第16話 激突の狼煙
運動場の床を踏んだシロウとクレセントは、衝撃的な光景を目にする。暴徒と化した囚人と思しき大量の屍は、既に地に伏しており、薄気味悪い静寂が淡々と続いている。
「……既に、みんな死んでるわね」
「暴徒になった人間が、特定のタイミングで自滅するってことか?」
シロウとクレセントは、お互いに距離を保ちながら運動場の中央へと歩き始めていく。お互いがカバーをし合ってどんな状況でも対応できるように行動するも、あまりの静謐が各々の警戒を強めていく。
「ここで一体何があったんだ?」
「それを今から調査しなきゃいけないわけね。きっとここも魔石の影響で……」
クレセントがそう言いながらシロウの方に振り向いた。
それと同時に、シロウの背後に浮かぶ強烈な殺気がクレセントに届く。それは視界情報を処理するよりも先に、クレセントは自らに死の気配を感じ取らせた。
クレセントはとっさに正面からの衝撃に備えて、魔力を増幅させて真正面をガードする。その行動になにか意味があったわけではない。ただ、そうしなくてはいけないと感じただけだった。
結果的にその行動は功を奏し、凄まじい轟音と衝撃波から、クレセントは辛うじて命拾いすることになる。
クレセントはとっさに衝撃に合わせて受け身を取ったが、状況を理解したのは、自らが運動場の壁にめり込んだタイミングである。
「よく生きてたな、魔法使い」
クレセントに攻撃を加えたのは、突如シロウの背後に現れた、ウェストエリアの支配者・アベルだった。シロウはその気配にワンテンポ遅れて気づき、そのあまりの気配に思わず気圧されてしまう。
「久しぶりだな転生者、いやシロウだったな?」
「四王……、アベル……」
「待ちに待ったよ、お前と戦える時をな」
「一体なにを、するつもりだ?」
アベルはシロウの態度にけらけらと笑い、つま先を床へ鳴らして「決まってるだろう?」と突き放す。その瞬間、アベルを中心に青白い光が正方形の運動場をちょうど埋め尽くすように広がった。
シロウはその意味が理解できず呆然と立ち尽くしていたが、場外にふっとばされていたクレセントは「シロウ!」と声を上げて走り出そうとする。
その時には既に手遅れだった。クレセントは運動場を覆い尽くす青い光に阻まれて、シロウのもとへ向かうことができなくなっていた。魔法使いであるクレセントは、すぐにそれが結界術の一種であることを理解する。
結界術は数ある魔法の中でも最も難度が高いものだった。当然結界の強度や面積によって、事前準備が必要になる。ほんの一瞬一瞥しただけでクレセントは、それが事前準備が必要なレベルのものであることを理解した。
だからこそ、その結界が極めて高度なものであることを解する。
「……こいつは俺のおともだちお手製の結界でねぇ。まぁ俺は理解できねぇが、お前と戦うには十分だ」
「貴様……」
「なかで何をしようがこれを破ることができないさ。どちらかが死ぬまでな」
アベルはそう言いながら、ストムと同じように双剣を構える。その姿は、今から殺し合いをする人間のそれとは到底思えなかった。
「転生者と戦えるなんて思わなかったな。俺は強い誰かと戦いたくて仕方がない。お前のような、圧倒的な強者とな」
アベルはその言葉と同時に刃を二枚まとめて同じ方向に向ける。ストムと同じ構えにシロウは即座にレイピア状へ変形させた神器を構える。
強烈な火花が舞い散るなかで、凄まじい剣戟を繰り出したアベルは、直感的に「違和感」を抱かされていた。
歴戦の戦闘経験を保有し、かつ転生者としての絶大な戦闘能力を持ったアベルにとって、シロウは意外にも「取るに足らない」という印象を抱かされる。
しかし、アベルとシロウの戦闘は思いがけず拮抗していた。
それを可能にしていたのは、シロウの圧倒的なスピードである。しかしながらアベルの観察眼からすれば、明らかに神器によってもたらされていることが理解できる。
アベルは直感的にシロウの能力を推し量ろうと、真正面から横向きの一閃に対して、シロウは見過ごしてしまうほど短い躊躇を見せた後、即応するように刃を縫うように体を捻って攻撃を回避する。
なるほど、そういうことか。アベルは直感する。
圧倒的な強さと潜在能力の傍ら、自らが「取るに足らない」と判断したのはまさにここだった。
シロウは戦闘におけるあらゆる判断がワンテンポ遅い。それも本当に見逃してしまいそうなほど短い時間である。普段のシロウの動きと相まって、テンポの遅さに気がつくことができたのは、自らの圧倒的な戦闘経験によるものだと実感する。
この男。戦闘経験の少なさを補うため、恐らく本人とは別な存在による介入があるのだろう。それを可能にしているのが、シロウが持っているレイピアだった。
「お前のレイピア、なかなかいい味出してるじゃないか」
「……どうも」
「お喋りは、嫌いなタイプか。まぁそういう感じだな。俺は結構、戦う相手と語り合うのは好きなんだがな」
「イカれてるのか? 人を、殺そうとしているんだぞ?」
「焦るなよ。俺は別に快楽殺人者じゃないんだ」
「こんなことをしておいて何をいう!?」
シロウの言葉に対して、アベルは声を上げて笑った。
「こんなこと? お前は興奮しないのか? 自らが圧倒的な化け物であると理解しながら、それを遥かに超えるような存在と対峙することを!!」
アベルは大振りな双剣を同じ方向へ構える。
