03.「ブザマン」何かを始める時

 自分でも信じられない、本当に魔法に掛かったようだった。

 僕は事件以降、誰にも関わりたくないし、関わって欲しくもなかったはずだった。


 でも僕が今晩感じた感情は、『今まで感じたこと』が無い感情だった。


 簡単に『魔法の言葉』を信じた。

 その上、忌まわしい記憶、古い古い思い出したくない記憶。


 その記憶の中にある被害者への気持ち。

 そう被害者へ謝罪をしなければと思い出した。


 本当に魔法に掛かったような気持だった。

 こんな気持ちになるなんて彼女は魔法使いかもしれない。


 でも、彼女のあの感覚知っている。


 ああそうだ、あの時・・・・

 そうだ、一度だけ感じたことがある。

 あの時車に衝突直前だった少女の微笑みと同じ微笑みだったような気がする。


 あの瞳と同じ優しい瞳だった。


『今日、今から僕は新しい僕になる』


 そう思う気持ちに嘘は無い。


 ◆    ◆


 僕は家に帰ると母が声を掛けて来た。


「遅かったわね、もしかして足が痛むの?大丈夫」


 無意識に応答した。

「遅くなってごめん。足は大丈夫だよ、ありがとう」


 母は小さな声を出していた。

「えっ?・・ありがとう?」


 少しすると姉が帰って来た。

「今日は日直だったのよね、遅くなったわ。お腹すいたわ母さん、ご飯できてる?」


 母も心得たもので返事をしていた。

「出来ているわよ、大盛にしようか?」


「やあね、お腹がすいていても、そんなに食べないわよ」


 母と姉の会話を聞いていて楽しい気分だった、そんな気持ちは久しぶりだった。


 晩御飯の時間父は帰りが遅いので家族三人で食べる。


 黙食という言葉があるが、僕の家ではいつも黙食だった。

 話しても母と姉が話しているだけだった。


 たぶん僕のせいだろう。


 ご飯のおかず以外に僕の大好物のから揚げが大皿に大量に出来上がっていた。


 これをいつもは僕がほとんど食べる。


 でも彼女との約束がある。

 そうだ体重を減らすことを考えて2、3数個食べれば良いかなと思っていた。


 という訳で二つほど食べてから「今日、今から」そう呟き我慢しようとする。

 でも少しの間は良いのだが、すぐにまた一つ口に入れようとした。


「やっぱりだめだな・・・・」

 自分の自制心の無さに今更ながらに情けなかった。


 ただこの『魔法の言葉』の良いところは、また次の瞬間から『今から』と呟きを入れることが出来る。


 瞬間瞬間のつながりで時間は流れるということだから、どの瞬間でも今からと言えるのだ。


 本当に魔法の言葉のようだった。

 後悔を次の瞬間の決意に追加できる、だから数回繰り返すと強い決意になっている。


 ただ、最初から出来ないことを考えると数回繰り返すと諦めて止めてしまうのが欠点だった。


 それでも「今から」、「今から」と言い続けて晩御飯を食べた。

 食事が終わったとき少しは減らせだろうと皿を見た。


 結局3つ残っているだけで食べる量と残す量が反対だった。


「最初はこんなものだろう無理はしない」

 そう呟いてご馳走様だ。


「ごちそうさま」

 そう言うと席を立った。


 姉と母が驚いていた。

 なんか変なことをやったかなと思ったが?


 思い当たるのは、今日は全て食べてしまうところ、三切れほど残したことと、何年ぶりかで『ごちそうさま』なんてに言ったことだった。

 そうか、そんなことも出来なかったんだ。


 二階の自分の部屋に戻った。


 何もない部屋、正義の味方のおもちゃや絵は見たくもなかった・・・

 事件前は好きだった戦隊のポスターもフィギュア、何もかも全て捨てた。

 それ以外にも持っていてはいけないと思い、おもちゃや持ち物の大半を捨てた。

 結果的に小物や飾りになっているものはほとんど捨てていた。


 今では本当に何もない部屋。


 そこに戻り仰向けに寝転んだ。

 天井のシーリングライトがまぶしかった。


 ふと腹筋をしようとした。


 小学校の時出来たはずだった。

 でも今は出来なくなっていた、少し練習をするつもりで何度かチャレンジした。

 変わってしまった体形ではそんな簡単に出来るはずは無かった。


「ハハハ、食べた分運動をしなければ・・・、そう今日、今から、腹筋くらい一回はできる」

 何度も「今日、今から、腹筋を一回出来ようになるんだ」と呟きながら・・・


 上がらない上半身を必死に起こそうとする。


 何度も何度も・・・

 そして仰向いたまま一休み。


「そうは簡単には行かないよな・・・でも今から出来るようにするんだ・・・」

 その後、腹筋、スクワット、腕立てと色々やってみようと頑張ったがどれもうまくは出来なかった。


 それでもなんか止められなくて腹筋を続けた。

 そして深夜になって、腹筋が一回できた時、嬉しかったが眠気に負けて気を失うように寝た。


 朝、お腹周りが筋肉痛だった。


「腹筋が一回できた」そのことだけが昨日の夜の成果だった。


 でも「腹筋が一回できた」そんなことでも自分が変わったことかもしれないと思った。


 それだけで、学校に行く気持ちが少し違っていた。

 その気持ちが後押ししたのか「行ってきます」と声を出して家を出た。


  ◆   ◆

 

