第12話 後宮の代書屋さんは大繁盛!?
翌日、夏月が
夜明けから物事がはじまるこの国では、ずいぶんと遅い朝だった。
正刻(十時ごろ)から店を開く予定だから、荷物を持った可不可を追いたてるようにして
城壁に囲まれた運京は、基本的に東西南北を碁盤の目を刻んだように路地がある。
その中心となる大路の先に、
官吏が登城するころに開き、夕刻には閉まる。
黒曜禁城にはいくつかの門があるが、用がある者はこの表門が開いている間に出入りしなくてはいけない。そのため、夏月のように、一時の用事で城内に入って、仕事をこなすというのは、どうしても慌ただしくなりがちだ。
城のなかは大きくふたつにわかれており、行政機関がある外廷に対して、王族の私的な生活の場所は内廷と呼ばれていた。
後宮とは、国王が朝議を行う大殿の後ろ、この内廷のことを指す。街でさえ、城壁に囲わなければ守られない琥珀国で、さらに厳重に守られているのが、後宮という匣のなかの匣なのだった。
「紫賢妃の紹介で参りました。代書屋の藍夏月でございます。こちらはわたしの使用人の可不可。荷物持ちとして、
内廷に向かう門のところで、夏月は姉からもらった手紙を見せる。
城のなかは屋根付きの巨大な塀に仕切られて、まるで迷路のようになっている。いくつもの門で誰何され、衛士の許可を得ないと、奥へと進めない。後宮への出入りは厳重に管理されており、賊は簡単に侵入できないのだ。
内部に暮らすのは、王后以下、二百数名の妃嬪だけでなく、二千名近い女官、それに数百人いる宦官だった。
弘頌殿は、門から入ってもっとも手前にある建物で、迎賓館のような役目を担っている。
いわば夢と現の境目として、後宮を交えた宴が開かれたり、出入りの商人が品物を持って訪れる場所だ。ここは後宮にあって、もっとも外に向かって開かれた建物だと言えた。
「宴会用の板敷きの間を使わせてもらえてよかった」
ひととおり荷物検査をされたあとで、窓を開け放した広間に案内され、夏月はひといきつく。
墨が乾くまで手紙を広げておく場所があると、作業がしやすい。しかし、弘頌殿が塞がっているときは、狭い部屋で作業して、手紙を廊下に干しておく羽目になったこともある。
通りかかる人のなかに文字が読めるものがいれば、手紙の内容が筒抜けになるので、可不可に見張ってもらうしかなかった。
柱が立ち並ぶ広間に日が射しこむ光景を見て、夏月は既視感に襲われた。以前にこの広間で作業したときのことを思いだしたのだ。
――昨年は不審死が多い年だった。
市中でも昨日元気だったものが、翌朝、眠るようにして死んでいることが続いていたが、後宮もその例に漏れなかった。ほかの国の呪いだと騒ぐものや得体の知れない感染症だというものもいたが、真相は結局わかっていない。
人手が足りないからと後宮の依頼を受けた夏月は、この弘頌殿で何通も女官の死亡通知を書いて送付した。
暑い盛りのことだ。
年が明けたころから運京は落ち着きをとりもどしたが、昨年の死の影はまだ後宮を覆っているのだろう。残されたものは、自分も同じように突然死ぬかもしれないと怯え、その不安のために家族に手紙を出すのだ。
まだ、自分は生きている。故郷に早く帰りたい。
そんな心情を女官たちは切々と訴えてくる。
年季奉公の女官はまだいい。年季が明ければ、後宮から出られるし、故郷に帰るのも結婚するのも自由だ。
後宮というと、一度なかに入れば二度と出られない、女たちを閉じこめる厳重な鳥籠。そんな印象があるが、琥珀国における後宮は、王子の私的な空間と言うだけで、妃も女官もそこまで厳重に出入りできないわけではない。官吏でさえ収穫の手伝いや冠婚葬祭での休暇が認められているくらいだから、冠婚葬祭のための里下がりも比較的自由に許されているのだ。
それでも、庶民にとっては不可侵の、なにがあるのかわからない場所と言うことには変わりなく、厳重な城壁の奥の奥――後宮に入ったら殺されるか、あるいは死ぬまで出られないような、そんな畏ろしさをどうしても抱いてしまうのだった。
手にしてきた巾包みを板敷きの上に並べた夏月は、結び目を解き、道具箱を並べた。
「では、はじめましょう。可不可、その対面机を土間の近くに運んでちょうだい」
「了解です。衝立も用意しますか」
「そうね……仕切りはあったほうがいいわね。人に聞かれたくない話もあるだろうし。もし、代書の要望が多いようなら、こちらの番号札を渡して、今回は列を作らないようにしましょう」
後宮での代書は今回で七回目になる。店と勝手が違うせいで最初のころは手順が覚束なくて、店を開くのが遅くなったり、紙が足りなくなったりと問題が多かったが、回を追うごとに慣れてきた。手伝いをする可不可もそうだ。
後宮は基本的に男子禁制なのだが、それは妃たちの宮が連なる区画の話で、弘頌殿や王子たちの宮はまた別だった。
運京という城壁の匣のなかに、黒曜禁城というさらに小さな匣があり、そのなかにもいくつもの匣が入っている。奥に入れば入るほど、守りは厳重だと言われているが、夏月は実際にはその奥へ入ったことがない。
弘頌殿から先は黒い瓦を抱く白い壁に仕切られ、実際にどうなっているかを知ることはないのだった。
「じゃあ、そろそろ代書を頼みたい人を呼んでもらいましょうか」
机や衝立の配置をすませたとはいえ、一面を開け放した広間は広々としている。
庭のほうから人を入れて、対面机ごしに聞きとりをするつもりだ。
夏月は墨を摩りながら、試し書きがてら竹簡にお品書きをさらさらと書きはじめた。
竹簡は何度か代書屋をやったあとから後宮側が用立ててくれることになっていた。城では外廷でたくさん竹簡を使うために、たくさん用意してあるのだとか。
紙も用立ててもらえないかと思ったが、これは可不可に止められた。
「藍家の商いで仕入れた紙で代書をすることで、幾許かの利益が出るのです、お嬢。赤字対策ですよ!」
ということらしい。
二千人近い女官がひしめきあって暮らしているのだから、公に息抜きを用意してやったほうが、問題が少ないのだろう。
多くの女官にとって代書屋は娯楽の一種とみななされているようだった。
さて、やってくる最初の女官は、どんな手紙を頼んでくるだろうかと考えていると、
「ほう……ずいぶんと字を書くのが達者な女官もいたものだ」
後宮で聞くにしては、ずいぶんと低い声が降ってきた。
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