第8話 分水嶺の前夜


「お前さん、戦うことが怖くないのか?」


 魔物対峙という大仕事を終えたふたりは、薄い宵闇の走る草花を踏みしめながら、ウエスト・ギルドへの道のりを歩いていた。


 そんな中でメルバがシロウへ、ぽつりと身の上話を投げる。メルバは最初シロウと邂逅したところで感じていたが、シロウの戦いに対しての親和性の高さは抜きん出ていることに気がついていた。


「怖いに決まってるよ。それは、メルバもだろう?」

 シロウの意表を突く答えに、メルバは首を縦に振る。その問いかけの答えは、当然のようにスムーズに語られた。

「……あぁ、俺は生憎、真人間でね。メルバやクレセントみたいに、戦いに一切の人間性を持ち込まないほど、出来た人間じゃないんだ」

「あっはっは、メルバもそういうくらい、やっぱりあのふたりは変なんだな」

「そうだな。まぁ、兵隊というにふさわしいだろう。俺とは対象的に、な」


 メルバはそこで静かに口を閉ざして、その後の言葉を迷うようだった。

 シロウは思わず口角を落とすものの、踏み込んでいけない領域を解したようで、「オレは、アンタみたいに優しくないのかもしれない」と感情を露呈させる。


「お前さんの元の世界っていうのは、思ったよりイカれていたってことだな」

「……まさか、命のやり取りをするようなこと、してないさ。ただ生きて元の世界に戻りたい。そのためにはなんだってやるよ」

「そこまでして戻りたい日常、か。俺も、そんな戻りたい日常があったんだがな」


 メルバはそこまで語り、ぽつりと「まぁ、今の生活も楽しいけどな」とつぶやき、そのまま先を行く。

 シロウは深くは尋ねることなく、遠くに見えるギルドへと足を向けるのだった。



***



 月が隠れる夜半のウェスト・ギルドは、締め切られたバーと同じように閑散としていた。カウンターに上げられた椅子に囲まれ、魔法使い・クレセントはただ一つ通常通り置かれた椅子でグラスを傾ける。

 

「シロウは?」


 そんなクレセントに言葉を投げたのは、グラスを丁寧に拭いているコウガだった。

「今は眠っているわ。ついでにメルバも、教鞭を取ったからか爆睡している」

「内緒話をするならうってつけの夜ってことか。それで、我々に残された時間はどれくらいなんだ? 魔法使いさん」


 クレセントは思わず握られたグラスの動きを止める。「シリアスな言い方」と嘲るような言い方をするクレセントに対して、コウガは表情を崩すことなく、「シリアスさ」と話しを促す。


「シロウが来てから、もう一週間になるが……、お前と私の見立てが明らかに現実味を帯びたと思うが」

「そうね……、転生者がこちらの世界へ来るときには、遠からず大厄災が訪れる……。随分早い訪れのようね」

「一応、すり合わせておこうか。シロウの出現と同時に集まった四王の気配、それが私の厄災に対しての確信だった」

「連中が徒党を組むなんてありえない。四王の気配に加えて、もう一つ大きな気配があった、そうじゃないの?」


 コウガは静かに微笑みながら水分を拭き取っていたグラスを置く。


 四王はこの世界における四人の支配者。四人同時に会する瞬間などは基本的にはありえない。それぞれが野心的であり、最強であるという自負がある故、顔を合わせた時点で、穏便に済まされるわけがなかった。


 更にそんな中で、もう一つ現れた謎の気配。この世界において、四王と対等に会談できるような巨大な存在こそが、クレセントとコウガが考える大厄災の前触れであると考えたのだ。


「出てきたもう一つの気配、ある程度の猛者なら気取るでしょう。連中が何をしようとしているのかはさっぱりね。コウガの意見が聞きたいわね」

「……四王とその第三者が交戦した感じはしない。敵対はしていないが、味方でもないか、もしくは全員がグルか」

「どちらにしても次の手が、これだって時点で、これから活発に動き始めるということは確実ね」


 クレセントはグラスを持ったまま、依頼を貼る掲示板に指を指す。

 そこには「セントラル・シティにおける魔石の調査について」という依頼がつけられていた。


「“魔石”か。人間が持てば絶大な力と引き換えに、気が触れると言われているが……」

「そんな物騒なもの、誰もコントロールできなかった。故にそんなものを使おうとするなんて、考えなしのバカかそれとも、そうでもしなければ対抗できないものなのか……」

「今出揃っている情報じゃわからないが、恐らくこの仕事が分水嶺なる。それも、誰もどうなるかはわからない、消失点になりうるぞ」


 コウガの指摘にクレセントはグラスの中の液体を喉に押し込み、「だからこそよ」と視線を向ける。


「次が分水嶺になるなら、最大戦力で行くのが一番。それがあたしのプラン……それに貴方のプランも加えてほしいだけ。どう? 素敵なプランがあれば、ぜひ加えたいんだけど」


