アイドルは恋なんてしない
和希
【前編】となりの席の子はアイドル
初夏を感じさせる五月のある晴れた日。
僕が通う中学二年生の教室で、席替えがあった。
僕の新しい席は、窓側から二列目のいちばん後ろ。くじ運が良すぎて自分でもびっくりした。
親友の
「くっそー。いいよなあ、
渉はがっくりとうなだれ、さらに続ける。
「しかも、となりはあの
そうなのだ。
僕のとなり、窓側の最後尾は、教室でなにかと話題の東条さんの席だった。
けれども、今日、東条さんは学校に来ていない。
というより、東条さんは四月からほとんど教室に姿を見せていない。
「東条さん、やっぱり忙しいのかな」
「そりゃそうだろ。なにせあの大人気アイドルグループ|『
渉はきっぱりと言い放つ。
『re:sonance』は、絶対的エースである
そして、東条さんはその最年少メンバーなのだ。
僕のとなりの席の人が、そんな有名人だなんて。人生なにが起きるか分かったもんじゃない。
東条さんって、いったいどんな人なんだろう?
気になって、夜、お風呂上がりに『re:sonance』が出演している音楽番組を見てみた。
まばゆいステージの一番端で、ツインテールの黒髪を揺らし、愛らしい笑顔をふりまく東条さん。
そのアイドル然とした可憐さに。
躍動感に満ちあふれた、懸命なダンスに。
伸びやかで力強い、天性の歌声に。
僕の目がしぜんと釘付けになる。
そして、身体の芯にポッと火が灯ったように、胸の奥が熱くなってきた。
「……って、お風呂上がりだもの、熱くて当然か。牛乳飲も」
僕はそう納得し、キッチンへと足を向けた。
僕はもっと身長を伸ばしたいのだ。
◇◆◇
「うぅ、最悪です……」
夜、私はリビングのソファに座り、自分が出演した音楽番組をチェックしていた。
センターに君臨する沙理奈さんの天才的な美顔と比べ、私の表情のなんと幼くブサイクなことか。できることなら、あまり映さないでほしい。
「あら、蓮華だって可愛いわよ」
ママはそう言っていつも私をなぐさめてくれる。
けれども、私だって身の程くらいわきまえている。この先どう転んだって、私が沙理奈さんみたいな麗しいトップアイドルになれるはずがない。
「蓮華。明日は学校に行くんでしょう? もう寝たら?」
「そうします」
アイドルとしてもダメダメで、その上勉強まで出来なかったら、目も当てられない。最低限の学力くらいは身につけておかなくちゃ。
「おやすみなさい、ママ」
私は辛い現実から逃れるべく、布団を頭からかぶり、闇のなかにもぐりこんだ。
◇◆◇
翌朝、僕が教室に行くと、
「あれ?」
僕のとなりの窓側の席に、一人の少女が座っていた。
黒い髪をまっすぐ下ろし、セーラー服を身にまとい、黒縁の眼鏡をかけて、静かに本を読む文学少女。
僕は机のフックに鞄をかけると、その少女に声をかけた。
「そこ、東条さんの席なんだけど」
「ええ、私も先生からそう聞いています」
返ってきたのは、まるで悪びれないツンとした声。
僕はこほん、と咳ばらいをして、もう一度言い直す。
「だから、そこは君の席じゃなくて、東条蓮華さんの席」
すると、少女はキッと鋭い目で僕を見上げた。
「私がその東条蓮華ですけど、なにか?」
「えっ!?」
僕は目を疑った。
だって、僕が昨日テレビで見た東条蓮華は、太陽のようなまぶしい笑顔をふりまくツインテールの美少女であって、地味で大人しそうな文学少女じゃない。
僕は信じられない思いで、少女をまじまじと見つめる。
「あの、あまりジロジロ見ないでくれます?」
不満げに頬をふくらませて抗議する少女の顔は、髪型や眼鏡のちがいこそあれ、たしかにテレビで見た東条蓮華と瓜二つなのだった。
