7,帝都シュダルト/中心地区・夜半


 霊力やその「能力」を制御する手段は、現状として二つ存在する。


 一つは己の意思で制御する方法で、これを用いる人間が最も多い。もう一つは術式を使用する方法で、これを用いる人間、特に超常現象系の「能力」を持つ者は術者、または術式使いと呼ばれる。


 術式。それは古代語による霊力への命令式。


 古代語とは、嘗てアレストリアの地に住んでいたとされる民族が書き記した「神話」に使用されている文字の事である。全ての文字が解読されるに至っていないこの古代語だが、適切な手順を踏んで過不足無く並べれば、術式として機能を示すようになる。


 その手順とは、物体や術符と呼ばれる特殊な紙へ、術式を発動させる対象、どの霊力に拠るものか、発動させた際の効果、これらを全て古代語で円形に記し、そこへ直接霊力を込めると文字に沿って流れた霊力が術式と成って発動、記された内容の効果を半永久的に発揮する、というものである。


 この術式の存在により、暴発せずとも甚大な被害をもたらしかねない超常現象系の「能力」は、容易に制御が可能となる。


 ただ欠点は幾つか存在し、拠る霊力が記されたものと異なれば発動せず、「能力」で発現可能な効果の範囲外であれば十分に効果を発揮しない。そして発動した状態で破壊されると、記された物体の崩壊を伴ってその機能を失ってしまう。




 帝都シュダルト/中心地区・夜半




 湿り気を帯びた夜風が、規則正しく敷き詰められた煉瓦の塀を撫でる。


「ここだろ? 第四十六区画の四番地って」


 一団の先頭に立つレギンが、目の前の建物を見据えた。


「黒い門、大木の植わった広い庭、白い壁、黒い屋根、風見鶏。そんな建物、この周りに二つと無いし、まあ、ここだろうな」

「さっさと終わらせて帰りましょ」


 その横に立つエーティの後ろから、シンが門へ向かって歩いて行く。


「……おい」

「大丈夫よ」


 エーティの制止を往なし、シンが門に手を掛けた、その時。


『誰だい、君達。団体さんはお呼びじゃないんだけど』


 不服そうな声が、彼等に降り注いだ。


「気にしないで、大した用じゃないわ」


 門に手を掛けたまま、シンが答える。


『ふーん。何、用って。どうでも良い用件だったら入れないよ』

「ええ、そこは安心して良いわ。きっと面白いから。結構自信あるのよ?」


 シンはそのまま門に掛けた手に力を入れ、不敵な笑みを浮かべた。


「アタシ達の用件はただ一つ。……アンタを、ブッ殺しに来たのよ!」


 シンの全体重が掛けられた門が、掛けられた力以上の勢いで開け放たれる。


『な!? 術式を、どうやって!?』


 一変して動揺する声を無視し、シンは庭へ駆けた。それを皮切りに、皆が庭へと駆け込んでいく。


「……良し、術式張ったよ!」

「レギン、ハクア、行くわよ!」

「はいよ!」

「うん!」


 リゼルの声を聞き届けたシンは、首元のマフラーで顔を覆ってから駆ける速度そのままに飛び上がり、洋館の扉を蹴破った。


 夜の庭に、静寂が戻る。

 余りにも乱暴な、そして遠慮の無い侵入の仕方に、エーティは大きく溜息をついた。


「もう少し何とかならなかったのかよ……ま、良いや。えーっと」


 頭を掻いたエーティは、辺りを見回す。そして芝の地面へ一株だけ植えられた木──丁度身を隠せそうな程に葉が茂っている──を見付け、そこへ足を運んだ。


「……ここで良いか」


 木の状態を確認したエーティは霊力を開放して身体強化を施し、一番低い場所に伸びていた太い枝に飛び乗り、その上へ立ち上がる。


「視界良好。本当に丁度良かったな。おい、ユーリア! あんたは何処へ就くんだ!?」

「あ、はい!」


 声を掛けられたユーリアはエーティの方を振り向き、木の幹の方へと駆け寄った。


「すみません、私もそこへ就こうと思ってたんですけど……。行けますかね?」


 少々困ったように自分の装備を見るユーリア。彼女の肩には身の丈の半分以上もある銃器が一丁、背負われている。


「あー。分かった、ちょっと待ってろ」


 そう言ったエーティは手甲グローブに仕込まれていた鋼線を引き出し、自らの足を枝へ固定する。そして枝から大きく身を乗り出し、ユーリアの方へと手を差し出した。


「ほら。装備」

「え、見かけ以上に重いですよ、これ? 大丈夫ですか?」

「知ってるよ、それくらい」

「じゃあ、お願いします」


 肩に背負った銃器をエーティに預けてからユーリアもまた身体強化を掛け、彼の居る枝へと飛び乗る。


「はいよ」

「ありがとうございます」


 枝の上へ座ったユーリアが、エーティの担ぐ銃器を受け取った、その時。


『やっほー、聞こえてるー? 二人共ちゃんと隠れた?』


 エーティの上着のフードに貼られたシールから、リゼルの声が放たれる。彼が目を向けた先では、リゼルが手を振っていた。


「問題無し。そっちはどうなんだ」

『今、門の方に罠を仕掛けたとこだよ。後は僕が隠れるだけだね』

「了解」


 回線が切れて間も無く、リゼルは自らの周囲に術式を展開し、景色と同化する。


「……良し。このまま平和に終わってくれよ」


 大きく息をついてから、エーティはそう呟いた。




 風見鶏の洋館/エントランス・夜半




かんぬきが掛かってない割に風で門が動かないと思ったら、大当たりだったみたいね。この洋館、超常現象系の『能力』を持った奴が最低一人は居るわ。警戒した方が良いかもね」


