芸術家と批評家 解決編

 織川の一言で、空気が張り詰めていくのを感じた。


「美術部の誰かが犯人、だと?」


 元から低い声を、これでもかと下げて、大場先生はにらみを利かせる。

 だが織川姫はひるまない。風紀委員としての『正しさ』が揺るがない限り、どんな相手だろうと立ち向かう。


「もし違っていたら、謝るだけじゃ済まさんぞ」

「自信はあるつもりです。証拠も」

「なに……?」


 ひりついた流れを断ち切るように、織川は牧村さんの方を見た。


「牧村さん。帰る前に誰が美術室を出入りしたのか、教えてくれる?」


 時間に関わる事件は、アリバイが物を言う。それを理解していたのか、たちまち牧村さんの顔は青ざめていった。視線を泳がせながら、チラチラと大場先生をうかがっている。


「どうした牧村。さっさと言え」


 ほとんど命令のような大場先生の口調に、身を縮ませる牧村さん。ぎゅっと目をつむって、小さな声を震わせながら言葉にしていった。


「居残っていたのは、あたしと日比野ひびのくんだけです。コンテストの締め切りに間に合わなくて。先に帰ったのは、日比野くんで……あ、あたしの十分前くらいに、出ていきました」

「そうだ。むらっ気がある奴でな、日比野は。そういう奴を野放しにしておくと、部活として成り立たん。だから強く言って聞かせてるんだが、無駄だったな」


 なんてこった。ここにきて新しい生徒か。状況的に怪しさ満点だが。


「出入りした人は、それだけ?」

「……その後、しばらくして大場先生が入ってきました。もう今日は帰っていいと言われて。片付けてから、あたしも美術室を出ました」


 三人ともアリバイは無し。織川は、どうやって犯人を絞り込むつもりなのだろう。


「大場先生はタバコの煙を見ていなかったのですよね」

「知らんな。窓の外を見ながら歩かないだろうが、普通は。どうした織川、手詰まりか? さっさと犯人を言ってみろ」


 吐き捨てるような言い草の大場先生。どうしてだか、ぐっとこらえている牧村さん。


「わかりました」


 目を閉じた織川は、少しの間だけ腕章に手を当てた。この場に居る全員の視線が、彼女一人に注がれる。


「タバコを捨てた犯人は、大場先生です」


 驚きに染まる面々。静けさに織川の台詞が反響し、長廊下を満たす。


「い――」


 そんな圧迫感に耐えきれなくなったのか、せきを切ったように大場先生がえた。


「いい加減にしろ風紀委員! 犯人は日比野だろうが! お前は、生徒の分際で教師を疑うつもりか!」

「それを言うなら、教師の立場で生徒に罪を着せようとするのも、考えものだと思いますが」

「な、なにぃ⁉」

「大場先生、残りのタバコとライターは、どこにいったのでしょうね?」

「――っ」

「日比野くんが犯人なら、既に持ち帰っているでしょう。校内に隠しておくのはリスクしかない。なので、どこを探しても見つかるはずがありません。この事件は物的証拠だけが頼りです。失礼ですが、まずは大場先生と牧村さんの荷物検査から。次に美術室を調べさせてもらいます」

「でまかせばかり並べるんじゃない!」


 あからさまに動揺している。熊のような顔に血管を浮き上がらせて、織川へ詰め寄る大場先生。


「煙に巻こうとしないでください、大場先生。ここは生徒指導担当として身の潔白けっぱくを示すべきです。牧村さんも、それでいい?」

「は、はい。それで、あたしと日比野くんの疑いが晴れるなら」


 あらがえない正しさの前に、もはや大場先生の味方は誰も居ない。わなわなと震えた、その手は……瞬間、固く握られていた。

 まずい。


「ふざ――けるなぁ!!」

 

