孤独な兄の謎 5
華やかなネオンライトで飾られたカジノは、昼間から夜のようだった。
ウィルは慌てるでもなく、豪華な絨毯の上をのんびりと歩いていく。いっそ無頼とも言える態度だ。
鉄格子のついた両替所にまっすぐ向かった。
そこには、どこか疲れた様子の中年女性たちがカナダドルに両替したり、カジノで使うポイントカードなどを発行したりしている。
ウィルは、カウンターをコンコンと拳で叩いた。
『ねぇ、支配人を呼んでくれる?』
『どういった用件ですか』
彼は身分証明書のようなものを見せた。それをチラッと見て、あからさまに迷惑顔をした中年女性が奥に下がった。
しばらくすると、黒いスーツを着た大柄なアフリカ系男性が出て来た。
『こちらへ』
ぜったいに入りたくないと思う事務所に案内される。マフィア映画を連想してしまう。わたしの、こうした想像力過多は長所であり短所でもあって、たいていはロクな結果にならない。
ウィルといえば、まったく能天気な態度のまま支配人らしい男に『よっ』と手をあげ、気軽に話しだした。今日のお天気はどうって感じに
一方、紺スーツに身を包んだ支配人は、椅子に腰をおろしたまま、泰然としている。
『ちぃーとばかり、聞きたいことがあるのだよ。教えてくれるでしょ』
『なんでしょうか。ミスター』
『殺しの捜査で来たのだがね』
『それは、また、物騒なジョークですな』
わたしも落ち着きはらった態度をしたかった。しかし、腹の底から怯えてしまい、足がガクガクするのを止められない。
支配人はほほ笑んでいるが、目が少しも笑っていない。
もしできるなら、この瞬間、パスポートを持って日本行きの飛行機に乗りこみたい。
支配人といえば、ウィルからわたしへ、再びウィルへと視線を移した。
ウィルはアメリカ人として小柄なほうだ。日本人と比べれば普通かもしれないが、こんな熊みたいな用心棒の男たちと、奇妙に冷たい支配人を前に子どもみたいに見える。それなのに、ウィルは無頓着で自然な態度を崩さない。それが虚勢じゃないことを、心から祈った。
『男を探しているんだよ。白川ジオンという名前で、ここで遊んでいる野郎なのだけどね』
『そいつは、知りませんな』
『あ、先に言っとくけど、白川は殺された。だから、これ、ともかく殺人事件の捜査だと思ってね』
シレっと彼は言った。
『それは、大変な事件ですが、こちらには関係がない』
ウィルは返事をしなかった。沈黙は数秒だったと思う。わたしには一時間にも思えるほど長かった。不思議なことに、支配人は受話器を取ると何か指示した。英語になまりがあり、その上に早口で聞き取れない。
『ここで騒ぎは起こさないでくださいよ。なんなら、その男をこっちで呼び出しますがね』と、支配人が言った。
『いや、少し確認したいだけなんだ。心配ご無用、騒動は起こさない。ちょっと顔を確認するだけだから』と、ウィルがわたしに視線をうつした。
『さあ、チェリー。戻るよ』
わたしの肩を叩くと、彼はドアから出ていく。わたしは慌てて後に続いた。用心棒が背後から追って来た。
『あの一○三二台の男だ。騒動を起こすつもりなら、こっちで手配するが』
『ちょっと確認したいだけさ』
用心棒が指差した男はスロットマシーンの前に座っていた。アジア系らしい体形の痩せた黒髪の男だ。わたしは落胆と同時にほっとしてもいた。彼がジオンじゃないことは明らかにわかる。
『サンクス。ねえ、チェリー。あれが騙された例のコービィって男?』
『いいえ、全く違うわ。あの男は背が高くて体格が良かった。あんなふうに貧弱な感じじゃないわ』
『そう、やはりね』
『どういう意味』
『どういう意味かは、奴に説明してもらおうか。ちょっと行って、日本語で声をかけてくれる?』
『わたしが?』
『そう、わたしが』
男の背中を見た。わたしは前に進んだ。
気怠い旋律がBGMとして流れており、無料ドリンクを配る女性スタッフがこちらにむかってほほ笑みかけてきた。
わたしは、一歩一歩、男に向かって進み、彼の背後で立ち止まった。そばにウィルがいない。ええい、やるわよ。
「こんにちは」
日本語で挨拶したが返事がない。聞こえていないのだろうか。
目が淀み、ぼんやりした表情でスロットに向かう男の横顔。機械的にボタンを押し続けている。こんな無気力な顔になるまで、どれだけ長くこの場所にすわっていたのだろう。薬物依存者の弁護をしたことがあるが、彼らと同じ顔をしていた。
「こんにちは、白川さん」
さっきより大声を出してみた。男が緩慢な動作で、こちらをチラっと見て、それから、また機械に戻った。
『あんた、全く日本語がわからないね。ミスター』
いつのまにか背後にいたウィルが言った。
『ああ?』
『ミスター白川か?』
『そうだ』
『じゃあ、ちょっと来てもらおうか』
男の目の焦点がはじめて合った。
『なんなんだ』
いきなり立ち上がると虚勢を張った声で叫ぶ。それから、急に逃げ出した。腕を掴もうとしたウィルを振り払う。
逃げられる!
そう思った瞬間、彼がその場にいきなり倒れた。ウィルが足を引っかけたのだ。彼の手が襟もとをつかもうと伸びる前に、先ほどの用心棒が立ちはだかった。
『ここでは困る』
観光で遊んでいるらしい、人の良さそうな初老の男女数名がこちらを見ていた。
『おお、ミスター白川、大丈夫かい? どうして転んだの』
ウィルがとぼけた声で言いながら、倒れた男を起こして、それから腕を背後にひねった。大声を出しそうになった男に用心棒が脅した。
『静かに付いていけ』
その声は低かったが、男を黙らせるだけの迫力があった。聞いていたわたしさえもぞっとした。
わたしたちは用心棒に付き添われて、カジノの外に出た。表玄関ではなく裏側からだ。周囲はビルに囲まれゴミが落ちた汚れた場所だ。
まばゆい太陽に、男は目をしょぼつかせている。同時にウィルはスマホで彼の顔を写真に取った。
『なんだ、いったい』
『オタクね、人の身分証明書を使って遊んでるでしょ。たぶんお金もね。ともかく、それ、どこで盗んだの?』
『盗んだんじゃねえ。拾ったんだよ』
『どこで拾った』
『関係ねえよ』
『それでもいいけど。このまま黙秘を続けるなら殺人罪で警察に渡しても、全く問題ないのだけどな』
ウィルが腕を背中にまわして締め上げたのだろう。男が悲鳴を上げた。細身で小柄な体格なのにウィルの腕力が強いのに驚いた。海兵隊上がりとか、警官だったとか、そういえば五月端が言っていたが。ユーモラスで知的な風貌から、こういう暴力沙汰は想像できなかった。
『さあ、教えてくれる』
ウィルは悪魔のような笑顔を作った。
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