芸術家と批評家 解決編
織川の一言で、空気が張り詰めていくのを感じた。
「美術部の誰かが犯人、だと?」
元から低い声を、これでもかと下げて、大場先生は
だが織川姫は
「もし違っていたら、謝るだけじゃ済まさんぞ」
「自信はあるつもりです。証拠も」
「なに……?」
ひりついた流れを断ち切るように、織川は牧村さんの方を見た。
「牧村さん。帰る前に誰が美術室を出入りしたのか、教えてくれる?」
時間に関わる事件は、アリバイが物を言う。それを理解していたのか、たちまち牧村さんの顔は青ざめていった。視線を泳がせながら、チラチラと大場先生を
「どうした牧村。さっさと言え」
ほとんど命令のような大場先生の口調に、身を縮ませる牧村さん。ぎゅっと目をつむって、小さな声を震わせながら言葉にしていった。
「居残っていたのは、あたしと
「そうだ。むらっ気がある奴でな、日比野は。そういう奴を野放しにしておくと、部活として成り立たん。だから強く言って聞かせてるんだが、無駄だったな」
なんてこった。ここにきて新しい生徒か。状況的に怪しさ満点だが。
「出入りした人は、それだけ?」
「……その後、しばらくして大場先生が入ってきました。もう今日は帰っていいと言われて。片付けてから、あたしも美術室を出ました」
三人ともアリバイは無し。織川は、どうやって犯人を絞り込むつもりなのだろう。
「大場先生はタバコの煙を見ていなかったのですよね」
「知らんな。窓の外を見ながら歩かないだろうが、普通は。どうした織川、手詰まりか? さっさと犯人を言ってみろ」
吐き捨てるような言い草の大場先生。どうしてだか、ぐっと
「わかりました」
目を閉じた織川は、少しの間だけ腕章に手を当てた。この場に居る全員の視線が、彼女一人に注がれる。
「タバコを捨てた犯人は、大場先生です」
驚きに染まる面々。静けさに織川の台詞が反響し、長廊下を満たす。
「い――」
そんな圧迫感に耐えきれなくなったのか、
「いい加減にしろ風紀委員! 犯人は日比野だろうが! お前は、生徒の分際で教師を疑うつもりか!」
「それを言うなら、教師の立場で生徒に罪を着せようとするのも、考えものだと思いますが」
「な、なにぃ⁉」
「大場先生、残りのタバコとライターは、どこにいったのでしょうね?」
「――っ」
「日比野くんが犯人なら、既に持ち帰っているでしょう。校内に隠しておくのはリスクしかない。なので、どこを探しても見つかるはずがありません。この事件は物的証拠だけが頼りです。失礼ですが、まずは大場先生と牧村さんの荷物検査から。次に美術室を調べさせてもらいます」
「でまかせばかり並べるんじゃない!」
あからさまに動揺している。熊のような顔に血管を浮き上がらせて、織川へ詰め寄る大場先生。
「煙に巻こうとしないでください、大場先生。ここは生徒指導担当として身の
「は、はい。それで、あたしと日比野くんの疑いが晴れるなら」
まずい。
「ふざ――けるなぁ!!」
すかさず、俺は大場先生と織川の間に割って入り、振り下ろされた拳を
「星名ぁ、お前まで教師に反抗する気か! なんだ、その目は!」
「目つきの悪さは生まれつきだよ」
俺は黙らせるように、そのまま握力に任せてギリギリと締め上げてやった。
「……おい織川。教師の行き過ぎた体罰ってぇのも、校則に載ってるのか?」
「無いよ星名くん。あれは生徒の為に書かれた物だから。けれど一般的に、教師の体罰はクビが飛ぶだろうね」
「ってことらしいですが……どうすんだ、大場先生?」
「ぐっ、くそ」
ゆるゆると大場先生の力が抜けていく。これは犯人として自白したようなものだ。
もし織川が日比野を犯人にしていたのなら、あらぬ罪を着せただけでなく、風紀委員としての株も落ちていたに違いない。それどころか罪悪感で織川が潰れていただろう。
改めて、とんでもない動機だ。
織川は満足したのか「さあ」と手を打って、俺と牧村さんに目を向けた。
「急いで帰ろう二人とも。そろそろ門が閉まりそうだ。校則違反は、嫌だろう?」
いつもの調子に笑ってしまう。
織川、お前って奴は本当に、風紀委員の鏡だよ。
◇――◇――◇
翌日の放課後。
ポスター作りも仕上げの段階だ。俺は生徒会室で一人、教訓に使えそうなフレーズを考えていた。
今月の総まとめ。織川と解決した様々な事件。それらに想いを
と、噂をすれば何とやらだ。古い扉がガラガラと音を鳴らした。
「遅れてしまったね、すまない星名くん」
「いいさ。昨日の後始末で忙しかったんだろ?」
「まあ、ね」
困ったように苦笑いを浮かべる織川。
「今回は相手が生徒指導担当だったから、念入りに証拠を集めておいて良かったよ。ボイスレコーダーに写真、それと牧村さんの証言で、ようやく学長を丸め込めた」
「いつの間に……呆れた。お前、初めから大場先生のこと疑ってただろ」
「もちろん。星名くん、いつだって芸術家は批評家を気にするものさ。一人で対処できるのに、わざわざ風紀委員を呼び出すだなんて。私達への
「そういうことは先に言ってくれ。なんとなく途中から分かってたけどさ」
火のない所に煙は立たぬ、か。
気付かなかった俺も悪いけど、織川は周りに期待しすぎなんだよ。厳しさの裏返しなのかもしれないけど。
わざとらしく、深い溜息を吐いておく。
「……で、大場先生の処分は?」
「生徒指導担当から外れてもらった。後任は体育教員の
「そっか」
「やはり風紀を守れる人なんて、誰も居やしない。私を含めてね」
わかってはいたが、たとえ教師だろうと全員が模範的とは限らない。
警官だろうと罪は犯すし、裁判長だって免罪を言い渡す。医療ミスを隠す医者も居るだろうし、政治家なんて平気で法を歪める。
何事も例外は付きものだ。役職だけで正しさは決まらない。
そういった先入観、固定観念に
「さてと。一件落着したところで、ポスター作りも終わらせないとね。星名くん、何か良さそうなフレーズは浮かんだ?」
「ちょうど今さっき、
風紀は、誰もが守れるわけじゃない。でも一人ひとりの心がけ次第で、乱さずにいられる規律だってある。
誰かに注意をされたのなら、正しく直していけばいい。
したり顔になって、俺はポスターの中に文字を入れた。
『風紀の乱れは、心の乱れ。反面教師で我が振り直せ』
風紀探偵の正し方 真摯夜紳士 @night-gentleman
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