同時に身を屈めながら薙ぎ払うような初動に出た。
両手それぞれに握られた双剣を同じ方向に向けて、一つの大刀のような扱いをする使い方。絶大な威力の代わりに、その刀を振るう力が必要になるこの技法は、過去「天災」と称された魔物を討伐したアベルが考案したものである。
それがウェストギルドの中で一般化したのは、アベルが天災の魔物を下してから百年も後のことだった。
「知らないね!」
アベルの渾身の攻撃に対してシロウは、今度は迷いなくその刃を足で踏みつける。歴戦のアベルであっても、その行動には流石に驚かされた。
ほんの僅かな時間の中で、レイピアを構えた状態のまま、それでは受けきれないと察したシロウは、攻撃を足で受け止める選択を行う。
もし仮に、シロウがレイピアで攻撃を受けようものなら、そのまま防御を貫通して攻撃を直撃させることができていただろう。
それをしなかったのは、攻撃を受け切ることができないと寸前で判断したからであり、それをほんの一瞬の判断で軌道修正を行ったのだ。
まさに人間の領域から逸脱した離れ業である。
それこそがアベルが感じていたシロウに対しての違和感はまさにこれである。「あらゆるものの判断力」というとある一点において、この男はどんな能力よりも圧倒的であると言えるだろう。
その部分だけ、明らかに釣り合わない能力の極端さにアベルは、とある推測を立てる。それが「神器によってシロウの意識外から神経を反応させている」というものだった。
神器は神より授かった武器であり、それそのものに意思が宿っている。
無意識的にシロウの行動に対して、程度は不明だが介入している可能性はある。
アベルはそれを前提に、踏みつけられた刃を大きく振るい、そのままシロウの態勢を崩そうとする。しかしそれをシロウも理解したようで、一瞬の判断を置いて、即座に足先を地面に戻して攻撃を回避する。
「なかなかやるな。だが、得物の切っ先が震えているぞ」
「生憎、アンタほど荒事には慣れてなくてね」
「その割には躊躇がないな。それに動きも、思ったよりスムーズだし、あの時よりも経験を積んだんだろう?」
「……何が目的だ?」
「目的?」
アベルは率直に疑問符を浮かべる。アベルにとっての目的は最初から「戦うこと」であるため、その目的に対して疑問符を並べられたことに、アベルは驚かされる。
「目的など、戦うことだ。最初に言っているだろう? 俺は圧倒的に強いやつと戦いたいんだ」
「……それで、アンタは何を得る? 何が、アンタを動かすんだ?」
そう尋ねるシロウは、同時に凄まじい殺気を気圧されていた。
「目的」という言葉がアベルの琴線に触れたのか、彼はそれまで放っていた強烈な殺気を更に強めて、両腕に携えた刃を鳴らす。
「何を得る? 何を動かすだと? 常に人が死に絶え、善悪すらも誰かに押し付けられる世界……そんな世界で俺たちは生かされている。そんななかで俺たちが、自分自身の実感できるのは戦うことだけだ!」
アベルはそこから、明らかに感情的な動きでシロウの背面に回り、再び二つの刃を同一の方向へと向け、横薙ぎの一閃を放とうとする。
しかし今度は明らかに動きが早く、シロウは直感的に自らの得物を構える。
先ほどシロウは、攻撃を受けようとしてしまい直前で動きを変えたが、今回は構えを変える。明確に切っ先を相手の得物に向けて、攻撃を放つ。
先ほどシロウがアベルの攻撃を受けきれないと判断したのは、「レイピアという武器が刺突専用の武器であり、攻撃を受けるように作られているものではないため」だった。
そのため、側面から攻撃を受けた場合は衝撃に耐えることができないだろう。
そう判断したシロウは、別の手段に打って出る。相手が持っている刃もまた、側面からの衝撃に弱い。そこに対して渾身の攻撃を加えることで、得物そのものの破壊を試みた。
アベルの刃へ放たれたシロウの攻撃に、アベルの得物は崩れ果てる。
鉄製の刃すらも砕き果てるシロウの刺突にアベルは驚かされるも、それでも二本の刃を諸共破壊することはできなかった。
シロウは打ち砕かれた刃が手放される感覚を気取り、突き刺したレイピアを振り上げるようにアベルへ追撃を図る。
「いい動きだ」
アベルは称賛の言葉を述べながら、ひらりと攻撃を躱わし、双剣の片割れをシロウの方向へと向け、片手で軽々と振るい上げる。
双剣でありながら、一本一本が大刀のような大きさを持つその刀を、まるで片手剣のように扱っているアベルの腕力に驚かされる。しかしシロウは即座に追撃を躱そうとする。
「だが戦い慣れしていないのがよく分かる」
シロウはその言葉とともに視界がぐるりと回っていることに気がつく。
アベルは大刀を過剰なほど大振りに振るう。当然それは握力が込められていないとあらぬ方向へと吹っ飛んでいく。見えたのはアベルの得物が手元から離れた瞬間だった。
その後に生じた衝撃に対して、シロウは全くの反応ができずに地に伏すことになる。
地面から頭を上げる頃には、自分に何が起こったのかを理解させられた。
「……俺の得物が、大きめの双剣だと、誰が言ったんだ?」
アベルは拉げた大刀を蹴り上げてケタケタと笑う。
その拳と足には、金色に輝く篭手と具足が携えられていた。
それこそがアベルの真の得物であった。
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