8,風見鶏の洋館/灯りの無い廊下・夜更け


 蝋燭に灯った橙色の火に照らされ、シンは廊下を進んで行く。


 やがて直ぐにその廊下は、一つのドアへ突き当たった。

 握っていた二振りの短剣を収め、シンがドアに手を掛ける。すると幾重にも描かれた巨大な術式が、仄白く浮かび上がった。


「多分コレ、開けた瞬間に死ぬヤツじゃない? ……仕方無いわね。使いましょうか」


 他の術式とは比べ物にならない霊力量を肌で感じ取り、シンは「能力」を開放する。

 途端、ドアに書かれた術式が、中心からたちまち消えていった。


 シンの持つ能力は、即ち反転。「能力」や身体強化を発現している霊力、及び発動している術式に触れた際、その反対の性質、方向、強さを示す事でその効果を相殺、無力化する、自己強化系の「能力」である。

 「能力」の及ぶ範囲は自己強化系なだけに狭いが、一度発動すれば触れるだけで「能力」や身体強化への対処が可能な上、術式も危険無く消滅させる事の出来る、非常に優秀な「能力」である。


 術式の消滅を確認し、シンはドアを開ける。


 そこでは、窓辺の椅子に座った女が一人、夜風に吹かれていた。

 女はシンの存在に気付き、ゆっくりと立ち上がる。


「あら、こんな夜更けにお客様なんて。こんばんは」


 白い手袋、薄紫色のドレス。うねりの強い、背中の中程まで伸びた白い長髪が、風に揺れてきらきらと煌めく。


「でも、あの子を呼んだ憶えは無いわね。何方どなた?」


 シンはマフラーの下で不敵な笑みを浮かべ、女を見た。


「名乗れる程の名前は無いけど、ええ。強いて言うなら、アンタの死神よ」




 風見鶏の洋館/広い庭・夜更け




『やめろ、リゼル!!』


 親機から、エーティの声が放たれる。

 しかしその声が耳に届くよりも早く、リゼルは右手の術式──その範囲の空気を圧縮し、任意の頃合いで解放する──を青年に叩き付けていた。延髄を狙ったその一撃は、受ければ誰もが気絶する威力だ。


 が、瞬間。青年は振り向き様に目にも留まらぬ速さで短剣を引き抜き、その石突をリゼルの掌へ突き出す。


「ッ!?」


 その短剣を目にしたリゼルは、目を見開いた。

 破裂音にも似た音が庭に響く。術式が放った衝撃は、短剣へと吸収されていった。


「何で……!?」


 リゼルは術式を背後に展開しながら、青年の持つ短剣を凝視する。


「それ『龍刃』でしょ!? 何で君がそんなもの持ってんの!?」

『何してんだ、そいつに攻撃するな!』


 依然として発せられるエーティの声に舌打ちしたリゼルは、親機を毟るように掴み、苛立ちの籠った声音で応答した。


「うるさいんだけど、ちょっと黙っててくれない……!?」

『一旦、オレと話をさせてくれ。そいつと顔見知りなんだ』

「は? いきなり何言って──……」

『良いから。事情は後で話す』

「……分かった」


 リゼルから投げて寄越された親機を、青年は両手で受け取る。


『よお、また会うとはな。一週間ぶりくらいか。その節はどうも。訳あってあんたの前には出られない。悪く思うなよ』

「……何の用だ」


 青年の低く、何処か威圧感のある声に臆せず、エーティは話を続ける。


『あんた、ここが何処で、どんな場所か、分かってるのか?』

「……ああ」

『なら良い。あんたに一つ、頼みたい事があってな』

「……何だ」

『この屋敷の地下室を見付けて調べてくれ。最悪、手掛かりだけでも良い。何かある筈だ』

「…………」


 エーティの言葉に返答しないまま、青年は親機をリゼルに手渡す。


「一応言っとくけど、得物の件も含めて、僕は君を信用してないから。邪魔立てしたら殺すからね」


 自らを睨み付けるリゼルを一瞥し、青年は館の扉無き扉へと駆けて行った。




 風見鶏の洋館/大広間・夜更け




 窓が幾つも並んだ広い廊下を進んだレギンは間も無く、電灯の点いていない、しかし豪勢なシャンデリアのある大広間へ出た。正面に大きく張られた硝子窓のへ鎮座する月が、廊下ごとレギンの姿を照らし出す。


