王朝最後の末裔 5




 中原は痙攣するように首を左右に振り骨をポキポキ鳴らした。その目つきは爬虫類のようで気色悪い。

 以前、こんな人間に会った気がする。

 誰だろう。

 そうだ、あの藤川社長の妻を名のった朱常浩じゅうちゃんはお。カルト的なものに狂った、そんな人間と同じ目をしている。

 中原は悦にいった表情を浮かべ口を開く。

「やっとここまで来ました。長い道のりを乗り越えられたのは、王さまの試練だと理解しているからです。ジオンさまは尊くも賢い方ですから、われらの献身を試していらっしゃるのです」

「いったい何を言っているの。試しているって、誰が」

「ジオンさまです。不敬な言葉を使ってはいけません。あなたのような人間が軽く接することができるお方ではありません」

 この男は狂信者だ。自分の態度に酔う以上に、その行動自体を正義だと勘違いしている。そういう勘違い野郎だ。

 いったいわたしを拉致して何をしたい。

 体の痛みは頂点に達したが、逆に頭が冴え冴えと冷えた。

 ──そうだ、間違いない。

 謎などなかった。目の前に正解がいる。まったく、自分の愚かさに歯がみしたい。まさかと思うと同時に、それが正しい答えだと確信した。

 連続殺人犯をわたしは前にしているのだ。

「あ、あなたね。兄じゃない、あなたがやったのね。連続殺人犯って……。外務省で兄のことを言っていたわね」

「あの言葉は必要不可欠とはいえ、斬鬼ざんきに耐えないものでした。自分を罰することで、王さまにお許しいただきました。背中をお見せしましょうか、鞭で叩いた跡がまだ残っております」

「デトロイト川に沈めた溺死体は、あなたがしたことなの」

「そうです」

「な、何のために、何のためにそんなことを」

 すでに答えはわかっていたと思う。ジオンを探しているのだ。

 兄は、なんと言っていた? 何度も逃げたと。香港から、日本から、そして、アメリカでも。兄が逃げている相手が、この男とその関係者たちだ。いったい何者なのだろう。

「聞きたいことがあるわ」

「ひとつくらいなら、許可しましょう」

「日本で、わたしを襲った暴漢が溺死体で発見されたけど。兄がやったと思われていたわ。もしかして、あなたね」

「よくわかりましたね、なかなかに頭が回るようだ。痛みが脳を活性化しましたか? そうです、自分です。あの不逞の輩が、ジオンさまを傷つけるなど、なんと畏れ多い。あの者は自分の犯した罪を理解していなかったのです。ただ、あれも役には立ちました。日本でジオンさまを探し出せたのは、暴行事件のお陰でもありました。当時は今ほどネットが発達していませんでしたから。ジオンさまが日本に渡った形跡はあっても、居場所まではわかりませんでした」

「藤川綾乃を名乗っていた香港の警官、朱常浩じゅうちゃんはおも殺したのね」

「それが、なにか」

「いったい彼女に何の罪が」

「あの者は部下です。ジオンさまとの、お子を身籠みごもるための箱であり、そのためにあなたに接触させました」

 男なら興味を持ちそうな朱常浩じゅうちゃんはおの肢体。妙に色っぽい女性だと思ったものだ。まさか、彼女はジオンを誘惑するための道具だったのか?

「でも、兄の居場所がわからなかった」

「王さまの御心は凡人には計りしれないものです。ただ、朱を遣わしたのは、おまえのような女を大事にされた理由は何なのか。なぜ、おまえに拘るのか、それを探るためでもあったが。おまえに好意を持ち、愚かにも妙な気を起こしたようで、処理しました」

「処理って、いったいどういう意味なの。そんなことをするだけの理由があったの?」

 わたしは会話を長引かせることで、自分が助かるための方策をさがした。

朱常浩じゅうちゃんはおは、ジオンさまを慕っておりました。そのことに気づかなかったことは、わたしの不覚です。あの女は子どもの頃、ジオンさまのお母さまになついていたのです。あのお方は優しく非常に美しい方でしたから。だからか、朱は身分不相応の望みを抱いた。あなたを真似て、その上にわたしを欺こうとした」

