3,帝都シュダルト/路地裏・夜


 霊力。それは命の営みが紡ぐ、生命が生命たる為の力。


 植物であればその瑞々しさを、動物であればその本能を、人間であればその精神を。それぞれの生命が生まれた瞬間、その器に収束して宿り、形成するもの。


 複雑な生命であればある程、保持する霊力は量を増していく。

 その結果、生命として最も複雑とされる人間のみが、ある程度の鍛錬を積めば己が霊力にあらゆる力を宿す事が出来る。


 人は、それを「能力」と呼んでいる。

 個々の性質に二つと同じものが無いように、その「能力」も似こそすれ、全く同じものを持つ人間は存在しない。


 霊力が発揮する「能力」。人間としての個を象徴する力。


 しかしそれは、涸れた湧水が二度と湧かないように、一度使い尽してしまえば人間としての精神の一切を失ってしまう、諸刃の剣でもある────。




 帝都シュダルト/路地裏・夜




 煌々と光る月。

 全てのものが地に影を落とし、それが遠くまで伸びている頃。


 昼の活気ある市場は何処へ消えたのか。

 今、大通りは帝国や個人の経営する娼館が立ち並んでいる。


 金の巻き上がる気配、陰謀の渦巻く音、かぐわしい女の魔性。

 鼻に付くような、目が眩むような、気の遠くなるような、重く、甘い空気。


 真面に感じれば吐き気もしよう。

 或いは心地良いと、それに魅入られるか。


 その大通りに通じる細い道に、一人の青年が建物に背を預けて立っている。

 青年は小さな黒いネクタイピンを手に、それを眺めていた。




 ・・・




 ────ったく、変な気を起こすんじゃなかった。

 我ながら珍しく外に出ようと思って出てみれば、大通りに着いて数分も経たない内に目の前で刃傷沙汰。ロクな目に遭ったもんじゃない。


 「能力」なんて、使ったのは何時以来だろうか。まだ幾らか気分が悪い。


 昼頃、大通りに現れたひったくりの男、を難無く捕らえたあの男。

 黒髪で赤い上着の、俺が衝動的に手を貸してしまった男。その首には確かに、白いネクタイが締められていた。


 これを拾ったのは、騒ぎが落ち着いてすぐ。あの近辺でネクタイを締めた人間は居なかった。となると、やはりあの男の物である可能性が高い。

 やれやれ。無用の長物を手元に置いておくのは、どうも性分じゃない。面倒には面倒だが、返しに行こう。


 さて、あの野郎は何処に居るんだか。




 ・・・




 預けていた壁から背を離し、青年が歩き出そうとする。

 しかし、何時の間に示し合わせたのか、浮浪者の成りをした男達が突然、その行く手を阻むかのように青年を取り囲んだ。


「よお、お兄ちゃん。こんばんは。こんな夜更けに何処へ行くんだ?」

「随分と上等なんじゃねえか、今回は」

「なあ、俺等と組まねえか。どうせその顔じゃあ、女に色目遣われるのも少なくないんだろ? ええ?」


 下卑た笑みを浮かべる男達を前に、青年は溜息をつく。


「……断る」


 無理矢理に包囲を突破しようとする青年を、男の一人が止めた。


「おお? どんな状況でモノ言ってるか分かってんのかテメエ」


 その男は青年の胸倉を掴み、自身の方へ引き寄せる。


「俺等ァ夜の街ここら辺じゃあ割と幅利かせててよ。そんな俺等が特別にお前を引き抜いてやるんだ、ありがたく思うのが常識じゃねえか? 普通だったら男は身ぐるみ引っぺがされる所なんだぜ」

「大丈夫だぜお兄ちゃん。金の事は心配するな。それなりの額は保証する」

「…………」


 少々の沈黙の後、青年は重く口を開いた。


「……そんな常識は知らない」


 瑠璃色の瞳が、細く射し込んだ月光に照らされて、鋭く光る。


「それに。……今、お前達に構っている暇は無い」


 瞬間。青年は胸倉を掴んでいた男の手首を掴み、その肘に曲がらない方向へ手刀を入れた。


「ギャッ────……!!?」


 己の腕に走る激痛に、男はその場に倒れ込んで身悶える。

 残りの男達も撃破すべく、青年は前方を見据えた。


「ヒ、ヒィ、逃げろ、逃げろ────!!!」


 冷たい視線に怖気付いたのか、男達は蜘蛛の子を散らしたように逃げて行く。


「…………」


 誰も居なくなった眼前の風景を暫く見つめていた青年は、ふとポケットからネクタイピンを取り出した。

 ネクタイピンは確かに、螺子の緩み具合も含めて、変わらずそこにあった。

 安堵の息をついた青年は、もう一度それをポケットに戻して、東へ歩みを進める。


 細い路地を抜け、視界の開けた場所へ出る。

 漫然と降り注ぐ月の光芒が、青年の全身を照らし出した。

 彼の行く先の向こうには、広大な森林が広がっている。




 ・・・




 絶対、とは言えないが。

 あの男は無法者だ。腕を斬られた直後の行動と表情を見た瞬間に確信した。

 組織の一員であるにしろ、単独で行動しているにしろ、そんな人間が中心に近い場所で生活している筈が無い。


 居るとすれば、それはより身を隠しやすく、公の目の届かない場所だろう。

 であれば。あいつの居る場所は、恐らくあの一帯。

 アレストリア東部、森林地帯の何処かだ。




 ◇




 どれだけ歩いただろう。

 家々の並び立つ郊外を突っ切って、点々と民家の立つ田舎町を幾つも通り過ぎて。

 森林地帯に入ってからは、道と呼べるような、呼べないような場所を当ても無く歩いた。


 森の中に誰かが住まうのなら、そこまでの痕跡をどれだけ消していても必ず道が出来ている筈、と考えたが、どうやらそう上手くは見付からないらしい。


 そして、気付いてみれば。降り注ぐ光が、真夜中の月から朝焼けの太陽に変わっていた。

 夜明けを認知した瞬間、強烈な疲労感と睡魔に襲われる。


 ああ、とても疲れた。

 適当な木の根元に腰を下ろして、幹に身体を預ける。

 疲れと木漏れ日の所為か、目の前が霞んで見えた。


 とても、とても、嘗て無い程に眠い。


 恐らく、きっと、ここで寝てしまっても、悪い事は、──────。

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