5,アレストリア東部/跋扈の森・昼
「能力」を行使するには、幾らかの知識と技術が必要である。
まず知るべきは、その性質。霊力はより強い霊力に影響されやすく、また「能力」の霊力あたりの出力は、持てる霊力の器の大きさに比例するという事。
次に会得するべきは、自らの霊力をその身に纏って肉体を強化し、自らを自らの「能力」から守る技術。
これらを修得して初めて、「能力」を手にする資格が与えられる。これを疎かにして「能力」を持った人間の行き着く先は、自滅のみである。
その「能力」だが、大きく分けて三つの性質に分類される。
一つ、この大自然に起き得る現象を強制的に引き起こす「能力」。並程度の霊力の量でも、高い出力を出せる事が大きな特徴である。
二つ、自然にはまず起き得ないような現象を強制的に引き起こす「能力」。強大な能力群である代わり、その全てに於いて「能力」の発現に膨大な霊力量を要し、多くの場合、自力での発現は難しい。
三つ、霊力で自らの肉体を強化した上で、更に様々な強化を施す「能力」。最も霊力の消費が少なく、安定した効果を発揮する「能力」だが、能力の発現範囲が「自ら」と「自らに触れ続けている物体」に限定される。
一般的に、これらは順に、自然現象系、超常現象系、自己強化系と呼ばれている。
現皇帝が即位してからというもの、アレストリア帝国は霊力に関する研究に多額の出資をしてきた。
その結果生まれた技術は、他国家や民族を牽制し、時に侵略する、アレストリアの軍事力に大きく貢献している。
アレストリア東部/跋扈の森・昼
異形の猿の群れに相対したハクアは、静かに霊力を開放した。
目の前のそれは、依然、きいきい、と高い鳴き声を発して威嚇している。
ハクアが一歩を踏み出したと同時に、群れの一匹が彼女に飛び掛かった。
その、刹那。
猿の身体が、ハクアの強烈な蹴りによって貫かれる。猿は吹き飛ばされたその先で黒い泥となり、やがて水蒸気のように消滅していった。
仲間の消滅に危機感を覚えたのか、群れの塊から次々と猿が飛び出して行き、例外無くハクアへと襲い掛かる。
そして、ハクア自身もまた例外無く。様々な方向から襲い来る猿の全てを、その四肢で消滅させていった。が、そのどれもが決定打となっておらず、猿達は群れから延々と湧き続ける。
「この……ッ!」
正面の猿を蹴り上げながら、ハクアは後方へ一回転する。そして体勢を立て直し、膝下の両脚に炎を灯した。
ハクアの持つ「能力」は、即ち炎。自らの霊力を炎に変換し、放出する「能力」だ。また、自らの身体に纏わせるように放出、打撃の威力を向上させるといった使い方も可能である。
異形とは言え、火を恐れる本能は変わっていないらしく、炎を前に猿達が動きを鈍らせる。それを良い事に、ハクアは一気に群れとの距離を詰め、飛び掛からせる隙も与えず直上へと飛び上がり、
「はあぁぁあッ!!」
落下するように群れへ踵を叩き込んだ。
「……!?」
舞い上がる土煙の中。着地して直ぐ、ハクアは違和感に気付く。本来であれば今、地上にあるべき身体が、群れの塊の頂上にあったのだ。
すぐさま飛び降り、ハクアは再度群れと相対する。
黒い塊は急激に盛り上がっていき、同時に散らばっていた猿達は一匹残らず、それと一体化していく────。
頂点に、赤い眼光が、二つ。
巨大な猿が一匹、甲高い咆哮を上げた。
「ッ!?」
勢い良く振り下ろされた大猿の巨腕を、ハクアは炎の脚で貫いた。
その前腕部が千切れて吹き飛び、黒い泥となって消滅するも、同じ場所に同じ腕が、瞬く間に形成されていく。
しかし、それをただ見ているだけの彼女ではない。続け様に懐に飛び込み、頭部を蹴り上げる。捥げた猿の首が、音を立てて落ちた。
直後。攻撃の手が緩んだ隙に、猿の両手がハクアへ再度振り下ろされる。
「…………!!」
ハクアを両側から潰さんとする掌を両腕で防ぎつつ、彼女は苦しい表情を浮かべた。
青年はその様子を、無表情のまま遠くに見つめている。
・・・
巨大な猿のような怪物と、あの女──ハクアと言ったか──が対峙する、というこの状況。
