第9話 だらしない女上司。
ゴールデンウィーク3日目。
夕暮れ時、趣味の小説を書いていると異様なメールが来た。
有栖川 凛菜
『た……けて……』
仕事用のスマホにはそれだけである。
僕はため息を付いて着替えた。
部屋にいる向日葵に作り置きのご飯があるからと伝えて家を出た。
ゴールデンウィークだが、親父も優香さんも仕事だと言う。社畜とは可哀想な生き物である。
仕事用のスマホで相手に電話を掛けた。
「もしもし」
『助けてくれ雨宮……しぬ……』
「何日食べてないんですか?」
『3日……』
「あと2日はいけますね」
『お前の作った飯が食いたんだ……』
「それは僕が将来の嫁に言いたいセリフナンバーワンなんですけどねぇ」
僕は再びため息をついて歩いた。
「今から行きますから、そこで大人しく死んでて下さい」
『後生だ…………ハンバーグ食べたい♡』
「仕込みで10時間欲しいな」
『死ぬ! 死ぬからマジで!! 5分で頼む!』
「ならカップ麺食べたらいいじゃないですか。この前買い置きしといたのがまだあるでしょう?」
『全部食べた』
「太りますよ。ブクブクと」
『全部胸に行くからいいんだよ』
僕はスーパーに寄り、食材を買って事務所に着いた。
鍵で事務所を開けて入ると有栖川さんが上下の違う下着姿でソファに寝ていた。
周りには大量の空き缶が転がっていて、「怠惰」とはまさにこの人の為にある言葉なのだと思った。
「……ゴールデンウィークなら
「雨宮ぁ〜お腹空いた死ぬぅ〜いい匂いだ雨宮ぁ〜くんかくんか」
「とりあえず風呂入ってこいダメ上司。汗ばんだ胸を押し付けてくるな」
僕は有栖川さんを風呂場に押し込んで仕込みを始めた。
有栖川 凛菜、28歳。
切れ長な目と泣きぼくろ、長い茶髪に抜群のスタイルに巨乳である我が探偵事務所の経営者であり僕の上司なのだが、どうしてこうも残念でだらしないのか……
「……前に来てから3日と経ってないんだが……」
部屋は泥棒にでも入られたかのような惨状である。
床には依頼者の情報などの書類が散乱している。
おい、情報はしっかり管理しろよ最低限……
ハンバーグのネタを作り終え、キノコなどと一緒に煮込んだ。
弱火でじっくりと火を通している間に散らかっているゴミ袋などの軽い掃除や家事を済ませる。
脱ぎ散らかされた服や下着。
女性用の下着を無心で洗濯ネットにぶち込んで洗濯機を回す。
せめて下着くらいは自分で洗ってほしいものだが、有栖川さんは衣類に拘りがさほど無いらしく、駄目になったらすぐに捨ててしまう。
もちろん捨てるのは僕である。
「さっぱりした〜。おお!! いい匂い!!」
「黙れ変態、服を着ろ。用意しといたじゃないですか……」
「料理をしている雨宮の背後から胸を押し付けてやるくらいのサービスをしてやろうかと」
「この包丁で自慢のお胸を削ぎ落として差し上げましょうか」
「すんませんでした」
僕は包丁を握りしめて満面の笑みを有栖川さんに向けるとそそくさと逃げ出した。
「服着て座ってて下さい」
「直人ママ〜お腹空いたよぅ」
「誰がママじゃ」
駄々をこねる28歳の女上司にとりあえず前菜を与えて黙らせた。
野菜をあまり食べたがらない有栖川さんでもカプレーゼはわりと食べる。
スライスしたトマトとモッツァレラチーズを交互に添えてオリーブオイルとブラックペッパー、バジルを軽く掛けてビールと一緒に飲むが好きらしい。
「美味い!! ぷはぁ!!」
「服着て下さいって言いましたよね? 煮込みハンバーグはお預けですね。僕が食べます」
「今すぐ着ます! どうかご慈悲を」
下着姿でソファに座り缶ビール片手にカプレーゼを食らう28歳の女。
どうやらこの女の中では下着は「服」としてカウントしているらしい。
よろしかったらそのままホテル街でも歩いていてほしい。
獣となったオスが
誰か早くこれを嫁に貰ってくれ……
「雨宮! 服! 着たよ!! ハンバァァァーグ!!」
「……服をちゃんと着た有栖川さんにご褒美です」
「イエスッ!!」
煮込みハンバーグをガツガツを食べ始めた有栖川さん。
美味そうに食べる有栖川さんを見てから僕は洗濯物を干して食器を洗った。
普段は綺麗な顔をしている有栖川さんが笑顔で食べるのはギャップ萌えもするのだろうが、女性のわりには結構食べるので男から引かれる事がある。
非常に残念なギャップ萌えである。
「直人ママンお代らり!!」
「誰がママンじゃ」
そうツッコミつつ追加の煮込みハンバーグを与えた。
ちなみに、「ママ」と呼ぶと酔いが回り始めで「ママン」になると結構酔っ払っている。
最終的には抱っこを要求してくる。
なぜ幼児退行する……
洗い物も落ち着いたので有栖川さんの所に戻るとほとんど食べ終わっていた。
そうして最後の一口を咀嚼して缶ビールを飲み切った。
「直人! 結婚しよう!!」
「いえ、遠慮しときます」
「即答過ぎてツラい!!」
「てかなんでゴールデンウィークなのにダラダラしてたんですか」
「ダラダラしたかったから依頼は全部片付けた!!」
「……仕事はできるんだけどなぁ……仕事は」
仕事はできるのである。
むしろ仕事しかできない。
今の時代ならそれでもいいのだろうが、どうしても残念である。
「直人、養ってやるぞ? 胸も揉み放題だしまだ20代!!」
「その辺の男にやってもらったらどうですか? すぐに湧いてきますよ。ワンナイト目的なら」
「胸を揉まれるのが目的じゃないの! 結婚したいの!!」
「……28ですもんね……」
「……そ、それを言わないでぇ」
「泣き付くな鼻水を吹くな頬を擦り付けるな」
この人、ほんとにどうにかしないと一生独身かもしれん。
「直人! ゴム無しでいいからヤろう!! 今すぐに!!」
「焦り過ぎだろ怖い」
孕む気満々じゃないか……
既成事実を作ろうと必死じゃん。
「……顔もスタイルもいいんだから、相手くらいすぐ見つかるでしょ? ちょっとだらしないところを改善すれば」
「……この仕事してて、まともなのを見てないから無理」
まあ、探偵業なんて実際はろくなもんじゃない。
麻酔銃やら声を変えれるネクタイやらで殺人事件を解決なんてする訳じゃない。
やってる事はほとんど不倫調査とか尾行。
たまに事件に遭遇して警察に通報、そのくらい。
「有栖川さんには僕がまともに見えるんですね。眼科でも行ってきたらどうですか?」
「一緒に付いてきてくれる?」
「28歳独身女の子守りする時間はないので独りで行ってきて下さい」
「……直人ママンがいじめる」
今度お見合いとかに行かせよう。
僕はそう決めた。
「話変わるんですけど、ゴールデンウィーク明けから調べてほしい事があるんです」
「私のプロポーズより大事な話?」
「ええ。個人的には」
そもそも僕はまだ15歳。
結婚したいと間違って思ったとしても法的に無理である。
「うちの学校の教師たちの粗探しを頼みたいんです」
「……私のプロポーズが……ぐっすん……」
そう嘆きつつも有栖川さんは改めて座り直した。
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