【後編】真夏のライブ

 夏休みを翌日に控えた、終業式の帰りぎわ。


「北崎君に渡したい物があるんです」


 東条さんはこっそり僕を呼び出すと、一枚の封筒を差し出した。


「これは?」

「ライブのチケットです。北崎君に来てもらいたくて。みんなには内緒ですよ」


 東条さんはシー、と口元に人差し指を立てて、悪戯っぽく微笑む。


「ありがとう。必ず行くよ」

「約束ですよ。絶対ですからねっ」


 東条さんは僕に強く念を押すと、嬉しそうに去っていった。

 東条さんの背中を見送る僕の元に、今度は渉がやって来た。


「おい、涼馬。東条といったいなに話してたんだよ」

「いや、別に。大した話じゃないよ」


 僕は視線をそらし、とっさにごまかした。

 けれども、渉は含みのある笑みを口元に浮かべながら、僕の表情をのぞいてくる。


「お前、東条のこと好きだろ」


 渉の思いがけない指摘に、頬がカアァッと熱くなる。


「な、なに言い出すんだよ、渉!」

「だってお前、東条と妙に仲いいし。昔はアイドルにちっとも興味なかったのに、最近は『re:sonanceレゾナンス』の曲聞きまくっているし。それはもう好きなんよ」


 渉は決めつけるようにきっぱりと断言する。


「でも、諦めろ。なにせ相手はアイドルだ。俺たちが手を出していい相手じゃない」

「別にそんなんじゃないし」


 言い返す僕の声が、なぜか暗く沈んでいる。


 ライブの話が渉にバレずに済んでよかったはずなのに。

 どうしてだろう? 寂しさが胸いっぱいにこみ上げてきた。


 もしかして、渉の言う通り、僕はほんとうに東条さんのことを――。



◇◆◇



 学校が終わるなり駆けつけたレッスン室で、私は必死にダンスを踊っていた。

 ライブの本番がすぐそこまで迫っている。


 いつもなら投げ出したくなるような厳しいレッスン。

 でも、今回は不思議と嫌じゃない。


 激しいダンスの最中、ふと、北崎君の人の好さそうな笑顔が浮かんだ。


 こんな私を肯定し、応援してくれる人がいる。

 その事実が、私に勇気と自信を与えてくれる。

 もっと期待に応えたいと、しぜんと力がわいてくる。


 やがて休憩時間となり、沙理奈さんが優しい声をかけてくれた。


「蓮華。もしかして、学校でなにかいいことあった?」

「どうして分かるんです?」

「分かるわよ、いい表情しているもの。もしかして、好きな人でもできた?」

「まっ、まさかっ!」


 私は真っ赤になって否定する。

 そんな私の動揺ぶりを見た沙理奈さんが、落ち着いた声で話しはじめた。


「蓮華。私たちアイドルは偶像を生きるものよ。けっして個人の感情に流されては駄目。特に、恋愛感情にはね。アイドルが誰かと付き合ったりしちゃいけないってこと、蓮華にも分かるわね?」


 沙理奈さんは、表情こそ穏やかなものの、目は真剣そのもので少しも笑ってはいなかった。


「も、もちろんです。私が誰かと付き合うなんてこと、絶対にありえませんから」

「フフ、それを聞いて安心したわ」


 まもなく休憩時間が終わり、私は求められるまま、アイドル東条蓮華を演じ続けた。





 夜、家に帰った私は、ベランダでぼんやりと星を眺めていた。

 涼気をはらんだ風が、火照った頬を冷ましていく。


 私はなにを浮かれていたんだろう?

 アイドルが恋なんかしちゃいけないって、知っていたはずなのに。



――北崎君の声が聞きたい。



 私は一瞬ためらったものの、勇気を出して電話をかけてみた。


『もしもし、北崎君?』

『どうしたの、東条さん。なにかあったの?』


 北崎君の柔らかい声が心にしみて、ツンと涙がこみ上げてきた。


『……実は私、好きな人がいたんです』


 震える唇が、秘めた想いを打ち明けはじめる。


『とても優しくて、いつも私を守ってくれて。私はその人に何度救われたか分かりません。でも、私はアイドルで……恋愛禁止だから……。その人のことがどんなに好きでも、諦めなくちゃいけません……』


 どうして私はアイドルなんかになってしまったのだろう?