 コウガは静かに微笑みながら、「そうだねぇ」と話を続ける。


「君と、シロウと、もうひとり連れて行くと良い」


 コウガはテーブルにグラスを置き、黄金色の酒を注ぎ入れ、おもむろにそれをクレセントの隣へと差し出した。それとともに「楽しそうな話しじゃねぇか」とクレセントの横に座った、戦士長・ストムはグラスに注がれた酒を喉に流し込む。


「……どこから聞いていたのかしら」

「この世界の支配者がどっかのろくでなしと密会してるってとこから」

「そのろくでなしのボンクラたちがやろうとしているファーストステップなんだ。ストム、君も、見たいだろう?」

「アンタの弁の通りに動くのはシャクだが、俺も魔法使いが言う、大厄災とやろを指を加えて見ているほど浅ましくないんでな。俺も出る、いいか? 魔法使い」


 ストムはそう言い放ちカウンターへグラスを叩きつける。それを横目で一瞥したクレセントは、「ここのトップの指示なら、仕方ないわ」と自らのグラスに口をつける。

 すっかりギスついているストムとクレセントに、コウガはけらけらと笑い、手を叩く。


「さーお二人さん。必ず生きて帰ってきてくれよ。貴殿ら、必ず生きて帰ってきてくれよ。ここは守っておくからねぇ」

「……分水嶺に、巻き添えにならないようにするわ。というか、下手をすれば死ぬけどいいの? 戦士長さん」

「なーに、黙ってたって、死ぬんだろう?」

「えぇ。この世は遠からず、更地になる」

 クレセントは口調に一切の抑揚をつけることなく、あくまでもフラットな口調で続けた。それを聞き入れたストムもまた同じ態度であり、冷静に「根拠は?」と問い返す。


「まだ言えないわ」

「舐めてんのか。それで納得するとでも?」

「尤もな反応だけど、まさか今までの転生者が出てきた特の厄災を忘れたなんていう?」

「二千年前の魔族壊滅、千五百年前の魔力暴走鎮圧、千年前の魔石謀略事件、五百年前の魔獣討伐、こう見えても座学は得意なほうなんだよ。もし、史実に従うようなことが起きれば、みんな死ぬ。そんな土壇場で謎解きゲームなんてするつもりはない。まだ言えないのその先が言えねえなら……」


 ストムが凄むようにそう話し、「根拠」を聞き出そうとするが、クレセントは毅然と反論をする。

「とある筋からの情報なの。わかるでしょう? これはそういうレベルの話しなの。情報の漏れが、最悪の結果を産みかねない」

 クレセントの言葉にストムは何も言わずに言葉を咀嚼する。


 一瞬のやり取りのなかで、ストムは逡巡する。

 クレセントが言いたいことは「情報漏洩の危険性」だということはすぐに分かった。最新の情報をどこかで得たクレセントは、その情報を慎重に吟味しているらしい。


 クレセントが得た情報の出どころやその確度、ストムはひとしきり考え込んだ後、広角をあげて笑う。


「ネズミがここに紛れてるとでも?」

 あくまでもクレセントに答えを求めるストムに、助け舟をだしたのはコウガだった。

「なぁ戦士長、アンタがクレセントのことをある程度信頼しているのなら、彼女の賭けにのってやってくれ」

「ベッドするには、心もとなさ過ぎるが、それについての根拠は?」

「根拠を話せばリスクになるからだ。この仕事をしているんだ、わかるはずだストム。秘密の共有者は少ないほどにいい。問題は君が、世界の命運という重大な秘密を知らないまま、我々に力を貸してくれるのか、くれないのかというこだよ」


 コウガは至って冷静に、そして淡々とそう告げた。それを聞いていたストムは一瞬の沈黙で返した後、ストムは自らの得物でコウガの真横を縦に一閃する。

 斬撃によって放たれた轟音はあたり一帯を飲み込むも、クレセントもコウガも反応を示すことなく、淡々とグラスを傾けた。

「これでおあいこ、ってな。まぁいいだろう、この魔法使いさんと一緒に仕事に行けばいいんだな」

「えぇ。コウガも、あたしも、貴方の期待を裏切らないわ。よろしくお願い」


 クレセントの言葉を聞き入れたストムは自分が飲んだ分の代金を分断されたカウンターに置きつつ、自らの得物を引っ提げてそのまま去っていく。

 その途中、「裏切るんじゃねーぞ」という言葉に、クレセントは「裏切る理由もないでしょうに」とほほえみ返すのみであった。



「全く、君たちはなにか壊さなきゃ和解できないのかね」


 そんなふたりの会話を眺めていたコウガは苦言を呈するようにそう告げ、その言葉にクレセントは「ごめんなさいね」と平謝りをするも、返すように続けた。


「まさか情報の提供主が目の前にいるなんて、今は知られるわけにもいかないでしょう?」

 クレセントの言葉をコウガはほとんど反応することもなく、磨かれたグラスに注がれた酒を口に含み、静かなほほ笑みを浮かべるに至った。

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