「昨晩から修一はどうしたんだろう?」

 そう母親が姉である私(玲子)に聞いてきた。


「よく分からないわ・・・昨日の夕方ね、修一のあの病気が出たんだと思うの」


「あの病気?ってもしかして河原に行ったの?」


「そう思う、日直だったから帰ってくるのが遅かったのよ。家に帰って来て修一の靴が無かったから、本当に生きた心地がしなかったわ」


 ---

 ことの始まりは修一が高校に入った時から始まった。


 原因は勉強が出来ないことや人の噂やもしかすると今でもいじめとかあるだろうか?


 修一は今でも、どんなことでも「事故の一件」と関連付ける癖があった。


 特に投石の一件は堪えたらしい、あの一件は家族を不幸にしたと修一は思い込んでいた。

 でも後で警察から知らされたのだが家に投石が多発した事件は、同じ自治会のゴミ屋敷に住んでいた老人が注意した母さんへの嫌がらせでやっていたことで修一にはまったく関係が無かった。


 投石事件以降修一は家族との普通の会話が出来なくなった。

 何度関係が無かったと言っても「僕のことを心配しているんだろう」と修一は納得しなかった。


 それ以降は家族に対しても「ごめんなさい」という言葉が最も多く発せられるのだった。


 そんな言葉だけが家族への彼の言葉だった。


 どんなに家族全員で頑張っても修一はあの「事故の一件」から精神的に抜け出せていなかった。


 両親だって年齢的にもいつまでも面倒は見れないだろう。

 だから修一を「普通の男の子」に戻さなければならない。


 私は彼を自立させるために頑張ろうと考えた。

 そして高校へ行けと提案して勉強をさせたのは私だった。


 高校に受かった時は嬉しそうで、しばらくは大丈夫だったのだが・・・

 だんだん彼の行動が変になり始めた。

 この頃から修一が学校から帰った後に彼の後を追いかけるようになった。


 最初は危なっかしい感じだけだったのが、ついに学校帰り本当に川に入ろうとした。

 その時は私が後を付けていたから止められた。


 二回目以降は私が付けていることが分からないように近くの人にお願いして止めてもらった。


 でも私と違う学校の修一を完全には追跡は出来なかった。

 先日もそうだった日直だった私は帰りが遅くなった。


 家に帰り修一の靴が無かったことに気づくと直ぐに河原に向かった。


「神様、神様、かみさま・・・」


 勝手なものだこんな時だけ神頼みだ。


 河原の土手について河川敷を見た時驚いた、修一はベンチに座らされていた。

 そして前にはジャージ姿の女の子が修一の足を見ていた。


 その風景は何回か見た風景だった。


「止めてもらえたのね」

 そう思い安心すると腰が抜け座り込んだ。


 不思議だった、いつもなら野次馬が大勢集まるのに彼女以外いなかった。

 そして不思議なことに、いつもは俯いて説教を聞いているようにしか見えない修一がこの時は女の子と話をしていた。


 そして帰る時修一はいつもは顔を伏せて帰り道を足取り重く歩いて帰るのに、この時は前を向いて足は引きずっているがすたすた歩いていた。


「いつもと何かが違う?」

 そう思うと何かの期待が私に湧いてくるのが分かった。


 帰ってからも何かが違っていた。

 あの修一が「大好物のから揚げを残した」とか挨拶が出来たとか本当にどうしたことだろうか?


 そのことに母は本当に不思議がっていた。

 そして私に「昨晩から修一はどうしたんだろう?」と聞いてきたのだろう。


 そう言えば食事のとき修一はブツブツ何か言っているようだった。


 修一が部屋に戻ってから息を殺して部屋の様子を伺っていた。

 ドタバタと音がしていた。

「今?、今から?」

 そんな言葉を何度も言っているようだった。


「間違いない。間違いない・・・普通の男の子に戻すためのチャンスが来ている」

 そう確信した私は、翌朝、ある計画を母に相談することにした。


 もう一度鬼のような姉となって、私は修一を「普通の男の子」に戻す。

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