第18話 最期の残響
篭手と具足を構えたアベルは凄まじい速さでシロウに向かう。
その速度はこれまでのなかで最も早く、戦い始めのシロウでは到底反応することができないほどの速度感だった。
だからこそ、シロウは自らの圧倒的な成長を感じ取っていた。
最初は一挙手一投足が死に感じるなかで、なんとか立っていられる程度の戦いだったというのに、今はそれ以上に相手の動きに対応して行動する事ができていた。
目で追えなかった拳の動きが徐々にはっきりと像を結び始める。ストレート、右フック、フェイントを入れて再びストレート、相手の動きが少しずつ分かるようになってきて、それに合わせてシロウはレイピアを振るう。
「長物でよくいなすな」
拳とレイピアの刀身がぶつかるたびに、激しい金属音が周囲に鳴り響く。
それが剣戟と拳の対話のように数十と音を鳴らしたときだった。
シロウは微かなアベルの隙を見逃さなかった。ストレートを仕掛ける時、彼はボクシングのような姿勢をとる。
その時のクセなのかストレートを繰り出す腕が目線と同じ高さになり、そこが死角になる。
そこに合わせてシロウは刀身を突き立てた。
シロウは間違いなく、刀身がアベルの腹部に突き刺さる感覚を手で感じていた。
しかし次には、シロウの視界が揺れ動く。
一体何が起こったのか? 不意に頭が理解を拒む。激しい視界の揺れに続いて起こったのは激痛だった。口元から垂れ下がる血液が、シロウへ自身に起きたことを理解させた。
「……攻撃を当てて油断しただろう?」
アベルは激痛に顔を歪めながら、自らの篭手を撫でるように震わせて笑う。
「全く、この短時間でここまで成長するなんてな。お前をここまで生かした甲斐があったよ」
シロウはアベルの言葉を咀嚼するものの、それに対して言葉を結ぶことができない。
彼が放ったのは強烈なアッパーカット、脳を揺さぶり凄まじいスタンを引き起こす、まさに一撃必殺の技だった。
攻撃を着弾させてシロウはほんの僅かに安堵した。
高速の剣戟と拳のやり取りをしたあとでは尚更、そのほころびは大きなものへと変わり、そここそがシロウへ攻撃を着弾させる原因となった。
「俺のラッシュに対応したものは、この世界にはいなかった。俺は欲しかったんだよ、このラッシュの遥か上を行く、怪物をな」
「……なん、で」
「なんでか、って? 分かってるだろう? 人を変えるのは圧倒的な力だ。お前は俺を否定した、そんなお前を俺は、自分より強い状態から否定したかったんだよ」
「ちか、ら?」
「あぁ。お前には俺たちを遥かに上回る力がある。そんなやつにはな、砕いてやりたいんだよ。それ以上の、圧倒的な力でな」
シロウは理解する。アベルは、「圧倒的な不利な状況で勝つ」ことをこの戦いに求めた。それこそが、アベルの考える「力」への考え方なのだ。
彼が持っている「力」の捉え、その証明のやり方。シロウは感服した。これほどまでに己の力を持ってそれを証明した人間はいまだかつていただろうか。
「だから俺はお前を否定する。俺自身の力でな」
アベルはシロウへ最後のトドメを刺そうと構えを取る。
力の込められた拳に、シロウは自らの死を悟ると同時に、ふつふつと怒りが生じる。強大な力で自分の弁を押し通す。確かにそれこそが、アベルの思い描く理想の通し方なのだろう。
だが、シロウにとってそれは「略奪する側の考え」であり、奪われる側であるシロウにとっては、詭弁でしかなかった。
それが怒りに結びつき、シロウの神器に思わぬ変化を齎した。
「これは……」
アベルが拳を振るうのと同時に、その手応えに驚かされる。
人を攻撃したという感覚はなく、まるで巨大なスライムを殴ったような感覚を掴まされる。
アベルは一瞬何が起きたのかわからなかったが、すぐにシロウの体を包み込むスライム状の何かを一瞥して、その正体を解する事となる。
「貴様の神器か!」
