第2話

「なんのこと?」


 初村さんの無表情な顔とその声が、縮んだと勝手に思い込んでいた距離を否定するように僕を突き放した。


 昨日まで話していたのは悪魔であって初村さんではない。彼女とは今日なぜか挨拶をしただけだ。距離が縮んだと思い込んだ僕は愚かにもほどがある。


 なんのこと? そりゃそうだ。

 僕の仮説が正しかったとしても、彼女が素直に「はいそうです」と言うわけがなかった。


 証拠も無しにこれ以上言及しても意味は無いだろう。それに、もし本当に違っていたらいきなり悪魔だなんて言い出す僕は、側から見たら痛いヤツなのでは?


 そもそも彼女が悪魔だったら、「初村さんが僕のこと好きって本当?」と聞いているのと同じようなものだった。

 無神経、空気が読めない、距離感おかしい、よく言われてきた言葉が脳裏をよぎる。


 僕がぼっちになったのも大体そんな風に言われるようなことを無意識のうちにやってしまうからだ。

 思い出して、後悔して、でもどうしようもなくて死にたくなった。


 何事も無かったかのように初村さんは席に着いた。周囲のクラスメイトは「変なやつ」と僕を一瞥するだけだった。

 僕は死にたいと思いつつ、寝たふりをしながら学校がテロリストに占拠される妄想をすることで一日を耐え忍んだ。


 悪魔と契約を結んだ僕は校内で唯一テロリストに対抗出来る人物として活躍するんだ。

 教室に侵入したテロリストが威嚇射撃を行うも、僕が指をパチンと鳴らして見えない悪魔の手でテロリストを黒板に押さえつける。

 そのまま尋問を済ませてあれやこれやの情報を得た僕は、単身校内のテロリストたちを片っ端から無力化していくんだ。

 しかし、敵のボスがなんと初村さんを人質にして現れる。


「くそっ、どうすれば……なんてな! 悪魔ッ!」

「悪魔使いが荒いなぁ」


 敵の背後から黒くて角が生えて尻尾の長い典型的な悪魔が現れる。それに驚いた敵は初村さんを手放した。

 悪魔がトドメを刺している間、僕は初村さんに手を差し出すのだった。


「危ないところだったね」

「好き……!」


 悪魔のフォローもあってめでたしめでたし……ってなんだこの妄想。

 余計に死にたくなるだけだった。


 そうだ……せめて悪魔がフォローしてくれれば……。

 初村さんに声をかけてから、悪魔は現れなくなった。


 何故だ? 詮索したからか?

 やっぱり悪魔の正体は初村さんだったのか?


 違うのであれば、正体を暴こうとする行為が契約違反なのかもしれない。いや、契約した覚えはないが。

 やってはいけないことがあるなら最初に教えてくれないと困る。正体がどうであれ悪魔が消えてしまうのなら、なおさら初村さんに声をかけたことを後悔するではないか。


 そもそも悪魔自体が妄想だったのかもしれない。あの声も幻聴だったのかもしれない。


「おーい」


 ほら、今度はまた別の声が聞こえる。


「おいって」


 女子の声だ。やべ、幻聴じゃない気がする。


「んえ……」


 顔を上げると、目の前には里中咲良が立っていた。

 黒髪のウルフヘアと切れ長の目がクールな印象を感じさせる。言動も男勝りなところもあり、一言で表せばボーイッシュ美少女だ。しかし、初村さんとじゃれ合って無邪気に笑う姿はなんとも可愛らしく、そのギャップに惚れた男子は少なくない。というのは、誰かが言っていた受け売りだ。

 そして、彼女がいつも初村さんと一緒にいることが僕にとって一番重要なことだった。


 気付けば終礼も終え、放課後を迎えていた。寝たふりのつもりがどうやら本当に寝ていたようだ。


「ガチ寝?」

「うん……」


 どうして里中さんが僕に話しかけてきたのかが分からず、反応に困った。それを察したのか、里中さんは少しの間を空けて口を開いた。


「忘れ物してさ。誰か寝てると思えば、えぇと……」

「遠野。遠野真とおの まこと

「そうそう。言おうとした」

「別に……」


 気にしないよ。

 高校に入学して、このクラスになってまだひと月しか経っていない。名前を覚えていないのも無理もない。僕は人一倍目立たないからなおさらだ。


 でもまぁ、話しかけてきたってことは関わりたいってことだよな?

