後編

「さすが養父上ちちうえ。捕縛するのに、手勢を四人も失うとは思いませんでしたよ」


 サングイス公爵家当主の執務室にて、エルロンの歌うような声がこだまする。

 エルロンの足元では、衛兵たちに捕縛され、床に這いつくばらされている、当主にしてクロフィの父であるハイマンの姿があった。


 今日、館の警備についていた衛兵は全てエルロンの子飼い。

 十数人いる衛兵たちは、エルロンの命令に従って賊たちを館に素通りさせ、執務室にいるハイマンの捕縛にかかった。


 その際にハイマンは護身用の剣で応戦し、四人の衛兵を返り討ちにするも、多勢に無勢を覆すことはできず、あえなく捕縛されてしまった次第だった。


「エルロンくん! これは一体どういうことかね!?」

「どういうこういうも――って、このやり取り、クロフィともしたね。面倒だから直截に言いますけど、サングイス公爵家の全てを手に入れ、全てを僕の色に染めるためですよ、養父上」

「正気かね!? そんな真似をしなくとも、クロフィの夫である以上、いずれは儂の跡を継いで当主になれるというのに!?」

「その方が楽なのは、僕もわかっているんですけどね。けれど、それじゃあ公爵家の全てを僕の色に染めることができないんですよ」

「くっ……。まさか君が、そのような狂気を隠していたとは……!」


 悔やむように、ハイマンは言う。


「隠していたつもりなんてありませんよ。ただ義父上が気づかなかった、それだけの話です。ところで……」


 エルロンは、これ見よがしにハイマンの目の前で腰を落としてから、陶酔したような物言いで訊ねる。


「義父上。何か言い残すことはありませんか?」

「……それを聞くために、儂をすぐには殺さなかったということか?」

「ええ。僕は慈悲深いですからね。義父上の最期の言葉を聞き届けるくらいのことは、して当然ですよ」

「どの口で言う……!」


 ハイマンは忌々しげに吐き捨てるも、エルロンに聞かせたい――というか、訊きたいことがあったので、怒りやゆるせなさを堪えながらも訊ねる。


「……館にいる、儂以外の者たちは、これからどうなる?」

「使用人たちのことですか? 勿論死んでいただきますよ。……いや、もう死んでいただき、かな?」


 予想どおりの言葉に、悲しげに悔しげに歯噛みするも、最も聞きたかった者の扱いについて聞けなかったので、絞り出すような声音で質問を重ねた。


「クロフィは、どうなる?」

「勿論、義父上と同じところに送って差し上げますよ。その前に、少々酷い目に遭うかもしれませんけどね」

「!? 貴様ぁッ!! それでも人……間……か……」


 いよいよ堪えきれなくなった怒りが、火山さながらに噴火仕掛けるも、ものの数秒で尻すぼんでいく。

 執務室の入口に向けられたハイマンの目は、大きく見開いていた。


 その反応を訝しんだエルロンは、片眉を上げながらも入口の方を振り返り……ハイマンと同じように大きく目を見開いた。



 執務室の入口には、全身を血の赤に染めたクロフィが立っていた。



 その手に持ったペーパーナイフも、血の赤に染まっていた。



「……は?」


 理解が追いつかなかったエルロンの口から、間の抜けた吐息が漏れる。

 次の瞬間、クロフィは散歩するような足取りで、されど視認困難な速度でエルロンの脇を通り抜け、


「…………ッ!?」


 ハイマンを捕縛していた衛兵たちの喉を、ペーパーナイフで切り裂いた。

 衛兵の首筋から噴き出た血をもろに浴びたところで、エルロンは我に返る。


「ななななな何をしている!! 早くその女を殺せッ!!」


 慌てて残りの衛兵全員に命じるも、誰一人としてクロフィの動きを捉えることができず、誰一人としてクロフィのペーパーナイフを止めることができず、首を切り裂かれてしまう。


 全ての衛兵の首を裂き、執務室も己の体も真っ赤に染めたクロフィは、彼女のものとは思えない恍惚な声音でハイマンに言った。


「大丈夫ですかぁ。お父様ぁ」

「うむ。儂は大丈夫だ。しかし……」


 立ち上がりながら、つい今し方愛娘が殺した衛兵たちの亡骸を見やり、嘆息する。



 子飼いの衛兵がものの数秒で全滅し、またしても我を忘れていたエルロンが、ハイマンの言葉に反応する。


「そ、それは……どういう意味ですか? 義父上?」

「そういえばエルロンくんは、ついぞ会うことがなかったな。我が妻と」

養母上ははうえ……ですか?」

「うむ。我が妻は、クロフィによく似た美人でな……誰よりも美しく、誰もよりも強く、誰よりも人の血が好きな女性だった。どうやらクロフィは、その全てをしっかりと受け継いでいたようだ」


