第30話 捨札


 魔族であるクレセントは、人間であれば即死しかねないダメージですら耐えることができる頑強な肉体を持つ。


 だがそれでも、転生者であるサヴォナローラの攻撃を受ければ、そのダメージは計り知れない。

 本来であれば自然治癒で数分程度の完治を終えるクレセントであっても、これだけのダメージを受ければ、相当なダメージを負うことになる。


 クレセントはほんの僅かな時間、自然治癒に心血を注ぎ傷を癒やす。

 かろうじて焼けただれた皮膚を再生する事はできたが、ダメージはそのまま引き継がれている。


 それに加えて、クレセントの前に立ちはだかったのは、魔石でコントロールされたストムとメルバである。


「……貴方たち、いい加減にして。こんな事するために、ここを守ったわけじゃないでしょう?」


 クレセントはそう二人に声を掛けるが、魔石で完全にコントロール下に置かれている二人には全く届かない。


 動きは明らかに緩慢であるが、ストムは大振りな刃を振るう。

 クレセントは当然、反撃に出ることができずに攻撃を回避するが、その隙間を埋めるように、躊躇なくメルバが散弾銃を打ち付ける。

 かろうじてそれを防御魔法で回避するものの、既にサヴォナローラは一切戦闘に参加する様子は見られない。


 それはそのまま、「クレセントに勝ち目がない」と相手が確信したことを意味する。

 絶え絶えの呼吸音、手も足も出ることなく、攻撃を回避することしかできなかった。


 クレセントは思わずその場に倒れ込んでしまう。

 それはストムとメルバが攻撃に加わってからものの数分程度の出来事であり、その時点でサヴォナローラは講釈をするように歩き出す。


「おい魔法使い。確かにお前は、これまで戦った誰よりも強い。認めるよ。だが……お前の恨みはとんだお門違いってヤツさ。お前ら魔族が、人間に対してしたことを忘れたのか?」

「……あたしが、生まれる前の話だ。魔王(おとうさま)がしたことなんて知ったこっちゃない。だが、それがどれほど愚かしいことかくらい、想像がつく」

「利口だな。まこと、その通り。魔族の王が背負おった業によって、お前たちの穏便な生活があったんだからな。それは、そのまま迫害された人間の犠牲の多さだろう?」

「認める……。だからこそ言える。力に囚われるやつなんてクズよ。人間も魔族も変わらない。等しく、ただの生き物……魔王(おとうさま)はそれを勘違いしていたわ」

「あぁ、そうだな」

「だからね、あたしはあたしの思う正しさを突き通さなきゃいけない。絶対、絶対に負けるわけにはいかない……勝ち目なんて、なくてもね」


 その会話のさなか、サヴォナローラは確実な足取りでクレセントへと距離を詰め、不憫な眼差しを向けて、胸ポケットからけたたましく光る魔石が握られていた。


「やっぱり、最初から殺す気なんてなかったのね。魔石で操って、あたしたちを人質に取る。それが貴方が、シロウに勝つ唯一の方法だったんでしょう?」

「あぁ。その通り。確実に勝てる手札を揃えるのが、常套手段だ。お前だってそうだろう?」


 サヴォナローラは魔石を手にとって不気味に笑う。

 対してクレセントは、濃縮された逡巡に、自らの師との会話を、死の間際と重ねていた。



***



「自分より圧倒的な格上と戦うのなら、戦略が前提だ」


 クレセントが師事していたのは、原初の転生者であるコウガである。

 コウガはクレセントとサヴォナローラの力関係を理解したことに加えて、更にクレセントが「一人」で戦おうとしていることを察知してのことだった。


「戦略か……」

「お前がどんな感覚でいるのかは知らないが、転生者とそれ以外では別格の差がある。それはわかるだろう?」

「怒りで頭がおかしくなりそうだったけど、力の差くらいは理解できる」

「だからこそ、戦略が重要だ。戦略を組むのなら、魔法のほうがいい」


 クレセントは「魔法?」と首を傾げた。

 本来のクレセントの適正は、高い身体能力と魔力を用いた近接戦闘であるということは、理解していた。

 魔族は人間と比べると身体能力、魔力ともに格段に高い。だからこそ、どちらも高い魔族は身体面の強化に回すのがベターである。


 だからこそクレセントはその選択肢に対して疑問符を抱いたのだ。

 しかしながら、クレセントよりも圧倒的に戦闘の経験のあるコウガからすると、「魔法」を進言する。


「身体強化だけなら、圧倒されるし、戦略に幅がない。サヴォナローラは近距離(イン)も遠距離(アウト)どちらにも対応できるだろう。お前なら、魔法を使ったイン・アウトどちらにも適正があるはずだ」

「魔法を収める他のメリットは?」

「魔法はとにかくできることの幅広さがある。イン・アウトもそうだが、魔法同士の相性、戦略、あらゆるものが身体的な強化と比べれば対抗手段も多い。圧倒的な格上と戦うのなら、魔法での戦略を組むことが大前提ってのはそういうことだ」


 コウガの言っていることは至極真っ当であった。

 同時に、その内容を十分に熟知しているコウガに、クレセントは座して助言を求める。


「率直に聞いてもいい? もし、あの怪物と戦った時の勝率は?」

「言うまでもない。対峙した時点で負け確定だ。だが、条件とタイミングを整えたうえで、かつ戦略を持って挑めば、勝率は0%から、1%まで引き上げる事ができるだろう」

「冗談?」

「相手はそれだけ圧倒的な格上だ。この世界の生命体として格が違う。こっちが最大限準備をして、ついでに相手がお前のことを瞬殺しない理由が必要だ。最低限な」

「……なにか、プランがあるみたいな言い方だ」

「というより、これしかないだろう。だが、これを実現するためには、恐らく何千年と長い時間を待たなくてはいけない。それをしてまで、やり通す覚悟があるのであれば、策を授けよう」


