第21話 本当の雇い主


 腹部を貫かれた弓を見て、クレセントはその弓に込められた魔力が岩窟のときと同じであることに気がつく。


 同時にこの弓は「魔力の強い者に対して飛ぶ」という性質があることに気付かされた。

 最初から、グロリアの目的は、魔法使いである自分への対策であったことを、ようやくクレセントは理解する。


 腹部に突き刺さった弓はクレセントに戦闘不能レベルの大ダメージを与える事となる。


 優勢から一転、クレセントは一気に窮地に立たされた。

 辛うじて襲ってきた大量の暴走人間たちは、クレセントの攻撃によって戦闘不能の状態になっているが、同じくダメージを受けているであろうグロリアは攻撃的な笑みを浮かべている。


「らしくないな。トドメも刺さずに、こんな連中に視線を向けるなんてな。おかげで、貴様の急所も実に射抜きやすい」


 グロリアの挑発的な態度に、クレセントは腹部に刺さった弓を無造作に引き抜き、意趣返しと言わんばかりにそれを投げつけた。


「はぁ……良い性格してるわね。最初っから、ここの囚人を実験体にするつもりだったてこと、か」

「あぁ。うちの雇い主はともかく、連中は悪人の命が捨て置かれようが、どうでもいいみたいだし」


 クレセントはあまりの激痛にまともに動くことができなくなってしまい、思わず床に伏して、絶え絶えの呼吸を整える。


「どうでもいいなら、もうそろそろ教えてくれる? 貴方の雇い主って、何者?」

「よほど気になるみたいだな」

「えぇ? 教えてくれるなら、ウィリアム・テルでもやりましょうか?」

「リンゴの代わりにアンタの頭か。良い趣味してる。でも生憎、雇い主には言えない。それが契約だからな。お前の処遇は……まぁ、殺しておくよ」


 グロリアは再びはち切れんほど弦を引く。

 当然それはグロリアの中での最高速度の弓であり、攻撃を避けることは困難に近かった。


 しかしクレセントは、自らに差し迫った命を嘲笑するように、静かなほほ笑みを浮かべる。


「殺す、か。そのチャンスは、いくらでもあったんじゃないのかしら?」

「どうかな? 有終の美を飾る一言が、それで良いなら、そろそろ射抜くぞ」

「冗談でしょう? 有終の美は、言葉だけじゃない。生き様で見せるものよ」


 グロリアは思わずその攻撃的な瞳に威圧される。次いで感じたのは恐怖感だった。


 クレセントに対して、グロリアは見誤っていたことを理解する。この女は、ただの魔法使いなんかじゃない。底しれぬ怪物である。


 グロリアはそのまま、呼吸を整えて弓を射る。

 一切の気の緩みも、挑発もなく、ただただ相手を殺すために弓を引いた。ほんの僅かな躊躇いが生まれれば、この怪物を落とすことはできないと自覚したからこその行動だった。



「ほら言ったでしょう?」


 クレセントの眼の前で、弓は弾き飛ばされ、叩き落された弓は地面に落ちる。そのけたたましい残響が轟く極小の時間の中で、グロリアは驚愕した。

 時間にして一秒など永遠に感じられるであろう。それほど短い時間でクレセントへ弓は届くはずだった。


 それをクレセントは、これまでの戦いの中でも何度か見せた「結界」で防いだのだ。

 ほんの僅かに展開する結界によって、自らを守る疑似バリアを作り出す技能。


 これでグロリアの弓を止めるためには、それこそ尋常ではない反射神経が必要になる。これまでの使用方法とは比較にならないほどの技量が必要なはずだった。


 失敗は当然、死。


 その極限のプレッシャーのなかでクレセントはそれを成功させた。コンマ一秒にも満たない、グロリアの最高速度の弓を退けたのだ。


 グロリアは、クレセントの成功させた離れ業に思わず一瞬動きを鈍らせる。クレセントはその隙を見逃さず、渾身の力を振るって錫杖を一閃した。

 その攻撃はグロリアには着弾することはなかった、見かけ上は。


 しかし一閃されたクレセントの錫杖は、風を震わせ、それが刃のような切れ味をもってグロリアの体へと届く。


「この土壇場でやりやがったか!」


 グロリアは自らの皮膚に食い込んだ攻撃にそう叫ぶ。攻撃は確かにグロリアに届いたものの、切り裂くまでには至らない。薄皮を切る程度でしかなかったが、グロリアは弓を手放してふたたび槍を構える。



