自分にも使ってたわ」
「は?」
意味が分からない、と言わんばかりに、レギンは眉根を寄せる。
「コイツの『能力』は、起こると確定した事象の発生を遅らせる『能力』。まあ多分、超常現象系でしょう。一応話してはみたけど、どうも若さにご執心だったみたい。失ったら即廃人になるくらいにね。
……自分も周りも歳を取らない不変の世界、か。現実逃避にも程があるわね」
「それが仮に本当だとしても、そこからどうやって女の子の死体を動かして侍らそう、なんて破滅的な考えに辿り着くんだよ。頭から爪先まで意味不明だぞ」
「知らないわよ、狂人の思考回路なんて。ヤク漬けになって頭ブッ飛んだとしても理解出来ない自信あるわ。……でもまあ、常人の思考回路の範囲で考えるなら。多分、寂しかったんじゃない?」
「……何だそりゃあ」
アホくせえ、とレギンが舌打ちをした、直後。背後から二人の耳に、誰かの走る足音が入る。
「……これって」
「ええ、来たみたいね、
そう言って二人が見た先には、転がる肉塊に些か目を伏せてから、それらを避けつつ走り寄って来るハクアの姿があった。
「二人共! やっと会えた!」
二人の無事を確認して眩い笑顔を浮かべたハクアは、振り返って大広間の入口へ大きく手を振る。
「君! そこの足元、気を付けてねー!」
入口に立ち止まっていた人影は、三人の元に聞こえる程の大きな舌打ちをした。その姿を目にしたレギンが、ふっと笑みを零す。
「やっぱりお前だったか。何でここに──……って。訊くのはちょいと野暮みたいだな」
大窓の前に現れたのは、少女を抱きかかえた青年だった。
それから彼は、ふと黒装束の女──シンを見つめる。その視線に気付いたシンは、気さくに手をひらひらと振った。
「大丈夫よ、
「お前は──……」
「ああ、それ以上は言わなくて良いわ。わざわざ訊かずとも、分かりきってる話でしょ?」
「…………」
突如として向けられた冷たい視線に、青年は口を噤んだ。妙な緊張感の漂う空間で、レギンが口を切る。
「ところで、シン。ハクアが来たって事はさ、つまり、そういう事だよな?」
言い終わった瞬間、レギンの背後、大窓に向かって左側の廊下からの足音を、四人全員が耳にする。
「……そうみたいね」
足音が近付くに連れ、その主の全貌が明らかになる。大窓の手前で立ち止まった彼の服装は、所々が黒く焦げていた。
「全く。人の脇腹を蹴り飛ばした上に廊下ごとボクを焼き払って、剰え人形を全部切り刻むとか、何処まで野蛮な真似をしたら気が済むんだい、君達はさ」
四人の見る先には、数多の少女達を攫い続けた張本人、ネフィが立っている────。
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