第5話 中学生2人きりでこんな遠くまで来ることに意味があるんでしょ
自分では気づかないうちに口をぽかんと開けていたらしい。
確かに「あおもり」と聞こえたが、僕の思考回路がその意味を考えることを放棄していた。
「あおもりって、あの青森?」
「あの青森以外にどの青森があるって?」
彼女は永遠とパソコンの画面に向き合っている。
「なんでそんな遠いところまでいくの」
彼女がパソコンから視線を外して僕のほうを見る。
少しの沈黙の後、彼女は左下に視線を移して小さな声で言った。
「……青森駅にさ、りんごジュースしか売ってない自販機があるんだって」
「それを見に行きたいって……こと?」
コクリと頷く。
僕は完全に呆気に取られた。
まさかそんな自販機を見に行くためだけに大金と時間を使うだなんて。
「そんなことより、まずはこっちだよ君」
彼女は僕の小説が表示されているパソコンを指差した。
「感想言ってあげるから君はドキドキしながら黙っててよ」
それから彼女は20分程して小説を読み終えた。
鞄の中からペットボトルのお茶を取り出して一口飲んでから彼女は言った。
「ところで、君には小説家として致命的な欠点があるね」
「……ダメだった? その作品」
僕は崖から突き落とされたような感じになった。
「小説自体は前読んだのよりも面白いし、可愛く書けてる。ただ、とにかく君自身にダメなところがあるんだよ」
「教えてよ、それ」
お願いしたものの首を横に振られた。
「君が自分で見つけなきゃダメ。見つけるのが早ければ早いほど私は嬉しい」
「ますます意味わかんないよ」
「もしかしたら分からなくていいのかもしれない」
「つまり僕はどうすればいいんだ」
その問いかけに彼女は応じず、頬杖をついて窓の外の風景を眺め始めていた。
僕は彼女からノートパソコンを返してもらって、さっきまで見てもらっていた小説を自分で読み返し始めた。
この1週間で書き上げたその作品は彼女がモデルの恋愛小説だ。文化祭で初めて見られた小説とテーマは変わっていない。
変わったことがあるとするならば、彼女の描写がより鮮明になったくらいだ。
彼女の言う欠点というのがこの文章ににじみ出ているのかもしれない。
それを何とか掴もうと熟読しても、あまりよく分からなかった。
新幹線は新青森という駅で降り、そこから切符を買って在来線に乗り青森駅まで移動した。
「この駅にその自販機があるの?」
「そうらしい」
その自販機があるという待合室に向かう。彼女の足取りは軽やかだった。
コンビニや窓口が併設してある待合室に入ると、確かに異彩を放っている自販機が目に飛び込んできた。
バリエーション豊かなはずの自販機が、すべてりんごジュースで埋め尽くされているのだ。「ふじ」「つがる」「王林」「トキ」など、品目別のジュースがずらっと並ぶ。
「すごいね、これ」
僕は興奮気味に声を漏らした。
「うんうん」
彼女も満足げに頷いている。
「この自販機見に来るってことはさ、茜さんってりんご好きなんだ。どの品目が好きなの?」
「いや、品目にこだわるとかいうレベルではないよ」
キッパリと言い捨てられる。
「……えっと、ただ単純に珍しいから見に来たってだけ?」
「そういうわけでもないんだよねえ、君」
「え?」
それだけ言い残して彼女は待合室から出ていってしまった。
外にいる彼女と、わずか数分で役目を終えたその哀しい自販機を交互に見ながら、僕は肩をすくめた。
せめて、と思い僕はスマホに紐づけている交通ICでりんごジュースを2つ買った。あとで彼女に渡そう。
「ところで青森といえばみたいなのって何があるのかな」
駅の外に出たところで突然彼女は言った。
「茜さん、まさかあの自販機のためだけに来たの?」
「他のことは何も調べてないや。君、どっかいいところ連れてってよ」
「そうは言ってもなあ」
旅行はもう少し計画を練るべきだと強く思う。
僕はいつぞやの彼女みたいにスマホで『青森市 観光』と調べた。
真っ先に出てきたのは、駅から程よい距離にある観光物産館だった。
「観光、って着いてるしこの建物がいいんじゃない?」
と僕はマップアプリを彼女に見せた。
彼女は満足そうな顔をして「そこに行こう」と歩き出した。
その三角の形をした物産館に辿り着き、フロア案内板を指差して彼女が叫んだ。
「最上階! 展望台! 展望台あるって!」
「さっきの自販機より楽しそうだね」
「飲み物より高い所のほうがテンション上がるからね」
お土産コーナーなどには全く目もくれずに展望台行きのエレベーターに乗る。
最上階まで上がり、そこに料金表のポスターが貼ってあることに気が付いた。
「中学生300円だって。茜さん学生証持ってる?」
もちろん、と彼女は鞄から生徒手帳を取り出した。
学生証を持って受付に行く。
受付の人は僕らの中学校が埼玉県にあると気付いたらしい。
「ずいぶん遠くから来たんですね」と訝しげな表情で言われた。
受付を済ませて僕は彼女に耳打ちをした。
「流石に中学生が2人きりで青森まで来るのはまずかったんじゃない?」
「君は小心者だなあ。中学生2人きりでこんな遠くまで来ることに意味があるんでしょ」
そう言うと彼女は青森市内が一望できる窓際まで一目散に駆けて行った。
北側には海が広がり、他の三方向は山に囲まれているその自然豊かな景色を見て、僕も思わず息を呑んだ。
「すごくない? 海だよ海!」
興奮からか腕をブンブン振り回している。
「埼玉には海がないからね」
「うんうん。ついでに和光に住んでると山も見えないからねえ」
「こういう自然豊かなところだと、本当に遠くまで来たって気がするよ」
「ふふふ。そうだよね」
彼女は展望台に設置してある望遠鏡に100円玉を入れてそれを覗き込み始めた。
「あの海の向こう側にぼんやり見えるのが北海道?」
「そんなに近くないでしょ」
「じゃああっち側に見える謎の大地は何……?」
望遠鏡から目を離し、彼女は僕に示すように望遠鏡を指差した。
覗いてみて、ということらしい。
「確かに見えるね。でもそんなはずは……」
僕はその大地の正体を掴もうと躍起になって望遠鏡を覗き続けた。
その時、彼女のいつもとは違う静かな声が後ろから聞こえてきた。
「ねえ、君の小説ってさ」
「突然どうしたの?」
僕は望遠鏡から見える景色に夢中になりながら聞いた。
「君が書く小説って全部恋愛モノだよね。でさ、小説書く上でさ、それを経験したことがあるかどうかっていうのが……その……さ…………」
それ以降彼女の声は聞こえなくなった。
僕は向きを変えて、彼女の方を向いた。
彼女の目に視線を移すと、彼女はビックリしたのか大きく目を見開いてすぐに目を逸らした。
「……やっぱ何でもないや」
「え?」
咄嗟に声を漏らしてしまい、彼女に肩をドンと叩かれる。
「うるさいな! ……可愛い美少女とのこういう旅行とか、そういう貴重な経験をちゃんと活かせってことだよっ」
そう叫んで彼女は僕から強引に望遠鏡を奪い取り、また海の観察を始めた。
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