4,アレストリア東部/明けの森・朝


 木漏れ日が降り注ぎ、少々肌寒い風が吹く、森の朝。

 日光に照らされてきらきらと輝く銀の長髪が美しい一人の少女が、ふんふん、と鼻歌を歌いながら歩いていた。


 ふと、少女は目の前にある光景に足を止め、目を見開く。


「…………!」


 少女の目線の先には、木の幹に座って眠る白髪──と言っても前髪の左側のみ黒髪で、光の影響か白髪の影が青く見える──の青年が居た。熟睡しているらしく、目の前の少女に気付く素振りは無い。


 少しの間、驚いたように青年を見つめていた少女だったが、直ぐに彼女は彼の前にしゃがみ、その顔を覗き込んだ。


「……おーい、こんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうよ」


 少女の呼びかけに、青年は全く応答しない。


「おーい、おーい」


 少女が頬を何度か軽く叩いても、肩を揺さぶっても、青年は全く反応しない。


「うーん……」


 微動だにしない青年をまじまじと見つめてから、少女は青年の顔に耳を近付けた。その耳に、穏やかな寝息の音が入る。


「良かった、生きてた……」


 少女は立ち上がって、腕を組んだ。


「うーん、どうしよう……」


 暫くして思い付いたように目を見開いた少女は、良し、と意気込んで、青年の両腕を自らの両肩に掛ける。


「連れて行こう!」


 少女は青年を負ぶって立ち上がり、来た方向へと引き返して行った。




 アレストリア東部/???・昼




 そこは誰も知らない、森の奥深くにある、大きな白い建物。

 暖かな日差しの射し込む一室で、青年は清潔な寝具の上で眠っていた。




 ・・・




 ────…………。


 ──……。


 ────何かに揺さぶられていた気がする。

 そして、全身に柔らかい感触がする、ような気もする。


 肌寒い風も感じない。木々の揺れる音も、鳥の囀る声も、土の匂いもしない。

 端的に言ってしまえば、何かがおかしい。


 ゆっくりと、瞼を開ける。


「…………」


 ある筈の無い天井が、目の前にあった。




 ・・・




 銀髪の少女が、足早に廊下を駆けて行く。そしてとあるドアを勢い良く開けて早々、ベッドの中で上半身を起こした青年と目を合わせた。


「あ、起きてる! ねえねえ、エーティ! 起きてるよー!!」


 廊下に顔を出した少女が声を上げて暫くすると、肩まで伸びているであろう、赤みがかった金の癖毛を低い場所で一つに纏めた男が現れた。年齢は青年と同程度に見える。


「はいはい、分かったから騒ぐな」


 部屋をのぞいて彼の目覚めを確認した後、青年は彼の元へ歩み寄る。


「よう。気分はどうだ?」

「……悪くは、ない」


 男に問われて、青年は警戒心を抱きつつ手短に答える。しかし男はそれを聡く察知し、申し訳無さそうに頭を掻いた。


「あー、すまん。そりゃそうだよなあ。ハクアあいつから聞いた辺り、あんたからしてみりゃあ拉致られたも同然な感じだろ、多分。

 ……良し、分かった。ハクア、あんたも入れ」


 ドアの向こうから頭だけ出して様子を見ていた少女を手招いて、男は再度青年を見る。


「オレはエーティ。まあ、医者擬きだとでも思っててくれ。んで、こっちが──……」

「うん! 私、ハクア・ガントゥ! 宜しくね!」


 エーティの紹介よりも早く自己紹介を終えたハクアは、満面の笑みを浮かべた。


「と、まあ。こんなワケだ。一応信頼してもらって構わないけど、警戒するなとは言わねえよ」


 彼等なりの意思表示を受けて、青年の眉の力が多少抜ける。


「ところで。あんた、ここより北っ側で寝てたって話だが、何でよりによってこんな物騒な森の中とこで寝てたんだ?」


 怪訝そうな顔をするエーティとは目を合わせないまま、青年は口を開いた。


「……人を、探していた」

「はあ。人探し、ねえ。それならシュダルトとか、街を探すのが普通なんじゃねえの?」

「いや。森の中ここに居る」

「……ふーん」


 青年の言動に、エーティが眉根を寄せる。剣呑な空気が漂い始めたその時、黙っていたハクアが、そうだ、と口を切った。


「ねえねえ、じゃあさ、誰を探してるの? もしかしたら私達、知ってるかもしれない!」

「おいおい、あんたなあ……」


 青年と同じ目線に屈んで話すハクアを、エーティが咎めようとする。


「だって君、その人の居場所が何処か、知らないんでしょ?」

「……ああ」

「うん。だったら私、知ってたらその人の所まで案内するよ。そうすれば、君が危ない森の中で一人で歩かなくて済むし、迷子にもならない。良いでしょ、エーティ?」

「良いでしょ、って。あんただって危なくないワケじゃ──……」

「良いよ、俺が付いてく。三人居りゃあ十分だろ」


 渋るエーティの背後から、別の男が顔を出す。彼の顔を見た青年が目をみはった。


「……お前だ」

「は?」


 青年の突然の告白に、エーティが声を上げる。


「お前に用がある」

「え、俺?」


 思いがけず、男は自らを指差した。


