第3話 お話。

 晩御飯の下ごしらえだけを先にしているとインターホンが鳴った。


「……こ、こんにちは」


 よそよそしくもじもじしながら天野向日葵は立っていた。


「……いらっしゃい、ませ」


 とりあえず家に入れ、制服のままの天野向日葵をリビングの椅子に座らせた。


「……珈琲か紅茶、どっちがいい、ですか?」

「あ……お構いなく……」

「まあ……僕も飲むし……ついでに」

「……じゃあ、紅茶で……」


 借りてきたネコよりも大人しくそわそわする天野向日葵。

 その緊張が僕にも伝染する。


 白い前髪から覗く黒い瞳が落ち着かなさを象徴するように右往左往している。


 出来上がった紅茶をカップに注ぎ天野向日葵の渡した。


「どうぞ」

「……ありがとう、ございます……」


 僕も席に座り向かいあってとりあえず紅茶を口に含む。


 天野からの話という事もあり、僕は天野が話すのを待つしかない。


「その……」


 そうしてまた紅茶を飲む天野。


「雨宮さんは……再婚は賛成……してますか……?」


 紅茶を見つめながら一瞬だけこちらを見る天野。

 天野と目が合う度にドキリとしてしまう。


「……個人的な感情だけで言えば……反対、かな」


「今の雨宮家」自体は落ち着いてる。

 親父が働いて僕が家事。

 それで安定した生活ができてる。


 今になって「新しい家族」ができても、今のバランスがまた崩壊する可能性が増えるだけ。


「うちは……母さんが不倫して離婚した。僕はそれ以降、基本的に女が苦手だし、怖い。まともに話せるのは幼馴染くらいだし、今の暮らしがダメになる事も怖い」


 僕は天野の顔を見れず、天野と同じように紅茶の表面をただ見ながら言った。


 天野は黙ってまだ僕の話を聞いている。


「でも……親父は僕をここまで育ててくれてる。仕事はできるのに不器用だし、再婚の事知らされたのも天野たちと食事した前の日。まだ飲み込めてないのが現状」


 上手く言葉にするのは難しい。

 押し殺す事を早くに覚えてしまったせいで、他人に何かを伝えるのが下手になってしまったと自覚する。


「それでも、親父がそうしたいなら、それでいいとも思ってる。幸せになってほしいと思うし」


 個人的な感情で言えば反対。

 でも、家族としては賛成。


 親父が幸せになりたいと思う事に対して、縛り付けたり我儘わがままで反対したりはしないしする気もない。


「天野は、どうなんだ?」


 質問には答えた。

 だから僕は天野に聞いた。


「……わたしは賛成、してる。わたしのお父さんは、わたしが小さい頃に事故で死んで、それからお母さんが育ててくれた……」


 懐かしさと悲しさのこもった声音。

 天野たちも、相応の苦労をしてきたんだろう。

 片親の苦労も寂しさもよく知ってる。


「……お母さんの誕生日の日に、お父さんとわたしでケーキを買いに行って、事故に巻き込まれた。……咄嗟にお父さんはわたしを庇って死んで……それからお母さんとふたりで生きてきた」


 そして天野は不意に自分の眼に指を近付けた。

 急になにをしてるのかと慌てたが、コンタクトを外しただけだった。


 黒いカラーコンタクトレンズを外した天野の眼は綺麗な紅色だった。


「わたしはこんな体質からだだし、この紅の眼も嫌い。……だから普段はカラーコンタクトをして誤魔化してる」


 学校では確かに紅い眼の印象はなかった。

 白髪に紅眼はさらに目立つだろう。

 日本人からすれば明らかに別種であり異物。


 僕は天野のその紅い眼に吸い込まれるような感覚になった。

 あまりにも人を引き込む力を持つ眼。


「……わたしは、太陽の光を浴びて歩けない。……光を直視する事もできない。それでもお母さんはわたしを育ててくれて、わたしももう高校生になって……だから、お母さんが幸せになれるなら、それでいいって、思って……」


 僕も天野も、親と共に苦労して、幸せになってほしいと思う気持ちは一緒。

 僕はそれが嬉しかった。


「じゃあ、僕と天野の意見は一緒だな」


 僕はそれを口にできてほっとして笑った。

 詰まりながらも思ってる事をどうにか話せたし、言葉にできて改めて自分がどう思ってるかも知れた。


 なにより、僕と天野の方向性が一緒なんだと安心できた。

 天野は僕の敵じゃない。

 そう思えたのだろう。


「うん」


 天野も小さく微笑んで応えてくれて。

 天野が初めて笑った顔を見て再びドキリとした。


 弱々しくてよそよそしい。

 それでも笑ってくれた天野。


 太陽の下で素肌を晒して歩けない。

 私生活の光を直視もできない。


 それでも天野向日葵はしっかりと僕に微笑んでくれたのだ。


 まともな会話なんて今が初めてなのに。

 クラスでは内気で積極的に話そうとしない天野が僕にこうして笑ってくれるのだ。


「……じゃあ、これからは……家族、だね……」


 そうして今度はぎこちなく笑った天野。

 それに釣られて僕もぎこちなく笑った。


 まだその言葉は、喉奥から異物が出てくるような感覚すらある。

 でも、受け入れられる気がした。


「……えっと、雨宮さんは誕生日、いつ?」

「……8月30日」

「?!……わたし、8月31日」


 なんで急に天野が誕生日を聞いてきたのは意味が分からないまま、誕生日が一日違いという事が発覚しさらに混乱する。


 友達付き合いを避けてきた僕は、そもそも誕生日を人に聞くことなんてないし、聞かれる事もない。


 そんな中これから家族になる予定の天野から誕生日を聞かれて答えて誕生日が近くて一瞬嬉しそうな顔をされたものだから全く意図が読めない。


「じゃ、じゃあ……これから、義兄さんって呼ぶ……ね?」


 もどかしいほどぎこちなくそう言った天野。

 そして誕生日の質問がそういう事だったのかと分かった。


「……義兄さん……」


 上目遣いで確かめるようにそう呼んだ天野。

 こそばゆさが全身を駆け巡った。


「……義兄さん……よろしく」

「ああ。改めてよろしく」


 少し照れながら、やはりどこかぎこちなくよそよそしくて。


 そんな天野がこれから僕の義妹になるのだと実感し、護りたいと思った。



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