「次は確実に殺す!」


 一瞬で距離を詰めたグロリアは槍を突き立てる。先程の大量の魔石人間を目くらましに使いつつ、自らの得物を回収していた。


 クレセントにとどめを刺す際、あえてグロリアが「弓」を選んだのは、「切り札を温存するため」という意味もあるが、それ以上に「近づかないため」というものが本命である。


 クレセントは遠距離を魔法で、近距離を両刃の斧のような形状の錫杖を用いて戦っている。特に脅威なのは近距離だった。クレセントは魔法を使って徹底的に近距離に特化した戦闘スタイルを持っている。


 魔法は離れた位置に発生させるのはそれだけで魔力を消費する。

 そのためインファイトでの戦闘は危険であると判断したのだ。だから遠距離から確実に攻撃できる方法を選択した。


 グロリアは、この状況であれば踏み込んでも確実に、相手にとどめを刺すことができると踏んで槍を振るう。

 腹部に大ダメージを受けたクレセント、そして得物を備えた自分。圧倒的優位な状況がグロリアにその行動を駆り立てた。


「ごめんなさいね。趣味じゃ、ないんだけど」


 攻撃を振るう直前に響いた言葉がグロリアに届いた時だった。

 グロリアの足先に何かが触れる。それは一瞬にして凄まじい圧力で足を掴み上げた。

 グロリアはその感覚に反射的に槍を振り下ろす。振り下ろされた攻撃は、足を掴み上げた、魔石人間に着弾した。


 グロリアは思わず目を疑った。「そんな事はありえない」その叫びが声に出ていたかはわからないが、そんなグロリアを見てクレセントは小さく笑う。


「やっぱり、魔石は貴方の雇い主の仕業ね」



 クレセントは絶え絶えの息で錫杖を握りしめていた。

 クレセントがいち早く、襲いかかる魔石人間へ攻撃を仕掛けたのは、「自らの支配下に置くため」である。


 魔石によって人間がコントロールされる可能性については既に知っていた。

 もし仮に、グロリアが魔石人間をコントロールしているのであれば、クレセントに確実にこの戦いを制する事はできない。


 であれば、「魔石人間の支配を上書きできる可能性」に賭けるしかない。

 できる保障はなかった。なにせクレセントは「人をコントロールする魔法」など扱ったことがない。そもそも魔法で人を支配するなんて芸当は、コントロール先の不確定要素が強く、人道的な意味合いからも試したことなど、ほぼなかった。


