風紀探偵の正し方
真摯夜紳士
芸術家と批評家 問題編
風紀を守れる人なんて、誰も居やしない。
それが彼女の口癖だった。
校内の風紀を正し、節度と
誰が相手だろうが容赦なく正す。
まさに憎まれ役、恐怖の対象そのものだ。それでも校内の風紀は、未だ乱れ続けている。
ともすれば生徒会長より目立っている織川が、その事件を耳にしたのは――同じく風紀委員の俺と、掲示用のポスターを作っている時だった。
「その……あたし、タバコを見たんです」
相談しにきた生徒は、どうやら美術部員らしい。溶き油と絵の具の入り混じった匂いが微かに漂う。おかっぱで、ぽっちゃり系の女子。見るからに表情が暗い。
俺達は手を止めて、とりあえず席へと座るよう彼女に
おずおずと話した内容を要約すると、部活終わりに窓の外を見たら……白いタバコの煙が立っていたんだとか。
織川の
「誰が吸っていたのか、わかる?」
「わかりません。地面に吸い殻だけ落ちてて。顧問の
「なるほど。それなら君は……えーっと」
「一年の
「牧村さん。まだタバコの火は、ついてた?」
「あ――そこまで気にしてませんでした。どうしよう!」
一転、身を乗り出して
「たぶん大丈夫じゃないか? さっきまで雨が降ってたし。地面も湿ったままだと思う」
「そうだね
俺らの淡白な反応を見て我に返った牧村さんは「ごめんなさい」と、また小さく縮こまる。よく謝る子だ。気が弱いんだろうか。
下校時刻も近いことだし、ポスター作りは切り上げて、明日にでも終わらせよう。
俺達は席を立ち、
織川が背筋を伸ばして歩く度、『風紀委員』と書かれた腕章や、後ろで一本に結んだ髪が
雨上がりの夕焼けで、オレンジ色に染まる長廊下。湿気を帯びた風に雨の残り香が乗る。放課後ということもあってか、すれ違う生徒の数は少なかった。
しかし、校内でタバコか。
高校生にもなれば、不良っぽい奴も出てくるだろうとは思っていたが……まさかウチの学校で、やらかすとは。
俺はズレかけたメガネを直しながら、織川に目を向けた。
「織川、タバコの喫煙みたいなのも校則に載ってるのか?」
「あるとも星名くん。第一章の校内規定における六条、特別指導の五項。『生徒は公衆道徳を重んじ、自らの行動を規制しなければならない』――タバコとは限定していないけれど、この違反が大半を占める」
教員含め、ぶ厚い校則を丸暗記しているのは、ひょっとしたら織川くらいじゃなかろうか。彼女は誰よりも規律を
それは身なりからも明らかで、紺のスカート丈は膝下、化粧っ気もなく、絵に描いたような制服の着こなし。そんな地味っぽい格好でも男子受けは良いんだから、神様は不平等だ。
他人にも自分にも厳しくあれ。
曰く、『取り締まる側だからこそ
「未成年の喫煙ともなると……良くて停学か、悪くて退学処分だろうね」
「まあ、そうなるわな」
「牧村さん。部員の中で吸いそうな人に心当たりは? 普段からタバコ臭いとか」
小さく首を振る牧村さん。身近な人は疑いたくもないのだろう。
織川の判断は常に
誰に頼まれてるわけでもあるまいし、本当に損な性格だと思う。
「あそこ、あの窓の向こう側です」
美術室前から廊下を
予想通り、湿った雑草には燃え移っていないようだ。煙も今は消えている。根元と茶色いフィルター部分だけが残り、先端の方は細長い灰に変わっていた。
「……星名くん、これは妙だね」
「確かに。校舎の外れとはいえ、すぐ人目に付きそうな場所だな」
「いや、そうじゃなくて――」
三人で窓の外を覗き込んでいると、不意に後ろの扉が音を立てた。
「遅かったな。ようやく来たか、風紀委員」
ドスの利いた低い声。振り返ると、大柄で熊みたいな人が現れた。角ばった長い顔、あごのラインには濃い無精ひげが生えている。
