第17話 最悪の想定。

「とりあえずひーちゃんはお風呂に入りましょうか」

「うん」


 僕はひとまず向日葵を風呂に促した。

 千夏は向日葵が落ち着くまで居てくれるというので今は雨宮家にいる。


「千夏、紅茶でいいかしら?」

「あ、うん。ありがと」


 千夏はリビングで俯いて座っている。

 少なからず責任を感じているのだろう。


 僕は普段着に着替えてから千夏の向かいの席に座った。


「千夏、向日葵を助けてくれてありがとな」

「……もう少し早かったら、水浸しにもならなかった……」


 結果論から落ち込んでも意味はない。

 でも千夏が落ち込むのはそれだけじゃない事も知ってる。


 僕がいじめにあっていた時を知っている千夏。

 だが、気を抜いていたのだろう。

 あの手の人間がいきなりここまですると思っていなかったのだ。


 僕の事があったにも関わらず向日葵に怖い思いをさせてしまった罪悪感もあるのだろう。


「千夏、気持ちはわかるけど、減点方式はいけない。最悪を想定していた僕からすればかなり良い結果だ」


 僕がそう言うと千夏は顔をわずかに上げて僕を睨み付けてきた。


「最悪を想定?」

「ああ」


 人の悪意に際限は無い。

 どこまでも悪意は続くし、どこまでも深い。


「聞きたいのか?」

「……そんな想定してたのに、なんで傍に居てあげないの?」

「向日葵がトイレしてる時も見守るか?」

「はぁっ?!」

「お前、逃げ回って個室トイレに隠れててホースで水かけられて風邪引いたの忘れたのか?」

「……」

「風邪引いたくらいなら可愛いもんだ」


 僕は部屋から新聞の切り抜きを貼ったノートを千夏に見せた。


「……」


 怪我や病気、ましてや向日葵は女の子。

 クラスのDQNを召喚してレイプされてしまう可能性だってある。


 服を脱がされて恥ずかしい写真を撮られて脅されて奴隷になる可能性。


 全国の学校でのいじめにあって自殺した生徒もいる。

 妹を回されてレイプされた挙句、犯されながら首を絞められて死んだ女子生徒だっている。


「僕が言ってる「最悪の想定」は向日葵が死ぬ事だ。ただ事故で死ぬならまだ救いもある。自殺や残忍な殺され方、死にたいと思うほど苦しい生活、そんな可能性もある」


 さらに僕はアルビノが海外でどういう扱いをされているかも話した。


 アルビノ狩り、なんて言葉がある自体がもう気色悪い。

 同じ人間であり人類を狩るのだ。


 正気の沙汰じゃない。


「僕が千夏に向日葵を紹介する前に話しておく必要があったかもしれないと反省してる。僕も判断を間違えた」


 と言ってもアルビノ狩りの話を知ったのは3人でファミレスでの食事をした時だったため、時すでに遅しだった。


「……で、でも、学校側が……」

「対応してくれたか?」


 僕は力強く千夏の目を見た。

 千夏だってわかってる。

 現に抗議しても聞き入れてくれなかった。


 学校側からすれば厄介事。

「いじめられる方も悪い」とか平然と言いやがるのが教師様だ。


 当たり前だ。

 教師なんて大学出てそのまま学校の先生やってるわけだ。


 いじめを見て見ぬふりしてきた奴だっているし、いじめた側の奴だっている。

 一部の人からは「学校教師は社会人じゃない」なんて言われてる職業だ。


 なんなら僕は司書の橘先生だって完全に信用してるわけじゃない。


「僕も千夏も、常に向日葵の傍にいてやれる訳じゃない。それとも、向日葵の為に人生捧げるか? 向日葵の為に人を殺せるか?」

「……」


 千夏は俯いた。

 簡単に答えられる話じゃない。

 我ながら酷い質問だと思う。


「千夏、身の程を知れ」


 千夏が制服の裾を握ったのがわかった。


「そうしないと、出来ることも自分じゃわかんないだろ。なにが出来て、なにが出来ないのか。考える事もできない」


 僕は非力だ。

 殴り返したところでかすり傷すら付けられない。

 だから護身術を覚えた。

 何度も有栖川さんに投げられて覚えたのだ。


「お前は僕に連絡してきた。それは今回正解だった。現場に居てどうしていいかわからない千夏。現場にいない僕ができるのはどこにいるのかを推測してナビゲートする。だから早く発見できたんだろ?」


 千夏から連絡があった時、僕は既に向日葵の大まかな位置は把握していた。

 防犯ブザーに仕込んだGPSで別校舎にいたのは知っていたからだ。


 だがとりあえず電話で話を聞いてさも推理したかのように誘導した。


 帰る時はいつも日傘を差す。

 だから日傘があるか調べろと。

 あればまだ学校内にいる。


 この時間は活動時間を終えて帰る生徒もいるから可能性として放課後に最も人気ひとけのない別校舎である。


 トイレは個室であり基本的に出口が1箇所しかない為、目撃される可能性が低く、複数人で迫られたら怯えるしかない事。


 そうして千夏は走り、直後防犯ブザーが響いた。


 防犯ブザーが無かったら髪の毛はズタズタにされていた可能性がある。

 そこは向日葵のファインプレーと言える。


「千夏、向日葵のために、できることをやってやってくれ」


 千夏にはGPSを仕込んだ事は言えない。

 防犯ブザーも中身をいじくって防水にした事もだ。

 ブザーが鳴らされた途端にスマホに表示される位置情報に変化が起きるように魔改造もしてある。


 人によっては過保護だという奴もいるかもしれないが、買って2週間経たないうちにブザーを鳴らす事態に陥っている。


 過保護とか言ってられる状況じゃない。


「……わかった……」


 そう言いつつ、千夏はそれでも僕を睨んだ。

 やるせない気持ちもあるし、現実的な事を言う僕に腹を立てているのだろう。

 半ば八つ当たりだが、千夏はどうしていいかわからないのだ。


 でも世の中は綺麗事だけでは筋が通せない。

 僕がそれを知ったのは12歳。


「さっぱりした」


 向日葵が風呂から上がってきた。

 ホカホカでツヤツヤな向日葵は少し落ち着いているように見える。

 いつもは風呂上がりには黒のカラコンは付けていないが、今は千夏がいるからか付け直したようだ。


「向日葵、千夏が髪を乾かしてくれるらしいぞ」

「え」

「いいの?!」


 急に振られて戸惑う千夏を強引に押しやって向日葵の部屋に行かせた。


 とりあえず百合百合させとけば丸く収まる。

 千夏の機嫌も多少は直ってくれると有難い。


「……今日は2人の好きなもんでも作るか……」


 僕はそうして一息付いてから夕飯の支度を始めた。

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