 シンは腰に差した二本の短剣を引き抜き、レギンは前方を睨む。


「……そうだな」


 彼等の目線の先には、青白い肌に白い衣を纏った少女が一人、槍を携えて浮遊していた。


「君。その、大丈夫……?」


 ハクアが少女に一歩近付き、手を伸ばす。


「止せ。退がってろ」

「あ、うん……」


 自らを不安そうに見つめるハクアを後ろへ押しやり、レギンは上着の背側に隠された剣を引き抜いた。


「あんまり人前で使いたかねえんだが……。まあ、相手が超常現象系の手練れじゃあ、こいつにとって不足は無いだろ」


 刀身を包む包帯状の鞘が、レギンの霊力に応えるように、ゆっくりと解けていく。

 黒い鞘、白い刀身、黒い刃。

 鋭く、冷たい光を放つ、その剣は────。


 レギンが剣を構えた瞬間、鉄のやじりが彼の首元へ向かって突き出される。すんでの所でそれを回避したレギンは少女の懐へ飛び込み、その胴を両断した。


 糸が切れたように、少女はその場へ倒れ込む。ぴくりとも動かない身体から放たれる異臭に、レギンは思わず顔をしかめた。


「気色りい、何だこりゃあ」


 白い衣の下からは、粘性のある黒い液体が流れ出している。ふとシンは短剣の刃で白い布の下を覗き、舌打ちをした。


「信じたくないかもだけど、正真正銘、人間の死体よ、これ。しかも完全に腐ってる。何かの『能力』で表面の皮膚組織だけ固定したのね。趣味悪過ぎよ」


 短剣を振り払ったシンは、さて、と二人の方へ振り返る。


「丁度良いわ。廊下も三つに分かれてるし、三人で手分けしましょう。特段怪しい気配もしないし、この程度の敵なら問題無いでしょ。さ、アンタ達から選んで良いわよ、道」

「いや、良いけど……」

「良いけど、何よ?」


 如何にも不服そうな顔をするシンの耳元へ、レギンが顔を寄せた。


「いやね、俺は良いよ? 別にそれで。でも、その……ハクアは、どうするんだよ?」


 レギンの言葉を尤もだと思ったのか、少々黙り込んだシンは、しかし数秒もしないうちに口を開く。


「良し、ハクア」

「ん? 何?」

「アンタ、もしこの死体人形以外の奴と出くわしたら、アタシかレギンの所へ逃げて来なさい」

「? うん!」


 きょとんと目を丸くするハクアだったが、直ぐに笑顔で頷いた。


「これで解決ね。さ、行きましょ」


 短く言って、シンは洋館の、内部に向かって右側の廊下へ駆けて行く。残されたレギンは、同じく残されたハクアへ声を掛けた。


「何かあったらちゃんと逃げて来いよ?」

「うん、大丈夫!」

「良し」


 そう笑いかけたレギンは何を思ったのか、唐突にハクアの背後へ回り、その背中を押し始める。


「はい、お前はこっち!」

「おわわ……」


 押されるがまま、シンが進んだ方とは逆側の廊下の入り口に立ったハクアは、レギンへ向き直って敬礼をする。


「じゃあ、行ってきます!」

「おう、行ってこい」


 元気良く廊下へ走って行くハクアを見遣ってから、レギンは自らの横へ続く、月明かりに照らされた広い廊下の方を向いた。


「そう言やシン、道選んで良いとか言ってた癖に、自分で勝手に行っちまったな。……まあ、良いか」


 目を瞑って一度、深く息を吐いた彼は、ゆっくりと目を開く。


「────さて、」


 その黒い瞳には、光を呑み込む闇が映っていた。




 風見鶏の洋館/???・夜半




「何、この茶番」


 溜息交じりに紅茶を啜る音が、小さな部屋に響く。


「よっぽど話しかけてやろうかと思ったけど、声を飛ばす術式は家の中には無いからなあ。あれ作るの、何気に大変だしね」


 口元を緩ませた声の正体は、一人の若い男だった。


「でもあの子、何だか見ていて楽しいなあ。ふふふ」

「────! ──────!!」


 壁に投射された、建物の内部を映していると思われる映像を見つつ、椅子に背を預ける彼のやや後方には、塞がれた口で叫び続ける少女の姿がある。

 暫くして、漸く彼女の声が耳に入ったのか、男は徐に振り返った。


「まあまあ、そんなに怖がらないでよ。大丈夫、ボクは何もしないから。嘘じゃないよ」


 男は笑顔を浮かべるも、反対に少女は涙を流し始める。その様子に彼は、やれやれ、と呟きながら立ち上がり、少女の元へ歩いて行った。


「全く、こんなに泣いちゃって。母さんが悲しむじゃないか」


 少女の前でしゃがみ込んだ男は、彼女の涙をハンカチで優しく拭う。


