王朝最後の末裔 2 




「実は、外務省でお会いした翌日に連絡したのですが、すでに米国へ出立された後と聞いて驚きました。さて、お問合せいただいた私立探偵のニセモノですが」

「はい」

「その前に、お聞きしたいことがあるのです。遺体の検視で新しい情報はありましたか? 遺体は、お兄さまで間違いなかったでしょうか?」

 どう答えたものか。ジオンを連続殺人犯として追っている男だ。

 運命にアクシデントがあるとするなら、まさに今の事態は事故アクシデントに他ならない。それもわたしの軽率な行動によって引き起こされたものだ。

 窓外では明るい月が空を染め、不気味に照らしていた。

 どうしたらいい。冷や汗をかき、無意識に両腕で体を抱いた。

「検視医によればですけど、自殺か事故らしいと。川で溺れる前に何て言ったかしら。それ、メモしたんですが、ともかく、ある薬物を大量に摂取して意識が朦朧もうろうとなり、それで溺れたようです」

 月明かりにテラテラ輝く川面を眺めた。なぜか、その光を見ていると気分が悪くなる。確かに嘘は言ってない。これは嘘じゃない。

 正しいことをすべきという弁護士法が頭に浮かぶ。

 第一条は、[弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする]だった。

 溺死体は兄ではなかったと伝えるべきだろう。しかし、言葉が喉の奥で引っかかり形にならない。

「そうでしたか」

「遺体は荼毘にふしました」

「では、日本に帰られるのですね」

「ええ、まあ」と、言葉を濁した。

「ところで、お電話したのは別件です。自分は現在、米国に出張で来ています。ちょうどいい機会ですので、デトロイトに寄る予定を組みました」

 体中から、サーッと血の気が引く音が聞こえる。

「せ、世界中を飛び回っているんですね」

「仕事上、どうしてもそうなります。まあ、慣れていますから。そこで、明日なんですが、よろしければ意見交換にお会いしたいのですが」

「明日?」

「ご都合はいかがでしょうか? デトロイトは数年ぶりですが、日本人の口にあう美味しいレストランを知っています」

 彼に会えば兄の説明に困るにちがいない。しかし、会わないというのも変に思われるだろう。

「あの、兄とは、以前にお話したように二十年近く会っておりませんので。遺灰を日本で埋葬するために来ただけで、すぐに帰る予定なんです」

「実は、新しい情報をつかんだのです」

「新しい情報?」

「そうです。例の溺死体には不自然なところが多いと思っていましてね。そこで、ご相談したいことがあります。それから検視した医師も紹介していただきたい」

 それは困る。いや、困らない。メディカルセンターの医師は、あの遺体が兄ではないと証明したわけではなく、ただ、どう亡くなったか検視しただけだ。だから、困る必要も怯える必要もないはずだ。この矛盾を理性が肯定し、感情が否定している。

 兄が生きていることを知られたくない。誰かが何かの目的で、あの溺死体を兄にしたという本質的な問題より、孤独な兄を守りたかった。

 兄は誰と言っていたか。

 そうだ、高浩然ガオハオリャンだ。危険だという男について中原は知らないだろう。

 猫が毛を逆立てるように、わたしは全身に鳥肌を立てながら必死に考えた。

「わかりました」

「ええ、では、明日、お迎えにあがります。ご都合の良いお時間は」

「いつでも大丈夫です」

「では、午前中にホテルで。出るときにメールをします」と、電話が切れた。

 電話を切った瞬間、ぶるっと体が震えた。



 翌朝早く、中原からメールが届いた。

 指定されたのはマリオットホテルから建物沿いに川に向かい、横断歩道を渡った場所だった。十分ほどで迎えに行くと書いてある。

 外は薄曇りの空で、太陽は見えるが東から濃灰色の雲が迫っている。雨が降るのかもしれない、空気が珍しく蒸していた。

 ホテルの玄関口を出ていくと、横断歩道を渡ってすぐの場所に白いセダンが横付けされていた。運転席から中原が降りてきた。きびきびした身のこなしは、やはり兵士のように厳格なルールで動いているようだ。

「お時間をいただいて、ありがとうございます。実は、お見せしたい画像がありまして。どうぞ、お乗りください。オフィスに向かいます」

 中原が後部座席のドアを開ける。わたしは少しだけ躊躇ちゅうちょした。

「画像?」

「ええ、空港で、あなたがお会いになったカウボーイハットの男です。実は画像認識システムで解析したんですが。ともかく、デトロイトにもICPOのオフィスがありますので一緒に来てください。溺死した人物が、あるいは、お兄様ではないかもしれない懸念があります」

 現代のテクノロジーは進化しており、精巧な顔認証システムではマスクをしても本人が確認できると読んだ覚えがある。

 鳥肌が立った。

 ジオン、どうしたらいいの?

 わざわざ顔認証システムのことを言ったからには、おそらく偽コービィを兄だと確信したにちがいない。それを聞かなければ、なんとか理由をつけて車に乗ることを拒んだのだろうか。

 わたしは自分の行動にいつも責任をもてない。

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