 コウガの意味深な発言に発言に対して、クレセントの答えは決まっていた。



***



「ここまでやったことを褒めてやる。だから、事後のことは俺に任せろ」


 サヴォナローラは自らの手で魔石を持ち、それをクレセントの前に差し出した。

 その瞬間、魔石の帯びた魔力が不気味に増したことを直感する。これに触れれば、いかにクレセントとはいえ抗うすべがない。

 サヴォナローラ自身、この魔石の影響を受けていないのは、魔石をコントロールする者の力量であろう。


 クレセントはそんな状態にも関わらず大きく鼻を鳴らす。

 その挑発は、サヴォナローラが受け取った感情よりも遥かに冷静である。


「事後? どんな事後になるのか、教えていただけると嬉しいけれど」

「この世界を平和にしてやる。俺が、一つにまとめてやろう。貴様ら魔族もその礎になったことは、しかと後世に伝えてやる」

「楽しそうな話だ……でも、そんなものは所詮、夢幻だ」

「そうか……それならば、我が手に落ちろ」


 瞬間、サヴォナローラの表情が微かに変わるのをクレセントは見逃さなかった。

 それは、クレセントだけではなかった。



 同時にサヴォナローラは、自らの肩甲骨あたりに矢が射抜かれる感覚を持って、自分に何が起きたのかを理解する。


 サヴォナローラの警戒心は、最後の最後で緩んでいたとはいえ、半径数十メートルの範囲で飛んできた攻撃を容易く叩き落とすことができる。

 それはサヴォナローラ自身も理解していたが、それができずに自らの肩が射抜かれている。

 これが意味するところはただ一つ、サヴォナローラの警戒の遥か遠方、超遠距離射撃を何者かが行ったということだ。


 一体何者だ?


 サヴォナローラの思考はコンマ数秒がそれで支配されるが、即座に集中力を戻そうとする。

 だが、一度途切れた集中力へ更に鞭打つように、今度は完全に支配下においたと確信していたストムとメルバがそれぞれ、渾身の振り下ろしと散弾を繰り出した。


「貴様ら……! どうして」


 唸るようなサヴォナローラへ対して、支配の解かれたストムとメルバは息も絶え絶えと言わんばかりに倒れ込んでいた。


 ストムとメルバは各々の力を使い果たしたことは、肉体が大きく軋んだサヴォナローラも十分理解できたが、眼の前のクレセントが錫杖を振りかぶったところは見逃さなかった。


 クレセントの術者としての能力、サヴォナローラに対しての怒りを見越して最大限の警戒を緩めなかった。

 その警戒心こそが、動揺の連続の中で本能的な動きを持って攻撃をかろうじて回避するに至る。

 クレセントが振りかぶった錫杖はギリギリのところでサヴォナローラの眼の前の床にめり込んだ。


「おしかったな」


 恨み言を続けようとした時、サヴォナローラは自らの右手が床に伏していることにようやく気付かされる。

 間違いない。錫杖の間合いからギリギリ逃れることができたはずだ。

 だというのに、どうして。混乱が刹那の間ではじき出した答えは、なんてことはない、眼の前の床に突き刺さっていた。


「こっちの台詞よ。一瞬で錫杖の間合いを把握した技量を恨みなさい」


 クレセントがしたことは至極単純である。魔法を使って、柄の部分をほんの数センチ引き伸ばした。それだけである。

 本来近接での魔法はサヴォナローラには即座に分解されてしまう。しかしそれは、攻撃魔法のみであり、補助的な魔法ではサヴォナローラのフルオートの分解にはかからない。


 サヴォナローラは、クレセントと対峙をして圧倒的な優位を立っていた。

 驚異的な実力差に加えて、魔法による遠近攻撃に対しても、フルオートの魔法分解で優位に立つことができる。

 更には魔石による人質、その大量のアドバンテージを、理解しすぎていた。

 だからこそ、「魔石でコントロールした人質」「近接の魔法攻撃」「クレセントの脅威レベル」と、警戒していた手を少しずつ潰していった。

 引き算式に手を潰したことで、すっかりクレセントの手札を思考外に追いやってしまった。

 そのために、サヴォナローラは致命的な隙を生み出すことになる。


 完全に潰した手数から攻撃が飛んできた。それだけの事実が、ここに来て最悪のタイミングで響いたのだ。


 同時にクレセントはそれを待っていた。

 コウガから言われたことはふたつである。「相手が絶対的な優位に立っていると思わせること」、「相手が潰したと思っている手札を使うこと」である。


 そのふたつを、ようやく圧倒的な格上を狩ることができるかもしれない。

 コウガの助言は驚くほど的確に、クレセントとサヴォナローラの力関係を示していたのだ。


 それを持ってしても、サヴォナローラの片腕を落とすのみにとどまる。

 クレセントはそれでも、サヴォナローラに撤退を選択させるほどの窮地であったことを理解し、力が抜けたように体が地面に倒れ込む。


 クレセントのその考えは見事に的を射ていた。


 人質の作戦が失敗し、かつ利き手をもぎ取られた状態。圧倒的な実力者であるサヴォナローラではあるが、この時点でも想定外の時間がかかってしまっていた。

 転生者であるシロウに対しての決定打を失い、加勢の可能性も考えたサヴォナローラは、そのまま撤退を選択する。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る