第五章
孤独な兄の謎 1
遺体を引き取り
コービィは変に慰めるわけでもなく、ただ付き添ってくれた。おかげで、わたしは再びワッと泣き出さずにすんだ。
「時間ぎりぎり、間に合ってよかったです。米国の公的機関は融通がきかなくて、時間外の対応はしてくれないので」
「本当に、いろいろありがとうございます」
「どうか、あまりお気を落とさずに」と、佐藤が最後に言った。
コービィに送ってもらいホテルへ戻ると、午後八時をまわっていた。
窓から見えるデトロイト川は薄墨色に染まり、霞みがかかっている。緯度の関係だろうか、東京に比べて日没時間が遅い。まるで白夜のようだ。午後九時頃から、ようやく暗くなってくる。
部屋でぼうっとして、だから、備え付け電話のメッセージに気づくのが遅れてしまった。
「五月端です。また、連絡が滞っている、連絡してください」
受話器をおいた。いま頃、日本は朝だろうから、彼は起きているだろう。
スマホの接続が悪いので、ホテルの電話で連絡した。すぐに、「もしもし」と、五月端の声が聞こえる。
彼の声を聞くと再び泣きたくなる。
五月端は、いつも甘えさせてくれる。すべては上手く進み、世の中に問題はないと思わせてくれる。ただ、今は違う。兄のことで、あまりに心が沈んでいた。
「何回もメッセージを入れましたが」
「いろいろあって、ずっと出かけていたの。遅くなったわ。メディカルセンターで検視も済ませたから」
「ひとりでかい? よくやったね。ただ、コービィ・ウィリアムからメールが届いたのが、気になってね。それで連絡した」
なぜ、彼が五月端に連絡するのだろう。先ほどまで会っていたのに。状況報告をしたのだろうか。それは、予想外だ。そんなふうにマメな男には見えなかった。
「まだ、君から連絡が来ないが、どうするのかという内容なんだが」
「え? 何かわかったのかしら?」
「何か、わかったとは?」
「先ほど、別れたばかりなのに」
「話が見えないんだが……。君から全く連絡が来ないので、どうするつもりかという問い合わせが来ている」
どうも話がかみ合わない。なんだか嫌な予感がしてきた。
「だって、空港に迎えに来てくれたわよ」
「空港で? メールは君の連絡を待っているという内容だが」
「わたしの連絡?」
「そう、米国に到着したのか聞いている」
背筋がぞっとして手に汗が滲んできた。
どういう意味?
あのカウボーイハットの男……、あの男はコービィだった。いや、本当に? 本当に彼がコービィ・ウィリアムなのだろうか。
「だって、あなたが空港に迎えに行くように手配したって。だからコービィと到着ロビーで会ったから」
「僕から? そんな馬鹿な。君、到着予定も教えずに飛んで行ったのを忘れたのかい。いつもの無計画、場当たり的な行動だったじゃないか。まったく笑えないが。心配になって到着したか確認したくて、メールしたでしょう」
どういうこと? あのコービィがコービィじゃないって、どういう意味? ニセモノじゃないって……。おお、お願い、誰か、そう言って。
「その、あなたが紹介してくれたコービィって人、あなたのこと、メイって呼ぶ?」
数秒の空白があった。冷や汗が出てくる。メイなんて、あり得ないだろう。聞く前から返事がわかった。
「僕をメイと呼ぶ人間は世界中さがしてもいない。そんなふざけた名前で呼ばれても返事などしない」
よくよく考えれば、生真面目な彼に女の子の名前のようなメイなんて呼ぶ人がいるだろうか。
ああ、違う。今はそこが問題じゃない。
わたしって、なんて馬鹿なんだろう! なぜ、五月端に確認しなかったのだ。仕事の基本じゃない。海外では普段の倍くらい注意して当たり前だという常識、なぜ忘れた。あの事件のせいだ。国道でチンピラに襲われて、助けられて、だから簡単に信じてしまった。
冷房が効き過ぎた寒い部屋にもかかわらず、汗が吹き出してくる。
「ごめんなさい、今、ちょっと、いろいろ、っていうか」
自分でもしどろもどろだと思うが、ともかく弁解した。
「大丈夫なんだろうね」
「結果としてだけど、問題はないわ。佐藤先生にも会えたし、いろいろ新しい疑問もあるのだけど」
「ねえ、櫻子。ときどき君が遠くに感じることがあるんだよ。とくに今はアメリカで一人いる君を思うと、とても心配になる。けっして責めているわけじゃない。わかるかい?」
「ええ、ええ、もちろんよ」
五月端の優しさに触れると、いつも少し後ろめたい。彼のまっすぐな感情に、わたしはきちんとお応じていないと思う。試験でカンニングして良い点数を取っているような気分だ。わたしを愛するなんて、そんな価値がないのに。
ごめんね、こんなに良くしてくれるのに、本当にごめんね、ミチタカ。
「なにがあったんだ」
「あのね、ちょっと、その。空港でコービィを名乗る男が待っていたの」
恐ろしいほどの沈黙が続いた。それは、永遠に続くように感じた。空気を深く吸い込む音が聞こえ、彼が口を開いた。
「で、何号室に泊まっているんだ」
「ルネッサンスセンターのマリオットホテルって知っているわよね。ああ、そう、部屋は一五○三号室」
五月端は、それを聞くと電話を切った。
なにも言わなかったことが、かえって恐ろしい。
耳のなかでハチが飛ぶような音がしはじめた。この音が聞こえるってことは、疲れが溜まっている証拠だ。
スマホを取り、恐る恐るコービィの番号をタッチした。しばらくして、あの男の声が聞こえた。
『ハロー』
『あなた、誰?』
スマホが切れた。
もう一度、かけ直したが、『この電話は使われておりません』という案内しか聞こえてこなかった。
わたしはベッドにつっぷし、とりあえず枕をボスボス叩いた。堪え難い時間が過ぎていく。
あのカウボーイハットの男はいったい何者なのだ。
なぜコービィ・ウィリアムのフリをしたのだろう。なんの意図があって、全く理由が予想できない。
外務省で会ったインターポールの中原にサフィーバ財団の存在を聞いた。もしかして、その関係者なのだろうか。兄が殺されたとしたら、あの偽コービィが犯人なのか?
五月端に相談すれば、すぐに帰って来いと怒るだろう。
唯一、この問題で力になってくれそうなのは中原かもしれない。いつでも、どんな些細なことでも力になるので遠慮なく連絡をと言われている。彼なら、一般人にはないツテがあるかもしれない。
とりあえず、バッグの中身をベッドにぶちまけ、名刺を探してメールした。
[国際刑事警察機構 中原弦さま。
米国で早々にニセモノの男に騙されました。こちらで手配したバウンティハンターがいますが、彼になりすまされたのです。デトロイトの空港の到着口で待ち伏せされました。こんなふうに、わたしの状況を知り得る立場で、コービィ・ウィリアムを装うことができる人間に、お心あたりはありませんか?]
もともと、わたしは黙って待つより行動する方を選ぶ。それで良いことも悪いこともあるが、やらなくて後悔するよりマシだと思っている。
この性格を五月端が危ういと、常に心配する。
──なにもしないことが、時に知的だということを知るべきだ。動くよりも、我慢して耐え忍ぶ方が苦しいことだ。
たぶん、たぶん、間違っているのは、わたしの方だろう。
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