孤独な兄の謎 3



 チチチッと、コービィが左右に人差し指を振った。

 こちらの神経に障る態度はムカつくが、なぜか憎めない。言葉から言葉へと真逆に揺れ動き、振幅が激しくて、あっという間に、彼のペースに巻き込まれてしまった。これが、彼の処世術なんだと思う。

『ともかくね、チェリー。こっちに来ることを誰かに話したの?』

『戸隠法律事務所と外務省の人しか。でも、そこから漏れるなんてありえない』

『何事も独断は禁物なのだよ。いろんな意味で、今回のことはプロ集団が拘わっているようだからね』

『プロ集団って?』

『それを、これから捜査していくのだよ。チェリー』

『黒城櫻子』

『わかった、わかったのだよ。コッジクジャクラァコオ』

 発音が難しいのか、わざとやっているのか。到底、納得できない奇妙な名前で呼ばれてしまった。

 僕には発音できないよって顔で無邪気に両手を上げ、本物コービィはおどけた顔で待っている。

『櫻子』

『ジャカラァコオ』

『わざとでしょ。わざとできないフリをしているでしょ。いいわ、チェリー、ゆずるわ。なんだかムカつくけど。そこ、笑い顔を止めるとこじゃないから。……ところで、ニセモノはデトロイト空港の到着出口で、なぜ、わたしだってわかったのかしら?』

『名前を呼ばれて、素直にイエスって、返事したんじゃない』

『したわ』

『つまり、そういうことだね。わからないかな? アジア系の女性が一人で出て来るたびに声をかけるだけでしょ。簡単じゃない』

 そうなのだろうか。あのカウボーイハットの男は、まるで知人ように自然に声をかけてきた。躊躇ちゅうちょなど全く感じなかったと思う。それは、わたしの記憶が、自分に都合よく上書きされたからか。よく観察すれば不自然なところがあったのかもしれない。

『ニセモノは五月端から聞いたと言って、わたしが最初に出口から飛び出してくるってエピソードもつけ加えていた』

『ふむ、ま、詐欺師として才能のある男だね。さて、気になるのはそこじゃない。メイとニックネームを付けたところさ。日本語がわかるかもしれない。ところで、そのニセモノをなんて呼んでいたの』

『コービィ』

『そうか。僕はね、通常、ウィルって呼ばれているのだ』

『ウィル、わかったわ、そう呼ばせていただくわ』

『さあて、チェリー。このホテルの支配人とは懇意にしているからね。チェリーが彼と話している様子を監視ビデオで見せてもらった。カウボーイハットを目深に被り、サングラスと黒いマスクをしていたでしょ。だから監視映像に顔が写ってないんだね。馬鹿でかいカウボーイハットしかね。計算していたのだろうけど、なんでハットくらい取り上げなかった』

 それで、あんな不自然な格好をしていたんだ。

『わたしはバカじゃないわ、きっと』

『ああ……、今日は寒い日だ』

『暑いわよ』

『ヤァ、チェリー嬢ちゃん。よかった、暑いってわかる程度は理解できるんだ。ちょっとは頭がまわる? おおっと、殴りかからないでくれ。ごめん、ごめんだよ。ともかく、デトロイトで遺体が発見されたって自体が災難みたいなものだからね。この市が財政破綻だったという意味だけど』

 チラッと時計をみると朝の十時半だった。

 このムカつく男にうまく反論できないのは、まだ時差が残っているためだと思いたい。

 けれども、兄を失った空虚な痛みを、ニセモノに騙されたことで、少しだけ忘れることができた。

 ──そうよ、櫻子。前に進まなきゃ。

『兄は、おそらくデトロイトに住んでいたと思うのだけど。どんな仕事をしていたのかわからない。兄の足跡を見つけることができる?』

『それは、わかるかもしれない。チェリーがバカみたいに騙されている間に、一応の調査をしていたよ。おそらく、ゴーストだったんじゃないかと想像している。それで、お兄さんはトラブルに巻き込まれたのかもしれない』