 歌うことが大好きで、褒められると嬉しくて。

 でも、傷つくことも多くて、誰かを好きになる権利さえも奪われて。

 これがほんとうに私のやりたかったことなの? 時々分からなくなる。


『実は、僕にも好きな人がいるんだ』

『……え?』


 北崎君の突然の告白に、冷たい手で心臓をなでられたように身体が硬直する。


『渉に言われて気づいたんだ。僕はその子のことが好きなんだって。今もずっとその子のことを考えてた』

『そう……ですか』


 高ぶっていた心が、空気の抜けた風船のように急速にしぼんでいく。

 そうだよね。北崎君にだって、好きな人くらい、いるよね。


 私は目尻に浮かぶ涙の粒を指の背でぬぐい、微笑んだ。


『よかったですね。私、応援していますから。北崎君の恋、実るといいですね』

『ううん。たぶん実らないよ』

『どうしてです?』

『だってその子、恋愛禁止みたいだから』

『それって……』


 もしかして、北崎君が好きな女の子って。



――この私?



『ダ、ダメですっ! そんな子のことを好きになっちゃ! もっと可愛くて北崎君に似合う子がきっといます!』

『その子以上に可愛い子なんて、僕にはいないよ』

『でも、その子は恋愛禁止なんでしょう? そんな子を好きになったって……結ばれないじゃないですか……』


 言いながら、瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。


 私は北崎君のことが大好きで。

 北崎君も、こんな私のことを好きでいてくれているかもしれなくて。

 それなのに、私たちは絶対に恋人同士にはなれない。


『だから、僕、しばらく待ってみようと思うんだ。その子だって大人になれば、恋愛禁止じゃなくなるかもしれないし』

『そんなっ! 大人になったって結ばれる保証はないんですよ? それでも北崎君は未来のために今を犠牲にするんですか!』

『犠牲にはならないよ』

『どうして?』

『だって今、僕はとても幸せだもの』


 北崎君の優しい声が、棘だった私の心に突き刺さる。


『僕はこれまでもその子と会話できて幸せだったし、今この時間も幸せで、きっと明日も明後日も幸せだよ。たぶん、そんな幸せの積み重ねの延長線上に僕の未来はあるんじゃないかな』


 大きく見開かれた私の瞳が、さらに潤いを増していく。


『……北崎君はバカですよ。恋愛できない相手を好きでい続けるって言うんですから』

『そうかな?』

『でも、ありがとうございます。北崎君と話していたら、なんだか急に元気がでてきました』

『それはよかった』

『私、これからもっと頑張りますね! ライブ、楽しみにしていてくださいっ!』

『うん、楽しみにしてる』



◇◆◇



 ライブ当日。

 真夏の熱気に包まれたまぶしいステージに、私は立っていた。


 アイドルでいられることが幸せで。

 たくさんのファンに見守られていることが幸せで。

 そして、こんな私を好きでいてくれる男の子がいることが、なによりも幸せで――。


 だから、私も精一杯届けたい。

 たくさんの幸せへの、最大級の感謝の気持ちを。


 私はマイクを握りしめ、弾んだ声を響かせる。


「『re:sonance』のライブへようこそ! 今日はいっぱい楽しんでいってくださいねっ!」





 東条さんの声に、地鳴りのような歓声がわき起こる。

 左手に東条さんのうちわ、右手にペンライトを手にした僕は、興奮のるつぼと化したライブ会場の雰囲気にすっかり飲みこまれていた。


 ステージの上で、『re:sonance』のメンバーたちが歌い、踊り、圧巻のパフォーマンスをくり広げる。


 そのなかでも、アイドル東条蓮華の可憐な姿が、僕の瞳にはいっそう鮮明にきらめいて――。


 灼熱の真夏の高揚感につき動かされ、僕は夢中になってペンライトを振り続けた。




【完】


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アイドルは恋なんてしない 和希 @Sikuramen_P

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