第10話 惨状


 岩窟のなかは気味が悪いほど静まり返っていた。


 そのあまりの静謐さにシロウは、この場所が、件の盗賊団が根城にしているという情報と乖離することに大きな引っ掛かりを覚えていた。それはストムも同じであり、ちょうど岩窟の入口が見えなくなり、遥か奥底が暗がりに覆われ始めた段階で、ストムはシロウの進行を制する。


「シロウ、いつでも得物を使えるようにしておけ」

 ストムはそう言いながら、背負っていた一対の双剣を握る。同時に小さな声音でシロウに語る。


「音はないが、何人もいやがる。それに、もう人の動きじゃない」

「……どうして分かるんだ?」

「お前にもできるはずだ、気配を感じろ。人の気配はあるのに、一切の動的な音が存在しない。まるで肉体のみの糸切れ人形だ」


 ストムの言葉にシロウは思わず言葉を失いながら、彼の言うように「気配」を意識して岩窟の奥に視線を這わせる。

 視覚だけに頼れば、彼の言う「気配」を理解することは難しいが、よく神経を研ぎ澄ませれば、岩窟のなかに漂う湿度のある視線、微妙な人の感覚が垣間見え始める。


「……どうして、こんなに音がしないんだ?」

「音だけじゃない。こいつらは、こちらに対しての敵意すらない。気付いたか? ここはすでに魔力の影響がかなり大きい。そうなれば魔力に頼る闘い方をすればするほど理性を保てなくなる」

「それが魔力のリスク……、理性を失えばこんなに静かなのはおかしいってことか」

「思ったより厄介なことになっているかもしれないな。お前の得物は十分な間合いが必要だ。お前は後衛、俺が前衛でいくぞ」


 ストムが率先して岩窟の先に進む後方で、シロウは今まで感じたこともない奇妙な気配に惑わされていた。


 この世界にきてシロウは、人間だけではなく魔物、魔力の残滓の気配を感じてきた。しかしこの場を満たす奇妙な気配は、そのどれとも違う。

 緩急があり、しかも不定形な印象すら持たせる不気味さが、常にこの岩窟を取り巻いている。


 静かに、ひたひたと、暗がりの岩窟のなかを進んでいくふたりであるが、とある一点を踏み越えた先、真っ暗な岩窟に光が灯される。


 突如灯された光の正体は、岩窟のなかに備え付けられた松明である。

 松明に火を灯したのは、ボロ雑巾のような衣服を身にまとう盗賊の一派だった。それまで一切の音がしなかったにもかかわらず、その盗賊の一派は機械的な動きで松明に火を灯したようだ。かすかな閃光が視界をくらませたことで、ストムとシロウに一瞬の隙を作ることになる。


 ストムは即座に両刀を構えるが、そのあまりの惨状に顔を歪ませることとなる。

 岩窟とは言っているものの、そこはすでに岩窟というより屠殺場の様相を呈しており、おそらくは人だったと思われるものが散乱している。その傍らに立ち尽くす盗賊の一派は、到底人間とは思えない動きで顔を動かしており、両腕は獣のように変形している。


 ストムは二本の刃をその盗賊の一派に向けてシロウに指示を出そうとする。

「シロウ、お前は後ろを……」

 その言葉が出されるより前に、ストムは正面から来る凄まじい衝撃へ、反射的に両刀で身を挺していた。骨が揺さぶられる感覚に驚いていると、眼前にはすでに異形と成り果てた盗賊の一派の顔が浮かぶ。


 ストムは思わず、そのすさまじい膂力に驚かされていた。既にその膂力は人間の領域を遥かに逸脱しており、刃のように変形した爪とストムの刃が混じり微かな火花が舞う。

 なんとか態勢を崩さずに持ちこたえる事ができたのは、ストムの鍛え上げられた肉体と、それを強化する魔力を用いることで常人の何倍もの身体能力を保持しているからである。いわば、努力で到達できる最高のコンディションの肉体を持つストムですら、一瞬の油断をすれば命取りになりかねない怪物、それが目の前の人ならざるものへと変貌したものだった。


「こいつはやべえぞ、シロウ、お前は……」


 ストムが言葉を繋ごうとすると、それは再び阻まれることになる。

 それもそのはずだった。シロウはすっかりその化け物に気圧されてしまったようで、体は完全に硬直してしまっており、動きが完全に止まってしまっていた。


 ストムは内心舌を打つが、即座に眼の前の怪物を蹴り上げて強制的に距離を取らせ、シロウを軽く小突きながら怪物に得物を向け続ける。

「落ち着けよ、確かにイカれた状況だがテメェなら折り合いくらいつけられるだろうよ。息を吸え。頭を動かして冷静になれ」



 ストムの言葉にシロウはゆっくりと呼吸をするが、そのたびに肺が震える。冷静さを繕うが、シロウはそれまでに経験したことのない命の切迫に完全に気圧されてしまっていた。


 シロウはそこでようやく、短い時間の中でできるだけ多くの経験を積ませてくれたストムやクレセントに感謝することになる。微量であっても、あの闘いの経験がなければ、この場で卒倒してしまっていただろう。

 しかしながらそれとは比較にならないほどの命の切迫に晒され、冷静に考えることすらもままならない。シロウは動かない体を鼓舞するように膝を叩く。



 一向に行動が止まっているシロウに、ストムは眼の前の怪物をいなすことに精一杯だった。

 自らの得物である片刃の剣と、怪物と化した盗賊の一派の爪の硬度はほぼ同じなことは、ストムの戦闘経験から即座に判断することが出来たが、その事実そのものがストムに圧倒的なプレッシャーを与えていた。

