王朝最後の末裔 3



 思い起こせば、中原とは最初の出会いから選択の余地がない関係だった。この車の後部座席に乗っているのも、周到に用意された罠にかかったかのようだ。

 車はフリーウェイを北へ向かっていた。後部座席からの狭い視界では路肩側に整備された芝生と前後を走る車しか見えない。

 素知らぬ顔で運転する中原。おそらく兄の生存を確認しているにちがいない。

 兄は、今すぐ遠くへ逃げるべきだと思う。

 スマホの番号もメールアドレスも知らないが、伝える術はある。検索システムに紐付けしていると言っていた。

 わたしは、普段はあまり使わないツィッターを開き、黒城櫻子と名前を書き日付を入れた。

[今、インターポールの警官とデトロイトの高速をドライブ中。景色がきれいよ。ねぇ、十八歳のとき、母が伝えた大事な言葉を覚えてる? 「前だけ向いて」って、あの言葉。今こそ、その時よ]

 逃げるときは、決して後ろを振り向かない。前だけ向いて走れと言った母の気持ち。これを読めば、兄なら理解できるはずだ。

 わたしはツィッターに情報を上げながら、中原に向かってむじゃきな笑顔を浮かべた。

「どこまで行くのですか? かなり走っていますが」

「デトロイトから外れた安全な郊外にオフィスがあります。インターポールは加盟各国の分担金で成り立っているのですが、資金的に厳しい。郊外の方が、安価ということです。オフィスを借りるのも、金、金、金ですよ。の人間なんて汚いものだ」

 普通を強調して、吐き捨てるように言った横顔は、薄っぺらな上に傲慢に見えた。なんとなくだが、彼は他人を見下しているように思える。ジオンに対する熱心すぎる捜査も、そうした彼の尊大な性格が理由かもしれない。狙ったターゲットはけっして外さないという執着を感じた。

「世界中の人びとを守っているのに、財政的に厳しいとは大変ですね」

「そうです」と言って、彼は左に車線変更して、さらにスピードを上げた。

「最近の犯罪者は国外へ容易に逃亡していきます。そのために案件は増える一方で、年々、組織の需要が高まっています。そもそもでありますが、インターポールに逮捕権がないのも疑問を提示したいところではあります」

 景色は田園風景へと変化した。

 更に北へと向かっていく。これは太陽の位置から割り出した方角だ。わたしは地図を読むのが好きで、方向感覚はいいほうだ。幼い頃から道に迷ったことはない。

 ジオンの運転で西へ向かったときも感じたが、この国は広大だと思う。都市を抜けると人里から離れた平野がすぐに広がる。

「まだ遠いのですか?」

「もうすぐです」

 中原は静かにハンドルを握っている。その断固たる後頭部を見ていると不安を覚える。

 五月端によく笑われるが、わたしはお人好しなところがあって、簡単に人を信用してしまう。空港でも騙されたばかりだ。

 考えてみれば、中原のことをよく知らない。

 外務省で出会い、国際警察機構の役人という肩書きを信用したが、肩書きで善人悪人の区別などつかない。

 仕事柄、多くの人びとから相談を受け、民事裁判の数もこなした。

 それは、時に絶望し、時に感動する経験で。金があるかないか、仕事が立派かどうかなど、多くの場合、その人間性に影響しない。金持ちで人格者もいれば、とことんゲスな人間もいる。その逆もしかりだった。

 ぼんやり風景を眺めていると、車はフリーウエイを降り田舎道に入った。公道から砂利道に入り、すぐに音を立てて停車した。

「さあ、ここです」

 中原が運転席から降り車の周囲をぐるりと歩き、後部座席のドアを開けた。足もとは砂利道で目の前に古い朽ち果てた廃墟のようなビルがあるだけだ。

「ここが? まさか、国際機関のオフィスですか?」

「そうです。どうぞ」

 車から降りたが、思わず後ずさっていた。

 目の前にある古いビルは、とても使用しているとは思えない。三階建てのコンクリート造りの建物で、外壁はひび割れが入り、苔のために全体が緑がかっている。

「本当にここですか?」

 ガタンッという音が聞こえた。

 ビルには鉄製の両開きドアがあり、それが開いた音だと思う。振り返ると男女ふたりの人間が出てくるところだった。灰色の制服ような格好をして、なぜか男も女も目が死んで見えた。思わず後ずさると、ハイヒールの下で、ジャリジャリと音がする。

「来てください」

 言葉は丁寧だが、中原に二の腕を乱暴につかまれた。鋼のように硬く強い力だ。

「離してください」

「どうしたんですか。怖がらなくてもいい」

「離して」

『お前たち、お迎えしろ』と、中原が英語で命じる。

 腕を振り払おうともがいたとき、建物から出てきた女がいつの間にか背後にいた。逃げようとすると、女に口と鼻を濡れた布で塞がれる。刺激臭が鼻につく。嫌な匂いで吐きそうだ。

 必死に抵抗すると、もう一人の男に鳩尾みぞおちを殴られた。

 うっという自分の声が自分でも信じらなかった。わたしは体を引きらせ、体を二つ折りにする。

 ふっと意識が遠のく。

 罠だ……。

 これは罠なんだ。中原は兄と関係しているのは間違いない。わたしは何か取り返しのつかないミスをしたのだろう。

 腕にチクリと痛みが走った。女が注射針で、何かを注入している。

 殺される……。

 でも、なぜ、わたしが。

 ごちゃごちゃと考えている間に、耐え難い睡魔に襲われ、そして、意識を失った。

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