 当時、朱は不倫相談と言いながら、異常なほどわたしのことを聞きたがっていた。それが、こんな事情だったとは思いもよらなかった。

 はっとした。朱の名前を呼ぶたびに、中原の顔は奇妙にゆがみ、首の骨を鳴らす回数が増えた。

 おそらく、この男は自分では気づいていない。彼の表情、憎しみに満ちた仕草。まるで嫉妬に狂った男のようだ。

 ときどき、わたしは忘れることがある。ジオンは魔性なのだ。

 中原は何人もの人間をジオンのためと殺害してきた。部下である朱の命など、ことさら軽いものだったのだろう。この男はジオンに狂った恐ろしい怪物なのだ。

「あの子が何をしたというのよ」

 中原の目が空中で一点を見つめるように止まった。その視線の先には、彼にとってのジオンがいるのだろう。彼は目をしばたくと、首をポキポキと再び鳴らした。

「ただ、あの女も役に立ちました。社長宅に住みながら、おまえの居場所を発見したのですから」

「兄は、よほどうまく逃げているのね」

 この男の態度は失恋して気が狂った者に似ている。常軌を逸した嫉妬や妄執を、王への忠誠と正義に置き換えたのだ。だから、この男の態度はときに芝居がかって見える。

「ジオンさまがお隠れになる理由は、自分のような臣下が忖度そんたくするものではありません。御心によって王がお決めになることですから。しかし、それではお守りするのが難しくなってしまいます」

 ジオンは母が逃してくれたと言っていた。

 母は事情をある程度知っていたにちがいない。だから、私たちもすぐに引っ越したのだろう。世間体を気にして引っ越しするほど母が弱いなんて、今から思えば奇妙だった。母は危険を察知したのだ。

「あなたは……、なぜ、それほど兄にこだわるの。財団の意向ではないでしょう」

「こだわる? かの方が幼き頃から、自分は身近に仕えておりました。自分はもっとも尊い聖物をジオンさまより授かりました。それが忠誠への奇跡となったのです」

 中原は首にかけた袋を大事そうに胸からとり出した。袋のなかには薄汚れた古いハンカチが入っていた。

 血に汚れたのだろうか、ハンカチの一部が茶色に変色している。

 そうだ、記憶にある。ジオンが昔、言っていた。

 ──遠い昔に、同じことがあったんだよ。

 そう言ってジオンはほほ笑んだ。あの時は理由がわからなかった。この男なんだ。ジオンが、わたしにしたように傷の手当てをしたのは。幼いわたしは、あの時、見知らぬ誰かに嫉妬を覚えた。

 笑うしかない。

 この男とわたしは同じ人種なのかもしれない。

「ジオンさまは王です。王をお守りするのが臣下の務めです。自分は務めを果たしているのです」

「殺人を犯してまで、異常だとは思わないの」

「あなたこそ、わかっていないのです」

「では、横浜の兄を世話した中国人は財団の関係者でしょ。あれも、あなたね。溺死体で発見された人よ」

「質問はひとつでした。が、まあ、いいでしょう。財団のなかにも愚かな人はいます。王をお守りできない者に王をお預けすることはできません。彼らは金のために王を利用している不逞の輩です」

 やはり、財団のなかに亀裂があるのだ。ジオンが二つの派があるとか言っていた。穏健派と急進派だ。どちらもジオンを王として守っているのだろう。

「ジオンの」と言った瞬間、平手打ちが飛んで、口から赤い血が溢れた。

「ジオンさまです。かの方を呼び捨てするなど神をも冒涜するものです」

「彼の、き、希望を知らないの? 静かに暮らしたいのよ」

「つまり、ジオンさまが生きてらっしゃるのを知っていますね。王の所在を知っている。そうなんですね」

 舌なめずりするような表情を浮かべる中原の目は、赤黒く血走っていた。おそらく、長い間、彼らは鬼ごっこをしているのだろう。彼を睨みつけた。自分でも、どこからそんな勇気がわいたのかわからないけど。

「兄は生きているの?」と、逆に質問した。

「タフな方だ。思ったより強くて感服しました。それも愚かなことでもあるのですが。自分は、これまで拷問するに躊躇したことがありません。王のためなら、なんでもいたします」

「お、愚かなのは、あんたよ。ジオンは望んじゃいない。だから、逃げてるっ、ツウゥ」

 再び、力任せに右頬を打たれた。ぼうっとする間もなく、すぐに左頬を打たれた。二回目はさらに強かった。あまりの衝撃で椅子に縛られたまま、ガタンと大きな音をたて床に倒れた。顔から落下したので、したたかに床で打った。血の匂いがする。

 こんなことで、こいつを刺激するなんて、わたしは本当に愚かだ。 

「さあ、もう一度、聞きましょう。ジオンさまに会ったのですか? あなたの雇ったコービィ・ウィリアムはジオンさまの指紋を照合していました。そこでデトロイトの遺体が別人と知ったようですな」

 ウィルが、わたしに教えたかったことは、これだったのか。

 中原は左手を上げて合図する。再び汗臭い匂いがして、大男が椅子を直した。ガタンガタンとまるで物を扱うように椅子ごと、軽々と元の位置に戻った。体が動くごとに激痛が走り、叫びたくないのに声がもれる。

「ちょ、ちょっと、人間が乗っているの、痛いんだから、丁寧に扱って……」

 虚勢をはったが、実際は怖くてしかたがなかった。

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