 クレセントは非人道とは理解しつつ、魔石人間の支配を上書きした。

 完全なアドリブであるものの、土壇場でそれを成功させる。しかし当然、完璧ではなかった。

 「相手に攻撃させる」までには至らない。できることなど、先のように相手の体に触れさせて気を引く程度だった。


 だが、歴戦の猛者にとってこの釁隙に近い時間は致命的だった。

 今までの経験から外れる予想外。加えて圧倒的な優位な状況という心の余白がより、そのイレギュラーに拍車をかける。


「ごめんね。でも支配は解いたわ」


 クレセントはそのまま錫杖を振るう。その攻撃は文字通り、クレセントの最後の一撃になった。

 グロリアの前に突きつけられた刃は、寸前のところでグロリアには届かない。


「ダメだったな」


 クレセントの攻撃にグロリアはそう嘲る。しかし同時に、グロリアは肩から斜めに両断された。

 一瞬、それが何を意味しているか理解できなかった。


 魔力を風に変えて、両断する技。ほんの数分前、クレセントが見せた技だった。

 普通のグロリアであれば、それを避けることはできただろう。だがすっかり「熱く」なっていたグロリアにはそれを回避する余力は残っていなかった。


「……なん」

「ここまでハマってくれるとは思わなかったわ。あなたが、猛者で助かった……、でも……」


 グロリアはそのままばたりと倒れる。鈍い音を立てて倒れ込んだグロリアに、クレセントは手向けがごとく続けた。


「貴方は優秀すぎた。あたしなんかより、遥かにね。でも、年の功ってところよ。怪物さん」


 クレセントはそう言いながら、既に塞がった腹部を押さえつつ、錫杖を杖にして立ち上がる。


 向かうは、少しずつ薄くなり始めていた結界。クレセントとグロリアの戦いが終幕を告げる頃、同時にシロウらを包みこんでいた結界は、崩壊を始めていた。




 ディープ・プリズンの運動場に張られた結界は薄い光を放ちながら少しずつ、晴れていく。

 クレセントの視点からは、この中で何が行われているのかはわからない。

 しかし、シロウが突如現れた四王・アベルとの交戦している可能性は高い。不安は瞬きながら、クレセントは完全に崩壊した結界へと身を滑り込ませる。


 すると、そこにはズタボロの状態で立ち尽くすシロウが見えた。

 たった一人。その姿から、アベルと交戦したことは簡単に判別できるが、そのわりに彼は、まるで物思いにふけるような感傷に浸っているような様子である。


「シロウ……」


 クレセントは漠然とした調子でそう尋ねる。

 一体、この場で何が行われていたのか、クレセントはその疑問をひねり出すように、シロウを呼んだ。


 するとシロウはクレセントの声に気がついたのか、静かに振り向く。その手には、怪しい光を放つ篭手と具足が握られていた。


「四王、アベルは……死んだ」


 そこでようやく、クレセントは「シロウはアベルとの戦いに勝った」という事実を認識する。

 同時に驚かされた。確かに彼の潜在能力は、この世界で最も大きなものであろう。だがそれだけで歴戦の経験を持つアベルに打ち勝ったというのは、にわかに信じがたいことだ。


 アベルに勝つためには、土壇場での急成長は必須である。それも一度や二度では、その研鑽には打ち勝つことはできないだろう。


 何度も、何度もシロウは死にかけたはずだ。それは彼のズタズタの体を見ればよく分かる。

 それでも僅かな時間で死線をくぐり抜け、今彼は立っている。純粋な戦闘力だけでは、もはや敵なしと言えるほど、今のシロウは別格になったのだ。


「なんだか、変な気分なんだ。人を殺したっていうのに、なんか、オレ、あんまり気に病んでないみたいな、そんな感じ」

「……強くなったの、かな。あたしも置いていかれないようにしないとね」

「そういう感じでもないんだよ。なんか、すごい充実した試合をしたみたいな、そんな感じで」


 彼は煮えきらない態度を続けていたが、「アベル」という人物については頑なに話さなかった。

 良いようにも悪いようにも続けない。ただ、シロウは握りしめる篭手と具足を、頑なに手放すことはなかった。


「この後始末は、誰がするんだろうな」

「それはあたしたちの仕事じゃないわ。セントラルに任せましょう」


 ふたりはギリギリ原型をとどめている瓦礫の山を見てそんなことを口走る。

 無責任な言い方をしたクレセントの言葉に対して、「その通り」と付け加えたのは、突然現れた人影であった。


 その人影は丁寧なスーツを身にまとう、その場には似つかわしくない男だった。

 一体どこから出てきたのかとシロウとクレセントは警戒するが、男は手を上げて自分が得物を持っていないことを主張する。


「失礼、貴殿らの戦いを見届けていた者だ。身分を提示したほうが良いな」

「えぇ。そうしていただけると手間が省けるわ」


 男は胸ポケットから、「セントラル・国王直属諜報部」という手帳が提示された。


 セントラル・国王直属諜報部とは読んで字の如く、国王直下で各エリアの情報を秘密裏に調査すると言われている治安維持機関だ。

 とは言われているものの、その仕事内容から、存在が明確になったことはほとんどなく、「実在しているのか」すら分からないとされていた。


「本当にあったのね。秘密の諜報機関なんて」

「当然だ。王が四王に言われるがまま、自分の庭を明け渡すわけがなかろう」

「だから、こうやって秘密裏に活動しているっていうこと? 我々に一体なんの用事かしら?」

「四王について、話しがある。王から直接にな」


 クレセントは思わず首を傾げた。王から直接などという単語はこれまでの中ではまずありえないことだった。


 四王にエリアを分け与えた時点から、「王」は民衆から姿を隠すようになったという。クレセントも久しく王の姿は見ておらず、そんな秘密主義者と言える王から話など、にわかには信じられない人だった。


「……それを信じる根拠は?」

「疑うのも無理はないが、そこは信じてほしいとしか言いようがない。誰もなし得なかった、四王を倒したことが大きいからな」

「会ってみてから、っていうことか。シロウ、どうする?」


 クレセントは一応、シロウに意見を求める。

 その答えは当然のように、首を縦に振った。


***



 肩から腰に至るまでを両断されるという強烈な一撃を食らったグロリアだったが、攻撃が着弾する時点で魔力を回復に回すことで一命を取り留める。


 しかし自らでその場から完全に逃走することはできず、密かにディープ・プリズンから逃げ出すだけで精一杯だった。


 牢獄を脱出してから周辺の森に逃げ込んだグロリアは、絶え絶えの息で森の中で佇んでいた男と合流する。

 ローブに包まれ全身を隠すような男は、右手にくたびれた杖のようなものついている。


 杖をつきながらも声はずいぶんと若く、明瞭な発音で続けた。


「……君が手痛い反撃とは、彼女はやはり障害になりそうだね」

「仮説の検証はできたのか? もうそろそろ、アンタの目的くらい話してくれたらいいんだがな。依頼人であっても、こんな仕事をしているんだから、フェアにしてもらわんと困る」


 グロリアの悪態に対して、男は杖を鳴らす。


「あぁ。はた迷惑な神様の悪行を討つこと、さ」


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