にわかに廊下がざわつき出す。
見れば、教室の外から東条さんの写真を撮ろうとスマホを構える生徒たちが大勢集まっていた。
学校ではスマホの電源を入れてはいけないルールのはずなのに。
「――ッ!?」
東条さんは背中を丸めて身体を縮めると、本でとっさに顔を隠した。どうやら写真を撮られるのが嫌らしい。
仕方ない。
僕は東条さんをかばうように立ち、スマホを取り出すと、ぱしゃり。廊下に並ぶ大勢の生徒を片っ端から撮り返してやった。
「これでよし、と」
仕事をやり遂げた満足感が、にわかにこみ上げる。あとはこれらの画像を証拠として先生に突き出すだけだ。
まもなく、担任の渡辺先生が教室に姿を現すと、僕はスマホを片手に手柄顔で訴えた。
「先生、見てください! この人たち、みんな学校でスマホを使っています! ルール違反です!」
「お前もな」
「あっ」
渡辺先生が無情にも僕の手からスマホを取り上げる。
すっかりしょげ返り、とぼとぼと後方の席に戻る僕。
たちまち、教室中にどっと笑いの花が咲いた。
僕のとなりの席で、東条さんも一緒になって笑っている。
そのキュートな微笑みに、僕の胸は不覚にも高鳴った。
この事件以来、僕は東条さんと会話を交わすようになった。
人見知りで緊張しがちな僕だけど、東条さんの前では不思議と饒舌になれた。
東条さんも、教室にやって来る日がしだいに増えてきた。
そして、楽しそうに僕の話に耳を傾けては、黒縁眼鏡の奥の目を細めるのだった。
ある日、たまたま二人で下校する機会が訪れると、東条さんはスマホを取り出して言った。
「
「えっ、僕でいいの?」
「はい。私が学校を休んだ時に連絡を取りたいので」
僕にそう話す東条さんの顔は、完熟トマトみたいに真っ赤に染まっていた。
いつしか、僕と東条さんは頻繁にメッセージを送り合う仲になっていた。
東条さんもまた、スマホのなかでは饒舌だった。
◇◆◇
あの日、北崎君は、学校中にうず巻く好奇の目から私を救い出してくれた。
けっして偉ぶらず、さも当然のように私を守ってくれた北崎君にはもう感謝しかない。
北崎君と話していると、しぜんと心が癒される。
北崎君になら弱気な私も見せられる――そんな気がして、偽りのない気持ちを文字にして送信した。
『私、アイドルとしてやっていく自信がないんです……』
『どうして?』
『だって可愛くないし、キャラも演じていますから。私みたいな偽物じゃ、一生かかっても沙理奈さんみたいなトップアイドルにはなれません』
ひそかに抱え続けてきた暗い気持ちを、ついに北崎君にぶつけてしまう。
少し間があって、北崎君から返事が届いた。
『どうして神楽沙理奈みたいにならなくちゃいけないの? 僕は神楽さんよりも、東条さんのほうが好きだよ』
不意打ちだった。
たちまち顔が燃えるように熱くなる。
ドキドキしながら、震える指で文字を打つ。
『でも、私はこのままじゃトップアイドルにはなれませんよ? 北崎君はそれでもいいんですか?』
『大丈夫。東条さんならきっとなれるよ、トップアイドルに』
『どうしてそう言い切れるんです?』
『だって、東条さんは成長中だもの。昨日の自分より、今日の自分が成長できていると実感できたら、それでいいんじゃないかな』
北崎君からのメッセージに、思わず目頭が熱くなる。
私は沙理奈さんとずっと比べ続けてきた。そして、自分自身を傷つけてきた。
けれども、北崎君はこんな私の成長を信じ、肯定してくれる。
ああ――。
私は今日も北崎君に救われる。
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