第12話 覚醒
異形の怪物が姿をあらわにするように、大きな眼球の中に、口のような器官を作り出して、けらけらと笑い出す。
「まさか見抜かれるとは思わなかった。だが、その分君たちを生かして返すことはできない」
「顔を見たやつは皆殺しか。大したプロ意識だ」
「いつまでその減らず口が叩けるかな」
異形の怪物はけたけたと嘲笑をぶつけた後、肉体を即座に変形させ、人間の頭部となっている部分を膨張させ、触手を更に大量展開する。
凄まじい変形に対して思わずその場にいた全員が顔を曇らせると同時に、怪物は放心状態となっているシロウへ急接近する。
「お前が転生者なのは知っているよ。だから封印させてもらう」
怪物は凄まじい速さでシロウに詰め寄り、一瞬でシロウの周りに魔法陣を出現させる。
「これは……結界……」
怪物が行ったのは、魔法陣によって発生させることができる結界術の一つである。これに対していち早く反応したのは当然魔法使いであるクレセントだった。
結界術は数ある魔法の中でも最高レベルの難度を誇り、それをこの短時間で行うのは相当な研鑽を積んだ魔法使いである。クレセントは眼の前の怪物にそれだけの技量があったのは想定外だった。
そのため生じた一瞬の隙を取られたクレセントに対して、怪物は再び一瞬で距離を詰めてぎょろりとクレセントの目を見張る。
怪物が「魔法使いさん?」と嘲笑しつつ、肉体の一部を変形させて怪物は再びクレセントへ向けて魔法を発動させる。クレセントはすぐにそれが「魔力を相手に流し込む魔法」であることを理解してガードしようとするが、ほんの僅かな判断の遅れが生じていた。
クレセントが魔石で覆われた岩窟で影響を受けずに行動できるのは、余分な魔力を吸収しないようにガードをかけているからである。
当然それは万能ではなく、この過酷な状況であれば時間経過で崩壊してしまうほど脆いものだった。そんなものに魔力が流し込まれれば、簡単に破壊されてしまう。
その場にいた全員が状況を理解し、即座に行動したのはストムだった。
怪物へ向けて再び刃を振り下ろし、クレセントが対応できる時間を作る。
当然ながら、ガードがなければクレセントは即座にこの場から離脱しなくてはいけない。そのための保険は当然かけていたが、それはこの状況で、クレセントが戦闘から完全に離脱することを意味していた。
「いけ!」
ストムの言葉の意図を完全に汲み取ることはできなかったが、クレセントは首を縦に振って事前に仕込んでいた離脱用の転送術を発動する。
即座に離脱したクレセントに怪物は独り言でもつぶやくようにつらつらと笑う。
「あの小娘は殺しておくべきだったねぇ。君たちを殺してから、確実に息の根を止めておこう」
「ノリッノリのところ悪いが、中途半端に仕留め損なってるのは、ただ遊んでるって解釈でいいのか?」
ストムは自らを鼓舞するのと同時に、明らかに異質な怪物の行動に対して言及する。そのストムの言葉での挑発とともに、グロリアが死角から弓を射った。
怪物はふたりの動向は既に気がついていたようで、即座に放たれた矢を叩き落とそうとするも、その前に矢は怪物の眼球の一つに着弾する。
「落としたはずだがねぇ」
「私の矢は魔力を追従するからな。その程度では落とせないぞ」
グロリアが丁寧に解説をする中で、即座に次の矢を込めて弓を引くが、怪物の流麗な動きの前では次の矢が放たれるよりも先に、怪物の振り払いがグロリアを吹き飛ばしてしまう。
ストムは瓦礫の騒音のなかで、今の状況を逡巡させられる。眼の前の怪物は、人間の膂力で対抗することは不可能なことに加えて、クレセントと同等、もしくはそれ以上の魔法の技量を持っている。
そのクレセントは岩窟の影響を受けないように既に離脱しており、グロリアも今の一撃によって復帰できるかはわからない。肝心の切り札であるシロウは、この状況に放心状態になってしまっていることに加えて、怪物が念を入れるように結界術で完全に無力化されてしまっていた。