 これだけの硬度の爪となれば、それだけで鉤爪に近いほどの武器となる。それを獣じみた膂力で振るわれるというだけでもその破壊力はたやすく想像できる。相手の攻撃力をこれほどまでに想像させるのは、それだけ凄まじい脅威となる。


「こんな仕事受けるんじゃなかったなぁ!」

 ストムは相手の爪からの攻撃を刃で大きく弾き飛ばしながらそう叫ぶ。しかし怪物の動きは俊敏で、人間とは遥かに逸脱した握力で壁に張り付き、今度は有り余る脚力を活かしてストムへと飛びかかる。


 ほんの僅かな時間でストムは即座に「かがんで攻撃を回避する」という選択する。だが即座にその行動を捻じ曲げて刃を飛びかかってきた怪物へと向けて、ストム自身の膂力で受け止めようとする。相手の爪が着弾した瞬間、体がふっとばされるような感覚に対抗するため、太腿に強烈な力を加えた。


 当然その行動をしたのは、「攻撃を避ければ後ろのシロウに着弾するから」であり、極小の時間のなかで判断するには十全に防ぐことが出来なかった。

 攻撃を受け止めたと思われたストムは、凄まじい衝撃に骨が軋むような感覚を抱かされる。足元の踏ん張りが効きづらかったためか、強烈な激痛が走る。



 ストムのくぐもった声が漏れたと同時に、シロウはようやく体が動き始め、神速の動きを見せ、怪物の体をレイピア状に変形させた得物で貫く。


「やればできる子じゃねーか」

 ストムは皮肉っぽくそう続けるも、シロウはかろうじて動くことができたものの、精神的なダメージはかなり大きかったようで、くぐもった表情を浮かべ、息も絶え絶えの状況である。


「人……これは、人だったんだよな……」

 シロウは人に対して攻撃をしてしまったということへの精神的なダメージが激しく、突き刺さったままの得物を握りしめる手は震えていた。

 それをあざ笑うように怪物は未だ激しく動いており、絶命には至っていない。それに対してストムは首を鳴らし、右手の大刀を首元に振り下ろす。

 首元から等間隔で血液が噴出し、シロウはそれから目をそらせる。

「きついだろうがこれも慣れる。だが……こういうことは稀だし、戦意喪失にまで至ってない時点で合格だ」

「……これからどうするんだ?」

「それはこっちのセリフだ。俺は当然このまま先に進むが、此処から先は更に地獄だぞ」


 その言葉にシロウは数秒沈黙を挟み、「これだけ静かだったのは……」とストムの考えを先回った。

「あぁ。こんな理性のない怪物が大人しくしてたのは、それを操ってるやつがいるだろう」

「これも魔石の影響なのか? 人を操作することもできるなんて……」

「俺は専門家じゃないからな。わからないがもしこの手の強化された人間が大量に出るならそれこそ手が足りなくなる。この先の確認は急務だが、そのためには間違いなく、お前が必要になる」


 シロウはその話を聞き、選択肢が実質的にないことを気取る。何よりこの惨状、放置することはすなわち周囲に危害が及ぶ可能性が高い。加えて周辺の鉱石は情報の通り、強烈な魔力を持っておりクレセントらがここで戦うことは難しい。

 その状況で負傷をしているストムのみでの任務は実質的に不可能になる。

 先ほどの攻防において強烈な恐怖感を受け、かつ今も体の震えが残っているシロウがこれからあるであろう闘いに対応できるかは、なかばシロウの心にかかっていた。

 迷うシロウにストムは、ただただ現実を続ける。

「先に進めば地獄だが、無視すればここの死体が量産されることになる。どっちの悲劇を選ぶかは、お前次第だ」


 突きつけられた現実に、シロウはわずかに言葉を濁して「進もう」と得物を岩窟の奥へと指した。



***



「それで、我々ができることは?」


 岩窟の外で待機していたグロリアは、せっせと魔法陣を描いているクレセントへとそう投げかける。

 待機しているクレセントは、魔法を扱う魔法使いのため、魔石の影響を強く受けてしまうということから、内部に入ることができない。グロリアもまた、「弓に魔法を込めて戦う」という戦闘スタイルから、魔石の影響を受けやすいということから、外で待機するという選択を取ることになった。


 そんな状態のためグロリアは、何かしらできることを模索するために、その言葉を投げたのだ。


「さっきの音は戦闘が始まったはず。こっちも動きはじめる準備をしなくちゃ」

「魔石はどうするんだ? 下手したらミイラ取りがミイラになるぞ」

「ミイラになるかもしれないけれど、行かなくちゃ仲間の骸を拾うことになるわ。保険くらいは賭けておくべきだし、そろそろ貴方も、暇でしょう?」

  クレセントは、そう言いながら書き込まれた魔法陣の中心で、手のひらを重ねてとある魔法を発動する。


「今、あたしと貴方に魔力制限をかけたわ。これで魔石の影響は極限まで受けづらくなるから、加勢に行くことができる。ま、一時間くらいしか持たないんだけれど」


 クレセントは自らの懐中時計の軸を鳴らし、わずか一時間のタイムリミットが時計の針を滑らせる。それは実質的に、「岩窟へと乗り込む」という宣言でもあった。


 

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