 養母上の特徴の内、三つ中二つが明らかにおかしすぎることにエルロンがおののく中、その二つについては初耳だったクロフィが代わりに食いつく。


「そんなにもわたくしはお母様に……。お父様ぁ……お母様はいったい、何者なんですかぁ? どうして時折、何ヶ月も家を空けたりするんですかぁ?」


 酒に酔ったかのように恍惚としっぱなしのクロフィに、エルロンがますます戦く中、ハイマンは答える。


「クロフィ。お前の母は、いわゆる国のお抱え暗殺者というやつでな。時折何ヶ月も家を空けているのは、暗殺の仕事のために他の国に行っているからなのだよ」

「まぁ! それはつまり、お母様は人の血が見たくて暗殺者をやっているということですね!」

「う、うむ。どういう思考を経れば、その答えに一発で行き着くのかは心底謎だが、そのとおりだ。家を空けている間にちょくちょく手紙をよこしているのも、自分が暗殺者をしていることをクロフィに悟らせないようにする、言ってしまえば目眩ましみたいなものだったのだが……まあ、こうなってしまった以上は仕方あるまい。ところで……」


 ハイマンは執務室の入口――足音を殺してそろそろと逃げ出そうとしていたエルロンに、鋭い視線を向ける。


「どこへ行こうというのかね? エルロンくん」


 名前を呼ばれ、エルロンはビクリと震えながらも立ち止まる。


「エルロン様ぁ」


 形だけとはいえ、永遠の愛を誓い合った女性に、聞いたこもないような扇情的な声音で名前を呼ばれ、エルロンは先以上に大袈裟にビクリと震えながらも彼女の方に振り向く。


 恐れ戦きっぱなしのエルロンに対し、クロフィはキスをねだろうとする生娘のようにモジモジしながら、


「わたくし……エルロン様の血が見たいです!」


 恐ろしく悍ましいことを、ねだってきた。

 これにはエルロンも、青ざめるばかりだった。


「まままま待ってくれ!! クロフィ!! 謝る!! 謝るから、首を掻っ切ることだけは簡便してくれ!!」

「そういえばな、クロフィ。此奴、儂らの使用人を皆殺しにしたと言っておったぞ」

「だそうですよぉ。エルロンさまぁ」

「ち、養父上ぇ……ッ!」


 クロフィは、恍惚とした笑みをそのままに、エルロンににじり寄っていく。

 エルロンは、ますます青い顔をしながらも後ずさっていく。


「ままままま待ってくれ!! クロフィ!! こんなことをしたら、必ず国から追及を受けることになる!! そんなことになったら、サングイス公爵家の歴史に泥を塗ることになるぞ!!」

「そういえばな、クロフィ。儂、お母さんに何度も尻ぬぐいを押しつけられたおかげで、もみ消すことが大の得意になってしまったのだよ」

「だそうですよぉ。エルロンさまぁ」

「ち、養父上ぇ……ッ!!」


 クロフィは、恍惚のあまり息を荒くしながらも、エルロンににじり寄っていく。

 エルロンは、執務室を出ようとした際に足がもつれ、盛大に尻餅をついてしまう。


「まままままま待ってくれ!! クロフィ!! 僕はまだ、君のことを愛している!! それでも君は、僕を殺そうというのかい!?」


 不意に、クロフィの顔から恍惚が消える。

 その表情は、虫も殺さない、いつものクロフィそのものだった。


「わたくしもですわ、エルロン様」


 我が意を得たりと思ったエルロンは、ここぞとばかりに畳みかける。


「そうだッ!! 僕は君を愛しているッ!! 君も僕を愛しているッ!! 愛さえあれば何度だって僕たちはやり直せるッ!! 君もそう思うだろうッ!?」

「……いいえ」


 まさかの返答にエルロンは絶望しかけるも、最早生き残るための糸口がそこしかない手前、めげずに説得を続ける。


「じゃ、じゃあッ!! 君は僕のことを愛していないってことなのかいッ!? 君の愛は嘘だったって言うのかいッ!?」

「いいえ。ちゃんと、愛していますわ」


 言いながらも、クロフィは再び恍惚とした表情を浮かべ、言葉をつぐ。


「あなたの喉から噴き出る血を、何よりも愛してますわぁ。エルロン様ぁ」


 エルロンの表情が、絶望に染まる。


 次の瞬間、欲と狂気に溺れた男の悲鳴が、館中に響き渡った。


 その後、エルロンの姿を確認できた者は一人もおらず。


 時折クロフィが、母と一緒に何ヶ月も家を空けていることは、度々確認されたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラッディ令嬢 亜逸 @assyukushoot

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説