 すかさず、俺は大場先生と織川の間に割って入り、振り下ろされた拳をつかんだ。間一髪。衝撃を殺しきれずに、メガネがズレちまった。


「星名ぁ、お前まで教師に反抗する気か! なんだ、その目は!」

「目つきの悪さは生まれつきだよ」


 俺は黙らせるように、そのまま握力に任せてギリギリと締め上げてやった。


「……おい織川。教師の行き過ぎた体罰ってぇのも、校則に載ってるのか?」

「無いよ星名くん。あれは生徒の為に書かれた物だから。けれど一般的に、教師の体罰はクビが飛ぶだろうね」

「ってことらしいですが……どうすんだ、大場先生?」

「ぐっ、くそ」


 ゆるゆると大場先生の力が抜けていく。これは犯人として自白したようなものだ。


 もし織川が日比野を犯人にしていたのなら、あらぬ罪を着せただけでなく、風紀委員としての株も落ちていたに違いない。それどころか罪悪感で織川が潰れていただろう。

 改めて、とんでもない動機だ。


 織川は満足したのか「さあ」と手を打って、俺と牧村さんに目を向けた。


「急いで帰ろう二人とも。そろそろ門が閉まりそうだ。校則違反は、嫌だろう?」


 いつもの調子に笑ってしまう。

 織川、お前って奴は本当に、風紀委員の鏡だよ。



◇――◇――◇



 翌日の放課後。

 ポスター作りも仕上げの段階だ。俺は生徒会室で一人、教訓に使えそうなフレーズを考えていた。

 今月の総まとめ。織川と解決した様々な事件。それらに想いをせる。


 と、噂をすれば何とやらだ。古い扉がガラガラと音を鳴らした。


「遅れてしまったね、すまない星名くん」

「いいさ。昨日の後始末で忙しかったんだろ?」

「まあ、ね」


 困ったように苦笑いを浮かべる織川。


「今回は相手が生徒指導担当だったから、念入りに証拠を集めておいて良かったよ。ボイスレコーダーに写真、それと牧村さんの証言で、ようやく学長を丸め込めた」

「いつの間に……呆れた。お前、初めから大場先生のこと疑ってただろ」

「もちろん。星名くん、いつだって芸術家は批評家を気にするものさ。一人で対処できるのに、わざわざ風紀委員を呼び出すだなんて。私達への鬱憤うっぷん晴らしとしか考えられなかったよ」

「そういうことは先に言ってくれ。なんとなく途中から分かってたけどさ」


 火のない所に煙は立たぬ、か。

 気付かなかった俺も悪いけど、織川は周りに期待しすぎなんだよ。厳しさの裏返しなのかもしれないけど。

 わざとらしく、深い溜息を吐いておく。


「……で、大場先生の処分は?」

「生徒指導担当から外れてもらった。後任は体育教員の常葉つねは先生。前と比べたら迫力には欠けるけれど、理不尽に怒鳴らないだけ良いと思う。あとは生徒が相談しやすくなったくらいかな。次に問題行動を起こせば、大場先生も厳重注意だけじゃ済まないだろうね」

「そっか」

「やはり風紀を守れる人なんて、誰も居やしない。私を含めてね」


 わかってはいたが、たとえ教師だろうと全員が模範的とは限らない。

 警官だろうと罪は犯すし、裁判長だって免罪を言い渡す。医療ミスを隠す医者も居るだろうし、政治家なんて平気で法を歪める。

 何事も例外は付きものだ。役職だけで正しさは決まらない。

 そういった先入観、固定観念にとらわれないのが織川の強みだと思う。


「さてと。一件落着したところで、ポスター作りも終わらせないとね。星名くん、何か良さそうなフレーズは浮かんだ?」

「ちょうど今さっき、ひらめいたところだよ」


 風紀は、誰もが守れるわけじゃない。でも一人ひとりの心がけ次第で、乱さずにいられる規律だってある。

 誰かに注意をされたのなら、正しく直していけばいい。

 星名ほしな雅彦まさひこという救いがたい不良が――織川姫に出会って変われたように。


 したり顔になって、俺はポスターの中に文字を入れた。


『風紀の乱れは、心の乱れ。反面教師で我が振り直せ』

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風紀探偵の正し方 真摯夜紳士 @night-gentleman

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