ストムは自らに躙り寄る死の臭いを噛みしめ、大きく口角を上げた。状況は絶望しかない中でも、そんな過酷な状況でストムは死神と同じように笑った。笑うことしかできなかったといえるかもしれないなか、ストムは再び二振りの刃を打ち鳴らす。
切れるカードが失われていく中、ストムが放った言葉は、遥か遠くでこの状況を見せつけられていたシロウに向けられたものだった。
「シロウ、その邪魔な結界を五分でぶち破れ」
等間隔で鳴り響く刃は、瞬く間に刀身は赤黒く炎を帯びる。
それを眺めていたシロウはストムの名前をか細く呼ぶことしかできなかったが、そんなシロウにストムは更に続けた。
「やり方なんて知らねぇが、やってくれなきゃ俺はこの怪物の晩飯になるだけだ。最後の博打だ、俺はこの状況でお前にオッズを張る。ベットするのは命、後は任せるぞ」
その言葉とともにストムは地面がめり込むほどの勢いで動き出す。
エンチャントをかけたストムの攻撃と怪物の膂力はほぼ拮抗し、凄まじい剣戟が火花を散らす。
そんなストムらの闘いを見ていたシロウは、自然と体の震えが弱くなっていることに気付かされる。何もできない、今に至るまで、シロウは何もできなかった。
これまでとは比較にならない圧倒的な死臭と、怪物の強さにすっかり気圧されてしまった故、震える足先は土を捉えることすらできないでいた。
シロウの頭には、惨状の先が不意に頭をかすめる。このままなら、全員死ぬ。何かしなくてはいけない、動くことができるのは自分だけだ。突きつけられた事実がシロウの中の力にさざ波を打つ。
そうこうしている間、ストムは渾身の剣戟が怪物に届くことはなく、大きく攻撃を受けて吹き飛ばされてしまう。
それを見てシロウは声にならない叫びを上げ、張られている結界に手をおいた。不思議な感覚である。なにか触れているというのに、一切の感覚が生じない不可解さ。
湧き上がった怒りにシロウは、ここに来てからの記憶が巻き起こる。そもそも一体なにがこんな状況に自分を陥れたのだろうか。
眼の前に広がっているこれは一体なんの冗談だというのだろうか。あらゆる事実を並べた時にシロウへ灯ったのははっきりとした怒りだった。自分はただ、普通に生活していただけだというのに、どうして急にこんなことに巻き込まれたのか。
良くしてくれた人がむざむざと攻撃されるのは一体何故か。答えきれぬ問いかけに対してシロウは結界を握りしめ、それが楔になるように微かなひびが入る。
しかし結界を壊すまでには至らず、シロウは結界へ更に握力を込める。
一方、追い詰められたストムは土煙にむせこみながら、突きつけられた怪物の触手に恨み言を吐いていた。手元から離れた二振りの片割れは、怪物の後方の壁に刺さっており、手元には灯火が尽きかけた刃が最後の明かりのように火花をちらしていた。
「あぁ、背中が痛てぇ、骨の分、利子つきで返してやるからな目玉野郎」
「はっはっは、地獄からの約束手形か。君の墓標にちゃんと弔っておくよ」
「冗談みたいな見た目してるくせにさむい話しだな。テメェの灰で返せよギョロ目野郎」
ストムが吐き捨てると、怪物はけらけらと笑いながら多眼を一斉にストムへと向け、「この状況でそんな言葉が吐けるなんてね」と嘲笑を落とす。
「バカが、俺がどうして大切な得物を手放したか考えなかったのか?」
ストムはけらけらと笑い、自らの持っていた双剣の片割れのエンチャントを弱める。
怪物はその刃の沈黙を見て即座に、直線上にあるストムの刃に視線を向けた。そこには煌々と光を放つ刃が目に飛び込んできて、「遠隔操作か」と口走る。
それは今までの中で最も怪物が、「人間的に」話した瞬間である。
それを見たストムは渾身の力で体を動かして一瞬の隙をついて、最後の一撃を振り下ろす。
「遠隔操作なんてできるわけねーだろうクソ野郎!」
すっかり武器を遠隔操作すると思い込んでいた怪物は、ストムとの実力差に加えて、ストムを追い込んでいたことにすっかり気を緩めていた。そんな状況でストムは高度な技術である「遠隔操作」を臭わせる。