ここに居ろと言ったくらいだ。俺が自ら動く必要は無いだろう。
でも。見ている以上、どうやらあいつは苦戦しているらしい。
脚に纏った炎で丸焼きにすれば良い話だが、木々によって閉塞したこの空間で巨大な炎を放てば、俺が蒸し焼きになりかねない。なら、あの怪物の身体を手当たり次第に破壊して打倒するのが良い。あいつはそう考えているようだ。
確かに、その判断は正しい。力業にはなるが、その方法であってもあいつは造作も無く
で、あれば。あの瞬時に腕を治す程の再生能力こそが、苦戦する最大の要因か。
恐らく、あの怪物の正体は霊力の塊。欠損した身体の再生程度、息をするように行える。その際必要になるのは、霊力だ。
外部から霊力が流れ込むような様子は無い。となれば、あの身体の何処かに霊力の供給源、核がある筈だ。大体の位置は絞り込めている。
……何時の間にか、あいつを助ける前提であの怪物を分析していた。
どうして急に、そんな事を──……。なんて、今は考えている場合じゃない。
さて。そろそろ溜まった霊力も頃合いだ。狙うべきはただ一点。
あの巨大な個体が現れる直前、群体の最後の一匹が一体化した場所────。
・・・
両手に霊力を収束させて掌を弾き飛ばし、ハクアは後ろへ飛び退いた。その息は切れている。
ハクアが倒れない事への苛立ちに、猿は雄叫びを上げた。同時に、猿の右腕がみるみるうちに肥大化していく。
「まだ大きくなるの……!?」
空高く構えられた巨腕に眉を寄せつつも、それを砕くべくハクアが踏み込んだ、瞬間。
その横を、黒い影が通り過ぎた。
影──青年は、ハクアの前で静止した後、振り下ろされる巨大な拳に臆せず向かって行く。
「え……!?」
ハクアには目もくれず、青年は目前の拳を往なし、巻き付くようにその腕へ飛び乗った。
「ちょ、ちょっと、君!?」
目もくれないのであれば、耳を貸す事も無く。青年は三歩足らずで到達した猿の肩部を蹴って飛び上がり、腰に差した短剣を引き抜いた。
刀身を包む包帯状の鞘は、青年の放出された霊力に応えるように解けていく。
白い鞘、黒い刀身、白い刃。
鋭く、冷たい光を放つ、その剣は────。
蹴られた衝撃で前のめりになった猿の背中に狙いを定め、青年は着地と同時に背中──人であれば心臓のある場所──に刃を深く突き立てた。
さらにその短剣を中心に、猿の黒い肉体が電撃で焼かれていく。
やがて刃は、黄色く輝く核へ突き立った。
しかし、その掌が青年に届くよりも早く。
彼はそのまま核に刃を沈め、短剣の刀身を捩じった。
束の間の静寂が、空間に満ちる。
たちまち猿の肉体は崩壊を始め、間も無く、硝子のように割れた核諸共に塵となって風に吹かれ、消滅していった。
「すごいね、君! どうして倒し方が分かったの!?」
「…………」
木々の揺れる音が青年の耳に届くよりも早く、ハクアは彼に駆け寄る。
「……最後の猿が一体化した位置に、偶然核があっただけだ」
青年の言葉に、ハクアは目を輝かせた。
「そうだったんだ! よく見てたんだね!」
笑顔を浮かべたハクアはふと、そうだ、と青年の顔を覗き込む。
「ケガしてない? 大丈夫? 痛いとことか、ある?」
「……いや」
「そっか、良かった!」
再度笑顔を見せたハクアは、歩き出してから振り向いた。
「さあ、行こう! 森を抜けるまで、あともう少しだよ!」
アレストリア東部/田舎町・午後
二人が森を抜けて出た先は、青年が昨晩に通った田舎町だった。
「ここから先の道は分かるんだよね?」
ハクアの問いかけに、青年は小さく頷いた。
「そっか。じゃあここでお別れだね。
……あ! ねえねえ、次に会ったら、君のお家に行っても良いかな?」
眉間に少々の皺を寄せながら、青年は口を開く。
「……駄目だ」
「え、どうして!?」
「絶対に駄目だ」
「そっかあ……ダメかあ……」
青年に強く断られ、ハクアはがっくりと項垂れた。しかし落ち込むのも束の間、ハクアは顔を上げ、満面の笑みを作る。