『あー、もしもし? リゼルでーす』

「ん?」


 突如声の発せられたシールに、レギンは注意を傾けた。


『これ、シンとハクアと兄さんの三人同時に回線開いてるんで、そっち側から話しかけられても応答出来ないから、そこは悪しからず。

 はい。用件はと言うと、他所者が一人、建物に入りました。エーティ曰く顔見知りらしいけど、邪魔してくるようなら殺す事も視野に入れて行動して下さい。以上』


 声が途切れた事を確認して、レギンは窓越しの夜空を眺める。


「……他所者ってヤツ、何となく誰だか分かった気がするんだが」


 呟いてから、レギンは正面の白い群れを睨んだ。視線の先には、数にして十数の少女達──死体人形が、鉄剣や槍を携えて浮遊している。


「ったく、勘弁してくれよ」


 溜息をついたレギンは手にしていた剣を構え、言葉とは裏腹に、躊躇い無く群れへと突っ込んで行った。




 風見鶏の洋館/枝の上・夜更け




 風に吹かれた芝が、白く波打っている。


「あの、エーティさん。地下室って、その、何の事ですか?」

「ん? ああ」


 ユーリアに尋ねられ、エーティは立ち上がって木の上から塀の向こうを見渡した。


「ユーリア。中心地区の番地って、中央政府に向かって左上から時計回りに、一番地、二番地、三番地、四番地の順で、一区画毎に付けられてるんだよな?」

「はい、そうです」


 それから視線を落とし、館の敷地を俯瞰する。


「だよな。それを前提にすると、だ。この館の敷地、他の屋敷の敷地と比べて見るに三番地と四番地、合わせて二番地分の広さがある。依頼書に書いてあった四番地ってのは、恐らく館が建ってる位置の事を言ってるんだろう。だけど、


 館へと目を向けたエーティの言葉に、ユーリアは首を傾げる。


「どういう事ですか?」

「不自然なんだ。これが一面庭木だの装飾だので埋め尽くされてりゃ話は分かるが、ここにはそれが無い。住居として必要なものは全部四番地側にあって、三番地側には芝生しか無え」

「言われてみれば、門も四番地側にありますね。……あ」


 はっと目を見開いたユーリアを一瞥して、エーティは話を続ける。


「そう。政府が絶対の安全を保障した土地を、一定の階級若しくは収入以上の人間にバカみてえな値段で売る。中心地区の仕組みを考えれば、何の用途も無い敷地に払う金なんざ、ただの無駄でしかない。

 となれば、必然的にこの庭には用途がある事になる。例えばそう、地下とかな」

『それ、ドンピシャみたいだよ』

「うおっ!?」


 唐突にシールからリゼルの声が飛び込み、エーティの肩が跳ね上がる。


「聞いてるんだったら言えよ……」

『いやあ、回線を切ろうと思ったら面白い話が聞こえて来たからさ。

 それより、さっき言ってたヤツ。今、術式で三番地側の地下に向けて音を照射してるんだけど、エーティの言う通り、三番地の地下に一部屋分くらいの空洞があるよ。ちゃんと四番地側から通路も伸びてる』


 リゼルの言葉に、エーティは浅い溜息をつく。


「まさか、大当たりだったとはな。その部屋について、具体的に何か分かるか?」

『うん、強い霊力の反応が一個。これって──……。……いや、何でもない』

「……そうか」


 妙に言葉を濁すリゼルに些か疑問を抱きつつ、エーティは館へ目を向けた。




 風見鶏の洋館/大窓のある廊下・夜更け




「うう、怖いなあ……。さっきリゼルが言ってた人、誰なのかなあ……知ってる人だったら良いなあ……」


 壁一面の硝子窓から月光の射し込む長い廊下を、ハクアは不安そうな足取りで進んで行く。


 そして。


「やあ」

「うわあっ!?」


 丁度窓が途切れた場所からの、男としてはやや高い声に、ハクアは思わず跳び上がる。

 程無くして、陰から一つの影が伸び、一人の男が現れた。歳はハクアよりもやや上であるように見える。


「こんばんは、お嬢さん。ボクの名前はネフィ──……」

「オっ、オバっ、オバケっ、オバケえええええッ!?」

「…………」


 淡青色の鳥打ハンチング帽を脱ぎ、慇懃に頭を下げて名乗った男──ネフィは、ハクアのあまりの動揺ぶりに帽子を被り直して姿勢を正し、二、三度咳払いをしてから、ゆっくりと彼女へ近付いて行く。


「まあまあ、落ち着いて。ボクはオバケじゃないよ。ほら、腰が抜けたなら手を貸そう」

「ひええ……」


 恐る恐る伸ばされたハクアの手を、ネフィは掴んで引き上げた。


「ふふ、ちゃんとボクの手は掴めただろう?」

「! 本当だ、ありがとう! ……ん?」


 ふとハクアはネフィの横に居る、御下げ髪の少女の存在に気付く。


「どうしたの、下向いて。何かあったの?」


 少女の頭を優しく撫でるハクアに、ネフィは笑みを向けた。


「その子はね、道に迷ってしまっていたのをボクが助けたんだ。本当はすぐにでも帰したかったんだけど、母さんが一目見たいって言ったから。これから部屋へ連れて行く所だよ」


