ブラッディ令嬢
亜逸
前編
それは突然の出来事だった。
サングイス公爵家の令嬢クロフィが、今は家を出ている母からの手紙を自室で読んでいた時、入口の扉から賊の集団が闖入してきたのだ。
「い、いや! 来ないで!」
手紙の封を切る際に使ったペーパーナイフを掴み、震える手で突きつけるも、賊たちは下卑た笑みを浮かべるばかりで一向に怯む気配はない。
逆に怯みに怯んでいるクロフィは、相手にペーパーナイフを突きつけているにもかかわらず、一歩二歩と後ずさっていき……気がつけば、壁際まで追い詰められていた。
「な、何なんですかあなたたちは! こんなことをしたって、すぐに衛兵が――」
「残念だけど、助けは一人も来ないよ。クロフィ」
絶望的な言葉とともに部屋に入ってきたのは、ほんの一週間ほど前にクロフィと永遠の愛を誓い合ったばかりの、元男爵家の長男エルロンだった。
「エ、エルロン様……それはどういう……」
「どういうもこういうもないよ、クロフィ。このサングイス公爵家の館に彼らを手引きしたのは、何を隠そうこの僕だからね」
「え……?」
クロフィの口から、消え入るような声が漏れる。
そんな彼女の反応を楽しむように、あるいはエルロンの言葉が正しかったことを証明するように、賊たちは「ぐへへ」と笑った。
「な、なぜエルロン様がそのようなことを……。つい先日、わたくしのことを幸せにしてくれると……わたくしのことを一生離さないと……仰ってくれたじゃないですか……!?」
「ああ……かわいいかわいいクロフィよ。僕だって、こんなことをするのはつらいんだ。君の愛らしい容姿
陶酔しているのか、まるで歌劇のように身振り手振りしながらエルロンは語る。
「僕が最も欲しているのは君ではなく、サングイス公爵家の全て。公爵家を完全に僕の色に染めるためには、君の存在も、現サングイス公爵家の当主である
「わたくしもお父様も邪魔とは、いったいどういう意味ですか!?」
「言葉どおりの意味さ。君と義父上がいると、僕の色が濁ってしまうからね。心苦しくはあるけれど、この世からご退場してもらうことにしたんだ」
クロフィは、ただただ言葉を失った。
クロフィと結婚した以上、エルロンはまず間違いなく次期サングイス公爵家当主になれるというのに、「僕の色が濁ってしまう」とかわけのわからない理由で、自分と父を殺そうとしている。
わけがわからなかった。
仮にこれが悪夢だったとしても、もう少し気を利かせてくれたっていいんじゃないかとさえ思った。
「さて、僕はそろそろ行かせてもらうよ。今の君と同じように、養父上も死ぬ前に僕と話しがしたいだろうからね。……あぁ、僕はなんて慈悲深いんだ」
狂っているとしか思えない言葉を最後に踵を返すエルロンに、賊の一人が話しかける。
「エルロンの旦那、ちょいとお待ちを。旦那の嫁さん、本当に
耳を疑う言葉に、クロフィの口から再び「え……?」と、消え入るような声が漏れる。
「ああ。構わないよ。僕としては胸が引き裂かれるほどにつらいけど、『賊に襲われて妻と養父を失う悲劇の花婿』を演出する意味では、君たちの好きにさせる方が効果的だからね」
「だとよ。お前ら」
言質をとったぞと言わんばかりの言葉に、賊たちの笑みが卑しく歪む。
「というわけだ、クロフィ。僕の妻として、客人たちを精いっぱいにもてなしておくれよ」
そんな最低な言葉を最後に、エルロンは部屋から出ていった。
一度も振り返ることなく。
一度も立ち止まることなく。
悪夢の中でさらに悪夢を見ているような、最悪極まる状況に、クロフィは茫然自失となる。
ほんの数日前までは、本当に幸せだった。
大好きなエルロン様と一緒になれて、幸せの絶頂だった。
その幸せを、他ならぬエルロン様によって打ち破られた。
それが信じられず、我を失いながらも、つい否定の言葉が口から漏らしてしまう。
「嘘……こんなの嘘よ……」
「嘘じゃないんだなぁ、これが」
賊の一人が、下卑た笑みを深めながらにじり寄ってくる。
我に返ったクロフィは「ひ……っ」と引きつるような悲鳴を漏らしながらも、両手で握り締めたペーパーナイフを、賊に向かって突きつける。
荒事に慣れている上に、ペーパーナイフを握るクロフィの手が憐れなほどに震えているせいで、賊は自身に向けられた切っ先に微塵も臆することはない。
それどころか、切っ先に向かって手を伸ばしてきて……意味もなく恐れたクロフィは、思わずペーパーナイフを持つ手を後ろに下げてしまった。
遅れて、微かな鮮血が舞い散る。
クロフィがペーパーナイフを引っ込める直前、賊の指がその切っ先に触れていたために舞い散った鮮血だった。
「うわー。痛ってー。先に手ぇ出されたー。こりゃ仕方ねえよなー。俺たちがあんたに何しても仕方ねえよなー」
棒読み気味に、賊が
先に手を出したのは、あんた。
だから、これから起こることは全てあんたのせいとでも言わんばかりに。
一方のクロフィは、賊の言葉など全く聞こえていなかった。
(血……? 今のが……?)
先程舞い散った鮮血。
それがなぜか、ひどく美しいものに見えて仕方なかった。
公爵令嬢といえども、生きている以上、人の血を見る機会は幾度となくある。
しかし、自分の手で傷つけ、舞い散らせた血を見るのは、これが初めてのことだった。
(綺麗……)
心奪われるように、真実今自分の置かれている状況を忘れて、床に斑点を残した血に魅入られる。
知らなかった。
自らの手で
もっと見たい――そう思った時にはもう、体が勝手に動いていた。
賊たちの目には霞んで見えるほどの速さで、その手に持っていたペーパーナイフを真横に振るう。
直後、目の前にいた賊の喉がパックリ裂け、噴水のような血が噴き出した。
「……へ?」
ぐるんと白目を剥いて倒れ伏す仲間を見て、賊の口から間の抜けた声が漏れる。
呆気にとられる賊たちを尻目に、返り血をもろに浴びたクロフィは、一人恍惚としていた。
「あぁ……いい……。とても綺麗です……。それにこの香り……。どんな香水でも、ここまで心奪う香りを醸し出すことなんてできませんわ……」
明らかに様子がおかしい――というか、明らかにやべー感じになっているクロフィを見て、賊たちは即座に腰に下げていた剣を抜く。
「おい! わかってるな!?」
「ああ! お楽しみなんてどうでもいい!」
「明らかにやべえ! とっとと
荒事慣れしているがゆえの勘の良さが、今のクロフィの危険性を瞬時に見抜き、一斉に斬りかかる。が、それでも遅きに失したと言わざるを得なかった。
見るからに虫も殺したことがないような女が、熟練の暗殺者さながらの動きで、賊どもの剣を全てかわし、賊どもの喉を全て裂いていく。
「ひ、ひぃいぃぃぃぃいぃッ!!」
一斉攻撃に出遅れ、一人殺されずに済んだ賊は、悲鳴を上げながらも逃げ出そうとする。
「あぁ……っ。お待ちになってくださいまし」
そんな賊を、血塗れになった
まるで、お花畑で王子様を追いかけるお姫様のように。
どこで覚えたのかわからない歩法をもって、お姫様とは思えない速度で、瞬く間に賊との距離を詰めながら。
ほどなくして、ペーパーナイフの届く間合いに辿り着き、
喉を裂かれた賊は、断末魔すら上げることもできずに絶命した。
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