「でもまた何時か会えたら、ゆっくり話そうね! バイバイ!」
「…………」
大きく手を振るハクアを背に、青年は西へと去って行くのだった。
アレストリア東部/???・午後
「ただいまー!」
ハクアの声を聞くや否や、玄関にレギンが駆け付ける。
「おい、あの、大丈夫だった……!?」
「? どうしたの、そんなに焦って?」
質問の意図を汲み取れず、ハクアは首を傾げた。
「あんたに置いてかれた上に、えらくデカい鳴き声が聞こえたから、こいつ、ずっと心配してたんだよ」
レギンの後ろから、エーティが歩み寄る。
「で、何が出たんだ?」
「実はね、猿の形をした黒い生き物に襲われたんだ。でも大丈夫、ちゃんとやっつけたし、あの人も無事に外まで送って来たよ!」
ハクアの言葉に、レギンは安堵の息をつき、エーティは笑みを浮かべた。
「あ、ごめんね、レギン。その、置いて行っちゃって……」
「気にすんな。元はと言えば、俺が悪いんだし?」
申し訳無さそうに目を伏せる彼女の頭に手を置いて、レギンはエーティを見遣る。その目線に気付いたエーティは、怪訝そうに彼を見つめた。
「……何」
「いや、何でもないです」
二人の様子を見ていたハクアは不意に、思い出したように目を輝かせた。
「あ、そうそう、すごかったよ、あの人! すごかったんだ!」
「はいはい、何だ何だ」
興奮気味に話すハクアを、レギンが宥める。
「あの人、一瞬で黒い生き物を倒しちゃったの!」
「は?」
「こう、腕に上ってね、背中を剣で刺して、雷でバリバリってやって、核を壊したんだよ! そうしなきゃ倒せないって私、教えてなかったのにね! あの黒い生き物の事、知ってたのかな!?」
「…………」
ハクアの話に、二人は顔を見合わせた。
「へえ、そうだったのか。まさかそこまで戦えるヤツだったなんてな。さて。ほら、こっち来な。ったく、傷だらけじゃねえか」
上手く話を切り上げたエーティが、ハクアを医務室へと連れて行った。
居間へ足を運んだレギンは、ソファに腰掛ける。
「雷でバリバリ、ねえ。まさかとは思うがなあ。そんな偶然、あんのかね……」
そう呟いて、彼は天井を仰ぐのだった。
帝都シュダルト/中心地区・夜
ある日の夜。
後、数日で満月となるだろう月が、まだ東の空にある頃。
中心地区の外れ。古びた洋館が、只ならぬ気配を帯びて建っていた。
その前を、清潔な身なりをした少女が、捨て犬の入った箱を持って通り過ぎようとする。
『こんばんは、そこな可愛いお嬢さん。こんな夜更けに何処へ行くんだい?』
「ひっ、誰……!?」
辺りに人影と思しきものは無い。少女は足を竦ませ、小さく肩を震わせた。
『まあまあ、そんなに怖がらないで。君の話を聞かせておくれ』
「……お、お家に帰るんです」
天から降り注ぐような声に、少女はか弱い声で答える。
『そうかそうか。でもね、お嬢さん。それはやめといた方が良いよ』
「どうしてですか……?」
やや高い、男の声。箱を抱く少女の腕に力が入る。
『ここは中心地区と言ってね。この国の偉い人やお金持ちしか住めない場所なんだ。そんな場所へ普通の人が足を踏み入れるとどうなるか、知ってるかい?』
少女は首を横に振った。
『うーん。簡単に言うとね。その道を真っ直ぐ行った先には、役人が沢山居るんだ。ここは偉い人しか入れない場所だからね。役人に見つかれば、一般市民である君はきっと殺されてしまうよ』
「うそ……そんなの、やだ……!」
少女の目に、涙が溜まる。
『大丈夫。僕が助けてあげよう。そこに門があるだろう? そこを潜った先にある建物が僕の館だ。部屋を用意するから、そこで一晩過ごすと良い。そして明日の朝、僕と一緒にその道を通ろう。そうすれば、役人に怪しまれる事は無い』
「……良いんですか?」
『勿論。さあ、入っておいで』
声に従うようにして、少女は箱を抱えたまま門を潜った。
そして、翌日。
太陽が西に傾き始めても尚、少女は未だ、門から出て来ない。
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