 ベッドから降りた青年は、自身のコートの掛かった椅子へ向かう。

 そして暫く漁ったポケットの中からネクタイピンを取り出し、男へそれを差し出した。


「これ。……お前の物だろう」

「あ」


 男が、気の抜けたような声を上げた。


「これ、何処で?」


 男────レギン・ヴァルキードは、目をぱちぱちと瞬かせる。


「……お前が騒ぎを起こした場所だ」


 騒ぎ、という青年の言葉に、エーティの表情が変わった。


「……それ、詳しく聞かせてもらって良いか?」


 そして、数分後。


「ほう……?」

「…………」


 笑みを浮かべるエーティからの容赦無き圧がレギンを襲う。彼の笑顔の向く先には、レギンの右腕の大きな、まだ塞がっていない切り傷があった。


「いや、別に構わねえよ? ひったくりの逃走を妨害して警備隊の役に立った。あんたは何一つ悪くない。それは断言出来る。それに、その功績を人に言うか言わないかは個人の自由だ。それも理解出来る。けどな」


 エーティの細められた目が開く。


「何で! あんたは! 何時も! 自分の怪我の事を言わないんだッ!!?」


 追及から逃れるように、レギンは顔を逸らす。


「いやー、だって、お前、忙しそうだった、じゃん……?」

「うっせえ!! んな事関係あるか! こっち来い!」

「え、あ! ちょっと! あ、ありがとう! 何時かまた、って待っ、あっ──……」


「…………」


 エーティに襟首を掴まれたレギンが部屋の外へ引き摺り出されていった結果、部屋に残ったのは青年とハクアの二人のみとなった。

 開いたままのドアを呆然と見つめる青年の横で、ハクアは嬉しそうに笑う。


「良かったね、探してた人見つかって! これからどうするの?」


 ハクアを見遣った青年は、彼女の居る方向──西の方へと顔を向けた。


「……また中心に戻るつもりだ」

「そっか! じゃあ一緒に森を抜けよう! そこからの道は分かる?」


 浅く頷いた青年を見て、ハクアはうんうん、と二度、大きく頷く。


「分かった! 付いて来て!」


 ハクアは元気良く部屋を出て行き、青年もその後を遅れて追った。




 アレストリア東部/薄暗がりの森・昼




 初夏の青葉が茂り、昼にも関わらず光の少ない、森の中。ハクアと青年は二人で、道でもないような道を歩いていた。


「ここの森はね、大っきな木がいっぱい生えてるんだけど、草の丈は短いから歩きやすいんだ! だから動物とか人とかが通った跡が残りやすくて、こうして道を憶えちゃえば簡単に森を抜けられるようになるよ!」


 誰かを案内する事が余程嬉しいらしく、ハクアの足取りは軽やかだ。


「…………」


 対する青年はハクアから一歩距離を取った場所を歩きつつ、彼女の足取りを心許なさそうにじっと見つめている。


「ねえねえ、家はシュダルトにあるの?」


 青年の心配など何処吹く風、とでも言わんばかりに、ハクアは振り返って訊いた。


「……ああ」

「そっか。じゃあ、大通りが近くて良いね。あそこには色んな物が沢山あるから、私、行くの好きなんだ!」

「……言う程近くないぞ」

「そうなの?」

「……前を向け」


 えへへ、と声を上げながら、ハクアが弾けるような笑顔のまま前を向いた。


 ────瞬間。


「……!!」


 軽やかだったハクアの足が止まる。倣うように青年も足を止めた。


「……ねえ。夜、君が森を歩いてた時に、さ。真っ黒で変な生き物に、遭わなかった?」


 その声色から、青年は状況の緊迫を悟る。


「……いや」

「そっか。良かった。実はね、この森、普通の動物じゃない生き物が出るんだ」

「…………」

「……でね。今日の私達、ちょっとツイてなかったみたい」


 ゆっくりと後退り、青年の元まで下がったハクアは、彼の右手を掴んだ。


「絶対に、離さないでね」


 ハクアの左手に、力が籠められていく。


「……!!」


 その時、青年もその気配を察知する。


「────走って!!」


 自らの号令と同時に、ハクアは全力で駆け出した。青年も手を引かれるままに走る。

 二人が存在を感じ取ったそれは、きいきい、と高い鳴き声を発しながら、凄まじい速度で彼等を追い上げていく。


「猿の群れ……!?」


 正体を見破ったハクアが、顔をしかめた。


 突如、青年の足に群れの一匹が手を伸ばす。


「……ッ!!」

「大丈夫!?」

「前を見ろ……!」


 すんでの所で跳躍して猿の手を回避した青年は、振り返って案じるハクアを咎め、彼女と共にひた走る。


 開けた場所に出て、彼等の足が漸く止まった。二人共々、肩で息をする程に消耗している。直後、彼等の逃げて来た道が黒い陰で覆い尽される。その中には点々と、赤い眼光が灯っていた。


 息を整えたハクアは青年の手をゆっくりと離し、一歩群れに近付いて身構える。


「大丈夫。そこに居て」


 彼へ笑いかけてから、ハクアは眼前の群れを正面から見据えた。

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