孤独な兄の謎 2

 



 明け方近くまで浅い眠りが続いた。ぐずぐずとベッドにいると、ドアベルの音がして、次に性急にノックする音が聞こえた。

 ドアを開けに行こうとして、はっとなり思いとどまった。ここは全米犯罪率ナンバーワンのデトロイトなのだ。もうこれ以上の失敗はごめんだ。

 裸足で絨毯の上を歩き、のぞき窓から相手を確認した。

 ドアの外では、モジャモジャの茶髪で丸眼鏡をかけた、いかにもユニークな男が立っている。神経質そうに体を揺らしている姿が、どことなくユーモラスだった。

 再び、ドアを叩く音がして、思わず、のけぞった。

『そこに立っているのはわかっているから。ともかく、そろそろ、開けるのだよ』

『どなたかしら』

『コービィ・ウィリアムだ。オタクの恋人から紹介がいってるでしょ』

『ウィリアムって、バウンティハンターの、コービィ・ウィリアムさん?』

『そうだ』

『本物なの?』

 わたしもウブな質問をした。ニセモノがニセモノと言うわけがない。

 のぞき窓から見ると、男は色褪せたジーンズのポケットから財布を取り出し、名刺ぐらいのカードを見せている。写真付きの証明書で氏名とナンバーがある。

 それで、ドアチェーンをつけたままドアを、そっと開いた。

『あなたが黒城櫻子さん? 僕のニセモノに騙された櫻子さん?』

『そうよ。だから警戒しているの。あなたが本物のコービィさんかどうか、簡単には信用できないわ』

『ほお、その判断を空港で発揮できていたら、サッキーから電話で叩き起こされることはなかったな』

 サッキーって、いったい誰よ。彼は開いたドアに顔を突っ込んで、マシンガントークを続ける。

『で、ドア前で押し問答するってこと? いいけどね。一応教えておくけど、ともかく、僕は時間で雇われているのだが。一分一ドルって具合にね。いや、もっと高いぞ。だから、早くドアチェーンを外しなさい』

『時間って、なにそれ?』

『早く開けなさい。黒城さん。僕も面倒くさくなっている』

 彼が自分のスマホを取り出して、ドアの隙間からつっこんだ。そこに五月端がいた。

「彼は間違いなくコービィ・ウィリアム氏だ」という動画が入っている。

 二回、同じ画面を繰り返すのを見て、わたしはチェーンを外してドアを開けた。

『ミスター・ウィリアム、どうぞ』

 コービィはわたしの言葉を完璧に無視して、ダイレクトに電話機に向かった。「どうぞ」という言葉が宙に浮かぶ。

 あっという間に、彼は受話器のカバーをねじって取り外した。

『ふむ』と、呟いた。

『なんなの、それは』

 彼はシッと人差し指を口もとに当てた。それから、勝手に通風口を覗き、その後は部屋中を物色しだした。コンセントのフタを外したり、スタンドライトの裏を見たり……。

『ちょっ、ちょっと、いきなり何しているの』

 彼は黙るようにと、再び唇に人差し指をあてる。わたしは、自分がバカみたいに思えた。確かにバカだろうけど。彼は部屋に盗聴器が仕掛けられていないか調べているのだ。

『よし、これで大丈夫そうなのだな。ほら、ご覧。ひとつ見つけた。なかなか相手もやるな。さてさて、黒城さん。あなたはニセモノにまったく気付いてなかったね。変だと思わなかったの? 僕のニセモノが現れるってことに』

『あの、まさか電話を盗聴していたの』

『いや、ちがうようだ。電話機には盗聴器はなかった。ひとつだけ、ほら、これだ。だが、古い。おそらく以前にしかけられたもので、壊れている。今回とは関係ないでしょ』

『じゃあ、大丈夫なんですね』

『うん、まあ、どうだろうか。すわっていい?』

『どうぞ、おかけください』

『それから、僕はコーヒー派。ミルクはなしね』

 世界は自分中心に廻るって態度だけど、しかし、不思議と嫌味ではない。飄々ひょうひょうとして、つかみ所がない男だが好感がもてた。

 声は鼻にかかり、蓄膿症を患っているようなかすれた声、この声とひ弱そうな体格から、他人は警戒心を持ちにくいだろう。

 昨日、出会った偽コービィとは、全く正反対のタイプだ。

『うーん。僕ね、早口は癖だから、理解できなければ言ってね。頭の回転に言葉が追いつかないの。さあ、取りあえず、サッキーからの依頼で』

『サッキーって誰ですか』

『オタクの恋人、サツキバタって、発音しにくい面倒な名前でしょ。だから、縮めてサッキーって呼んでるのね。サッキーが、ともかく、喧嘩腰に電話してきてね。ちょっと面倒なところがある人だよね』

 サッキーなんて、五月端の仏頂面が目に浮かぶ。そこは、メイとどっこいどっこいだけど。きっと彼のことだ。我慢しているにちがいない。

『あなたのニセモノは。五月端をメイって呼んでいたわ』

『メイ、なんで、また?』

『五月端のさつきは季節で言えば、五月って漢字で、その意味は英語のメイだからよ』

『ほう……』と、彼は剃り残しのヒゲが残る頰をさすった。

『面白い情報だよね。米国人で日本語がわかる人は少ない、まして漢字の意味なんてね。五月端と聞いて、ともかく、すぐメイというあだ名をつけた男か、切れ者かもね』

 そうだ、確かに五月端がそう言ったなら別だが、彼はニセモノだ。よく日本語がわかったものだ。だから、わたしは信じ込んでしまったのだが。

『じゃあ、まず、彼のことから聞こうか。チェリー』

『チェリーって?』

『あなたのことだ、チェリー。櫻子って、桜、英語ならチェリーブロッサムだと聞いたよ。だから、チェリー』

『ない!』

 わたしは即座に否定した。

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