『ゴースト?』

『お兄さんは、十七年前に観光ビザで米国に入国して、そのまま、この地に居すわった。ま、不法滞在者だよね。ニューヨークに、その足跡が残っている。そういう人間には身入りの良い仕事があってね。裏家業なんだが、お兄さん、頭が良かったと資料をもらっているし、ありうることだ。企業に他人の名義で潜入してスパイ活動をして金を稼ぐ。自分を消したい人間には二重の意味で旨味がある仕事だ。さて、彼が渡米して数年後だが、ニューヨークでアジア系の男性がハドソン川に浮かんでいた。その男、どうもお兄さんと関係があったようだ』

 また、溺死体。兄の周囲では水の災難がつづく。インタポールの人間が言っていた。兄が連続殺人犯だと。信じたくはないが、すべての謎を残したまま、兄は遺灰になって、わたしの下へ戻ってきた。

『兄が連続殺人者という人がいて、兄の行く先々で溺死体が増える……。そして、最後は自分がそうなってしまったと言っていたわ』

『まあ、考えうる限りにおいて、デトロイトは最悪の選択だったね。同じミシガン州でも他市だったらとは思うのだ。ここは街灯の半分は壊れている状況で、救急車や警察車両だって、稼動しているのは三分の二にも満たないし、呼んでも来るのは遅い』

『それじゃあ、第三国みたいじゃない。でも、わたしはアメリカが世界で一番の大国だと思っているのよ』

『そこは誤解しないでよ。アメリカが大国じゃないとは言っていない。連邦共和国ってことの意味を誤解しているね。州毎に規則も違えば法律も違う。それぞれ独立しているからね。ここは悪いが他も悪いと一緒にはできない』

『では、わざわざデトロイト市を選んだ意味があるってこと?』

『重要な点だと思うのだよ。ま、取りあえず、いろいろわかったことはあるから。明日、また連絡する。今日は、お互いに顔を知ったということで。それから、検視結果を聞いておこう』

 ウィルに佐藤医師から聞いた結果を説明した。落ち込んでいた心が回復していく。この剽軽な男は、『まったくもう。僕は厄介ごとに首をつっこむ天才だ』など、ときどきボヤキながら、わたしの説明を懇切丁寧に聞いている。その様子はユーモラスだった。

『ドラッグで溺死か。よくあることだけれども、ともかく、自殺でないことは確かなようだ』

『じゃあ。殺された?』

『それも確定はできない。それから事故という線は消えないよ。はっきりしていることは、君の兄を調査している連中がいるってことでしょ。そして、僕のニセモノは、君が日本から米国に飛んだことを確実な情報として得ていたという二点』

『わたしの行動を知っている人は少ないわ。一昨日に急に決めたの。五月端さえ知らなかったんだから』

『それ、威張って言うことじゃない』

『でも、カウボーイハットの男はプロなのね』

『それほど相手を買い被らなくてもいいよ。来るということさえわかれば、航空機の搭乗者名簿を得る手段はある。ともかく、明日まで待って、調べたいことがあるから、後で連絡する。情報ってね、考えている以上のナイフになるんだね。つまり攻撃っていう意味なのだよ』

『わかったわ。それから最初の失礼な態度はごめんなさい。それにバウンティハンターって警察とのコネもあると、五月端が聞きましたけど』

『まあ、それなりに』

『メディカルセンターの先生が、苦労して指紋を取ってくれたの。このメディアにデータがあるのですけど』

『お兄さんじゃないかもと思っているんだね。わかった、警察の指紋データと照合してみよう』

 ウィルが帰った後、まだ昼過ぎだったが、すぐベッドに倒れた。アルコールの助けも必要なく眠ってしまった。

 心と体が悲鳴をあげていた。

 パトカーが通り過ぎたのだろうか。キュインキュインという甲高いサイレン音が聞こえて起こされた。夜中だった。それから、何度も目覚め何度も悪夢を見た。

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