 ならもっと話してもいいのかな。


「小学生の頃のあだ名は殿だった」

「遠野……とおの……との?」

「そう」

「へぇ」

「殿って呼んでいいよ」

「は?」

「なんでもないです」


 くそっ、距離感を掴み損ねた。

 勝手に里中さんが僕と仲良くなりたいのだと勘違いしてしまった。悪魔とは上手く話せてたけど、やっぱりリアルの人間とは上手く話せない。


「ところで、歌恋となんかあった?」


 里中さんが僕に話しかけてきた本当の理由が判明する。遠慮がちに、それでいてストレートな質問。

 そのことで後悔しっぱなしだよ、とも言えず。


「別に……」

「歌恋も何でもないって言ってた」


 でもおかしいじゃん。そう言いたげだった。

 そうだよ、おかしいよ。

 僕は悪魔と話をした。悪魔は初村さんが僕のことを好きだと言った。そして僕に、彼女を口説くように言ってくる。

 僕は悪魔の正体は初村さんだと思った。それを本人に訊いた。普段話しかけることもないのに。


 こんな話、出来るわけない。


「まぁいいや……」


 里中さんはため息混じりに言って背を向けた。


「あ、あの」

「なに?」


 つい、呼び止めてしまった。

 あんな話出来るわけないと思いつつも、進展が欲しくて。


「悪魔って聞いて、心当たりある?」

「悪魔?」


 突拍子もない単語に、里中さんは眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「いや、なんでもない」

「ふーん」


 特段気にする様子もなく、彼女は教室の出口へ向かった。そして出口に差し掛かったとき、こちらを向いて口を開いた。


「サトサク」

「え?」

「小学生の頃の私のあだ名」


 じゃね、と最後に言い放って彼女は教室を出て行った。


 なんで教えてくれたの? 次からそう呼んでいいよってこと?

 ……駄目だ、考えても分からない。


 *


「俺は悪魔だ」

「うぉわっ」


 翌朝、自分の席に座った瞬間悪魔の声がした。

 突然の声に対する驚きと、悪魔が戻ってきたことに対する安堵が同時に押し寄せた。


「俺は初村歌恋じゃない」


 昨日、僕が初村さんに聞いた件についてだろう。


「それは……」

「証拠あるの?」

「無い……けど……」

「だよね? 初村歌恋がテレパシー使えるわけないよね」


 悪魔は言葉を続けた。


「仮に初村歌恋の自作自演だったとしても、あのタイミングであの言い方するかなあ? 無神経っていうか、デリカシー無いって言うか……」


「うぁ……」


「あと昨日のあれ、みんなの前で悪魔とか言わない方がいいよ、変人扱いされちゃうよ」


「あぐ……」


「それに、初村歌恋が遠野くんのこと好きって教えてあげたけど、悪魔のフリした本人が言ってると思ったの? それは遠野くん、自意識過剰じゃないかなあ?」


「や、やめ……」


 耳を塞いで机に突っ伏しても、悪魔の声は頭に直接響く。

 僕は涙目で悪魔の言葉が終わるのを待つことしか出来なかった。


「そんなだから……ぼっち……なんじゃないかなあ……」


 ぼそりと悪魔が呟いた。

 これは紛れもなく悪魔だ。

 初村さんがこんなことを言うわけがない。


「悪魔は初村歌恋の自作自演じゃない。分かった?」

「分かった……分かった……」


 確かにすべて悪魔の言う通りだった。

 証拠も無ければ、頭の中に直接語りかけてくる方法も分からない。

 そしてなにより、初村さんが僕に告白紛いのことをするはずがない。

 それに僕はぼっちだ。


 言われてすべてを再認識させられる。これはなかなか辛い。


「まぁ……それでも好きって、初村歌恋が言ってたよ」


 昨日も言ってたけど、そればっかりは信じられなかった。それこそ証拠が無いじゃないか。

 飴と鞭のつもりか? この悪魔め……。


 で、と悪魔が仕切り直す。


「これからは言うことを聞かないと……ころす」


 急に話が変わった上に殺すと言われてびびったけれど、言い方が子供っぽくて緊張感に欠ける。

 でも言うことは変わらないのだろう。初村歌恋を口説け、そう言うに違いない。


「俺のことは誰にも言うな」

「え?」

「昨日みたいに人に聞いたりは無しだ」


 初村さんに自作自演か聞いたことを言っているのだろうか。それとも里中さんとのやり取りを聞いていた?


 でも、人に話したところで俺の頭の異常を疑われるだけだろう。それで里中さんにあれ以上は言えなかったわけだし。


「別にいいけど」

「よしよし」

「てっきり、初村さんを口説けって言われるかと思ってた」

「それは」


 悪魔はひと呼吸置いて言葉を続けた。


「急だと初村歌恋も驚くだろうから、ゆっくり段階を踏むようにしようと思う」

「へぇ」

「昨日のあれも驚いてたから」

「初村さんが? そうは見えなかったけど……」

「驚いてたの!」

「あ、はい」


 と、言うわけでと悪魔は前置く。


「初村歌恋に挨拶しなさい」


 はじめに大きなお願いをして、断られた後に小さなお願いをすれば聞いてもらいやすくなるアレ?


「あ、急には駄目だよ? 事前に言ってね」


 いや、この悪魔はそんな頭脳派でもなかった。


「なんで初村さんに挨拶するのに、悪魔に言わなきゃ駄目なんだ……」

「なんでも」


 それでもまぁ、それくらいなら……と思わなくもない。


「それから」

「まだあるのか」

「ちょっとずつ、話せるといいな」


 それは命令ではなく、願望だった。

 悪魔の願望か? 初村さんがそう思ってくれているのか?

 あぁ駄目だ。そんな期待はしたくない。


 したくないのに、僕は自分の願望をつい口にしてしまった。


「話せるといいな」

「え?」

「……なんでもない」

「もっかい言って?」

「なんでもない!」

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悪魔が僕にあの子を口説けと囁いているがどう見てもあの子の自作自演な件 ふじちゅん @chun_fuji

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