当然ながら、その発破は対等な状況では通じないはずのものだったが、その微かな気の緩みが攻撃を叩き込まれる隙を生むことになった。
「ブラフ、か」
当然ながらその攻撃は怪物にとってはしっぺほどの威力でしかない。それだけの力量差が怪物とストムにはある。
それでも隙を見つけて放った渾身の一撃は、怪物の動きを一時的に緩めるには十分であり、不意に響く後方から聞こえてくる瓦礫の音への反応も連鎖的に鈍ることになる。
瓦礫を押しのけて出てきたのはグロリアであり、出てくると同時にはち切れんばかりに引き絞った弦を放つ。
「化け物が……!」
グロリアは激痛に悶えながらも瓦礫の中で息を潜めていたようで、体中が擦り傷に覆われており、最も弓を着弾させる確率が高いタイミングで攻撃を行ったのだ。
「貴様らぁ……」矢が怪物の眼球に着弾した瞬間、怪物はくぐもった声を漏らして絶叫する。
グロリアが放った矢はただの矢ではない。まさに「対魔力」であり、放たれた矢は最も魔力を強く放つものへと自動的に追従する。更に着弾したものの魔力を吸い尽くし、特に魔力に依存する者への効果を増大させる。
その攻撃は当然、周囲の魔石から膨大な魔力を得て活動している怪物にとっては致命傷であり、断末魔に近い声を挙げて大きく仰け反る。
効果絶大と判断したストムは「完璧だ!」と声を上げて更に攻撃を振るおうとする。
「調子に乗りやがってゴミムシ共がぁ!!」
しかし、ストムの追撃は無残にも届かず、怪物は強烈な咆哮を繰り出して再び大きくストムを退けてしまう。
「ちょおぉっと計画が狂っちまったが仕方ねぇ。この場で皆殺しにしてやる」
怪物は凄まじい轟音のような声を響かせ、感情的になって体中から大量の触手を出現させ、凄まじい殺意をストムに向ける。
ストムは自らの死を感じると同時に、最後の抵抗と言わんばかりに中指を立てる。
「やっと人間らしくなったじゃねぇか薄らハゲ」
「御託ばかり並べるのも辛くなってきただろう? 安心しろ、今すぐ地獄に送ってやる」
「あぁ、地獄でテメェのニキビ面を見ないように祈ってるよ」
ストムは思わず目を閉じる。長い経験で培われた圧倒的な経験が、ひっきりなしに死を伝えようとしていた。
それそのものが、ストムの最も大きな自信。今回は悪い方向で当たってしまったが、ストムにとっては十分である。思わず目を閉じて口角を上げる。
怪物が触手を振り下ろされたその刹那。甲高い金属音と共にストムの視界に飛び込んできたのは、シロウだった。
「ストム、ごめん。また遅れた」
シロウは寸前のところで怪物の前に現れ、その攻撃を防ぐとともに、一瞬にして姿勢を屈む。
「お前……」
「オレ、ちゃんとやれると思うから」
ストムがシロウの言葉を聞き終わる頃には、姿勢を低くした状態から、まっすぐ怪物へ向けてレイピアの刺突が穿たれる。その攻撃は今までのどんな攻撃よりも強烈で、何より自信に満ちた攻撃だった。
「お前が、転生者、か」
気がつく頃には、怪物はそんな小さなことを口走ってその体が崩壊をはじめていた。
これまでの度重なるダメージに加えて、強烈なシロウの攻撃。さらには最後の最後で、「相手にとどめを刺せる」という確信を持ってしまったことで、攻撃を一切考えていなかった。
怪物はシロウの一撃を受けて、肉体を震わせながら地へと落ちていく。
「転生者……絶対に、殺してやる。殺す、からなぁ」
怪物は怒りの念を宿しながらそうつぶやき、静かに肉体が朽ち果てていく。
「っはっっは……貴様ら、貴様らすべて破滅する……っはっっはっは」
怪物はただただそうつぶやき、急速に肉体が朽ちていく。その終わりすらも、この世の理から逸脱したような振る舞いに、一同はただただ黙り込むしかなかった。
そんな中、グロリアが持っていた懐中時計が刻限に近いことを示し、それを見たグロリアが「出よう」と提案したことで、ふたりはようやく我に返る。
同時に実感する。今は、生き残ることができたのだ、と。
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