シロウは未だ完全に戻ったわけではなかった。
そんなシロウをアベルの剛腕から守ったのは、レイピア状となってアベルの肉体を貫いていた神器である。
神器はシロウの意識に呼応するように肉体を守り始める。
半自律型の神器だからこそ成立した離れ業。
そこにシロウの意識はなく、ただただ神器がシロウの本心と結合して生み出された結果がその現象である。
シロウの肉体を包み込むスライム状の神器に対して、アベルは即座に腕をふるって追撃を行おうとする。
既にアベルの体力も限界に近い。腹部に受けたダメージが尾を引いており、これ以上の継戦は困難だと本能が訴えていたのだ。
振るわれた拳が数度、スライム状の神器に叩きつけられた後、強烈な衝撃を神器越しで感じていたシロウは、自暴自棄とも思えるアベルの攻撃を切り返す。
一瞬で神器は姿形を変えて、再びレイピアの形状へと変化し、そのままカウンターのような形でアベルの首元を射抜く。
貫かれた喉元から、呼吸が漏れる音が聞こえてくる。
シロウはその音こそ、生命が閉じる音だと理解させられる。自分は今まさに、この手で命を刈り取るのだろう。
自覚が過ぎれば、握りしめられた得物がカタカタと軋み始める。
それが、「人を殺した感覚」であることを、シロウは少しずつ自覚したのだ。
「……お前の勝ちだよ。シロウ」
震えるシロウの手を、アベルはしっかりと握りしめるように掴んだ。それは、「持っている得物が震えぬように」するための行動だった。
シロウはアベルの右頸動脈を貫いた。声帯には一切傷つけることなく、致命傷を射抜くその技術、アベルは最後の力を持ってシロウを称賛する。
「これが、圧倒的な強者か……震えぬように、しっかりと握りしめろ」
「……アンタ、どうしてこんな……」
「しおらしい顔をするな。貴様は勝ち取ったんだ。生を、自らの、願望を」
「何を言っている……? オレは殺すんだぞ? アンタの、ことを」
シロウは自らに言い聞かせるようにそう並べる。何度も、何度もそう続けた。
初めての「殺人」という経験に対して、一切の言い訳をせずにその業を咀嚼しようとしている。
そんな様を見ていたアベルは、力なく微笑んだ。
「お前は強い。力がある。俺もまたその力で自らの願いを叶えようとした。だが、満たされなかった。きっとこの瞬間こそが、俺が本来望んていたことなんだろうな」
「……アンタは、何を望んだんだ?」
「さぁ、なんだろうな。もう忘れてしまったよ。ただこれで、アイツと同じ所へ逝く事ができる。人生で唯一の後悔が、最愛のヤツをガス室に見送ったときだった。それをお前が、罰してくれたのかもしれんな」
「何言って……」
「いや違う。俺は、否定してもらいたかったのかもしれん。力で支配される世界など、その程度……所詮、この程度だってことを……」
アベルはそのまま静かに繰り返す。「この程度、この程度の世界」繰り返される言葉は徐々に声音が遠くなっていく。
シロウはそれに対して、黙って彼の言葉を聞くことしかできなかった。
せめて、自らが下した命の幕を、最期まで聞き入れることこそが、弔いのように解釈する。
そうでもしないと、手元に残っている鮮やかな朱色を受け入れることが、できそうになかった。
同時に、ふたりを覆い尽くしていた結界が静かにほころび始める。完全に辺りが晴れ渡る頃、アベルは、授けられたという篭手と具足の神器を残して完全に消滅していた。灰燼のそれへと姿を変えたアベルの最期の残響。
シロウは完全に聞き取ることができなかった。その部分は、恐らく彼の母国語である「ドイツ語」だったからだ。
ふと、シロウはアベルの最期の言葉を「ヨシュア」であったと理解する。その名前が、何を示すのか、シロウは知る由もなかった。
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