 ネフィの言葉に、少女の肩が跳ね上がる。

 ふうん、と不思議そうに少女の頭から手を放したハクアだったが、しかしその途端、少女は縋り付くように彼女の腕を両手で掴んだ。


「……──けて」

「え?」


 少女は顔を上げる。


「お願いです、助けて下さい!」

「!!」


 緑色の瞳一杯に溜まった涙が白い頬を伝う様を見て、ハクアは瞬時に事を悟り、少女を抱えて後ろへ飛び退いた。


「…………」


 警戒の眼差しでハクアに見つめられたネフィは、俯きながら右腕を上げる。


「困ったなあ。あれだけボクと、母さんの部屋に着くまで声を出さないって約束したじゃないか」


 何処に隠れていたのか、ハクアの背後に五体、死体人形が現れた。


「君がその気なら仕方無い。ボクも手加減出来る程の余裕は無いからね」

「ひ……!」

「大丈夫。絶対に助けるからね」


 不安そうに上着の裾を握る少女へそう笑いかけ、死体人形の元へと進み出たハクアの姿に、ネフィの唇が吊り上がる。


「勝負しよう。ボクの操る人形と君、どちらが強いかな!?」


 ネフィの指が鳴らされ、人形達が一斉に鉄剣を構えるのと同時に、ハクアは人形の懐へ飛び込んだ。


 鉄剣が振るわれるよりも早く、人形の鳩尾に掌底を叩き込む。一体目。

 挟み撃ちで一突きにしようとした人形達を、腕を軸に両脚で薙ぎ払う。二、三体目。

 振り下ろされた鉄剣の一撃を避け、身体を大きく捻って人形の顎を蹴り上げる。四体目。

 鉄剣の切先を向けて突進する人形の後方へ回り、飛び蹴りで延髄を揺らす。五体目。


 ものの数秒で人形達を無力化したハクアに、ネフィは拍手を送った。


「素晴らしいね。力強い女性は好きだよ、ボク」


 そして少女の背後に立ち、その両肩に手を置く。


「でも、ボクに背を向けたまんま、っていうのはちょっと頂けないなあ」

「!!」


 ネフィの言葉に、ハクアはすぐさま振り返った。


「いや、来ないで!」

「ほら、暴れないの」


 ポケットから取り出したハンカチを、ネフィは少女の口元へ押し当てる。たちまち少女は、力無くその場へ倒れ込んだ。


「その子を放して!」


 動かない少女を抱き上げるネフィに手を伸ばすハクアへ、彼は笑みを浮かべた。


「ほら。まただよ、君。他所見をしていて良いのかい?」

「!?」


 視界の端に人影を捉えたハクアは、即座にその場から跳び退く。直後、ハクアの居た場所に容赦無く鉄剣が叩き付けられた。


「何で……!?」

「ボクの人形は、人間の肉体が肉体として機能しなくなるまで動き続けるよ。まあ、そもそも死体なんだし、まさか気絶させれば何とかなるだろうとか、そんな事考えてないよね?」


 積み重なった死体の山から、次々と人形達が起き上がっていく。


「君はとても優しい人みたいだから、敢えて言っておこう。もし君が本当にこの子をボクの手から奪い去りたいのなら、元は人間なんだから、なんて考えは捨てる事だ。何があってもボクはこの子を母さんの所へ連れて行くし、その為ならこの人形は何体でも使い潰す気だからね」


 完全に起き上がった人形達は、下敷きになっていた、各々の鉄剣を拾い上げる。


「さあ、もう一回だ。仕切り直しとしよう!」


 笑みを浮かべ、ネフィが右腕を大きく振り上げた、その時。


 人形達の背後から、一つの影が躍り出た。

 跳び上がったそれは、射し込む光芒に照らされて、姿を露わにする。


「!! 誰だ、お前!?」


 影は脚を突き出し、目を剥くネフィへ真っ直ぐに落下していった。防御の為に彼が呼び寄せた人形よりも早く、脚はその脇腹に減り込んでいく。



「ぐうっ……!!?」


 呻き声を上げながら、ネフィは為す術も無く蹴り飛ばされていった。


「……え?」


 ハクアは呆然として、その後ろ姿を見つめる。

 彼女の目の前には、裾の長い、黒コートを着た青年が一人。


 彼の腕には、眠る少女が抱えられていた。

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