美術部の顧問――兼、生徒指導担当の大場先生だ。その立場上、風紀委員の俺らとも少なからず関りがある。否、勝手な因縁とも言えるが。
「織川に星名、お前ら風紀委員としての自覚が足りないんじゃないか? ボヤ騒ぎにならなかったから良かったものの。呼ばれたら走って来い」
「それは――」
口答えしそうになる俺を、すっと織川が手で制す。
「そうですね。大場先生が近くに居たとはいえ、急いで向かうべきでした」
軽く頭を下げる織川。まるで人形のような無表情だった。俺も渋々ながら、その所作に
大場先生は「ふん」と鼻を鳴らして、ひとまず溜飲を下げていた。
「見ての通りだ。わざわざ美術室の前で吸いやがって。こいつは俺への当て付けか」
風紀委員や生徒指導という役回りは、大抵が良く思われない。ましてや高圧的な物言いでもされたら、それだけで嫌われたって仕方ないだろう。
そういった意味じゃ、織川は上手く立ち回っていると思う。校則という後ろ盾を使って、下手な嫌味を言うこともない。
あるがまま、理路整然と正しさを突きつける。
まるで、名探偵のように。
「大場先生、少し
そら始まった。
織川姫が、乱れた風紀を正そうとしている。
「なんだ。何が訊きたい」
ぶっきらぼうな返事の大場先生を他所に、織川は窓の外を流し見た。
「周りの雑草を見てください。踏まれた
「で? つまりは外じゃなく、廊下で吸っていたということだろうが」
「その通りです。犯人はタバコに火をつけ、窓を開けて外へ投げ捨てた」
「だから、なんだと言うんだ」
「大場先生……タバコというのは、放置すると何分くらいで消えるものでしょうか」
質問の意図が伝わったようで、大場先生は顔を曇らせた。
なるほど。織川は、犯人が美術部の中に居るんじゃないかと疑っている。
「知らん。そもそも俺は吸ったことが無いからな。案外お前らの方が詳しいんじゃないか?」
大場先生の憎たらしい意趣返しに、「どうでしょうね」と素っ気なく応える織川。
「星名くんは知ってる?」
「まさか。でも見た感じ、もって十五分くらいじゃないか? 牧村さんが最後に見た時は、ついてたから――」
「そう。捨てられたのは部活が終わる間際、または部活が終わってから、ということだね」
「……何か言いたげだな織川。もしかしてウチの部員を疑っているのか?」
沈黙で返す織川。
まだ美術部員以外の可能性は残っている。大場先生に恨みをもった生徒が、美術室前に来てタバコを捨てたとも限らない。それで生徒指導担当としてのメンツを潰せるかは、謎だけれど。
そうなると犯人探しも、ここまでだ。怪しいからといって問い詰めるには浅すぎる。推定無罪。朝の荷物検査を強化するくらいしか手は無いか。まぁた風紀委員の仕事が増えるぞ。
メガネのブリッジに指を当て、あれこれ悩んでいると……織川は口元を緩ませた。
「星名くん。どうして犯人はタバコを吸わずに捨てたんだろうね」
「……は?」
「吸い殻を見なよ。灰になっている部分を含めて、ずいぶんと長い。これじゃあ少しも吸えていないだろうね。もしくは
「そりゃあ、そうだが。わざとかもしれないだろ。吸うのを誰にも見られたくないとか」
「でも吸い殻は誰かに見つけてもらいたかった――でしょ?」
織川が大場先生の方へと向き直る。真っ直ぐな視線が、針のように突き刺した。
「大場先生、正直に言いましょう。私は、美術部の誰かが犯人ではないかと思っています」
ぼちぼち大詰めになりそうだなと察して、俺は腕時計に目をやった。
下校時刻まで、あと僅か。
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