最終章
王朝最後の末裔 1
それから、ジオンがホテルまで送ってくれた。
一階の商業施設からエレベーターでホテルに向かうあいだ、ジオンといると、なぜ自分でいられないのか、それらしい理屈を考えた。どれも真実ではなく、どれも真実らしかった。
いつになったら、ジオンが普通の男で兄だと思えるのだろう。
ホテルのフロントで鍵を受け取ると『メッセージがあります』と言われた。ここ数日ですっかり顔馴染みになったフロントマンは洒脱な態度で笑みを見せる。
『黒城さま。五月端さまからメッセージをことづかっております』
『ありがとう』
礼を言って英語のメッセージを読んだ。
[レンラクマツ、サツキバタ]
スマホを確認すると、やはり五月端からメッセージが届いていた。心配していることだろう。申し訳なくて泣けてくる。彼には甘えてばかりで、どう埋め合わせていいのかわからない。
もし、ウィルの怪我を知れば明日にでも飛んでくるにちがいない。
[メールが遅くなって、ごめんなさい。こちらは大丈夫]と、書いてから、次の言葉を入れるかどうか迷った。
[もうしばらく、帰れそうにありません]
すぐに返信が来た。日本では何時だろうか? こちらは夜十時過ぎているから、向こうは昼前の十一時くらい?
じゃあ、事務所にいる時間だ。仕事が立て込んでいるだろうに、五月端の返信は早かった。本来はこんなマメな男ではない。わたしがそうさせてしまったのだろうか? そう思うと後ろめたい。
[やっと、連絡がついた。今、どこにいる]
[ホテル。検視が終わって荼毘に伏したりして忙しかった。もう少しだけ、こちらに残る予定です]
彼の顔が思い浮かぶ。きっと眉間に皺を寄せているにちがいない。
スマホが鳴った。
受信番号は081から始まっており日本からだ。これは彼だろう。わたしはフロントのスタッフに礼を言って、エレベーターに向かった。
受信ボタンを押すとき、少しためらった。
「もしもし」と、小声で話した。
「今ね、夕食を食べた後でエレベーターの中なの。部屋に入ってから、こちらから連絡するわ」
悪いことをしている訳でもないのに、妙に後ろめたい。エレベーターの音が耳障りだった。
「心配しているよ。検視も終わったのだろう。もう帰ってもいいんじゃないか?」
彼には珍しく声に不安が滲んでいる。悪いことはしていない。いや、そうだろうか? わたしは悪いことをしていないのだろうか。
「ええ」
「ウィルに連絡をいれたが繋がらない。何かあったのか」
「たぶん、あの、忙しいんじゃないかしら。わたしの要件は終わったから」
わたしは適当に相槌をうちながら、後からすぐにバレそうな嘘をついた。ウィルの状態を知れば、さらに心配させるだけで、とても辛かった。
「待っていて、もうすぐ帰るから」
「本当に、帰って来るな?」
「いったい、どうしたの? わたしの良さを離れて気づいた?」
「常に連絡をいれて欲しい」
「……」
「なぜ、聞こえないふりをする」
「ここは乾いているから」
なぜ、そんな言葉を口にしたのだろうか。
「乾いている?」
「ええ、空気が乾燥してるの。日本みたいに湿気ってなくて、喉をやられるわ。飴をもってくればよかった。じゃあ、本当に連絡するから」
「その軽い言葉を、どう信じたらいい」
「笑って、ミチタカ。わたしに、そんな価値なんてないんだから」
「なにを言っているんだ、まったく」
「高尚なことよ。じゃあね、連絡する」
冗談にまぎらわせて電話を切った。
無意識にここは乾いていると言ったのは、ジオンの別れ際の言葉を思い出したからだ。
──いつか何もかもが終わるとき、俺は、やっと泣けるかもしれないな。
──終わりって、どういう意味?
──ただ、そう思っただけだ。
会っているときは常に形容できない感情に振り回される。たいていの女は彼の姿だけで、心が乱れるだろう。
わたしは十七歳の少女のようだ。当時も今も何かあったわけではない。キスさえしていないのに、それでも五月端に罪悪感を覚える。この混乱した気持ちをどうしたらいいのだろう。
「しっかりするのよ、櫻子」
わたしは頬を叩いた。まず、明日はウィルの状態を病院で確認しよう。
今日はひどく疲れた。化粧を落として、シャワーを浴びなきゃと思ったが体が動かない。
しばらくぼうっとしていると部屋の電話が鳴った。
『もしもし』
『お電話がはいっています。お繋ぎしてよろしいでしょうか』
警察からだろうか。『つないでください』というと、特徴的なしゃがれ声が受話器から流れてきた。
「黒城櫻子さんですか?」
「そうです」
「日本でお話した中原です。インターポールから派遣された。お問い合わせのあった件について、お話したいことがあります」
そういえば、偽コービィが兄と知らない時に、中原に問い合わせをしていた。まさか兄を連続殺人犯として追っている警官に知らせたなんて、血の気が失せていく。
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