「何度も言ってるけど、君に興味があるのはボクじゃなくて母さんだ。母さんは君を大層気に入ったそうだよ。さあ、泣くのはもうおやめ。母さんのお呼びは何時掛かるか分からないからね」


 顔を蒼白にし、少女は小さく震えながら彼を見つめた。


「母さんから呼ばれたらね、君は母さんの部屋へ行くんだよ。そうしたらそこで、君は母さんの蒐集コレクションになって、永遠の若さを手に入れるんだ。それは母さんの望みだし、君にとっても喜ばしい事だ。だってそうだろう? 時が経って醜く成り果てる自分を、見なくて済むようになるんだから。

 ……ふふ。でもまあ、永遠の若さと言ったって、」


 それは、狂気を孕んだ怪物の笑み。


「ただ死んで、人形になるだけなんだけど、ね」




 帝都シュダルト/中心地区・夜更け




 青葉が幾つか、乾いた音を立てて地を転がった。


 とある黒い門の前。風に吹かれて佇む青年が一人。

 その瑠璃色の瞳は、門の向こう側にある洋館を捉えていた。




 ・・・




 何時だったか、そう遠くないとは思うが。

 「ギルド」の前を通りかかった時に目にした、「少女誘拐事件の原因の解明及び解決」の貼り紙。そこに書かれていた、館の特徴。


 黒い門、広い庭、白い壁、黒い屋根、風見鶏。

 今日日きょうび、風見鶏の付いた館なんて、ここぐらいなものだろう。


 ここに恐らく、あの女の娘がいる。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ、中身はロクなものじゃない筈だ。


「……?」


 開ける為に門の格子を掴んだは良いが、俺の手がある場所と、手の感触から伝わる門のあるべき場所が、明らかに

 ……やっぱり、風があるのに門が揺れないのも含め、確実にこの館はおかしい。


 そしてこの身の毛の弥立つような感覚は、ああ、間違い無い。このまま門を開けたら多分、感電する。


 ……でも。

 具体的にどういう仕掛けかは知らないが、そんなもの、

 構わず、門を押し開けた。




 風見鶏の洋館/広い庭・夜更け




 庭に植えられた木の枝葉が、さわさわと音を立てて揺れている。


「…………」


 術式で完全に風景と同化しているリゼルが、目線の先にある門を緊迫した様子で見つめていた。

 ゆっくりとリゼルは手にした親機を口元に近付け、回線を開く。


「もしもし、エーティ?」

『……何があった?』


 普段とは違う語気から察したのか、エーティが真剣な声色で応じる。


「今、誰かが門を開けようとしてる」

『誰か分かりそうか?』

「分からない」

『そうか。警戒しておく』

「うん、ありがとう」


 リゼルが回線を閉じようとした、その時。

 仕掛けた罠が発動しても尚、門前の人物が止まらない事を察知したリゼルは、閉じかけた回線を慌てて開き直した。


「エーティ、エーティ!? あいつ、罠が効いてない! すぐにでもここに入って来る!」

『良いから落ち着け。そんなデカい声で話してて大丈夫なのか?』

「大丈夫、術式で音は遮断してあるから!」


 一度親機を口から離し、今、正にその姿を現そうとする侵入者と対峙すべく、リゼルは門を正視する。


 ぎいい、と錆び付いた音と共に門が開き、人影が一つ、庭に踏み入った。

 律儀に門を閉めたその人物は、丈の長い黒コートのフードを目深に被った、あの青年だった。


 広い芝生の庭に出た青年は、洋館へ向かって進んで行く。そして庭の中央付近まで進み、ふとその足を止めた。

 青年の背後には、術式を解いたリゼルが彼に背を向けて立っている。


「誰、君」


 リゼルの問いに、青年は口を開こうとしない。


「名乗れる名前は無い、って解釈で良い?」

「……勝手にしろ」

「あっそ。……ねえ君、悪い事言わないから帰りなよ。今ならまだ見逃せる」

「……断る」

「何で?」


 振り返らないまま、青年は答えた。


「お前に教える義理は無い」

「ふーん、分かった。君がそう言うんなら」


 悪意も無く、敵意も無い。ただ当然の事のように右手へ術式を展開したリゼルは、青年の元へゆっくりと近付いて行く。


 そして。


「ちょっと痛いよ……!!」

『やめろ、リゼル!』


 木の上で息を潜めていたエーティによる術式越しの叫びも虚しく、リゼルは術式を青年のうなじへと撃ち込んだ。


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